2023/08/31

リペアマン

 「男っぽい」とか「女っぽい」とか、もはや死語かもしれない。時代は大きく変わったし、昔に比べたらずいぶん生きやすくなって、やっと楽になってきた実感がある。ここ数年、大人になってから出会って親しくなる人は比較的男性が多い。一緒にいてすごく楽。気質として、男性はもともと優しさがおおくて、それが溢れているのかもしれない。一方、女性の方が強かったり逞しいと感じる。それをオブラードで包むために、女性はチャーミングに、あるいは美しく生まれてきたのではないか。近頃はそんなことをおもう。

この夏知り合った鵠沼海岸の『Philson’s Shoe Repair 』(フィルソンズシューリペア)の山森さんに、靴を直してもらった。気に入っているカンペールのブーツと、シューレースの相談。想像以上に見事な仕上がりで、この人に頼んでよかったと心底思った。お店のInstagramに時々ポストされる、カスタマーのシューズのビフォーアフター写真がとても美しくて、眺めてしまう。どうしてこの道を選んだのだろうとか、どんな気持ちで独立したのだろうとか、笑顔の奥の苦悩や決断を、いつかじっくり聞いてみたい。
サーフボードのリペアをしている『Birds creation』のジョージくんもそうだけれど、どんな下積み期間があって、どんなタイミングで独立を決断したのか。『Logger』の末綱さんもそう。どんなことを思いながら、日々手を動かしているのか。みんな、いい笑顔のいい奴らで、愚痴っているのとか全く見たことがないけれど、色々な時代を経ての今なのだろう。
近頃つくづく思うが、『個』の時代なのだ。買い物をするにしても、この人のセレクトから買いたいとか、修理ならこの人、空間づくりを頼むならこの人とか、身体の相談はこの人、ご飯はこの人の味が好き、コーヒーはここ、この人のセレクトしたワインならきっと美味しいとか、自分の中にはしっかりとした確信がある。信頼という言葉が近い。そういう人からの紹介はほぼ間違いがないから、いい縁が紡がれていく。歩んできた道が人をつくるのだ。自分もそうありたい。誰に見せるためではなく、自分に恥ずかしくない道をまっすぐに歩きたい。

2023/08/30

夏を追いかける

 昨日は写真家のSくんファミリーと三浦で素潜り。Sくんと出会ったのは、わたしが由比ヶ浜にあったギャラリーの運営を始めて比較的すぐの頃。わたしは30代で、Sくんは20代だった。今、Sくんは30代半ばに、わたしは46歳になった。当時は川が好きな写真家だったSくん、カメラを川に置き忘れたのでしょうか。最近はバンドを愛する海の男に。Sくん、どうやらシュノーケルがうまいとみた。キャリアがある感じ。一方のオレ様は、シュノーケル歴はまだ数回で、岩場を歩くこともちょっとおっかなびっくり。まずもって、ぬるぬると滑ることがイヤ。そしていつも岩場用の靴を忘れる。昨日も海に来て気づいた、オレ様の靴がないと。

基本的には浅瀬が楽しいがついつい深く潜りたい人なので、昨日もフィンはしっかりと持参。それもシュノーケル用の長いのじゃなくて、ボディーボード用のコンパクトなやつ。でも、自分は今のところこれで十分かもしれない。サーフボードのロングとショートみたいな差だと勝手に思っていて、自分は体が小さいのでなんでも大丈夫だと思い込んでいる。あと、先日『Bird creations』のジョージくんとも素潜りについて話していて、フィンどうしてる? と聞くと「つけていない」と言っていた。理由がウケるのだが、「フィンは膝にくる」とのこと。人ごとみたいに笑っていたが、確かにそうかも。足腰にくる我々40代は、ガラスの膝なのだ。
波乗りは16歳からはじめた。デカイ波は怖いけど、キャリアはまさかの30年なので、そこそこ楽しめる。ボディーボードから始まって、9.2ftのロングボードから8ftのファンボードを何本か渡り歩き(全部手放した)、今は6.8ftが一本のみ。ボディーボードもずっと大好き。
シュノーケルは波乗りとは世界が全く違うので、新鮮で楽しい。最近思うが、自分はギアが少ない遊びが好きみたい。軽くて、コンパクトで、一人でサクッといける、みたいなやつが。ノルディックポールもそうだし、水泳もそう。ヨットも好き。ディンギーという二人乗りしか知らないが、ヨット部だった大学時代、夫と乗るのが誰と乗るよりも一番楽しかった。気が利くし、なんとなく安心した。スキッパー(舵をとる人をそう呼ぶ)のわたしの気まぐれな操船に、クルー(乗組員という意味で、細かな動きをしてくれるペアのこと)としてベストマッチな動きをしてくれたから。また夫とヨットにも乗りたいな。ギアはそこそこ多いが、ヨットは別格。あの景色はちょっと群を抜いている。波打ち際で遊ぶのと、沖に出て遊ぶのと、フィールドの違いもかなり大きいはず。

2023/08/29

母とわたしと、娘

 週末は母の住む吉祥寺へ。夏休みもいよいよラストウィークで、海に行きたがるかな?と思ったが、東京も捨てがたい様子の10歳。おばあちゃんが都会に住んでいるという逆転現象の我が家だけれど、これはこれで、結構楽しいものである。年老いてきた母は母なりに、出来ることと出来ないことの間(あいだ)を、覚えていることと忘れていくことの間(はざま)を、母の歩幅でゆっくりと歩いている。4人の子供を育てた母は、注いできた無償の愛がきちんと回収されていくかのように、子供や孫たちに支えられながら生きている。『人にしたこと、言ったことは自分に返ってくる』、というような言葉を聞いたことがあるが、ここ数年の母を見ているとそれはほぼ間違いないと感じる。

母が武蔵野市の体操教室にいっている時間、家にいるのも退屈なので娘と原宿へ。竹下通りの『DAISO』は3フロアの一棟丸ごと『DAISO』で、娘はお化粧品コーナーなど熱心に見ていた。右を見たり、左を見たり、プリクラ撮りたいといったり、ずっと興奮気味だったが、突然「ママ。色々ありすぎて、首を左右に動かしすぎたから首が疲れた。もういい」と言うのでおしまい。ママはすかさず、買いたいと思っていた『Allbirds』で靴をまとめて二足、『IKEA』にも少し立ち寄って原宿を後にする。原宿から新宿まで二駅山手線に乗って、ランチ。「食べたいものなんでもいいよ」というも、「足が疲れたから近いところで、麺じゃないのがいい」という。日頃から「昭和レトロって、おもしろーい」とか「ママって昭和レトロでかわいー」とか、棘(とげ)のあるようなないようなことを言うバブちゃんなので『らんぶる』に連れていってあげたかったのだが、少し歩くからねえ。『BERG』と『銀座ライオン』はバブちゃんもお気に入りなのだが、昨日は『BERG』がいいと言うので、仰せ(おおせ)のままに。いつもはホットドッグとジュースをオーダーするバブちゃん、昨日は「クワトロチーズドッグ」とペプシをオーダーしていた。シュワシュワしたかったらしい。ママもです!「ベルグ美味しいー。元気出てきた!」とバブちゃん。ママもです! 店内で素敵な曲がかかっていたので、すかさずShazam(曲名を検索してくれるアプリ)する。ジミー・クリフの『Many Rivers to Cross』だった。少し切なくて、ロマンティックな感じのメロディ。覚えておこう。
新宿から吉祥寺までは中央線や総武線で移動する。何駅か乗るので、「遠いね」と言うと「近いよ」と娘。高田馬場に住んでいた頃、吉祥寺には足を運んだことがなかった。遠いイメージがあったし、性格もあるが、乗換えが億劫だったから、買い物は基本、新宿。たまに池袋。どちらも二駅で移動できたから。そういう生活を26年間してきたので、今でもバスをまったり、乗り換えたり、正直すごく苦手で、駅員さんに聞きまくってしまう。スマホで調べるのも面倒くさい。おのぼりさんでいい。
吉祥寺に戻って、娘が本を買いたいというので巨大なジュンク堂へ。『四つ子ぐらし』という児童書にはまっているのだ。シリーズもので、現在15巻まで出ているのかな? 胸を打つ、いいお話らしい。夕方、母が戻ってくるのを待って皆でしばらくゆっくりしてから、母を次の目的地に送迎して、夜に湘南へ戻ってきた。母と娘と三人で過ごすのは、正直体力を使うし、時間の制約とかも色々あるけれど、それをひっくるめて、なんだかすごく尊い。そして愛おしい、目に映る全てのものが。なんでも褒める母、それが嬉しくてたまらないばぶちゃん。そうやって育ててもらったわたしは、娘の気持ちがよくわかる。褒めてもらうって、とにかく嬉しいんだよね。人目を引くほど美人だった母は、今は背中もそれっぽくまあるくなって、いわゆるかわいいおばあちゃんになった。母にはありがとうの気持ちでいっぱい。生きていてくれて。歳老いてくれて。明るくいてくれて。変わりながら、変わらずにいてくれて。

2023/08/27

上司とか部下とか、先輩とか後輩とか

 今週末は、お仕事をさせてもらっているアウトドアブランドのイベントで丸の内へ。室内に違いないと思い込んでいたが、まさかの炎天下でテントの下だった。相当にビビったけれど、たくさん休憩をまわしてくれて、水分なども用意してくれていた。カスタマーや他ブランドのスタッフとも仲良くなったりして、暑さは案外乗り切れた。なによりも、すごく楽しかった。とはいえ、46歳の肉体には疲労が足跡をしっかりと残した。帰りの横須賀線、爆睡でほとんど記憶なし。翌日の昨日は鎌倉ストアでヘルプスタッフ。室内でエアコンが効いているというだけで、心底感謝。ランチ休憩はレンバイ(鎌倉市農協連即売所、通称レンバイ)内にある『SAUCE THE CORNER』で焼肉弁当を、『DAILY by LONG TRACK FOODS』ではチョコレートのクッキーとチーズのクッキーを。DAILYではお店番をしていたUさんが、「今日はひとりなの?」と言うので「今日はヘルプでそこにいます」と話す。「近くていいね」とUさん。「うん。午後はアイスクリームを買いにきますね」とわたし。

仕事を終えて、夜は我が家で宴会。ゲストはOさん。Oさんはもと上司で、チームのマネージャーだった人。夫が会ってみたいと言うので、お声がけしたら来てくれた。Oさんは今、イラストの仕事をしながらコーチングという仕事をしている。うまく説明できないが、クライアントの話を聞いて、一緒にゴールを見つけていく、みたいな?(詳しくはこちらのリンクを参照してください)感じ。
先日、わたしもクライアントとしてOさんのコーチングをうけてみた。感想を言うと、すごく良かった。自分ではここが課題、と思っていたことが、案外そうでもないみたい、という思考の整理になった。一人では多分無理だし、めっちゃ時間かかることをプロがサポートしてくれるみたいな感じがした。あと、Oさんの声、イケボなので癒される。あと、Oさんイケメンなので、そこもよし。いつもはTシャツのイメージだけど、その日はコーチらしく、ストライプ(ピンストライプでもなく、太すぎもしない程よいピッチ)のシャツを着ていて、コーチっぽくて素敵だった。足元は革靴なのかしら、とチラ見したらコーチ、うっかりレザーのビーサンでした。サーファーだからね。
夫とOさん、すごく楽しそうに話していた。会話をしながらわかったけれど、二人は10歳違うらしい。お互いの絵のことから派生して、印象派がどうとか、ゴッホ、ピカソ、モネ、二人は色々盛り上がっていた。が、オレ様はあまりそこに興味なし。オレ様はポップアートが大好きなのだ。ウォーホールやキースヘリングが好き。つまりアメリカが好き。それにしても、昨日も飲みすぎちゃった。夏があっという間にすぎていく。

2023/08/25

男子と女子

昨日は、予定では11時頃に来客の予定だった。茅ヶ崎で『LOGGER』という屋号で、材木を扱う仕事をしている末綱(すえつな)さんがやってくる日。だったのだが、9時過ぎにLI NE。見ると、まさかのもう近くにいるという。「早すぎですよね!?ちょっと時間潰して向かいましょうか」と続く。こちらはさっきコインランドリーから戻ったばかり。パジャマで、ノーメイクで、部屋もごちゃっとした感じ。一瞬「もう呼んじゃって、掃除でも手伝ってもらおうかな」と頭によぎったが、一応お客様。「ちょっとどこかでまっててー」と返事する。マッハで掃除と着替えとメイク。
末綱さんが1分でも早く会いたい人はわたしではなく、末綱さんが1分でも早く会いたい人は、『Birds creation』という屋号でサーフボードのリペアや製作をおこなう児玉ジョージくん。昨日はそのアテンドだったのだ。1時間早めて、10時に我が家へ。うちで比較的のんびりとコーヒーを飲んでから、末綱さんの運転でジョージくんの工房へ。
末綱さんは、とあるお店で中古のサーフボードを眺めていて、そのフォルムがきれいだなあと行くたびにしつこく眺めていて、結局、その板を買ったらしい。手にしてわかったことだが、その板はなんとジョージくんの削った板だったそう。そんな経緯があって、一度本人に会いたかったみたいだ。昨日もそのボードで早朝から波乗りをしていたらしく、車に積んであった。
はじめましての挨拶もそこそに、ことの経緯を話す。自分がシェイプした板に再会したジョージくんはめっちゃ嬉しそうだった。抱きしめるようにかかえたり、撫でたりしていた。その板にあうフィンをつくりたいという末綱さん、「うんうん!」と、嬉しそうなジョージくん。ふたりのやり取りを見つめる。ものは違えど全員手を動かす作家なので、互いのモノづくりの共通点、思想について、熱く語ったりする。みんな、同じなんだね。だから仲良しなんだよね、と確認する感じ。
ジョージくん、少し大人になっていた。仕事に関する話をしていたとき、まっすぐさに磨きがかかっていた。とてもまともなことを言っていたし、てらいのない語り口調に、揺るがない自信のようなものも感じた。経験を重ねた人の重み。素敵だった。進級したのかしら? と思ったが、左右の靴下の色がバラバラだったので、今年も進級はなし。残念!やっぱり小2。
末綱さんは、3人の中だと少しだけお兄さんで(実年齢も)ジョージくんと並ぶと雰囲気は高学年だった。常識的だし、言葉遣いも綺麗でやさしいし、困ったときに間違いなく頼れるタイプ。とってもいいひとだけど、気持ちが先行して待ち合わせよりもだいぶ早く来ちゃうところや、早起きすぎる節があるので小5かな、とか品定めをするわたしもやっぱり小3で。
ジョージくんの工房を後にして、末綱さんと一緒にお昼をいただき、帰り道の車の中。友人の子供のお墓が近くにあるのだと話をすると、「一緒に行ってもいい?」というので、「もちろんだよ」と、お墓参りをすることに。末綱さん、お墓参りをちゃんとするタイプの手際の良さで、お花の花瓶みたいなやつとかもピカピカに磨き上げていて、業者さんみたいだった。流れるような所作の美しさに、線香を持ったまま、ぼーっと眺めてしまった。「火はつけた?」と言われて、「まだだよ」とわたし。結局、末綱さんが全部やってくれた。小さな魂が眠るお墓の前で、末綱さんはかがんで静かに、しばらく手を合わせていた。わたしも真似してかがむ。ジリジリとあつい太陽、蒼い空、白い雲、植物の緑、目に見えないけれど存在をしっかりと感じる風、その全てがキレイだった。
末綱さんとのドライブはずっと愉快で、これでもかとお互いに冗談を言い合う。内容がくだらなさすぎて、涙を流しながら助手席に座っていた。二人でいたら仕事とか全く進まないタイプで、もしも若い頃に出会って、恋愛して、結婚とかしていたら、全てのことが家庭はめちゃくちゃで、不成立だっただろう。空中分解。ジョージくんとも、自分はそういう組み合わせな気がする。ノリの合う仲間、みたいな感じ。わたしは、自分にないものを持っている人が好き。真面目で、綺麗好きで、シャイで、あんまり喋らない人が好き。静かな人になりたい。けれど、起きた瞬間からしゃべってしまうこのわたくし。昨日の3人はとにかくおしゃべり好き。そのほとんどが無駄話みたいな感じ。楽しくてくだらなくて、最高。男子はバカでもなんでもいいけど、とにかく優しいことが一番大事。

2023/08/24

原因はなあに?

 朝から疲れている。起きた瞬間から、「あー、つかれた」という感じ。歳かもしれないし、暑さのせいかもしれない。ほんとうは、全然違う原因かもしれない。今はコインランドリーに来ている。タイパンツ作家なので、日常を大量の布とともに過ごす。天日で干したり、ガスの乾燥機でふんわり乾かしたり、あの手この手である。今、目の前の鏡にうつる自分の顔を観察中。ノーメイクなのはアレだとしても、目に力がある。日に焼けて、ピンクのTシャツを着て、へー、結構元気そうだね。そっか、心のほうが疲れているのかもしれない。原因もだいたいはわかっている。でもね。そんなこと、わたしはあまり人に言わない。こういうところにも書かない。けれど人生は皆、色々なのである。オレ様だって、日々色々である。元気に見られたいわけではないが、必要な人にスピークアウトするしか方法はなし。世の中を俯瞰(ふかん)してみると、本人に聞けば済むことを、噂や憶測で、この世は大忙しな人がおおい。そういう発想や行動が、自分の中には全く存在しない。遠回りだし、時間の無駄だし、大抵は事実じゃないから。

オレ様は人にされてうれしかったことだけをする。その逆をしない。しんどい時こそ、笑いに変える。笑えられないことは、もう参加しない。人生はシンプルなんだよ。

2023/08/22

先輩と飲み会

 昨晩、はじめての『TRES』(トレス)へ。ビールやワインがおいしくて、ごはんもぜんぶ美味しいとまわりから聞いていた店。子連れだといけないし、指を加えて噂を聞いていた店。この夏、より一層に親交を深めているママ友に事情を話すと娘を預かってくれるというし、娘のお迎えは夫がしてくれるというので、「わーい!」と甘えることに。

仕事を終えてお店に着くと、二人の先輩はもう着席していた。UさんとCさんは、わたしが以前運営をまかされていた由比ヶ浜のギャラリー、『BORNFREE WORKS』(ボーンフリーワークス)の、きっかけをくれた二人。頭が上がらない。上がらない割に遅刻をしている自分もどうかと思うが、とにかくそういう先輩。上座と下座とか気にしながら座る。ゆるさの中に潜む体育会系のノリに笑いながら乾杯。ずーーーーーーっと笑わされて、涙を流しながら笑っていたら、三時間経っていた。先輩達とは、わたしの師匠でもある永井宏(ながい・ひろし)さんの話題もたくさんでた。先輩達が生前の永井さんと親交があったとき、わたしはまだ高校生くらいなはずで、町田にある和光高校に通いつつ、主には新宿か下北、実家のある高田馬場にいた。湘南と言っても鵠沼海岸にサーフィンをしにくるくらいで、永井さんはもちろん、Uさんの活動も、Cさんの作品も、なにもしらなかった。みんなを繋いでくれた師匠はこの世にいないし、先輩達とは同じ時代を共にしていないのに、こんな風に話せて、笑えて、すごいな、奇跡みたいだな、と思った。
その場にいない人の話が出るとき、明るい話題、笑える話題、その人のいいところの話題など、そういう言葉に耳を傾けるのが大好きだ。昨日はわたしの夫の話題もたくさん出た。Uさんと夫は見つめているものが不思議と似ていて、わたしにはまだ見えていない少し先の景色を、わたしに見せてくれることがおおい。「みもちゃんはだいぶ頭が柔らかくなったよ、最初はもっと頭がかたかったよね」とUさんに言われた話を、今朝夫にする。「『かたい』って言葉には色々あるけれど、みもちゃんはビビりだからね」とのこと。そうかもしれない。大胆に思われがちだけれど、基本的にはとってもビビりなのだ。ゴキブリが怖いし、蜂も怖いし、目立ったことをするのが嫌だし、注目されることが嫌だし、土の上を歩くと靴が汚れることもびびるし、雪の上を歩くときも怖くてしょうがない。札幌で『カンジキ』をバッグに携帯していたくらいに、雪道が怖い。そして必ず転ぶ。永井さんに出会うまで、会社だってやめるつもりなんてなかった。「辞めたい」と口にしても、辞める勇気はなかった。一人暮らしをしたことがないので家賃なんて払ったことのないわたしにとって、家賃を背負ってまでギャラリーの運営なんて、もっとも避けたいことだった。ビビりだったんだよ、わたしは。今だってそう。そういう、安全で安心のために鍵をしていた扉をノックしてきて、「おいでよ」って手招いてくれたのが、師匠であり、Uさんであり、Cさんだった。かなわないなあって思う。追い越せるはずがないし、追い越したいなんてまったく思わない。ずっとその背中を追っていたい、ビビりながらね。

2023/08/21

昔のわたしはいつも

 46歳のわたしは、結婚してもうすぐ20年になる。結婚してすぐは、「家事は妻がやらないといけない」と信じ込んでいた。実家がそうだったことも大きいが、苦手な家事を無駄に頑張ったりして、ものすごく疲れていた。家事が大好きな夫は、家事が苦手な妻が無駄に手を出すことに、きっと強いストレスを感じていただろう。そういうことをお互いがあまり口にしなかった。遠慮と優しさの上に成り立つ新婚生活は、ちいさな疲れとストレスを日々積み重ねていた気がする。

46歳のわたしは、最近やっと生きるのが楽になってきた。若いころは、いつでも「元気そうだね」と言われることが嫌で嫌で仕方なかった。自分のことを元気だと思ったことは一度もない。今もそう。普通だと思っている。元気じゃない時に元気そうだと言われることががあんまりにも嫌で、以前夫に相談したときに「元気じゃない人は、そういうキレイなイエローのワンピースとか着ないんだよ」と言われて愕然とした。元気がないとき、いつもカラーに元気をもらう。そういう選択をする自分を勝手に元気だと決めつめないでほしい、若い頃の自分はそう思っていた。歳を重ねてきた近頃は、疲れがきちんと顔に出るようになったおかげで、「元気ないね」とか言われるようになった。ここまで頑張って生き抜いたオレ様のことを、オレ様は心から褒めてあげたい。若い人を想うが、生きているだけで可愛いし、そこにいるだけでこちらは幸せになる。彼らは細胞がスパークしているので、悩んでいる姿さえも美しさを放っている。色々な期待もされるし、比較もされるし、生き急ぐことが多いだろう。雑誌やYouTube、SNSはキレイや格好いいをあおるし、盛らせる。けれど、疲れたら「疲れている」ことをどんどん表現してほしい。わたしは当時、その手段がブログを書くこと(言葉をつづること)くらいしかなかった。正確には、わからなかった。あとは、母にときどき話を聞いてもらうことで、痛めた羽を休めていた。今、じぶんがこの世に必要だと思っている媒体(ばいたい)は紙でつくる雑誌一択で、「疲れ顔メイク特集」とか「おばさん顔になるためのメイク術」とかを張り切ってやりたい。白髪を隠すテクニックではなく、あえて白髪を作るスティックとか、ほうれい線の入れ方、肌をくすませる方法は?頬をたるませたい! 目の下のクマってなあに? とかね。どうしたって元気に見えてしまうティーンや20代が、自分の疲れや心の声をスピークアウトできるような場所、その方法が今の世の中には少なすぎる。キラキラはもう十分だし、若見えとか美魔女とか、もういい。素敵な暮らし、丁寧、シンプル、ナチュラル、やり切ったのではないか。オレ様はお腹がいっぱい。人のこととか、どうでもいい。いこうよ、次の時代へ。そんなことを思っている。46歳のわたしは。

2023/08/20

あー夏休み

 こどもの頃、夏休みが大好きだった。7月20日になると、通信簿を見せるまもなく母を筆頭に浜松町駅へ。高田馬場から浜松町は山手線を半周くらいぐるっと乗る。新宿、渋谷、目黒、品川とかもぜんぶやり過ごして。その先は東京モノレールに乗り換えて、羽田空港へ向かい、飛行機に飛び乗る。8月30日くらいまで、目一杯鹿児島(母の実家)の海で遊び、東京へ戻る。そんな夏を繰り返していたからだ。母は全力になって子どもと遊ぶ人だったから『夏を楽しんでいるママ』、こども時代のわたしはそう思っていたけれど、ほんとうのほんとうはどうだったのだろう。

自分が母になり、大好きな夏を過ごすことは楽しいが、歳をとったのか気候が変わったのか、年々夏が辛い。もっと言うと、娘が保育園児から小学生になり、「夏休み」が「あー夏休み」になった。中でも、学童をやめた3年生と4年生くらいが一番きつかった。そういうことをおもう自分が嫌で、そのタイミングでぐっと仕事量を減らした。収入は減ったが、「こんな時間は今しかないだろうな」、と思ったからだ。仕事はまってくれても、成長は待ったなし。
娘は今年小学5年生、秋には11歳。親とも遊ぶが、友達とも遊ぶ。たまには一人でゆっくりしたい。そんな過ごし方になったので、わたしも仕事量を増やせたし、いっときよりは随分と夏が楽しくなり、すかさず出歩いては羽を伸ばしている(伸ばし過ぎて家族に冷たくされることも多々)。
今はタイパンツ展の真っ只中で、追加納品のための製作に時間を割きたいところ。けれど、娘の友達がやってきたり、お泊まり会をしたいだとか、いろいろな案件が急にカットインする。その対応に、いや、来た波に、出来るだけ乗っていこうと波乗りの練習中。楽しそうにしている10歳のガールズが純粋にかわいいし、互いに光を放ちあって、スパークしている。そういう笑顔を、わたしもきっと振りまいていたのだろう。母の愛情や理解、犠牲にしてくれたかもしれない母の時間のもとにうまれた、いくつもの光。

昨日は朝イチで、由比ヶ浜の『TALE』で開催していた富山のセレクトショップ、『HYUTTE(ヒュッテ)』さんのポップアップへ行ってきた。一度行ってみたいと思っているお店なので、嬉しくて爆買いしてしまった。めちゃくちゃ仕事をがんばっているし、ご褒美多めで。ささーっと買い物をして、妙蓮寺に向かう。店番二時間一本勝負の間に、タイパンツが3本、著書のSunny Sideが1冊巣立っていった。嬉しい。壁がスカスカで寂しい感じなので、また縫わないと。
鎌倉に戻ってからは『BLANDIN』の宮治ファミリーと『カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ』でパフェを食べる。元々は店主のひろみさんと二人で会う予定だったのだが、ご主人も、やっぱりお嬢様もと、それぞれの出先からやってきてくれた。お嬢様にお会いするのは二度目だが、伸びやかな自由を心と体いっぱいに持っているような、それが溢れ出ているようなチャーミングな女性で、ちょっと日本人に少ない感じというか。幼少期にLAで育ったことも、きっと大きく関係している気がする。存在から、大地の広がりのようなものを感じる人。パパとも、ママとも、どこかが少し違う。宮治ファミリーを眺めながら、10年後、いや20年後の自分達を見ているような気がした。そうだといいなと思った。「そのパフェちょっとちょうだい」とか言いながら、パパのパフェをつついたりしているお嬢さん。子どものように一番こぼして食べているのはお父さん、ビーナスみたいなひろみさん。こんな家族が理想だなと、眺める。宮治パパは音楽業界の重鎮だとおもうが、そういう振る舞いや発言がどこを探しても見当たらない。うまいものを出す、気のいい肉屋のおじさんみたいな感じ。大好きだ。みたらし団子が好物だと知っていたが、パフェも好きだということが昨日新たに分かった。甘党なんですね。
本物に会うたび思うけれど、彼らはいつでも爪を隠している。メディアにもたくさんは出てこない人が多い気がする。選んでいるのだろうか。少なくとも、わたしの周りの先輩、レジェンドたちは皆がそう。花壇のボランティアのおばあちゃん達もそう。母もそう。そういう人から、自分は何を学べるか。そして、何を継承できるのか。そんなことを思った、暑い暑い、夏の一日。

2023/08/18

港のヨーコ、ヨコハマへ

 昨日はリペアの仕事で横浜へ。関内駅から歩いていると、前方に見覚えのある後ろ姿。「Mちゃん!」と叫ぶ。ストアで一緒に働いていた仲間のMちゃんは、わたしの声に気づいて振り返った瞬間、駆け寄ってハグしてくれた。涙が出そうになる。わずか5ヶ月しか一緒に働いていないが、そんなふうに受け入れてくれていたのか。時間じゃないんだな、とも思いながら。Mちゃんはついこの間初の富士山登山をしたので、その感想を聞く。「見るものだと思っていたけれど、登るものに変わった!」とMちゃん。そうなのか、いつか絶対に登ってみたい!という思いが「来年必ず登る、家族と一緒に」という強い確信に変わった。ガイドも、スタッフで共に働いたUさんに頼むぞ。来年の楽しみが出来た。

朝はみんなで灼熱の横浜を、汗をかきつつゴミ拾い。Mちゃんに続いて、何人ものストアのスタッフに再会する。「お久しぶりです」、「元気ですか?」とか、若い男の子達が声をかけてくれた。嬉しかった、心から。覚えが良くて、機敏で、今っぽい感じの軽やかでしなやかな青年と少年の間みたいな人達。ストア新人のわたしをたくさん助けてくれた。こうして仲間が増えていくのだから、全て正解だったんだと、その答えあわせのような再会だった。またすぐにでも横浜のストアヘルプにいきたい。その日を楽しみに。午後は仕事やミーティングであっという間に過ぎて、すぐに夕方。
関内のストアに勤めているとき、通勤でよく聞いていたアルバムがある。NRBQの『NRBQ At Yankee Stadium』だ。ジャケットの表紙がNYのヤンキースタジアムで、よーく見るとNRBQがベンチに座っている、色合いもセンスも大好きなジャケット。NYのスタジアムと、関内の横浜スタジアムがわたしの中でシンクロしたのか、通勤の時は、ほとんどこのアルバムを聴いていた。中でも好きな曲は『ザッツ・ニート、ザッツ・ナイス』。痒い所に手が届くようなサックスの音、ずっと聴いていたいと思わせるドラムの音、雨の中で傘もささずに弾けて踊るようなギターの音、まだ見ぬ知らないどこかに連れいかれそうな音色に、いつでも酔いしれていた。オリジナル、ライブ版、違うライブバージョンと、狂ったように同じ曲を聴きながら横浜の街を歩いた。時に手ぶらで、時にノルディックウォーキングで。記憶と音楽はセットなのだ。悩んだり、迷ったりしながら過ごしていた数ヶ月前の自分。どんなに沈んでいても軽快なステップを踏むことが出来たのは、この曲と美しい街並みのおかげ。「前へ、前へ」と背中を押してくれた、宝物のような音楽。

2023/08/17

I LOVE YOU GUYS

 鎌倉のナンリーショップ、糸島のbbb haus、妙蓮寺の本屋・生活綴方、今年タイパンツでお世話になった場所。お店の方とお客さまのおかげでパンツはどこも好調。追加納品の制作依頼もいただき、心からありがたい。お客様からのお問い合わせなどもポツポツ、ウェブサイト宛に届く。猫の手も借りたいくらいに忙しいが、昨日は海水浴。

写真家のSくんファミリーがやってきた。彫刻家の奥様、1年生の息子さん、2歳のおじょうちゃま、総勢4名で。娘が乗っていた自転車がサイズアウトしたので、そのお下がりを1年生の息子さんにお譲りする、というのが昨日の目的。ではあったけれど、海が大好きという息子さんのリクエストもあり、途中から全員で由比ヶ浜へいく。波まちするまもないくらいに次々とやってくる、波につぐ波。決して整った形の波ではないものの、じゃぶじゃぶと遊ぶには、水温もなまぬるくて最高。途中豪雨になったり、雲の切間から強い光が差し込んできたり、そのすべてを海の中で味わうだけで、世界は愉快とビューティフルに包まれる。途中海の家パパイヤで休憩をして、キッチンでお仕事中のUさんにご挨拶。冷えたからだにホットコーヒーが染み渡り、心底美味しい。娘はいつもどおり、唐揚げと焼き鳥を頼んでいた。一口食べて、焼き鳥がいつも以上に美味しいと言っていた。「タレの量?」とわたし。「焼き具合かも」と娘。違いのわかる5年生?
帰宅してシャワーを浴びて、ラーメンを食べているうちに夫が帰宅して、宴会に突入。1年生は電池切れで爆睡。2歳の電池は切れることなく、5年生とお母さんと延々と遊んでいた。次はお泊まりしてね、と言いながら名残惜しく解散。こういう時間をすべて犠牲にしてタイパンツを縫ったとして。数は増えるし、売れたとして。一時的にお金は増えても、作家として大切なものを、じぶんは失ってしまう気がする。今は、今しかないから。家族がだいすきで、仲間が大好きで、海が大好きで、わたしはわたしが大好きで。そういうことに、トッププライオリティを置いていきていたい。

2023/08/15

君のお尻に恋してる!

 7月に出張で福岡へいった。急遽仕事で参加することが決まったので直前にホテルを手配したのだが、びっくりするほど高かった。なにかのお祭りに加えて、世界水泳も開催中だから、というのが主な理由のようだった。大濠公園(おおほりこうえん)のそばのドミトリーに二泊。普段なら3000円から宿泊できるようだが、その日は2泊で3万近かった。バンチベッドで3万!?マンハッタンみたいじゃん!と思いつつ速攻で予約。

おかげさまで宿は快適で、レンタルサイクルを乗り回して搬入から設営、営業や挨拶回りに観光など、市内をぐるぐる。聞けば、明日は「博多山笠(はかたやまかさ)」という祭りがあるという。4:59からはじまるのだ、と。せっかくだから行ってみようと思い、翌朝4:30に起きて自転車で向かう。なんとなく向かう。地元の人っぽい人が急いで自転車を漕いでいたので、「あの人も山笠を見に行くに違いないわ」と思い込んで、無意識のうちに尾行。しかし、漕いでいるうちにふと、「あの人、バイト先に急いでいるとかだったどうしよう? この方角で本当に合っているのかな?」と不安になってきた。ふと前方に目をやる。ゆっくりと歩いていた一組の夫婦に目が止まった。ペダルを漕ぐスピードをゆるめて、声をかける。
「すみません。昨日から出張できていて、博多山笠というのを見たいのですが、方角はこちらであっていますか?」と聞く。すると、「自分達もこれから見にいくから、もしよかったら一緒に向かいましょう」、と。レンタルサイクルを途中のポート(乗り降りがすごく便利なシステム)に返却して、一緒に歩く。パジャマの代わりにしていたパタゴニアのTシャツとバギーズショーツはまだしも、この寝癖くらいは直すべきだったし、お化粧もするべきたった、マスクをしていないことを嫌がられていないかな、と思いながら。
ご夫婦は福岡のご出身で、色々な街案内をしてくれた。「ブラタモりみたいで楽しいです!」と言うと、「この人歴史とか大好きなのよ」と奥様。なるほどなあと思った。途中、ホテルオークラの前を通った。ふと、父の顔が浮かぶ。年老いて旅行などは難しくなった父の話をご夫婦にしながら「連れてきてあげたかったなあ、オークラが大好きなんですよ」とわたし。博多にニューオータニがあるのは前回路面バスの中から見て知ったが、オークラもあるのか。すごいなあ、福岡。どちらも父が大好きなホテルだし、下町で育った父なので、きっと山笠祭りなんかも見たら喜んだだろうなあ。あれ? なんでだろう、この土地は何度もパパを想う街みたい。不思議。
祭りがはじまると、それはそれはものすごかった。何がすごいのか。まず、あんなにたくさんの人のお尻を見たことがない。映画ミニオンズの監督は、ここから着想を得たのではないかとマジで思うくらいに、老いも若きも、男子がお尻をぷりぷりと出して街をかけずり回っていた。大きなお尻、小さなお尻、柔らかそうなお尻、堅そうなお尻。同じお尻はふたつとしてない。みんな、かわいい。
祭りは大変におもしろかったし、格好良かったし、最高だった。感情がスパークしてしまった。大興奮で終わり、きた道を、ご夫婦と一緒に帰る。自分は布を扱う仕事をしていて、故に祭りの格好や布、その柄もに心を奪われた、と言う話をする。「だったら帰り道に祭り屋があるから教えます」と、とある小さなお店をおしえてくれた。「ハンダ」と書いてった。写真におさめる。
H夫妻はほんとうに親切で、「こんなに朝早くなかったらコーヒーでも飲めたら良かったですね」と言いながら、自宅を通過して大通りまでわたしを見送ってくれた。タイパンツというパンツの展示で薬院に来ていること、それ以外にはアウトドアブランドのリペアサービスをしている話などをすると、奥様が弊社のブランドのファンであることがわかり、盛り上がる。毎年ハワイにいくと、ラハイナのストアでおかいものをするのが大好きだとか。ここ数年はコロナでハワイにいけていないけれど、と。「サーファーさんですか?そんなふうに見えたから」と聞かれた。控えめな感じの、優しい女性だった。祭りを見ている間も、常にご主人とわたしよりも後ろに立たれていて、振り返ると「どうぞ」と何度も前を譲ってくれた奥様。
別れ際、ご主人がお名刺をくださった。税理士さんだった。個人事業主なので、春は毎年確定申告で苦しんでいる話など、面白おかしくする。いつか福岡に住んだら、お仕事をお願いしたいとわたし。うんうん、とHさん。そうして、またねとバイバイ。ホテルに戻ってすぐ、メールアドレスへお礼のメールを送る。H夫妻はこの旅のキーマンで、この後わたしが祭り屋「ハンダ」でどれだけスパークするか。この時のわたしは、まだ何も知らない。

引き際構想

 保育園で出会ったママ友との結束ってエンドレス。全然あわなくても、困ったらすぐにSOSを出し合って、互いの手を差し伸べている。いきなり会話がはじまって急に盛り上がったりもする。パパ友もおおむねおんなじような感じ。小学校のママ友がいないわけではない(ふたりできた)。けれど、最初にLINEでやり取りをして、ずいぶん経ってやっと顔を合わせたりするので、細心の注意を払う。「きちんとした母でございます」みたいな常識をいつでも心に留めて、文章を綴る努力をしているのだ。

先日、逗子市の粗大ごみセンターに電話をかける必要があった。番号を調べるのが億劫だったので、電話履歴の市外局番を見て、「これに違いない」と思って適当にコールしたら、まさかの小学校のママ友の自宅にかかってしまった。娘が昨晩、電話をしていたみたいだった。あまりの珍事件にうけてしまい、「はじめまして、ニモ(娘の名前)の母です。これこれこういうわけで、間違えしまいました。これも何かのご縁です。どうぞよろしくおねがいします!」と伝える。京都出身らしいママ友さん(未だお顔を拝見したことはない)は、すぐさま理解してくれて、「なるほど! こちらこそよろしくおねがいします!」と感じよく対応してくれた。(粗大)ゴミニケーション!
話は変わって保育園のママ友。鎌倉に引っ越してしまった大好きなSさんファミリー。先日、娘がSさんのところにお泊まりしたいというので、「ママも泊まりたい」と主張をゆるめず、4名の女子会が決行された。30代で出会ったわたしたちも、気づけば50がすぐそこに。話題は健康、美容、引き際について、だった。Sさんはフリーのグラフィックデザイナー。「あれもあれも、Sさんが仕事してるんだ!」と後で知ることがあるが、そういうことをあまり語らない。現役感が強いし、いつだってセンスがいいけれど、仕事の引き際は大事だと熱く語っていた。びっくりしたのは、久しぶりにあったら働きながら大学生になっていたこと。あたらしい学びに熱心で、次の道や、手持ちのカードを増やすことを冷静に考えているのだろう。
わたし自身も、アウトドアブランドのリペアの仕事は、ここ1、2年いつも引き際を考えている。目を酷使するので、老眼鏡は手放せない。覚えも悪くなってきた。尊い仕事だと思うが、身体能力を考えると企業でパフォーマンスを高く保つのは、そう長くは無理だろうと自覚している。鎌倉・由比ヶ浜のギャラリーをたたんだときも、引き際を考えて決断した。でも。タイパンツだけは、生涯の仕事として持っていたい。スピードは落ちるかもしれないが、テクニックは高めていたい。本の仕事もそうだ。スピードはかかるかもしれないが、言葉を深めていきたい。歳を取ることに恐れも憂もないが、謙虚に、冒険心を忘れずにいたい。

2023/08/14

おめでとう、じーじになったパパ

 先週末から、横浜は妙蓮寺にある『本屋・生活綴方』でタイパンツ展がスタート。搬入にいくと、おとーたん(三輪舎の代表、中岡裕介氏のことを勝手にそう呼んでいる)がすてきな看板をつくってくれていた。うれしくてじーっとながめる。「それ、だいじょうぶでしたかぁ?」と中岡さんが声をかけてくれた。その言い方、声のかけ方が、いかにもやさしいおとーたんらしい。展示はおかげさまで盛況で、おとーたんが書いてくれた告知文を読んで(詳しくはお店のウェブサイトでチェックをお願いします)、「僕も涼しいものがほしいとおもって」と言って来てくださった大人の男性もいらした。デニムをお召しだった。そうですよね、と心からおもう。PATRICKのスニーカーをはいていらして、素敵な感じの小柄な方。丈の相談などをしながら、楽しく接客する。他にも、はじめましての方がほとんど。隣駅の菊名からきた、という方が多かったのも印象的だった。夜はスタッフの方と飲み会。笑いすぎてビールを顔に吹きかけそうになった、何度も。こんな場を、そしてネットワークを、おとーたんはコツコツとつくったんだな。その影の苦労や道のりをおもうと、涙が出そうになる。自慢のおとーたん(わたしの方が年上ですが)だ。

翌日はわたしの父のバースデーを祝う会で、高田馬場へ。馴染みの鰻屋で、主役抜きのリモートバースデー会という斬新な会。リモートと言っても、なにも繋いでないので、鰻を食べたい人たちが集まって、鰻を食べる会。昭和の破天荒といえばこちらの方です、という感じだった父も、今やすっかり穏やかな老人となった。パパは今、安心で安全な施設にいて、西新宿の夜景を眺めながら、レコードプレーヤーに針を落としてジャズを楽しんでいる。余生を楽しんでいるというよりも、いつもいつでも、その瞬間を楽しんでいるような人なので、今もそのまま。余生という文字が、パパの辞書にはない気がする。施設はとても親切で素晴らしい場所なのだが、外食はこのご時世なのでまだ色々なルールや規約があり、やむおえず。それでも開催するのがいかにも自由人な小鳥家の集まり。
主催してくれたおにいちゃんは気が利くことで有名で、心優しい人。昔からそう。誰よりも先にお店にいき、パパや施設の方にも鰻の差し入れまでしていた様子。一方気の利かないオレ様は、30分遅刻した挙句、おにいちゃんが間髪入れずに生ビールを頼んでくれていて、「遠くからありがとう」とねぎらわれた。おにいちゃんみたいな人になりたいが、望むだけ地獄を見るのでやっぱりいいや。オレ様はオレ様のままで、末っ子らしく、みんなに可愛がられて生きていくぜベイベー。
一人暮らしをしている母も父ほどではないけれど、すっかり歳をとったので、宴のあとは一緒に手を繋いでかえる。二人の姉と婿殿やおにいちゃんは、飲みなおすとかで馬場の人混みへ消えていった。あんなに食べて飲んだのに、22時頃突然空腹がおそい、禁断のどん兵衛と一番絞りに手を出してしまう。食べっぱなし、飲みっぱなしのシンクは、翌朝見たらママが全部片付けてくれていた。
翌日は、同級生のSちゃんと吉祥寺でモーニング。まさかの小雨が降ったりやんだり。白いタイパンツの裾が汚れると嫌なので、パジャマにしていたパタゴニア のTシャツとバギーズパンツで、着の身着のまま、駅前に登場。足元はビーサン。雨が降ったら嫌なので、母から借りた傘も持参という謎ないでたち。寝たいのか起きたいのか。海に入りたいのか傘をさしたいのか。でもね、わたくしはアイ・ドン・ ケア・ エニスィング・ アバウトなんですよ。
東京はたのしい。湘南も大好きだけどね。窓の外は今、サーファーたちが狂ったように波とたわむれている。背後からは夫がお皿を洗ったり拭いたりしている音がけたたましい。もう少し静かに洗ってほしい。そんな朝。

2023/08/09

しあわせの種を

 


いろんな人がいて、いろんなことをいう人がいて、いろんなことをおもう人がいる。いつもおもうのは、その自由を奪わない大人でいたいということ。決めつけない。受け入れる。そのことを教えてくれたのは、年上の友人や先輩たちだった。家族だから色々なことがあったけれど、父や母、兄や姉、叔父、叔母もそう。若いころはよくわかっていなかったけれど、彼らが与えてくれた愛と自由の中をスイスイと泳げたから、今の自分がいる。当たり前みたいな顔をしてここにいるが、わたしの思想をつくったのは、わたしではない。
この土地に引っ越してきて、19年。当時20代だったわたしはたくさんの大人に出会った。いろんなことがわからなかったし、わからないことがわからなかったし、わからないときは「おしえて」と質問をした。たくさんの失敗や遠回り、お金のかかること、効率の悪いことも経験した。「こういうことをやってみたい」、そんなふうに何度も大人に相談した。「危ないからやめた方がいいよ」と言ってしまえば簡単なことも、「やってみたら?」と言ってくれる人ばかりだった。決断を奪わないことは、自由を奪わないことなのだ。子育てをしていても、仕事をしていても、ふっと思うことがある。安全な道を選んで、舗装された道を選んで、レールを敷いて、それは誰のためなのだろうか。怖がっているのは、ねえ、誰なの。本当に人のため? わたしのためではなく? いつの失敗を後悔しているの? どんなことが恥ずかしかった? その傷に向き合った? 許せた? 褒めてあげられた? わたしはわたしに、いつでも問う。今、格好つけていないかな、と。

心を耕していきたい、いくつになっても。季節はめぐるのだ。木々は芽吹き、花は咲くし、紅葉し、落葉する。そうやって、少しづつ幹を太くして、枝を伸ばしていく。木の年輪(ねんりん)のように、歳を重ねた分だけ太くして、雨風を耐えしのいだり、時には誰かに日影をつくれたら。けれど、どんなに老木になってもずっと、素直な心と純粋さだけは大切にもっていたい。幹の、真ん中に。

2023/08/08

10年一区切り

 35歳で娘を産んだとき、ある人に言われたことがある。「ことりちゃん、10年はくそみそになって子育てするのよ。オムツ変えたりさ。わたしだってそうだったんだから」と。湘南のおねえさんと慕っている一人のKさんは、乳飲み子を抱えて家族でアメリカに引っ越しをしたり、さらにアメリカ滞在中に駐在員だった旦那様が転職をし、アメリカ国内を西に東に大移動と(行き先をサイコロで決めたと言っていた)、大変に愉快なファミリー。出会ったのは湘南だが、同じ東京生まれで、ハワイが大好き。気が合う人、大好きな人だ。家族はチームだとも、よく言っていた。

娘が10歳になり、Kさんが言っていた意味がわかった。格段に手がかからなくなった。それだけではなく、こどもが力になって助けてもくれる。彼女自身の世界や視野が広がったことも大きいと思うが、それに比例して親の世界もぐーんと広がる。とはいえ、まだまだ危なっかしいところもあるが、それはいくつになっても親が子を心配するたぐいのことだろう。
仕事に関しても、10年一区切りだと近頃おもう。タイパンツを縫い始めたのが2009年。一人で展示を始めたのが2011年。今年になってやっと、本当にやっと、うっすらと光明が差してきた。急いで先をゆく人、トランポリンのように大きく跳ねる人、誰かを踏み台にする人、すり寄ってくる人、価値がないとわかるとさっさといなくなる人、いろんな人をみた。30代はそんなことがずっとキツかった。怖かったし、悲しかった。反面、悔しくもあったし、情けなくもあったし、それは全て自分のせいだと思っていた。落ち込むこと、悲観することは密のように甘くて楽で、たくさんの時間をひとりで過ごした。そんな自分を、いつも厳しく律してくれたのが夫だった。
「ミモちゃんはタイパンツ以外に誇れることがなにもないんだから。せめてこれぐらい頑張らないと」、「続けないとダメだよ」、「何枚縫ったの?」、「少ないね。サボっているのが見てすぐわかる」、「ミシンを新調してはどうか」、「こんないい道具があったよ」など、あらゆる角度から叱咤してくれた。注意されるたび、口うるさくて大嫌いだと思った。痛いとこををついてくるから面倒臭い人だと、いつも、いつでも思っていた。夫がいなかったらきっと、楽な方、楽な方に流されていただろう。
今年、ここ数年何度も挑戦しては落選していた、国の事業支援の補助がおりた。そのおかげでずっと欲しいと思っていた職業用ミシンのテーブルと、業務用スチームアイロンを導入することができた。ウェブサイトも、やっとつくることができた。まだ書けないが、他にも新しい事業に着手している。決断は怖いし、覚悟には勇気がいる。ふりかえるとひとりでは歩けなかったような道を、夫が導いてくれたのかもしれない。最近は娘も、わたしの仕事を叱咤激励してくれる。パパ譲りで口うるさいが、ありがたい存在だ。
10年は子育て優先、体力優先と決めていたわたし。ここからは、そろそろ役割をバトンタッチしたい。夫には夫のやるべきことがあるのだ。わたしにはわかる。じぶんのことは、じぶんよりも他人の方がよくわかるものなのだろう。やりたいことをやってほしい。正確には、やるべきことをやってほしい。天命は、じぶんの幸せだけではないのだ。その先に、待っている人がいることを言う。決断は怖いし、覚悟には勇気がいる。それでも、船を海原に浮かべてほしい。うまくいく補償も保険もないんだよ。それでいいんだよ。人生はずっと、冒険という名の賭けなのだから。

2023/08/07

Beautiful ”ITOSHIMA”

 糸島からはレンタカー。宿泊先のbbb Haus、チェックインの16時まで時間があったので、パラソルだけ借りる。近くの芥屋海水浴場を教えていただき、車で移動。ちいさな鵠沼海岸みたいな感じで、海の家が連なり、賑わっていた。一軒の海の家でラーメンを頼むと、なんと豚骨ラーメンだった。すごく本格的で美味しく、クオリティに驚く。もっと驚いたことは、糸島の海の家は宿泊もできること。21時以降は別料金プラス宿泊税を払うと、蚊帳、マットなどを貸してくれるのだとか。BBQとかできるらしい。楽しそうではないか。

海水浴を済ませ、ホテルに戻ってチェックイン。その後すぐに目の前のビーチへ。夕飯の始まる18時まで、家族でぷかぷかする。このホテルは食事も素晴らしく、ゆえにお酒もすすむ。海、お風呂、ご飯、お酒、寝る。他になにもしない。翌朝も、海を散歩して、お風呂に入って、朝ごはんをいただく。それだけで、もう十分に満たされる。特別な場所なのだ。春に泊まったときもよかったが、海に入れるこのシーズンはやっぱり別格かも。次は冬に泊まりたい。牡蠣が美味しいはず。帰りのフライトが福岡空港を11:40発と早かったので、そのまま空港へ。楽しかったな、またすぐにくるからね。

おとなだってはしゃぎたい

 新門司港に着くと、無料の送迎バスが待っている。新門司駅経由で、小倉駅まで。港から小倉駅まではおおよそ40分くらい。そこから新幹線に乗り換えて博多駅まで20分ほど。そこからタクシーで数分のホテルに。時刻は22時半くらい。ホテルに着く直前、タクシーから感じのよさそうな焼き鳥屋を発見。すかさず営業時間をチェック。5時まで営業。よしっ!

ホテルに着いて、夫と二人で「ねーねー、一緒に焼き鳥屋いこうよー」と娘を誘う。が、すでに顔のパックをして美容に余念のない娘は、「ふたりでいってきて、ひとりもかいてきだから」と言う。交代制で行く?とか夫婦で策をねっていたのだが、夫が「僕のスマホ渡すから、何かあったらすぐ電話してね」と鶴の一声で着地。30分一本勝負みたいな感じで、バーっっと飲んで食べて部屋に戻る。
翌朝は、福岡でお世話になっているFさんとモーニングの約束をしていた。喫茶店ベニス。ここも、以前動物園の帰りのバスの中から見えて、気になっていたお店。家族で先に入店しようとすると、喫煙可のお店で20歳以下は入れないと入口に書いてあった。福岡の条例なのかもしれない。夫と娘は近くでモーニングをするからと、そこで別れる。後で聞くと、二人は近くのオータニでビュッフェを食べたそう。美味しかったそう。そりゃそうでしょう! 次はわたしを連れていってほしい。
それにしても初めて入った喫茶ベニス、素晴らしかった。蝶ネクタイをした、年のいった男性が一人で切り盛りされていた。L字のカウンターを見事に使いこなすその機敏な動き、腰の低い、柔らかな、でも意志のはっきりとした接客、目力、ユーモア、全てが素晴らしかった。食後にホテルのロビーで夫と娘を待ち、Fさんと4人で近くの柳橋商店街を歩く。前回買って美味しかった海苔を大量に買う。鰹節も買う。住んでいたら買いたかったお刺身、フルーツ、太巻きなど、指を加える気持ちで眺める。買い物を終えて、薬院のBBB POTTERSへ移動し、現在お店で置いていただいているタイパンツの展示風景などを家族にも見てもらい、いくつかお買い物をして、次は糸島へ移動。今日のホテルは系列店にあたるbbb haus。

フェリーで福岡へ

7月、仕事で福岡出張があった。帰宅して翌朝、どうしてもまたすぐに福岡へ行きたくて、家族が寝ているうちに無意識にマイルの空席をしらべていた。帰りのフライトはあったのでとりあえずポチる。さて、行きはどうする? そうだ、久里浜からフェリーがあるんだわっ! しらべると空席を発見。即、ポチる。夫と娘に目をやると、なにも知らずにすやすや寝ていた。ニンマリするわたし。
そんな訳で、勝手に決行した家族で初のフェリー、福岡の旅。久里浜港を23:45分に出航し、翌日の21:00に新門司港に着港。おおよそ21時間の船旅。船内にはレストランや売店はもちろんのこと、デッキにも出られるし、大浴場、露天風呂、サウナ、カラオケ、シアタールームもある。就航2年とまだ日が浅いのもあり、船内はきれい。一番安いチケットでもベッドにロールカーテンで仕切りがあり、おしゃれなドミトリーのような感じ。寝床も快適だった。娘も興奮していた。最初のうちは、ね。
わたしと夫は大学時代にヨット部で、そこで出会っているのである程度船の揺れには経験がある。だからと言って酔わない訳ではないし、海の怖さもそれなりに知っている。でも、やっぱり海が、そして船が大好きなのだ。老後の夢は二人で船上暮らしをすると決めている。一方の娘は初のフェリー、しかも21時間、さらに台風接近中と、かなりハードなデビュー戦に。実際、太平洋に出ると結構な揺れだったので、となりのベッドで寝ている娘が起きるかもしれないと思った。そうなってもいいように、わたしはロールカーテンを半分開けて、うとうとしたり、目をつむったまま意識だけ起きているような状態でいた。ときおり船体にあたる「バシーーーン」という強い波の音、ゆりかごのようにぐわん、ぐわんとダイナミックに揺れる。それを繰り返していた。明け方になって娘が起きたとき、最初はどうと言うこともなかった。が、少し立ち上がって歩いたあとにすぐに戻ってきて「ママ、きもちわるい……」と言ったときの娘の顔色が “Pale”ってこういう人をいうよね、というくらいに完成された青白さへと豹変していた。マジでゲロする5秒前だわっっ! と思ったわたしは「ちょっと待ってて! ママがいるから大丈夫。ママが今、一応エチケット袋を持ってくるからね!」と言い残して、真っ直ぐ歩けないレベルの揺れの中、なんとかダッシュしてフロントへ。エチケット袋をゲットして速攻 Uターン。それにしても真っ直ぐ走るのが難しい。ふわりふわり、ぐわんぐわん。
寝ていると楽だよ、とわたし。座っている方が楽なの、と娘。だましだましやり過ごしていたが、娘、その後リバース。で、随分楽になった模様。ロビーでくつろいでいた夫を発見し、娘もパパの顔を見て安心した様子、しばらく夫に娘を任せる。あんまり寝られなかったので、わたしはそこから仮眠。娘がこの後どうなるかわからなかったので、ママは万全の体制でいようと、このタイミングでわたしも念の為酔い止めを飲む。
船は高知県まで進むと、北上して瀬戸内に入る。そこからはびっくりするくらい揺れず、スピードも落ちた。娘が「大浴場いきたい!」と言うので引率。カラオケしたい!と言うので即予約。手となり足となり動く。夕飯時、レストランで「船どうだったー?」と聞くと「もう二度と乗らないよ!」と明るく答えていて、夫と爆笑。日頃、あらゆる乗り物に強い娘も、そりゃ酔うに決まっているよね。そうだろうと思っていたよ。でもさ。「船、楽しみー!」と言っていたのを大事にしたかったし、好きか嫌いかなんてね、体験しなきゃわからないんだよ。だから、グッジョブだぞ。「ママたちは、また次も船で福岡にいくかもよ」と言うと、「ニモは次の日に飛行機でいって、福岡で待ってる」だって。笑っちゃうよね。家族が、特に親子が、同じものを同じように好きになるなんてあり得ないわけで、その正直さがいい。はなまる、ばぶちゃん。
それにしても生ビールのジョッキの冷え冷え加減が素晴らしかったし、レストランがすごく美味しかったのもよかった。デッキから見た月明かり、夕暮れなんてもう。そして愉快だったのは、PAYPAYやクレジットカードなどは、衛星通信なので、キャッシュよりも時間がかかること。スマホもロビーくらいしか通じないから、強制的にデジタルとグッバイする事になる。色々と新鮮で、違う星に来た感じ。こんな仕事があるんだな、こんな世界があるんだな、格好いいなと心動かされた。陸上で起こっていること、くだらないこと、馬鹿みたいなこと、狭いこと、暗いこと、なんてちいさなことだったんだろうと、解放された感じ。スパークしちゃった。

2023/08/03

愉快な仲間達

 夏休みなんだから毎日遊ばせてくれと言わんばかりに、部屋の中で巨大な浮き輪を装着しているバブちゃん(娘10歳)と、次のタイパンツ展でとにかく縫わなければいけない母との奇跡の共存。困ったときは、ママ友ならぬママの友達のMちゃんにSOSをする。鎌倉でごはん屋を営むMちゃんの定休日は水曜日。そう、それは今日だわっ!と、お伺いを立てた昨日。一緒に由比ヶ浜の海の家『パパイヤ』で遊んでくれることに。Mちゃんは神様、いや女神様かもしれない。

日頃しっかり者のMちゃん、夏休みボケなのか海で脳みそがゆるんだのか、いくつものアクシデントが勃発した模様。時々送られてくる娘の画像と共に、やれ財布がない、やれ鍵をポケットに入れたまま海に入っちゃった、やれ財布はやっぱりあったなど、昨日もひとりコントを炸裂していた。関西人のMちゃんは、いつも体をはって笑いを運んでくれる。才能を感じる。吉本新喜劇にはいったらどうかと、いつでもすすめているわたしだ。
写真家として出会ったはずのSくんは、ここのところカメラをどこかに置き忘れたのでしょうか。すっかりバンドにお熱をあげている。その様子は、しばらく会っていなくても言葉のやり取りで容易にわかる。素直で情熱的、こどものような二児の父。彼の存在は、蓋をしたはずのわたしの中に眠るバンド熱、その扉を「トントン」とノックしてくる感じ。Sくんは自由奔放。理解のある家族に大いに感謝しているとは思うが、ほんとうにメンバーに恵まれていると思う。家族はチームなので、チームプレー、チームワークが大事。我が家はチームの指揮をとるのは計画大好きな夫。その足並みを乱すのがわたし。夫は大変だとおもう。でも、ごめんって言わない。ありがとうって言う。何度でも言うよ。
二人暮らしのときは、オレ様のやんちゃぶりが過ぎると、たびたび厳重注意されていた。が、娘が生まれて少しかわった。仲間を得たのでしょうか。二人は結構仲が良くて、「ママ、こまったね。ママって、ああいうところがちょっとね」、「ねー」とか言い合っている。ウケる。実家で暮らしていたころ、母からいつも「みもちゃんは叱るところが見当たらないわ」とほめ続けられたこのわたくし。そこが揺るぎない自信と自己愛を育んでいる気がする。このまま突き進みます。ありがとう。みんな、大好きだよ。

2023/08/02

やってみたいを、やってみる

 母の家にいた週末、LAに住む叔母に国際電話をした。母は妹で叔母は姉で、ふたりの姉妹は長電話がだいすき。

先日、ちょっと面白いことがあった。叔母は独身なので普段は一人暮らしだが、その日はめずらしく来客がいた。13歳の女の子。誰かと聞けば、わたしの従兄弟のお嬢さんだった。鹿児島から一人で、しかも初めての海外。おじいちゃんのおねえさんに当たる、叔母の住むサンタモニカへやってきたそうだ。なんてチャレンジャーなの! おばさん(わたし)と気が合いそうだわと思い、電話を代わってもらう。はじめてはなすYちゃんは、想像していたよりもうんとちいさな声で、静かな少女だった。「アメリカ楽しい?」と聞くと、「はい」としっかり返事をした。わたし自身も、16歳のときに叔母の住むそのアパートメントに一人で渡米した話、それが初めての海外だったこと、そこから海外が大好きになったことなどをあれこれ話す。そのやりとりを聞いていた娘が、「代わって代わって!」と言うので、今度は電話を10歳に代わる。何を話すのかしらと思っていたら、「こんにちは。さっき話していた人の、娘です。名前はニモです。わたしもふたりの流れを受けて、アメリカに行こうと思います!」と勝手に宣言していた。ウケる! Yちゃんは全然話さない静かな女の子なのかと思っていたが、10歳と13歳は会話もそこそこ弾んでいた様子、あれこれ話していた。近々、鹿児島で会おうねと約束をする。
すごいなと思うのはパワフルな叔母で、「やりたい! やってみたい!」を受け入れてくれることだ。明日はアナハイムのディズニーに行くのだと言っていた。「みもちゃん、今、ディズニーのティケット(TICKET)いくらだと思う? 149ドルよ! パーキングは、30ドルくらいはすると思うわ」と叔母。経済感覚が優れており数字にも強く、現役の美容師なので頭の回転がはやい。
渡米して52年。未だ現役で働いている叔母の座右の銘は「ライフ・イズ・ギャンブル」。アドベンチャーなんて言わない。甘いだけではない人生を、アメリカで半世紀以上もひとりで歩いてきた人。大好きだよ。ずっと長生きしてね。

2023/08/01

「こわい」と「きもい」の違い

 年老いてきた母には様々なサポートが必要。必要なとき、必要なこどもが登場して、母をサポートしている。四人兄弟だから手を取り合って、連絡を取り合って。とはいえ、わたし以外の兄弟は皆が東京在住。わたしが一番母のところへ通えておらず、せめてと、行くときは大抵お泊まりをしている。ばあばのことが大好きな娘も必ずついてくるので、三世代で過ごす。これがなかなか愉快なのだ。

母が今住んでいる吉祥寺という街は、デパート、雑貨屋、カフェ、レストラン、公園、なんでもそろう。しかし、娘のリクエストは大抵がサイゼリア。先日も三世代で夕飯を食べに。我々が通された席、その隣のテーブルは白髪で長髪の、おそらくヨーロッパ系の男性が一人、すでに二つ目のデキャンタが空になっていた。男性がわたしの母に話しかけてきたのを、娘が怖がっているのは一目瞭然だった。おじさんと目が合わないようにと、硬直していた10歳を、わたしは見ていた。
運ばれてきた料理を食べていると、フロアを縦横無尽に歩き出す別の男性があらわれた。この連日の酷暑の中、Tシャツの上に汚れきったトレンチコート、チャックが開いたままのズボン、靴は見るまでもなかった。お腹が空いているのか、席に座らずうろうろする男性を、途中何度か若い店員たちがたしなめる。やっと席につくと、我々の席の近くのドリンクバーにやってきた。その途中に、背後から娘にニコニコと近づいてきて、「おかあさんたちに、かわいいまるい目をもらってよかったねえ」と声をかけてきた。娘、硬直。わたしと母は、目でニコッとおじさんに合図しておしまい。おじさんが立ち去るや否や、娘が一言、「こわっ」と言った。そしてもう一言、「きもっ」と言ったときだ。「こわいはいいけど、きもいはだめだよ」、間髪入れず、娘にボールを打ち返した。「ママはあの人、そんなに悪い人に見えなかったよ。ニコニコした目の奥が、きれいだなって。あのトレンチコートも、もともとは悪いものじゃないとおもうよ。うまくいっていた事業が失敗したとかね、人生は色々あるんだよ。みんな色々なんだよ。だから、こわいはいいけれど、きもいはだめだよ。そう言うことを言ってはだめ」とわたし。「ばあばとママは怖くないの?」と娘が言うので、「馬場(わたしが生まれ育った高田馬場)なんて、あんな感じの人普通にいっぱいいたよね?」と言うと、「そうねえ、いろんな人がいたわね」とばあば。
わたしがいちばん怖いな、悲しいなと思うのは、そのようなおじさんたちではない。そうではなくて、きれいなものに囲まれたきれいなお店で働いているのに、目に力のない若者を見るときが、本当にいちばんつらい。美しい製品なのに棚に埃がかぶっていたり、製品がくたびれて並んでいるのに気が付くときも、なんだかとっても悲しい。もっと自由に生きていいし、やりたくないことを嫌々やるほど、人生は長くない。どんな仕事も楽しみを見つけてほしい。探しても見つけられなかったら、飛び立っていいんだよと、くたびれた若者を見るたびに思う。そんなに何度も「申し訳ございません」を連発しなくていい。なにも申し訳なく、ないんだよ。心の中で思うけれど、「ありがとう」以外は何も言わない。誰も助けてくれないから、自分で、自分を最高な場所に運ぶんだよ。若いときは、たくさん挑戦して、同じだけ失敗もできるんだから。それが若者の特権なんだって、若い頃には気付きにくいのだろう。