2026/04/23

読んでくれて、ありがとうございました

 娘は今日から学校の課外授業でキャンプ。日課のラジオ体操をはさみながらお弁当をつくり、無事に送り出したところ。
先にお知らせしましたが、ウェブサイトのクローズにともない今日でこちらのブログの更新はおしまい。これまで読んでくださって、ありがとうございました。「読んでます」と言われると励みになりました。アーカイブを残すべく、昨日からアナログで別のプラットホームにコピペ作業をしております。最初のほうの文章など、読んでいるとまあひどい! 今もひどいけれど。結局、さらけ出してみがいていくしか、ものづくりの道はないんですよね。タイパンツもおなじで、初代のものなんて見ると心から反省します。今の作品もきっと、未来の自分はそうおもうでしょう。そうおもえないとそれはそれで成長がないわけで、あぐらをかくことなく、謙虚に、いいバランスで自分を信じていきたいです。

2000年くらいから普及しはじめたと記憶していますが、20代の頃からブログ(weblogの略)というものが好きでした。読むのも書くのも好きで、知らない人のブログの更新を楽しみに読んでいて、それがきっかけでおともだちになった人も何人かいます。総じて、顔と名前を出している人でした。例えば詩人の村椿菜文(むらつばき・なあや)さん、湘南ビーチFMの竹下由起(たけした・ゆき)さん、種子島の<おひさまコーヒー>店主の原真知子(はら・まちこ)さん、美術作家の永井宏(ながい・ひろし)さんなど。
「声に出して読めないものは書かない方がいい」、師匠は生前そう言っていました。それはきっと言葉にたいする責任であり、インターネット上で顔と名前を出して表現するのもおなじことだと、私は思っています。こういう活動をしていると、時々「イベントに出ませんか?」というDMがインスタグラムに来ます。ありがたい一方で顔も知らない相手で、イベント名や出店料などは書いてあるけれど、差出人の名前は書かれていない。誰だのだろう。この人は私のタイパンツを見たことがあるのだろうか、値段を知っているのだろうか。この人はどんな空間で、どういう風景を美しいとおもい、どういう表現をしたい人なのか。そんな気持ちになったことが何度もありました。お断りをしてきたのは、やはり自分は自分の作品や表現の仕方に責任を持ちたいからで、違和感を感じたときは「慌てない、焦らない、基本に立ち返る」、という気持ちで今日までやってきたようにおもいます。
私たちはみんな、生まれて最初に授けられるものが名前で、肉体を持って生まれてきますよね。目で風景を見つめ、匂いや音や温度を感じ、やがて、言葉を知ってゆく。どんなふうに考えて、工夫して、伝えて、生きて、死んでいくか。人生って、複雑なようで単純で、長いようで短いんですよね。奇跡のような時間旅行の中で、喜びや悲しみや痛みを分かち合いながら生きてくとき、やっぱりわたしは相手の顔を見たい。声を聞きたいし、名前を呼び合いたい。これから先にやりたいと考えているのはそういうことで、もっと小さく、もっとわかりやすく、もっと安心できることを目指して、自分の表現を届けていきたいと思っています。皆さんの今日もわたしの今日も、変わらずに平穏で、平凡でありますように。 2026年4月23日 終わりに寄せて 小鳥美茂

2026/04/21

心の中で乾杯を

 母に会いにゆく。施設のダイニングスペースをお借りして一緒にお昼をいただくべく、早い時間に家を出た。陽射しが強かったのでパナマ帽子をかぶっていく。母に会うと「我が家でお帽子が好きなのは、パパとみもちゃんね」と言った。嬉しそうに、そう言った。最近の仕事の話などを報告していて「どんなちいさなお仕事も、とりこぼさずにひろっておりますから」とふざけていうと、その姿勢が大事だと褒めてくれた。「パパもあのキャラクターだから、どこにでも入り込んで『その仕事、僕にやらせて!』なんてよく言っていたわ」と言って、ふふふ、とちいさく笑った。父の話をするときの母はいつも、体をくすぐられて笑うみたいな、愉快な雰囲気を湛(たた)えている。母にとって私は父によく似ているそうで、とくに父方の祖母(父のお母様)にそっくりなのだと、いつもいう。背の小ささ、左利きなところ、明るいところ、働き者な人で、とっても優しい人だったと、いつもおなじことを言う。人に紹介をするとき「娘です」と言ってくれるのが嬉しかったらしい。名前にさんをつけて呼んでくれて、お寝坊しても怒らなかったとも言っていた。新居が見つかるまでは父の実家にいたようで、朝は祖母が軒先を箒(ほうき)ではく音でよく目が覚めていたそうだ。ママ、それは典型的なダメ嫁ではないか・・・。母はのび太くんのようによく寝る人なのだ。

祖母の葬儀には、「よくしてもらった、優しくしてもらった」と、割烹着を着たままのお婆さんや、杖をついたぜんぜん知らないお婆さんなども次々とやってきたそう。一千人近い参列者がきて、家族みんなで驚いたのだと、昔からよく聞かされた。当時としてはめずらしく40歳を過ぎてから産まれた末っ子の父で、さらにその末っ子の私は、当然だが祖母を知らない。けれど、その血が流れているんだとおもうと話を聞くたびに嬉しい。
ランチの後に母と少しお散歩をして、次は父のいる施設へ。お昼寝前でタイミングよく起きていたので、昨日は<タル・ファーロウ>の『ロマンチックじゃない』を流した。今度、日本橋に日本酒呑みにいくんだよというと、「いいなあ、何人ぐらいで?」と聞いてきた。会話が絶好調の日もあればそうじゃない日もあって、昨日は絶好調の日だった。両親の写真や動画をとって、兄弟にシェア。またくるね、とバイバイして、そこからはバスで新宿広小路まで。
6月下旬で閉店する<DUG>。混んでいるかなとおもったが、タイミングよく入れた。その後次々にお客さんはやってきて、途中並んだり待ったりする階段を眺める席で、ハーフアンドハーフ。店にはビル・エヴァンスのライブ版と思しきレコードが流れていた。途中、隣の席にやってきた三人組の年配の方の会話が、聞くともなく耳に入ってきた。あと一人は遅れてきて、4人になるようだった。女性が一人、あとは全員男性。女性は黒ビールを呑むという。隣の男性が「お茶にしようかなあ」と言った瞬間、女性が「え!」と強めにカットイン。「お紅茶にしようかな」と、おじさまがお上品な感じでふざけていうと「何飲むのよ、こんぶ茶でものむの!?」とさらに聞いていて、「ねえ、こんぶ茶のむの?」と二度も聞いていて、その圧の強さがおもしろくてクスッと笑った。おじさん2名は結局「普通のビールでおねがします」とオーダーしていた。何十年と常連さんなのがわかる感じだったのは、並ぶっていたけど並ばなかったねとか、あとでお店の前で記念撮影しようねとか、盛り上がっていたから。そうこうしていたら、おそらくオーナーからなのか、お店に電話がかかってきて、スタッフの女性が「⚪︎⚪︎(れいさんと言ったような?)さんからです」と、その方たちに子機を持ってきた。保留の解除の仕方が分からない感じとか、建築の話や、本の話や、あれこれずっと楽しげに語っていて、ああ、同世代の仲間って感じでいいなあとしみじみ、こっそり聞いていた。途中、ひとりのおじさんが、おばさんに借りていた本を返却していた。そのとき「しおり、手作りでつくったやついれといたよ」と渡していて、胸がキュンとした。ちらっと拝見したら、それは可愛く型抜きされたもので、おもわず「わあ・・・」と声が出そうだった。話かけたい〜!という気持ちを上から漬け物石でぎゅーっと押さえつけて、ずっと耳を傾けていた。
父と<DUG>にきたかった。けれど、無理なので心の中の父とエア乾杯して、隣の知らないおじさまおばさまと心の中でこっそり乾杯して、ハーフアンドハーフを二杯呑みほし、グラスを浮かせて濡れたコースターを手にしてレジへ。「さみしいけれどまた来ます、コースターいただきました」というと、「あたらしいのも持っていってください」と、マッチとセットでコースターも手渡してくれた。いいお店が街から消えていくのは本当に寂しい。人の命と同じくらいに寂しい。好きであれば、あるほどに。

2026/04/19

湘南で出会った同郷のともだち

 昨晩はHちゃんとふたり、まだあかるい夕方に集合してビール。カウンター席に座り、暮れてゆく鎌倉の街を眺めながら大笑いして、お互いの元気を交換する感じの三時間はあっという間だった。

Hちゃんは、わたしが以前勤めていたアウトドアブランドの修理部の元上司で、7年間一緒に働いた。正確には、その以前にHちゃんの旦那さんに、夫の切り絵の仕事を通じて出会っている。その後すぐにHちゃんとも知り合う訳だが、そこまでさかのぼると、20年くらいの付き合いになる。とにかくめちゃくちゃ働き者で『昭和のモーレツサラリーマン』と命名している。そのくらいに鋼(はがね)のメンタルと、強靭な肉体で日々をこなしている。一児の男子のママでもあるHちゃん。
2016年の夏の終わり、鎌倉・由比ヶ浜の<クアアイナ>で、Hちゃんとハンバーガーを食べていた時のことだ。「由比ヶ浜のギャラリーを任されることになってさ、家賃とか払えなかたったらやばいからバイトしないとなんだよ。次来たらここで『アロハ〜』って言ってくるかも!」と、笑いながら話した。経済感覚が優れているHちゃんは、それからあまり時間をおかずに連絡をくれた。「みもちゃん、もうバイト決まった?三ヶ月間だけの事務の入力のバイトだけど、人を探しているから来ない?」と。無計画なわたしを心配してくれていたのかもしれないが、いずれにしても「渡りに船だわ!」とおもい、即時面接を経て、入社。三ヶ月のはずが、なぜか7年もお世話になった。最後の方は大人のイヤイヤ期に突入して職場に行きたくなくなってしまい、結局そのままギブアップで退職した。在職中は勤務時間を短くして誰よりもはやく帰ったり、ミーティングもいや、あれはいや、これもいやと、とにかくイヤイヤ期ばかりで、本当にめちゃくちゃ迷惑をかけたとおもう。そんなダメ人間のわたしだったが、Hちゃんはいつもちゃんと働いていた。人が「嫌だな」とおもうような、評価されない類(たぐ)いの地味な仕事も、やっていた。職場のインターフォンの工事の立ち合いが週末にありますとか、誰だっていやだとおもう仕事も、たいていHちゃんがやっていた。そういう姿に、みんな気がついていたのだろうか。ときどき、Hちゃんに変わって頭にきたり、Hちゃんを気の毒に思っていたときもあった。そんな懐の深いHちゃんは、たまに連絡をくれる。昭和のモーレツサラリーマンは、人情も熱い。
Hちゃんとわたしは同郷で、わたしは新宿区、彼女は大田区から湘南にやってきた。同郷と言ってもエリアが違うので、学生時代の遊び場なんかは微妙に違う。わたしは高校時代は主に新宿と下北沢、たまーに渋谷、彼女は自由が丘、たまに渋谷で遊んでいたと、昨日言っていた。都内では出会わなかったのに、お互いに海が好きで、波乗りも好きで、そういう趣味のパートナーと出会い結婚をして、この土地にやってきた。わたしは女の子、Hちゃんは男の子が産まれた。お互いの夫のこともよく知っていて、子供が産まれる前はよく四人で飲んでいて、ほんと、人に歴史ありって感じだ。
昨日は、老眼で見えないとか、老後どうすんのとか、学費がさ〜とか、親がさ〜とか、話す内容に変化はあれど、Hちゃんの逞しさ、おもしろさ、場があかるくなる感じは変わらずで、Hちゃんは昨晩も最高であった。夫の愚痴がめちゃくちゃおもしろすぎて、毎回おかわりしたく、何度も聞いてしまう。旦那さんのKさんは、50を過ぎてもずっとまっすぐなボーイのままで、その生き方をつらぬいている。オシャレが大好きで、お買い物が大好きで、選ぶものに妥協をしないから、お高いものばっかり買っている。針がふりきれているKさんは、いるだけで愉快。特筆すべきは、Kさんは誰のことも決して悪く言わないこと。人の悪口や愚痴を言っている姿を、一度も見たことがない。そして、ひとつの職場でずっと同じ仕事を続けている。そういう人って、いそうでいない。だから私はKさんのことが大好き。よく「あの人は仕事ができる、できない」とかって言い方をときどき聞くけれど、あれ、どうも好きになれない。私だってできないが、じゃあお前はできるのかと、ひねくれた心が顔を出す。人ができないことをできる人が、できる人だと、わたしはおもう。Kさんの生き方を真似をするのは、わたしにはとってもむつかしい。
Hちゃんは企業にいる道を選んで頑張って続けている、私にはできなかったこと。生き方や特技は違えど、ずっと仲良くしてくれて、いつあっても笑い合えて、同郷で、ほんと大好きだ。あんな奥さんがいたら、頼れるからうっかり甘えちゃうだろうな、とおもう。見るからに健康で長生きしそうだけど、その期待の通りに、ちゃんと健康で長生きしてほしい。またのもうね。

2026/04/18

コマーシャルのようなサタデイ

 おようふくが欲しい娘と、女の子のおようふくを見るのがだいすきな夫。晴れた土曜日、二人は海岸線を飛ばしてお買い物へ出かけた。平和の一言であります。ツードアの助手席に長い髪の娘を乗せて134号線を走る、車のCMみたいではないか。さぞやウキウキしているに違いない。じぶんのことを棚に上げていうが、無駄なものを爆買いしていませんように。

人の買い物に付き合うというのが本当に苦手だ。これまで何回かだけ二人にくっついていったが、十分くらいで疲れてしまう。選ぶのも、試着にも、やたらと時間がかかる。赤ちゃんの頃から、娘のお洋服関係は全部夫に任せている。チャレンジ(進研ゼミ)とか、学校のプリント類も、夫に丸投げ。家事もわりと投げ気味。わたしは食事と水回りの掃除、シルバー磨き、アートの入れ替え、ペンキ塗り、縫製、その他修理全般が担当。
おなさかった娘におようふくを縫うのはとてもたのしかった。まだじぶんの好みもないような年齢で、「バブバブ」とか言いながら着てくれていたっけ(遠い目)。めちゃくちゃ仕事が溜まっていて、さーて、どの種類をどこから片付けようかなあ、という感じ。ありがたいことであります。がんばろう〜

2026/04/17

おともだち

 バブル世代の、同性のおともだちが何人かいる。おねえさんたちは総じて、なんだか愉快。70年代に生まれたわたしたち世代には見当たらない、勢いとノリ、パワーを感じる。一昨日連絡があって、昨日はKさんとお餅を食べに辻堂の<からみ餅・雅>まで。茅ヶ崎に住むKさんの自宅まで車でお迎えにいき、そこからカットバックして10分くらいのお餅屋へ。早めのお昼にして、食べたら解散の予定だった。からみ餅を5個とのり餅を5個オーダーして、シェアして食べた。「お餅かるいわね、まだお昼食べられるわね」とKさん。たしかにここのお餅は空気のようにふわふわで、ぺろりと言えばぺろりなのだ。という訳で、お餅を五個食べたあと、何事もなかったかのように近くのモスバーガーへ移動し、涼しい顔をしてモス野菜バーガーのセットを食べたわたしたち。

Kさんは修理品もお願いしてくれた。ハワイで買ったというパンツはシンプルな裾上げだけど、スウェット素材なのでまあまあ緊張するやつ。この円安に加えて昨今の物価高でも、気にせずにアメリカ・ヨーロッパ・アジアとバンバン海外に行っているKさんに会うと、お腹のそこから元気をもらう。なんでもおもしろくしてしまうから、とにかく笑いが絶えない。言葉選びや間合いが絶妙で、昨日も相当に腹筋が鍛えられた。午後は、やっぱりバブル世代のHさんと、仕事の書類の受け渡しを我が家で。サーファーを眺めながら、チャイを淹れてあれこれ話つつ、Hさんは次の仕事場へと向かっていった。二人の他にも、バブル世代のおねえさま友達がまだ何人かいる。その世代の人が持つ空気感に、無意識に惹かれるのだろう。豪快で、ケチケチしていなくて、なんか、いろいろなことがポーンと突き抜けている。浮いているというか、ふわふわと浮かんでいる感じもするが、質問や相談をするとしっかりと地に足がついた返事をくれて、不思議な魅力がある。時代がうんだ空気も、大いにあるのかもしれない。
夕方、ポストに高校時代の友人からお手紙が届いていた。とてもいい文章だった。美しい写真のポストカード二枚分の手紙、しばらくテーブルに置いたままにして眺めていた。仕事も頑張っている様子で、バケーションも楽しんでいる様子で、ああよかった、と心からおもう。そうこうしていたら、鎌倉から、同世代のMちゃんが夫のバースデーを祝うべくビールを持ってやってきてくれた。で、みんなで鉄板焼き。餃子を包んで焼いて、焼きそばを食べて、一昨日の残りのシフォンケーキをみんなで食べた。途中で娘は「おやすみ〜、いい夢みてね〜」とさっさと寝て、夫はダイニングチェアに座ったまま寝てしまった。叩き起こしてお風呂に向かわせ、Mちゃんのお見送りはわたしひとりとなった。
おともだちって、みんなちがって、みんないい。家族もそう。みんなちがって、みんないい。みんながそれぞれに笑ったり、元気そうにしているのを眺めているのが、ほんとうにうれしい。今日も週末も、そんな笑い声がたくさん聴こえますように。皆様も素敵なウィークエンドを。

2026/04/16

慈(いつく)しむ

 昨日は夫の誕生日。チーズケーキとキャロットケーキが得意だが、ちょっとちがうものにも挑戦したい。どんなケーキを焼こうかなあと、ふと料理人のNさんに電話で相談。Nさんはレジェンドクラスの男性料理人で、数年前に仕事を通じで出会った。わたしも奇天烈だけれどNさんも相当にエキセントリックな人で、つまり、気が合う訳である。

Nさんが、ガトーショコラはどうですかという。簡単だから、と。シフォンケーキはどうおもいますか?と聞くと、それもわるくないですよ、と。生クリームを、グラニュー糖をつかってゆるめにホイップして、今ならイチゴが美味しいから、それとブルーベリーを混ぜて、半分は細かくソースにして、残りの半分は直前に刻んでそこに入れます。そのほうが色が綺麗だからです。最後にミントを飾れば、うつくしいです。あと、シフォン型じゃなくて、プリンのようなカップで焼いて、ラップよりも硬めの素材を巻いて、そこに生クリームを流して、直前に外すと流れるようになって美しいです、簡単ですよ、という。「どこがじゃい!」と思ったが、プロってそういうことなのだ。言われた通りのステップをなんとかこなして頑張ってみたが、確かにソースが決めてとなるような見た目と味になった。メインはハンバーグと、コーンスープ、トマトと新玉ねぎのサラダ、マッシュしたポテト、生ハムとチーズとバゲット。ビール、ワイン、シャンメリー、みんなが好きなものを好き勝手に呑んでお祝いした。いい夜だった。

連日のニュースでずっと心を痛めていたが、小さな命が失われてしまった。昨晩、西の空に手を合わせる気持ちで報道を見ていて、涙が頬を伝った。おおくの命が失われる戦争がくりかえされることに、いつの時代も賛成な人なんているわけがない。ひとつの命、それも小さな命が無残な形で光を閉じることだってそれとおなじで、決してあってはならない。どんな風に耳を傾け、どんな気持ちでテレビを見つめたらいいのか、言葉が心から失われていく。そのくらい、胸が痛い。この世にいる大人のひとりとして、とても辛い。
子どもって、未来なのだ。希望の塊みたいな存在。「そんなにふくらませたら、風船はじけちゃうよ!」って教えてあげたいくらいに、期待や夢や未来や憧れをつめて、なんだかいっつもパンパンにしている。本来、子どもってそういう存在なのだ。でも、風船がしぼんじゃっている子も、きっといる。膨らます力がないのか、空気が抜けてしまったのか。どうして気づいてあげられなかったんだろうとか、そんな種類の痛みが、まったく知らない子だけれど、ニュースを見てからずっとある。悲しいニュース、苦しい報道を見たとき、いつもマザーテレサの言葉を思い出す。「ゴー・ホーム・ラブ・ユア・ファミリー」と。それが一番の世界平和で、ひとりの力でできることって、そのくらいのことなのだろう。でも、みんながそうすれば、それは大きな平和に繋がってゆくから。慈(いつく)しむことしかできないけれど、慈しむことは愛しいことで、力強くて、たくましい。戦争反対だと遠くに叫ぶこともたしかに大事。わかっている。でもわたしは、その一歩前でまず、大好きだよって身近な人に伝えたい。ちいさな少年の命に、心からのご冥福をお祈りするとともに、家族の誕生日を祝えることに感謝したい。空が明るくなってきた。生きとし生けるもの、すべての命に光が注がれますように。太陽の陽射しが頭のてっぺんから足のつま先まで、キラキラと降り注ぎますように。

2026/04/15

日本で暮らしているという贅沢

 マレーシアに住んでいるRちゃんと、朝にライン。近々彼女のところへ遊びにゆくので、おつかいのリクエストのやり取りなど。これまでも時々はラインをしていて、そんなに距離を感じずに言葉を交わしていた感覚だったれど、リストアップの内容を見て「本当に海外にいるんだなあ」とはじめてくらいに思った。

Rちゃんは、ご主人のお仕事の都合で現在マレーシアに駐在している。子育てをしながらなので苦労もあるとはおもうが、きっとたくさんの景色を見つめて、豊かに時を重ねているに違いない。Rちゃんは以前勤めていた職場で、一緒に修理の仕事をしていたひとり。夏休みになるとまるっと姿を消し、乳飲み子を連れて家族で日本中をアクティブにトリップしていた。そういう姿もまた、いいなと思っていた。まだ30代なのかな? 10歳くらい年下なはず。わたしより少しあとだったか、数ヶ月あとだったか、忘れてしまったが入社してきた。見た目がとても可愛い子で、やけにスタイルがよく、「タイパンツのモデルを頼むならこの子にお願いしよう」とすぐにおもった。おようふくのセンスも色彩感覚が好きな感じだった。自分に厳しい感じのRちゃんは性格が真面目で、成長することを怠らず、勤勉なのがよくわかる仕事の仕方だった。関西人あるあるで苛(いらち)なのか、反応がスピーディーで、打った球が光の速さでかえってくる。内側で情熱がスパークしている感じなんだけど、一見それがわからない。関西人贔屓(ひいき)なわたしにとって、退社後も仲良くさせてもらっている数少ないひとりだ。数年ぶりに会えるのを、とても楽しみにしている。
いつも、息抜きも兼ねて仕事の合間に買い物にいく。魚屋では昨日、柳カレイをすすめられた。干物だと高級品らしい。言われるがままに買う。「身がうすいから柳カレイは30分、サバは1時間塩をふっておいて、水で洗い流して干してね」と言われた。肉屋では、先日も書いたが息子さんと思しき男性に「豚挽きと合い挽き、わかります? 印つけておきます?」と聞かれた。色を見たらわかるくらいに違ったから、大丈夫ですと答えた。「昨日、バスで会いました?」と聞かれたので、「わたしもそうかな?っておもいました!」と答えた。人懐っこい性格の人なのかもしれない。「またよろしくお願いします」と、笑顔でさようなら。豆腐屋では、油揚げ、厚揚げ、がんもどき、生姜のがんもどき、ネギのがんもどき、絹どうふを二種、おからをふたつ購入。帰宅して干物を干しながら仕事を再開。
海外で暮らすのもいいなと折に触れておもう。だが海外にいたらきっと、昨日の買い物コースはむつかしい、贅沢コースな気もする。日本に住んでいる日常の豊かさを、Rちゃんのラインを見ておもった昨日。今日はなんだか朝から曇っている。午後からは雨が降ると天気予報で言っていた。

2026/04/14

川の字ではなく、三の字のほう

 体を動かさないと、坂道を転げ落ちるように体力と筋力が落ちていく実感しかない今日この頃。娘の同級生のママが、近所の公民館でながいことヨガを教えているのは以前からしっていた。なんとなく、はじめるなら今ではないかとおもいたち、昨日は体験レッスンへ。シニアヨガ、とうたっている通りに部屋にはシニアの方が7、8人くらいいらした。先生はまだいらしておらず、諸先輩方にご挨拶をすると「あら、今日は違う先生なのかとおもいました!」と笑顔で言われた。

コンプレックスの一つに挙げているが、「スポーツウェアを着ると実力以上に見られてしまう」という悩みがあり、昨日もやっぱりそうであった。着古して、もはやパジャマにしているパタゴニアのトレパンに、5年くらい着ているディモンシュのTシャツと、その上にスェットを着て、極力目立たぬように行ったのだが、だめであった。肝心なシニアヨガは、ものすごくよかった。何がいいかというと同級生のママの人柄と教え方がとてもよく、これなら続けられそうだと思えたことが嬉しかった。シニアの方も、とてもいいかんじの方がおおかった。
ヨガの後は、和光の後輩で料理人のMちゃんが最近引っ越しをし、爆安屋(わたしが大好きな三浦のリサイクルショップ)に行きたいとのことで、Mちゃんをピックし、車で一緒に三浦まで。爆安屋にいくと、たのしくて何かしら買ってしまうわたしなので「先輩は今日こそは買わないから。欲しいものは今、ヨット以外は何もないし」と車内でMちゃんに話しながら向かった。
昨日はミントグリーンのスウェットを着ていた。するとなぜでしょう、不思議と同系色のものが目に飛び込んでしまうもの。深いグリーンの、トミカのような小さなショベルカーが目に止まった。290円、高級車ではないか。でも一応手に取る。食器コーナーにあった、縁取りがかわいいマグカップも目にとまった。裏に返すと「GENUINE STONEWARE JAPAN」のロゴがかわいくて、手に取る。100円、わるくないんじゃない? マグカップの中にグリーンのショベルカーを入れて、迷わずレジに並んでいたじぶん。Mちゃんは額や時計や傘や、爆安屋で爆買いをしていた。その後、ちかくでキャベツなども爆買いしていた。爆買い傾向のある後輩Mちゃんを乗せて、新居へお邪魔し、途中<充麦>でかったパンをおうちで食べた。一番の目的であった、ワンピースの修理の採寸をして、解散。お部屋は陽が入ってあかるく、すこし高台で見晴らしもよく、キッチンがある場所も、とても感じがよかった。まだダンボールがあるくらいにあたらしい暮らしをはじめたばかりで、新緑が芽吹いたばかりの、初夏のような感じであった。
昨日、ヨガにいくよりも前、朝にDMがあった。富山で<HUTTE>というセレクトショップを営む浅野さんからだった。早い夕方、鎌倉でビールでもどうですか?とのお誘いだったので、二つ返事で是非と伝える。葉山からの帰り道に、逗子あたりでピックアップできそうだったので、浅野さんを乗せて一旦車を置きに我が家へ。そこから鎌倉へ出て呑むつもりだったが、ヨガの道具もあるし、服装もだいぶおかしなことになっていたので、一旦うちに上がってもらった。で、とりあえずシードル。次にビール。あれこれおしゃべりしていたら、浅野さんの次の予定の時間があっという間にやってきた。お洋服を着替える気ももはやどこかに置き忘れ、ヨガの先生のようなトレパンスタイルで一緒に海沿いを歩いて、鎌倉まで向かった。わたしは途中<鎌万>によってチューリップを買ってバスで帰宅、浅野さんは次の待ち合わせ場所へと向かった。
ついこのあいだ富山であった浅野さんと、自宅で呑み、海沿いを歩くのは不思議な感じも愉快な感じもひっくるめてぜんぶが楽しく、いい時間だった。気候も、風も、海沿いを歩くのにちょうど良かった。いつもセンスのいい上質な服を着ている浅野さんに会う日に、よりによってだいぶ変な格好で登場してしまったことや、部屋もイマイチ整っていなかったことも、「まあいいや〜」とおもえて、全部がおもしろかった。浅野さんは、ワンルーム暮らしの我が家を「日本でもこういう暮らしをしている人がいるんですね」と、おもしろがって感心してくれた。はい、三段ベッドで家族で寝てます。川の字ではなく、漢数字の三のスタイルで。

2026/04/13

マトリカリアの花言葉

 週末にあまり遠出をせず、もっというとすぐに出ていける鎌倉駅や逗子駅にも出ない、という休日をおもしろがっている。週末は、夫が朝から家事を張り切る傾向があるので、わたしはコーヒーを淹れたり朝ごはんをつくる。娘は決まって朝寝坊。先に二人で朝食をとっていると、会話で娘が目覚めてくる。午後は近所を散歩して、肉屋や魚屋でおかずを買って、明るいうちから呑む。これ以上の贅沢が見当たらないくらいに、気分がいい。

学生時代、友人たちと数えきれないほどハワイへ行った。ホテルは決まってコンドミニアムで、リビングのソファベッドに寝転がったり、目の届くところにエキストラベッドがあるような、そんなあの頃のような雰囲気がなんだかよくて、このワンルーム暮らしもすっかり気に入っている。当時の楽しかった思い出が今に繋がっているのだから、人生を豊かにしてくれものは自分にとって、やっぱり経験だ。ちょっとアルバイトをすれば6万とか8万とかでツアーでハワイに行けた時代だった。車もないから空港からは相乗りのリムジンバスで、現地ではバスで移動して、みたいな旅だったけれど、時間と体力ならいくらでもあったからすべてを楽しめた。大学時代の思い出はヨットとハワイとバイトしか思い出せないくらい、なにも考えていなかった。あの頃の自分にタイムマシーンに乗って会えるとしたら、「そのままでいいんだよ」と、無言でサムズアップをして立ち去りたい。ワイキキビーチ、サンセット、カタマラン。
昨日は師匠で美術作家の永井宏(ながい・ひろし)さんの命日で、奥様にお花を渡すため、由比ヶ浜の<ナンリーショップ>まで自転車のペダルを漕いだ。近所の花屋で、永井さんが好きだったマーガレットを求めたがなく、「似たお花はこれです」と『マトリカリア』という花を教えてもらった。花を贈るとき、花言葉を調べることがおおい。マトリカリアの花言葉は、『集う喜び、楽しむ心』などがあり、ピッタリだなと思って、決めた。
永井さんが亡くなって、15年が経った。三十三歳だったわたしは四十八歳になり、五十九歳だった師匠は、生きていたら七十四歳だった。人は基本的にきらわれたくない生き物だから、面倒なことには関わりたくない。損をしたくはないし、得にならないことに時間を割かないから、手も口も出さない。静観という名の、無関心は安全。でも、儲かることは敏感で、前のめりで乗っかりたい。そういう人の方が世の中はおおいし、まあ、それが悪いってわけでもない。普通。永井さんは面と向かってダメ出しをしてくる人だったので、もしかしたら嫌われる事もあったのかなとおもうし、「いちど絶交した事がある」、というのも聞いたことがある。わたし自身も、何度となくダメ出しされた。一度だけ頭に血がのぼった事もあるが、あんなに真正面からダメ出ししてくれる人は、人生でも本当にすくない。若かった自分を厳しく律してくれたのは美術作家の永井宏さんと、友人のお父様でもあるカメラマンの北出博基(きたで・ひろき)さんだった。わたしにとって、人生に大きく影響を与えてくれた二人。そして、作品を心から素晴らしいと思っている作家の二人。優しくて、厳しくて、愉快で、愛しかなかった。自分が何かを迷ったときや、落ち込んでいるとき、ものづくりに向き合っているときなど、「あの人ならどう言うかな」と、いつも心に問いかける。部屋には、必ず二人の師匠の作品を飾っていて、目に入るたびに、ふっと思い出す。もっとお礼を伝えたかったし、もっと学びたかった。大人になるにつれて、いつからか、注意をされなくなった。それがどんなに危なっかしいことか、自分を見ても、正直なところをまわりを見ても、歳を重ねるたびに怖さがわかっていく。
いい顔して優しくするなんて、だれだってできるのだ。だからわたしは、めんどうくさくても、あえてむつかしいほうを選ぶ。娘にも日々よく言うことだが、本人の前で言えないことはどこでも言わないと決めて何年にもなる。そこに加えて、嫌われてもいいから、正直な気持ちを本人に言う、と決めたのは最近のこと。物心ついたときから、ただ居るだけでさんざん褒められて、人から好かれて生きてきた。感じよくする、なんて朝飯前に得意だったわたしが、人生の途中で、あるべき大人の姿をしっかりと見せてもらった。その責任のようなものが、胸にあるのだ。そういう順番が、そろそろまわってきたような、そんな気がする。

2026/04/11

風が吹く街

 先月、何年かぶりに再会を果たした織り作家の中島寛子(なかじま・ひろこ)ちゃんと、「近いうちにゆっくり鎌倉で会おう」と約束して決めた日が、昨日だった。天気予報のとおりに、外は嵐。でも負けない。楽しみにしていたのだ。

見せてあげたい本があったので、説明するための復習として朝に再読し、濡れないようにジップロックに入れた。午前中にミシンの仕事も終わらせた。嵐だったので、鎌倉駅周辺の駐車場の下調べも完璧。用意周到。こわいくらいに出来過ぎくんであった。こういうゆとりのある朝は、大抵洗濯物を干し忘れていることがおおいのだが、そんなミスもなし。大人として、遅刻はあってはならないので早めに家を出ると、外の雨は思いのほか弱まっていた。これならバスで行けるなと、頭を切り替えてバス停へ。間髪入れずにバスがやってきたので、乗り込んだ。順調の一言。ところが、である。バスに数分乗ったあたりで、嫌な予感が頭をよぎった。「あれ、アイロンの電源、消したよね?」と。
「鍵しめたよね?」とか、「ガス消したよね?」とか、これが一年に2回くらいたまーにあっって、気になって念の為に帰ると120%失敗はないのが恒例。でも、やっぱり気になってしまい、バスを降りて反対側のバスに乗り換え、Uターンし帰宅。最寄りのバス停を降りると、さっきの弱い雨はどこへいったんだい?と空に聞きたいくらいの暴風になっていて、傘はひっくり返りそうになるし、パンツも足元がめちゃくちゃ濡れた。帰宅してアイロンをみると、電源はオフ。なんならいつも以上にキレイに整えて片付けてあった。はい、遅刻です。ひろこちゃんに「ごめんなさい」と連絡をして、パンツを着替えて、再びバスへ。30分くらいの短時間で、バスに乗ったり降りたりまた乗ったりと、バスだいすきおばさんのような動きをとったじぶん。やっぱり、最初から車にするべきだったのかもしれない。
寛子ちゃんと鎌倉駅で待ち合わせをして、駅のそばの<sahan>へいった。sahanは仲間の一人のみーやんこと、高階美佳子(たかしな・みかこ)さんが切り盛りする店で、寛子ちゃんも行ってみたいお店だったようで、ちょうどよかった。カウンターの席に腰をかけて、弱まったり強まったりする雨を眺めながら、本当にゆっくりといろんな話をして、うっかり雨が好きになりそうだった。定食をいただいてからもまだ話足りず、わたしはコーヒーを、寛子ちゃんはレモンミントティーを追加でオーダーした。
<sahan>はこの秋で15年を迎えるお茶とごはんの店。ビールも呑めるので、個人的にはよくビールを呑みにいくのだが、本来はこういうシチュエーションにぴったりの店なんだなと、14年通ってはじめて知った。みーやんは雑貨屋に勤務していたことも影響があるのかもしれないが、器や家具やおようふくなどの審美眼を養っている。たんに知識があるのとは違って、造詣(ぞうけい)が深いようにおもう。それだけたくさんの時間とお金を注いだのではないか。積み重ねたであろう経験をひしひしと感じる。その表現として、彼女は店をやっているように、わたしの目には映る。それは料理にもあらわれていて、味、盛り付け、提供のスタイルなど、みーやんの思想が作品になっている。雑貨好きなら誰もが知っている<Zakka>に作品が置かれている寛子ちゃんのこともさすがみーやんは知っていて、二人は尾山台だったか、わたしは知らない服屋の話などもして、楽しそうに言葉を交わしていた。
寛子ちゃんとわたしは、<Zakka>の店主の吉村さんと、ご主人の北出さんのおかげなのだが、お二人を通じて知り合って、すれ違うように何度か顔を合わせていた。わたしが由比ヶ浜のギャラリーの運営をはじめたときも、家族で遊びに来てくれたり、妙蓮寺の<本屋・生活綴方>でお世話になったタイパンツ展にも、寛子ちゃんは足を運んでくれていたことを後で知った。ピンク色の、柄もののタイパンツを選んでくれていた。お互いの活動をとおくから見守るような感じで、わたしにとって、その存在を大切におもっている一人だった。とはいえ、そんなにお互いを知らなかったのだけれど、昨日ようやくゆっくり話をして「へー!」という感じで、「とりあえず、次は鎌倉の山側を歩こう」ということになった。
店を出ると雨は弱まっていて、傘をさすかささぬか迷うくらいの霧雨だった。傘さす?と聞くと、メガネが濡れるね、みたいに答えた寛子ちゃん。<sahan>で、「カウンターとテーブルどっちがいいですか?」と聞かれたらカウンターがいいと、「壁側と手前側、どっちがいい?」とわたしが聞くと手前がいいと言った。決断のはやいかんじが、すごく寛子ちゃんらしかった。わたしは来た波に乗る方が好きなので、こういうタイプの人が、一緒にいてすごく楽なのだ。<DAILY by LONG TRACK FOODS>に寄ってパウンドケーキを買いたいというので、一緒にくっついていった。以前、わたしが運営に携わっていた由比ヶ浜のギャラリーで、毎年12月に『家族写真撮影会』というイベントをしていたのだが、寛子ちゃんはそこにいつも家族で参加してくれていた。その返り道に、デイリーに寄ってシュトレンを買うのが恒例だったんだと、昨日道すがら教えてくれた。ギャラリーの運営は、楽しいことも素晴らしい出会いもたくさんあったけれど、当時はとにかく運営に必死で、正直なところ大変なこともおおかったが、やってよかったなあとしみじみ思わせてくれた。その運営を、「みもちゃん、やらない?」ととつぜん声をかけてくれたのは、馬詰佳香(うまづめ・かこ)さんだった。昨日はたまたま馬詰さんが<DAILY>の店頭に立っていた事もあいまって、まあるいサークルがひとつ完成されたような、不思議な気持ちに包まれた。
鎌倉ってやっぱりいいとことろだ。どの季節も、どんな天気も、それぞれに魅力があって、音をたてずに、そっと光の粒を放っている。店でご飯を食べているだけなのに、街を歩いているだけにも関わらず、小説のような、小説の中にいるような、そんな風が吹く瞬間がある。それは潮風でもあり、山風でもあり、吹かれたほうがどう感じてもいいんだよと、そんな包容力を感じるような風が、街に、ときどき吹く。

2026/04/10

レス・イズ・モア

 今日、土曜日の気分で起きたら金曜日だった。驚いたことは夫も同じことを言っていたこと。それだけ昨晩リラックスしていたのなら幸せだが、ボケてきちゃったのではないかと、自分たちがこわい。昨晩はおでんと、富山のホタルイカを食べた。北陸に足を運んでから、食卓へのおでんの登場回数が爆あがりしている。おでんは年中食べていいものだと知り、初見の具材などもまた、新鮮でたのしい。

朝にひとつ詩を描く試みをしている。師匠(美術作家の永井宏(ながい・ひろし)氏)も言っていたが、「長い文章なんていくらでもかけるんだよ」との言葉通り、短くかくほうが難しい。普段、いかに余計なことをまわりくどく書いているか、久しぶりに師匠に天国から指導されている気分だ。師匠の命日がもう少しでやってくる。27歳で入った文章のワークショップは仲間も同世代がおおく、師匠は当時50代前半だった。先生なんて呼んだことはなく「永井さん」と呼んでいた。影では「ひろし」と呼び捨てしていたこともある。厳しいときもあったが、先生らしからぬ人だったし、つねに愉快なおじさんだった。わたしは結婚前から雑誌「湘南スタイル」を読んでいて、そこに連載を持っていた永井さんの文章と写真のセンスが好きで本人を知った。インターネットでウェブサイトをおとづれ、ワークショップに導かれた。月に一度、葉山のアトリエに通った数年間が、今の自分の土台になっているのは間違いない。

文章のワークショップを始めようとおもっている。「コーチ」は好きだけど「先生」と呼ばれるポジションが苦手で、加えて、若くして先生になることにはずっと、ぬぐえない抵抗があった。その迷いがあったのだが、冷静に考えたらすっかりいい歳になっていることに気がつき、パスしてもらったことは、次は自分が若い人にバトンをパスしていこうと、そんな気持ちになったのだ。月に一度集まって、言葉を書いて、声に出して読む。そんな時間を作れたら。
「レス・イズ・モア」という言葉がずっと昔から好きだ。少ないほどに、より豊か。それは手間と時間をかけて、繰り返し見つめていくことだとおもっているから、単発のワークショップではなく、定期的におこないたいとおもっている。一年を通して四季をみつめるように。もうすこしイメージがまとまったら、またインスタでお知らせしますね。

2026/04/08

ウェルカムバック・マイ・デイリー

 めちゃくちゃ晴れている。わたしの心も晴れている。今朝は5時に起きて娘のお弁当をつくり、雑巾もぬって持たせ、無事に送り出した。やたらと心配をしていたクラス替えも安堵な結果だったようで、一安心だ。昨日、玄関のドアを開けてはいってきた瞬間の娘の顔をみて、「はい、大丈夫」とすぐにわかった。ここまでが春休みのわたしの役目だとおもっていたので、肩の荷が降りた。場合によっては延々と話を聞く、という大役が待っていた。

今朝からやっと作業場に平穏が戻ってきた感がすごい。掃除、絵の入れ替え、詩を書いて、今ここ。母のところにも行きたいが、仕事が溜まっているので片っ端から片付けなくてはならぬ。気合を入れて終わらせて、早い夕方にひとりこっそりお風呂にでもいきたい。にんじんをぶら下げて頑張る所存であります。アディオス!

2026/04/07

死ぬまでが人生

 やっと始業式。昨夕くらいから「ママー、クラス替え緊張する〜」と100回くらい聞かされて、それなりにやさしく対応してきたが、こちらのリアクションももうさすがにカード切れ。あと数時間で帰ってくるし、明日はお弁当持参で登校だという。わたしだって春休みがほしいくらいに、なんだか疲れが抜けぬ春。ゆっくり大きなお風呂につかりたい。

先日お知らせしたとおり、このブログはまもなく閉じる。真剣に本を書くための手慣らしに、そのうちまた日々のことをどこかに書き残しておきたいとおもうかもしれない。素敵なノートとペンを探してみたり、ここ最近はいくつかのブログサービスをみて回っていた。そのひとつに、大昔に書いていたエキサイトブログもあるよな、と漂流するようにたどりつき、さかのぼって日記を読んでいた。2008年4月から2015年の2月まで、約7年間の日々を書き残してあった。まだ二人暮らしだった時から妊娠出産を経た期間。当然両親も若く、父母との会話などはすっかり忘れていることもおおくて、これは本のための参考資料になる。よくやった!と、過去の自分にお礼を言いたい。エキサイトブログ、どこか古さはいなめないけれど、これはこれで復活もアリかもな、なんておもっている。それにしても自分の駄文にはびっくりで、「娘が下痢をしました。先週はオムツを変えていたら一週間が過ぎていました」とか「イヤイヤ期で大変、また怒ってしまった」とか書いてあった。よほど疲れていたのだろう・・・。それでも読み進めていくと、どんなにへとへとでも、まあまあ頑張ってタイパンツを縫っていて、あと、展示だけは毎年意地でもつづけていた。ヘタレだとおもっていたが、結構えらいではないか。当時の自分は、そこを全然褒めてあげられなかった。
子育てって、結果が数字にあらわれない。それは対価を得られないから。たとえば学校を卒業するとともに子育てに移行していたら、他者はともかく、比較対象が自分の中にはない。けれど、おおくの人は社会に出てから結婚して親になると思うので、以前の自分と比べがちになる。少なくとも、わたしはそうだった。娘を出産し、仕事のスタイルも大きく変わった。縫製業として、税務署で事業登録をして事業主になった。自営になりたてだったから、勤めていたころと比べて、収入なんてほとんどなくなった。春に確定申告を終えると、数字を見ていつも情けなくて、ものづくりなんてもう全部辞めたいとおもっていた。同じ自営業だとなぜかいつも父と比べてしまい、雲泥の差だなと思う事も、悲しみの材料だった。夫の収入とか、職業とか、そういうことで憂いだことは一度もない。現に、無職だった夫を好きになって「結婚しよう!」と言ったのはわたしだし、新婚で、夫がふたたび無職になった時もなにも思わなかった。この先もきっとそうだと思う。人のことはなんとも思わないのに、自分にはきびしい。あの頃の自分はいつも、自分に優しくなかった気がする。30代と40代は精神的にとても厳しい時代だったけれど、なんとか縫うことは続けてこれたし、なんといっても時間をかけて娘を見ることができた。今振り返って思うのは、こどもとの時間が一番プライスレスで、プレシャスな時間だった。ここから先は、健康に気をつけて無理せず仕事を続け、日々技術を高めていくだけ。
このブログを読んでくださっている中で、30代くらいの若い方も結構おおいと知り、ありがとうございます。子供の有無、キャリア、収入、将来、過去、いろいろ比べては憂(うれ)いだり、ギアをあげてがんばったりする世代だとおもいます。体力もあるしね。どうぞ、ぼちぼちやってください。今日1日のじぶんを褒めて、家族や友達の笑顔をみて、一緒に笑えればオールオッケーですよ。お風呂にはいってビール飲んで美味しいものを食べて寝る。大丈夫。そのうち、びっくりするくらいに頑張れなくなるし、目が見えにくくなるし、やたらとすぐ疲れますから、安心してください。わたしの場合、気がつけば仕事と収入はあとまわしもあとまわしでした。暮らしと子供を優先してきたので、ここからまた頑張ろうと、そんな気持ちでいます。気持ちだけはフレッシャーズです。今となっては、憂(うれ)うだけ、時間の無駄だったなあとおもいます。今日が幸せであること、それ以上の幸せはない。生きているだけで丸儲けって、あれはほんとうにほんとうで、みんな平等に死ぬんだから。死ぬまでのじぶんの人生を、できるだけたのしく暮らしたい。夢はそれだけ。

2026/04/06

パパとママも新生活をはじめたい

 夫とはもともと大学のヨット部を通じて知り合ったので、ふたりともヨットが好き。ディンギーといって二人乗りの、セイルだけで走る船で、何度も一緒に海上を走った。夫はバブルが目の前ではじけた世代(?)で、ずっとバブル世代に憧れを抱いている。なので、キラキラしたものへの憧れがつよい。ディンギーもいいけどクルーザーも嫌いではない様子で、いつも散歩をするコースにマリーナがあるのだが、そこで足をとめて熱心に船を観察している。

夫はトムクルーズ主演の『トップガン』も大好き。特に2022年に公開された『トップガン マーベリック』の方は大好物みたいだ。枯れてきたイケおじトムが彼女とクルーザーで疾走するシーンも、そこでお召しのウェアがデニムだったりラルフローレンだったりするのも、トムの彼女役の女性がポルシェの古い911に乗っているのも、ぜーんぶがドストライクゾーンらしい。海のシーンになると「みもちゃんもみて!」と必ず言われるので、ちょっと面倒くさい。繰り返し見すぎていてちょっぴり怖いくらいだが、「トムが染みつている世代なんだよ」と言っていた。六歳の歳の差があるので、お互いの青春を理解できない点がたくさんあるが、おもしろいのでよしとします。
話が逸れたけれど、そろそろヨットを復活させたいね、と話している。わたしは16歳から波乗りを始めた。ヨットは19歳からだから経験は数年あとなのだが、あの気持ちよさはサーフィンとはほんとうに別物。車よりも最後は船がほしいくらいに、船もすき。テニスもオシャレだからはじめたいよねとわたしがいうと、ゴルフも打ちっぱなしくらいはいってみようかと夫がいう。で、スクールとか調べていて、子供の手が離れた途端に、盛り上がっているわたしたちだ。昨日も花見の後に散歩をしながらそんな話をしていた。「ここから教育費がかかるから、自分達のお稽古や趣味はあとにすべきか?って思うけど、そのうちにすぐ膝が痛いとかなってさ、で、あっという間に死んじゃうんだから、元気なうちに楽しんでおくべきだよね」というと、夫も「そうだよね」といった。この歳の夫婦って、そういう気持ちになるものなのだ。出会ったあの日、わたしはぴちぴちの二十歳で、大人だと思った夫だって二十六歳の若者だった。人生なんて、未来しかなかった。あれから30年くらいの時をかけて病気に怪我に入院、同時進行で子育てと介護。落ち込んだり沈んだりふさぎ込んだりやさぐれたりしつつ、よくがんばった。人並みにいろいろあったけれど、おおむね健康ないまに感謝しかない。
圧倒的に少ないけれど50代でこの世を去る人もいる。師匠は59歳で亡くなったし、絶対なんてないのだ。だから、バランスは大事だけれど、自分ファーストで、夫もファーストで、年功序列で楽しんでいきたい気持ちが、最近はつよい。夫は娘が生まれてから、ほんとうに幸せそうに娘を愛でている。そんな夫を見るのがわたしは一番すきだ。昨晩も、二人が『宇宙兄弟』のアニメを見ながら涙しているのをキッチンから眺めながら、なんとなく、キャロットケーキを焼いた。二人は甘党なところだけでなく、映画やアニメで泣くシーン、ファッションセンスなど、いろいろ感性が似ている。二人が出会うために、わたしは娘を産んだような気がしている。それは、娘を産んだ瞬間に思ったこと。なので、わたしのお役目はもう果たしたと言っても過言ではない、きっと。
娘とわたしは顔は似ているらしい。体型は全然ちがう。宇宙からやってきたような手足の長さ。娘はガチのインドア派で、運動神経はだいぶあさっての方に向かっている。でも、めちゃくちゃ可愛いし、スタイルもいいし、性格もいいから100点満点。勉強も、パパやママよりも全然熱心に、自主的に頑張っていてえらいねって眺めている。さて、春休みもいよいよ千秋楽です。ウェーイ! そろそろ行ってくれ〜。こっちは仕事がめちゃくちゃ溜まっているのだよ。

2026/04/03

役に立つってなんだろう

 昨日は低気圧の通過で波があがった。かといって寒いからまだ入らないのだが、豆腐屋と魚屋とスーパーから帰ってきたら、駐車場で海上がりの方に声をかけたれた。ときどきこのブログを読んでくれているとのことだった。嬉し恥ずかし、ありがとうございます。もう一人の方からは、インスタグラムに投稿したマドラスチェックの生地のシャツが気になっている、というようなことを言ってもらった。ああ、確かに似合いそうだなとおもった。肌の色と、髪の色。そうおもったのに言わなかったのは、その直前に男性から言われた「ブログを読んでます」で、うっかり恥ずかしくなってしまったから。普段どうしようもないことをありのままに書いているけれど、誰かが読んでいるという意識がだいぶ欠落している。格好つけずにさらけ出して書く、というのが文章の基本だとはおもっている。それはほんとうに。でも、「読んでます」と言われると、なんとなく照れる。なんの役に立っているんだろう、立っていないだろうな、とおもう。で、心の中でプッて吹き出して、逃げる。だからすぐに話題を変えちゃう。でも、表現は役にたつだけが全てではない。お時間を割いて読んでくださっていること、嬉しく思っています。ありがとうございます。皆さんも、パソコンに向かって、あるいは紙にペンで、何か書いてみてはいかがでしょうか。楽しいですよ。そうだ。昨日は郵便局にもいった。本が売れたので発送をした。本が売れるのはうれしい。ぜんぜん恥ずかしいってならない。なぜか、めっちゃ頑張って書いたから。重ね重ね、感謝であります。

干物生活にハマり、近所の魚屋に頻繁に通うようになってから、車でスーパーに行く回数が激減した。それは時間的にとても楽なことで、有り難くおもっている。娘がちいさなころは宅配の生協のサービスなどもお世話になっていたけれど、今はすっかり自由。そうして近所の小商いを眺めてみると、あの頃には見えなかったいろんなことに気が付く。
わたしが暮らす町には、魚屋のそばに、肉屋もある。ずっと夫婦お二人で切り盛りされていたが、ここ数ヶ月くらいだろうか、若い男性が一緒に店に立つようになった。絶対息子さんだなと思ったのは、顔がめちゃくちゃ似ていたからだった。店内はもともと清潔感があって揚げ物もおいしいので、時々だけど買っていた。先日も、楽をしようと揚げ物を買ってお支払いをしているときに、ふと中濃ソースが切れていることを思い出した。レジの横にあった、100円くらいのちいさなサイズのボトルを買おうとしたら「これだったら渡せるからどうぞ」と、使いきりのちいさなソースをつけてくれた。若い、息子さんがそう言った。なんて優しい人なんだ、と思った。実家に帰ってきたのかな、親の仕事を継ごうって思ったのえらいな、喧嘩とかしないのかな。応援したい。あれから色々おもうようになり、その日を境に、肉のほとんどはその肉屋で買っている。そう思うひとが多いのか、ここのところ心なしかいつも混んでいる。
肉屋の肉を食べて、違いに気づくことはおおい。見た目からして脂質が多いので、過去5年くらいはスーパーで豚のバラ肉を買ったことがなかった。が、先日肉屋で買ってお好み焼きに使ったバラ肉は、サラッとしていて脂質もなんだかしつこくなく、美味しかった。鶏、豚、合挽、すべての挽肉に関してはこれまでスーパーで買っていたものよりも圧倒的に脂質が少ない不思議。豚の小間切れもそうだった。我が家は最近お魚が多いので、お肉の登場回数が減ってきたけれど、お肉ってやっぱり美味しい〜と二割増くらいでおもっていただいている。
先日、ものすごく久しぶりに娘と肉屋へいった。横浜でたくさん歩いた日の帰り道だったので疲れ果てており、娘はガラスのショーケース横の椅子に腰掛けていた。買い物を済ませて歩いていたら「保育園の帰りによく寄ったよね。あの椅子に座ってさ、ガラスに顔がくっつきそうなくらいのぞきこんだことを思い出したよ」と娘が言った。その瞬間、うわーっと胸に迫るものがあった。すっかり忘れていたが、そんなことが、言われてみれば確かにあった。そして、「ガラスに触っちゃダメだよ!」とか言っていた、若かりし新米ママのじぶんも思い出した。わたしたち、どんなにか可愛かったでしょうね…..。じぶんの過去を回想して目を細めるという、新たな特技を見つけた今であります。
人生にはそれぞれのフェーズがあって、レイヤーがある。あんまり無理に、地産地消!とかできなくていい。わたしは基本がヘタレだし、性格もだいぶこじらせているので、「環境のため!」とか熱く言われると、うるせえなあとかおもってしまう。何も言わずに、家族を大切にしていて、お部屋をきれいにしていて、お花を活ける暮らしをしているような人の意見を聞きたいが、そういう人は大抵おもてに出ない。発信もしない。発言は自由だが、強要されたくないのだ。だから、声の大きな人からはさっさと逃げてしまう。環境も政治も、ぜんぶ自分で考えたらいいじゃん。なにごとも、その時々の自分の、家族のベストを探すのが本当に一番。買い物ひとつとっても、宅配がありがたい時代、スーパーに行けるようになる時代、地域に貢献する時代、時代を世代とも言い換えられるが、人はうつり変わる。「これって決めている!」というのもいいとおもうが、自分は移り変わることが得意だから、そっちを選ぶ。ときどきわたしは「賞味期限」という言葉をつかう。賞味期限が切れた恋、人付き合い、お店、お洋服、気付いたらそのままにしない。期限切れのままにしていると、お互いに腐っていくのがわかるから、ありがとうさようならってする。歳はとってもいいけれど、腐りたくはないのだ。
よくいくお豆腐屋さんには「フードロスコーナー」というのがあって、助けてください、今日までの命です、みたいに書かれてあって、わたしはいつもそこから選ぶことにしている。時間に自由のきく仕事だし、人ができないことをする方が、地域の役に立つかな、くらいに思っている。人と同じでなくていいのだ。自分にできることってなんだろうって、みんなが考えればきっと平和。その答えは、ぜったいにネットには書かれていない。あなたの、わたしの、暮らしの足元にきっとある。

2026/04/02

いびつな憧れ

 昨日一番かなしかったことは、新宿の<ジャズ喫茶&バー DUG>が6月末で閉店するというニュース。ビルの解体に伴って、65年の歴史に幕を下ろすとのこと。知ったのは、昨晩のことだった。

昨日は父に会いにいった。いつもなら、父のいる施設から新宿駅までぷらぷら歩いて帰ることもある。途中、<DUG>に寄ってジャズを聴きながらビールを呑んで帰るのも好きなコースのひとつ。だが、昨日は冷たい雨が降っていた。基本的にヘタレなのと、靴が濡れることがとても嫌な性分なので、いちばん歩かないルートとして、都バスを選んだ。都バスは便利で良い。たくさん走っているし、スイスイ走ってくれるから。
年末年始におおきく体調を崩した父だったけれど、昨日はとても元気そうで顔色もよく、安心した。父のお部屋は、実家で使っていた家具を置かせてもらっている。リビングで使っていたブルーのレザーがきれいなダイニングチェアに腰掛けて、ジャズを聴きながら西新宿のビル群を眺めていたら、まるで実家にいるみたいだった。不思議な感覚に包まれた。ケニー・ドリューの<テイキング・ア・チャンス・オン・ラブ>を流したときのこと。父は気まぐれに動かしていた手を止めた。父はオシャレをするとき、よく右手で髪をサッと整える仕草が癖だったのだが、昨日、それをした。曲が終わったとき「上手だねえ」と演奏を褒めた。音楽ってすごい! 嬉しくなって、前に<DUG>で聴いて好きになった、デューク・ジョーダンの<グラッド・アイ・メット・パット>を流した。このレコードは父のところにないから、持っていったちいさなスピーカーに、Bluetoothで飛ばして、Apple Musicから流した。父は、気持ちが良くなったのかうとうとして、そのまま寝てしまった。聴いていたら、なんだか涙が出てきた。グラッド・アイ・メット・パパ。「泣く」という行為にはきっと、いつでも理由がある。訳もなく涙が出る、なんていうけれどきっと、ほんとうは訳がある。母は子供の前でも隠さずに泣く人だった。そして「今、ママは哀しいのではなく、悔しくて泣いているの!」と実況までしていた。昨日、わたしは哀しいのではなく、うれしかったのだとおもう。介護って、どこか自己満足みたいなものもあるのかもしれない。自分にもおもうが、兄や姉を見ていてもそれはおもうこと。あれをしてあげたい、これをしてあげたい、みたいな気持ちがベースにあって、時間を共有している。父に関して、わたしはなるべくジャズを聴かせてあげたいとおもっている。そして、その帰り道に父がしたいであろうことを自分が代わりにする、というのがワンセットになっている。そんなときに、<DUG>はピッタリなお店だった。昨日、雨で行くのをやめた訳だけれど、こうして「あのときいっておけばよかった」なんて思うんだなと、しんみりしてしまった夜。あと何回、通えるのだろう。新宿から名店が消えてしまうことは寂しいけれど、素敵な思い出の方が上回るんだから、ありがとうって言えるようなじぶんでいたい。
都会育ちだね、とよく言われるが、新宿育ちなのだ。実際、渋谷とかあんまり詳しくない。代官山なんて、ほとんど知らない。だって遠かった。東京には好きな場所、素敵な土地がたくさんあるけれど、戻って住みたいとおもうのは、やっぱり新宿区。気持ちのいい公園もあるし、好きなお風呂もある、落語だってきける。飲み屋なんて死ぬほどある。新宿って、都庁もあれば歌舞伎町もあって、山にも海にも電車いっぽんで続いていて、そういう感じもすごく好き。父が生きてくれているから、こうして新宿に通えている。ありがとうしかない。わがままな父は家族に迷惑をかけまくっていたし、やたらと手のかかる人だったし、こういう人とだけは結婚してはならないと、あかちゃんくらいから本能的におもっていた。にもかかわらずなぜか憎めず、むしろ、ちょっとかわいいとすらおもわせる。みんながほうっておけず、生涯ずっと愛される人生だ。くやしいようないびつな憧れ、わたしの胸にずっと昔からあるもの。

2026/04/01

「いつか」は「いま」

 今日から4月だというから驚きをかくせない。たしか、このあいだお正月だった。明後日くらいにはクリスマスがきちゃうかもしれない。そういうスピードで年月を、老いを感じている今日この頃である。時間って不思議で、若い頃はゆっくりなのに、歳を重ねるごとに加速していく。若い子がいう「いつか」は未来だが、この世代になると「いつか」は「いま」なのだ。いつかやりたいなんて言っていたら、たぶん一生やらない。いきたかった、やりたかった、いっておけばよかった、やっておけばよかった。そういうことになる。次に、「いっておいた方がいいよ、やっておいた方がいいよ、わたしはできなかったから」って若い子に言うのだろうか。言われた方はなにをおもう? 若者は、想像するのもむつかしいだろう。桜だって、見ないと散るのだ。でも、今すぐ観れば経験と思い出になる。

娘を妊娠していることがわかるほんとうに直前に、ロスアンゼルスとサンフランシスコへ行こうと母を誘った。わたしは34歳で、母は64歳だった。母は「最近膝が痛いからやめておくわ」と言ったが、夫に「絶対にいっておいた方がいいよ」と言われたので、半ば強引にチケットを取り、二人でカリフォルニアへ。結果的に、「ねえねえ、お膝は大丈夫なの?」とこっちが聞きたいくらいに、母はアメリカを楽しんでいた。なによりも子育てを最優先にしてくれていた母だから、実の姉がながく暮らす土地に訪問したのも、思えばこれが初めてだったのだ。母は英語をほとんど話せないはずだが、アメリカではびっくりするくらいにコミュニケーションをとっていた。ファーマーズマーケットでは、目をはなしたすきに、知らないインド人のベイビーを抱っこしていた。顔が日本人離れしているからか、あれは謎であった。サンフランシスコでケーブルカーに乗ったときも、大きな目をさらにおおきくして、子供のようにはしゃいでいた。その様子を見ていた運転手の方が「警笛を鳴らしてみる?」と聞いてくれて、母は素直に鐘を鳴らしていた。書くとキリがないのでもうやめるが、つまり、行ってほんとうによかった。
先日、久しぶりにパスポートを取得した。子育てと介護で忙しかった10年と少し、自分で振り返ってみても、まあまあ暗黒な10年とちょっとだった。パスポートや海外なんて、もう一生関係のないワードだと思っていた。でも、この一年くらいで急に視界が晴れてきた。そういう経験をしない人もいるとおもうが、人に人の痛みなんてわからないし、「わかるよ」なんて安易にいう人と、わたしはきっと親しくなれない。結婚をしなかった人、したくなかった人、したくても縁がなかった人、子供を持たなかった人、縁がなかった人、物心ついた時点での親の有無、親の病気、親の介護、親の死、兄妹の死、人の命にまつわる話題はとてもデリケートなのだ。同じケースが二つとないのが人の命だから、くらい、辛い時期は必ずある。そんなときにも、桜はいい。春は出会いと別れの季節で、桜がそこにあってよかったと毎年思う。嬉しい人にも、悲しい人にも、桜は寄り添ってくれる。言葉なんてかなわないよなっておもうくらいに、ソウルに響く。花見好きの夫が先日「日本人のDNAに桜は組み込まれているんだ」と言っていたが、あながち間違っていない気がする。