2025/09/30

たまには叔母と長電話

 久しぶりに叔母と長電話。昨日も今日も、車を運転をして美容室にいき、現役で美容師として働いている叔母、サンタモニカの空の下。「みもちゃんは何歳になったの?」と聞かれたので48だよと答えると、爆笑していた。気がつけば80歳を超えていたと、これからもっと早いわよと言われたが、きっとそうなのだろう。人生はあっという間だから、落ち込んだりしている暇はないし、ずっと勉強だとも言っていた。叔母は「みもちゃん、とにかくものづくりよ、日本人なんだから」という。「戦後19年で東京オリンピックを開催した、そういう歴史があるのよ。アイ・アム・プラウド・オブ・ジャパニーズよ 」とも言っていた。日本語を思い出すのが前よりも僅かに遅くなったきもするけれど、相変わらずキレッキレであった。

じぶんはミシンを踏みお洋服を、感じたことを言葉にして本を作っている。ときどき二本の手を、その先にある手のひらをまじまじとみて、これで仕事をしているんだよなあと思うときがある。お洋服であれば、どんな生地で、どんなカーブを描き、美しさを表現するか。足すのではなく、いかに引けるか。そういうものづくりを、この16年ずっと目指している。
同じくらいに、「言葉」での表現も大切にしていて、言葉の力を信じている。振り返って思うと、ブログが流行っていた当時(2000年から2010年くらい?)は、その人のかく文章を読んで、「この人とは仲良くなれそう、こんな感性の人が好き」と、更新されたものを読むことを、とても楽しみににしていた。実際にそのブログがきっかけで、友人になった人もすくなくない。時代はインスタグムになって、もっと簡易的に言葉をかけるようになった分、たくさんの文字に触れるけれど、ブログの時ほど心を揺さぶられるものはほとんどない。つい先日、そのことに気がついてしまった。短時間でキレイな感じに書けるし、格好よくも書ける。でも、自分の感性に響かないのは、ブログの時と何が違うのか。きっと、時間がちがう。なんでも時間は必要なのだ。ものづくりは、道が果てしなく長く、時間がかかる。形にして表現するには、お金もかかる。加えて、すぐに結果もリアクションも得られない。そういうものだと理解して、それでも信じて続けていくしかないのだろう。人生はあっという間だと叔母はいう。残された時間で、わたしが残せるものはなんだろう。そんなことを、昨日からずっと考えている。

2025/09/26

シルバニアファミリーよりもちいさな世界で

 先日落語にいった。噺(はなし)の前に雑談のような時間があるのだが、そのときにとても印象的なものがふたつあった。ひとつは学校にいけないこどもたちの話。「学校なんてシルバニアファミリーよりもちいさな世界だから、無理していかなくていい」と彼は言った。「外の世界で、自分が好きだとおもえることが見つかるまで探して、それを伸ばした方がずっといい」と。もう一つは、この間ニュースになった、空港の税関職員がお金を盗んだはなし。容疑者は「スリルを味わいたかった」と供述していたが、「落語家になればいいのに、スリルだらけだから」と言って笑った。聞きにいった落語家は桂宮治(かつら・みやじ)さん。化粧品の営業マンを経て噺家になった経歴の持ち主で、営業マン時代は年収一千万くらいだったのが、落語家を志してからは、月収三万になったような人。そんなふたつのはなしを聴きながら、学校にいけなくなった友人のこどもたちの顔が浮かんだ。一人や二人ではないので、この時代の、今の学校のシステムにフィットしない子は一定数いる気がしてならない。彼がいうように、まさにシルバニアファミリーよりもちいさな世界で、気の合う子、好きなことを見つけるのはとてもむずかしい。つまらない、苦しいと感じてしまう今だけの毎日を、なんとかかんとか適当に曖昧にやり過ごして、どうか自分の道を探して、見つけてほしい。それが見つかるまで。

でも、それは学生だけの話ではないのではないか。わたし自身も会社員時代、45歳を迎える数年前から、ずっと悩んでいた。ありがたい環境ではあったが、これがほんとうに自分のやりたかったことなのか、この先も時間を重ねたい場所はほんとうにここなのかと。流されて生きてきた人生だから、自分で決めるのがとても苦手で、卒業を決めるまでにダラダラしてしまったけれど、やっと人生を選択できた。出発が48歳かい!とツッコミたくなるけれど、それもまた人生で、この先どうなるかなんてまだまだわからない。わからない自分の姿を、ひとりでおもしがったり、おもんぱかったりしている。でも、そんな大人はきっとたくさんいる。落語を聞きにいくと、笑うだけではなくて考えさせること、力がわくことがおおい。情けなさの中にある逞しさみたいなものに触れることができるから、帰り道のわたしは、来る前よりも風が吹き抜けて、かるくなっている。

2025/09/22

お見守りいただく

 週末、人生初の狂言をみに国立能楽堂へ。和光高校の同級生で、能楽師・山本則重(やまもと・のりしげ)くんの舞台。当時クラスは違ったが選択授業が一緒で、ユニークなキャラクターが際立ったいたのでとても印象的な人だった。その授業が「舞踊研究」というクラスだったこともあり、人一倍キレのよい舞(まい)を徐々に加速させてクラスの笑いをかっさらっていく、とにかくおもしろい人だった。当時は「能か狂言かのおうちの人らしい」くらいしか記憶していなかった。今回、彼の狂言を拝見してものすごい家系の人だったんだと、30年越しにようやく理解できた。当時は「いしちゃん(あだ名)、キレがあるー!」なんてゲラゲラ笑っていたが、当たり前であった。無知のこわさ。

簡単に言葉にはできないが、会わなかったこの三十年の間に(もっというとちいさな頃からずっと)どれだけの修行や鍛錬をかさねてきたのだろう。伝統芸能を継承していく重圧など、想像すらできないけれど、とにかくその堂々とした姿には、ただただ圧倒された。目を細めたのはご子息とその従姉妹にあたる男の子三人だけの初舞台。お顔がそっくりの、ちいさないしちゃんがそこにいた。パンフレットには、高見(こうけん)という名でいしちゃんの名前が記載されていた通り、その舞台では、いしちゃんが後ろの方でじっと正座をして見守っていた。どんな気持ちなんだろう。
会場にはプロのカメラマンが撮影ではいっていて、そのカメラマンも同級生の平瀬拓(ひらせ・たく)くんだった。平瀬くんとは地元が近い。お互いに高校から入ったこともあり(和光は内部進学の子がおおい)、潮の流れといったらいいか、なんとなく人生の漂(ただよ)いがちかい人なのかなと、記憶にしっかり残っていた。都心からわざわざ遠くの和光高校を選んで通う、そういう人は多くはなかったから。覚えているかなあと思いながら挨拶をしたら、ちゃんと覚えていてくれていた。わたしがタイパンツを縫っていることも、なんとなく知ってくれていた。おおきな体で物腰がやわらかくて、きっと一度一緒に仕事をしたら「またこの人に」と思われるだろうなと、そんな雰囲気をまとっていた。写真の世界で食べていること、素晴らしい。平坦な道ではなかったはず。
最後に「おはなし」という時間が設けらていたのだが、それが本当に愉快な時間だった。さっきまで圧倒的な存在感だった彼が、ふつうのいしちゃんに戻っていた。話はもちろんおもしろいし、愛嬌の良さも相変わらずで、観客の惹きつけ方がさすがだった。心から尊敬したのはその言葉づかいの美しさと所作。「見守っていただく」は使ったことがあったが「お見守りいただく」なんて言葉をさらっと口にする、そういう世界に身を置いているんだなと、改めて。扇子の扱いもなんともうつくしかった。タイパンツ作家としては、いしちゃんが身に纏っているすべての布を近くで見たい!と思うような、遠くから見てもわかる上質なものだった。触ってみたい。公演のあと、同級生みんなでわいわい記念撮影などをして、「あらあ、すてきな大人になって〜」と言い合っては笑い「傷の舐め合い的な?」とか言うからさらに爆笑。主役を遮ってセンターで手を広げて映る者もいて、最高だった。「ずっと続ける」、その言葉の意味を全身全霊でみせてくれたいしちゃんこと、能楽師・山本則重さん、ありがとう。感動した!

2025/09/20

ただ、生きてゆく

 レッドボーンというバンドをしって、狂ったように同じ二曲を聞いている。こういうとき、自分の中に眠っている狂気の沙汰をしる。我ながらこわいけれど、そのくらいに「好き」という想いの情熱がファイヤーしてしまう。<カム・アンド・ゲット・ユア・ラブ>は甘いラブソング。大人になって知ったことは、どんなラブソングも恋人だけではなく、親やこどもへ置き換えて聞くことができるということだ。<ワン・モア・タイム>は家族をうたったもので、どっちもイントロからサビに向かっていく感じとか大好き。ネイティブアメリカンをルーツに持つバンドで、YouTubeでみるとかなり攻めたコスチュームだし変わった感じなのだけど、そういう、クセのあるはみ出し者がだいすきなわたし。昨日はこの二曲をずーーーーーーーーっとリピートしながら父のいる施設へ。敬老のお祝いみたいなイベントがあり、参加させてもらった。米寿のお祝いや、最年長(103歳!)の方のお祝いなど、とにかくみんなでおめでたいをお祝いする会。しらないおじいさん、しらないおばあさん、ハンディのあるひと、その家族、施設の人、おおぜいの人を俯瞰してみていたらなんだか込み上げてくるものがあり、感動してちょっと泣いてしまった。

「長生きしたくない」とか「はやくお迎えが来てほしい」とか「元気で長生きしたい」とか聞く一方で、誰かの死に対して「若かったのにね」とか、人は命にたいしていろんなことをいう。そういう、ほんとうたくさんの乱暴な言葉たちを踏みつけて投げ捨てたい気持ちになった。本心では耳障りだとおもっていたのに耳にしてきた言葉たちが、頭の中でいくつも再生されて、わたしの心はとても不愉快。雑音のように録音されてきた言葉のカセットテープ、全て消去したい。
一本の木がそこにあって、つぼみがうまれる。つぼみのままで茶色く枯れてしまうもの、若々しいつぼみのまま土に落ちてしまうもの、大輪を咲かせるもの、小ぶりに咲くもの、咲きそうで咲かない初々しいつぼみのままのもの。そんなふうに、この世の生(せい)はすべて、ふたつと同じ命はないのだ。誰に頼まれたわけでもなく生まれた命にたいして、元気ですかとか元気じゃなさそうですねとか、ボケたくだけはないとか、現役で立派だとか、テメェは黙ってろと、がたがたうるせぇんだよと腹の底からおもう。命とは、人がとやかくいうものではない。みんな、好きに生きている。その自由を平等に持っているのが命なのだ。またじぶんも、たとえ生き様が惨めでも哀れでも、生き切ることが命なのだと、そんな風に思えない日もひっくるめて、それが命の誇りなんだと、そんなことを考えさせられた。「生きる」ということのすべてを言葉ではなく、生き様でさらけ出して見せてくれる父は格好いい。父はわたしの誇り。

2025/09/19

ヨットロック?

 辻堂と鵠沼のあいだくらいにある、<からみ餅雅(みやび)>を友人に教えてもらって以来、定期的に足を運んでいる。無類の餅好きのわたしなのだが、同じ熱量で餅を食べることを楽しんでくれるお姉様がいて、昨日も一緒に。餅を五個食べ、ロイホに移動してフライドポテトとパフェを食べながら、ずっとダイエットと筋トレのはなし。途中もくだらないはなし。お腹を抱えて笑った。

お姉様はDJとして長くラジオ業界で働いていて、良い意味でかなりの音楽オタク。ここ最近のわたしのShazam(音楽検索アプリ)をみてもらったり、娘がシェアしてくれたプレイリストをみせたり。昨日はAOR(アダルトオリエンテッドロックの略だそう)とはどんな音楽かを質問する。その話から、アメリカだとYACHT ROCKともいって・・・、みたいな話題になり「ヨットロック!? え、ヨット?」と思わず食いついてしまった。それがどんな感じの音楽かもいろいろ教えてくれて、そのうちにロイホでSpotifyを流して耳にあててみたりして。Spotifyのプレイリストを見ると、好きな曲がけっこうはいっていて「ヨットロック好きかも!」なんて騒ぐ。
「わたし、音楽が好きなんだなって最近きづいたんだよね」と言ったのはわたし。6人家族で育って、父はジャズ、姉はR&B、下の姉はジャズ・R&B・ロック・ポップス・レゲエとかなりいろいろな音楽を聞いていて、姉が高校生の頃にはすでにジャズ喫茶にもいっていた記憶がある。ディスクユニオンの袋やケース、タワーレコードのきいろい袋、父や姉がよくぶら下げていたあれらは、音楽好きな人が持つものなんだなと眺めていた。一方で母、兄、わたしは音楽よりも海が好きで日焼けしていて。兄とは波乗りを一緒にしたり、母とはフェリーに乗って島にいったり。そこに、父や姉たちが興味をしめすことはほとんどなかった。
そんな感じの家族で、皆、はっきりと趣味趣向が分かれていた。だからこそ、<音楽好き>というのは、CDやレコードをたくさん買い集めたり音楽にたくさんのお金を注ぐような、ああいう人たちをいうんだなあと勝手に決めつけていた、ずいぶんと長いあいだ。でもいつの頃からだろう、自然と音楽が好きになってきたのは。そのうち、音楽オタクのお姉様のラジオ番組を聞いているとしらなかった曲がたくさん流れ、イントロの数秒で「ん!?」となると「この曲はなんだ!」と、追っかけてアーティスト名とタイトルを調べるようになった。今となっては、爆音で音楽を流しながら作業しないと仕事がはかどらない。昨日は、もともと好きな『ヨット』という言葉が出てきて、そんなカテゴリーがあったのかと、驚きと喜びでわたしの中にある、ライトが点灯した。知らなかった世界の扉が開く瞬間は、いつもカチっと音が鳴るようにスイッチがはいる。その音が鳴ると、わたしの心はわかりやすく踊りはじめる。

2025/09/17

well…

 昨日の朝のこと。ずっと富山のことを考えていて、考えているうちに気がついたらホテルを探しはじめていて、「キャンセルはできるのだし…」と、予約のボタンをポチっとした。その直後、富山で<Hutte(ヒュッテ)>というお店を営む浅野さんに、DMでいくつか質問をしようかなと思ったが、やめた。まだ3回しか会ったことがないし、決まったわけでもない。失礼だなと踏みとどまった。不思議なことというのがたまに起こるもので、昨日、その後わりとすぐに浅野さんから連絡があった。インスタグラムのDMを通じて、「今日の夕方ごろ、鎌倉にいるからいっぱい飲みませんか」とのことだった。数秒で「いきます!」と返事。そんなわけで、二日連続でパブへ。

いつか一緒に呑んでみたいなと思っていた浅野さんなので、とてもうれしかった。声をかけて一緒に行ったママ友とも楽しそうに会話を交わしていた。途中、店内に飾られている写真を撮った、写真家のさいとうゆみさんもいらして、ママ友が彼女を紹介してくれた。なんと、ゆみちゃんも和光の後輩だった!笑 高校の選択授業に<舞踊研究>という変わったクラスがあったのだが、ゆみちゃんもまさかの同じコースを選択していたことが判明。授業で東北地方の踊りを学び、研究旅行(修学旅行ではなく、これが唯一の旅行)で東北へ出向き、現地の高校生と一緒に踊るというかなり変わったクラス。「らっせ〜ら〜らっせ〜ら〜」とわたしが突然いうと「らっせ〜らっせ〜らっせ〜ら〜」とゆみちゃんもついてくる。手にはセンスのようなものを持って踊るのだが、二人とも勝手に体が反応して、おなじ動き。パブでまさかのらっせ〜ら〜、爆笑であった。その後、ゆみちゃんに写真のことで質問をしたり、ストーリーを聞いたりできた。こういう人なんだなあという感性の粒が、キラキラとした瞳、手振り、滑舌のよい口調から、いくつもこぼれ落ちていた。あえて良かった。もう一度くらい、じっくりみたい。
2時間弱いっしょに飲んだ<Hutte>の浅野さんは、はなすとき、なるべく正確に伝えられるように、言葉を探して選ぶような、そんな話し方をする人だった。聞いていると「なんていうんだろう」という言葉を何度か、いや何度も口にしていた浅野さん。最初にあった時から、英語を喋る人の日本語(シュッって音がちいさく聞こえる感じ)っぽいなと思っていたら、海外に住んでいたことを会話の中でしり、ああなるほどと、合点がいった。店を出て駅に近づく帰り道に「英語で話すとき『なんていうんだろう』って、なんて言ってました? ハウ・キャナイ・セイ?」と聞くと「how can i say or …well かなあ」とキレイな英語で浅野さんが言った。そうかあ、well か。なんかぴったりだなあ。お互いのバックグラウンドや、しゃべり方、言葉の選び方を後になって知って、ああ、だから浅野さんの雰囲気や色の好みとか、ドストライクだったんだなあと素直に理解ができた。お酒を交わすというのは、本当にいいものだ。それにしてもこのパブにくると、たのしい出会いや会話が弾む。なんでなんだろう。相性がよい気がしてならない。

2025/09/16

パブで乾杯

 鎌倉・笹目にある<Yorocco Beer Pub(ヨロッコビールパブ) 笹目座>が近頃お気に入り。クラフトビール、ナチュールワインなど、ちがいのわからないわたしの舌なのだけれど、なんだかすっかり好きになっている。オーダーすると、ビールを注いでくれるグラスをひやしてくれる仕草がおもしろい。カウンターから、噴水のように水が出てくるのだ。ついみちゃう。こぶりなお店のサイズ感とか、ビールもいろいろためせてたのしいし、たべものもとても美味しい。あと、コースターがかわいい。

誘ってくれるのはグラフィックデザイナーをしているママ友で、彼女は長くヨロッコビールのラベルデザインの仕事をしている。昨日もご機嫌に飲んでいたら社長がいらして、「あ、あきおくん!」とママ友が声をかけた。二人の会話のやり取りを聞きながら、長い付き合いをうかがわせる、実に楽しそうな雰囲気がよく伝わってきた。途中で、「みもちゃんです。タイパンツ作家なの」と紹介をしてくれたら、「そんな職業があるんですね」と言われたので、「ないとおもいます!」と答えてゲラゲラ。共通の知り合いの男性がこの夏タイパンツをオーダーしてくれて、そんな話を交えてわらう。ビールを作る場をまず作って、次に飲む場も作って、スタッフ雇って、すごいなあ。「好き」が突き動かす情熱。フレンドリーで、芯のある感じで、言葉えらびがまっすぐで、とてもいい感じのひとだった。昨日は、タイの写真展が開催中だった。これまで、飲食店の展示はあまり得意ではなかった(近づいてじっくり見られないから)。けれど、フードもビールもタイの世界で、ここまでやってくれると、もはやギャラリーだと逆にできない世界観だよなあ、なんて良い印象を受けた。場所ってすごい。いろんな表現ができるし、こうして人に出会うことができる。やっぱり場所があるって大切だなあとしみじみ思った昨日のこと。

2025/09/15

誰(た)がために文章は

 三連休、夫と娘の髪を切ったり、念入りにお風呂掃除をしたり。お出かけは映画を見にいったくらいで、比較的のんびり。「うちって連休に旅行とかしないよね」と娘に言われておもったが、確かにそのような概念がないみたいだ。お友達はどこかへお出かけがおおめらしい。

ここに書いている日々の文章に出てくる友人・知人が、この文章を読んでいることは極めて少ない気がする。ママ友に関してはSNSをしてない人がおおいし、している人のインスタグラムものぞいてみたがフォローしなかった。だって、投稿が数年前に一件だけだった。そもそも、彼女たちはわたしのウェブサイトすら知らないのではないか。わたしは誰のために書いているのか、それは自分自身の研鑽のため。次に、言葉を娘に残せたらと思って書いている。娘は最近になって、このサイトへのアクセスを知った。インスタのストーリーズからではなく(12歳はまだインスタのアカウントが持てない)、ウェブサイトへダイレクトにアクセスして読んでくれているようだ。昨晩も、キッチンでお皿を洗ったり拭いたりしているときに「ママ、文章更新した?」と聞いてくるので、「うん」というと、後で読んでくれていた様子。じぶんのことが書かれているのを読むのが、うれしいのだと言う。そんな言葉をありがたく思っていると、「こまかいことだけど、ここちがうよ。『教室の前』ではなく、『放送室の前』だよ」とか「『ホワイトにライトブルー』じゃなくて、『ブルーにホワイト』だよ」など、校正・校閲がはいる。冷静と情熱をあわせ持つばぶちゃんなので、言われてすぐに加筆修正をする作家のわたし。
その昔、師匠で美術作家の永井宏(ながい・ひろし)さんに、「褒めあっても伸びないから、互いに仲間の文章を批判しあいなさい」と言われたことがあった。その作業は<痛い、恥ずかしい、気まずい>の極みなのだが、成長するには必要なことだと、やった人にはわかる。当時師匠に言われたことのおおくを、20年くらいの時間をかけてやっと理解できた気がする。実践できているかと言われたらまだまだだけど、ひとつだけ、自慢したいことを達成できたのはついこの間のこと。師匠はいつも、「小手先でものづくりをするな、作るなら100個!」みたいなことをよく言っていた。以来、100という数字は自分のなかで一つの指針であるが、先日お受けした仕事は、なんと500個だった。「マジかー。手作業で500…」と思ったが、予定を立て、狂いなく同じものを完成させることを目標にコツコツおこなったら、予定よりも少し早く仕事を終えて納品ができた。お褒めの言葉もいただけて、ものすごく自信になった。同時に、真面目な性格のじぶんなので、小手先に関してはますます厳しくなったのも、また事実。
「作家」と名乗るのは、名乗ってしまったもの勝ちで自由だけれど、その名に恥じないものを出したい。それは決して見栄ではなく、作品に対する責任。お客様、あるいは仕事であれば発注してくれた人へ感謝と信頼を、作品にのせたい。適当にやっている人やもの、適当をカバーするために素敵なベールをかぶせているものは、この世にたくさんある。おしゃれで素敵にみせるのもテクニックがいるとおもうが、これだけの情報量、光の速さで物量が溢れては流され、去っては次が飛び込んでくる世の中なのだ。何が大切? それは見えないもの。見えない一生懸命さ、そこに注がれた時間が大事。選ぶ方も目を養わなければいけないし、作り手も、上手い下手ではなく、心を尽くせるかどうかになる。縫いものに関しては、ここ最近やっと「タイパンツ作家です、縫製の仕事をしています」と照れることなく言えるようになった。でも、技術にゴールはないので、もっと丁寧に縫えるようになりたい。さて、言葉はどうか。言葉のほうはまだまだで、だからこうして書いている。言葉は心のどこにあるのか、掘り下げて見つけられるのか、誰かに届けられるのか。続けないとみえない世界が、遠くのほうにある気がしてならない。長く立ち止まってしまう日も含めて、それでもあきらめることはできず、こうして今日も言葉を積み重ねている。

2025/09/12

we are the best

 鎌倉の山側に住むママ友の家までは、平坦な道をひたすらに走って自転車で20分ほど、いやもうすこしかかるかもしれない。とくに訳も理由もないが、一年や二年としばらく連絡をとらない期間があったり、会い始めると頻繁に呑んだりする、そういう間柄。気分屋なわたしにはありがたく、自由を愛する彼女にとってもほどよいはずで、そんな関係も10年以上が過ぎた。保育園の入園前、見学会のときに彼女をみかけた。その日はおおき目な赤いニットを着ていて、カジュアルだけれどセンスの良さそうな人だなというのが第一印象。お遊戯会などをみていた時の、人前での振る舞いを見ていて「きっと気が合うはず」と思い、帰りがけに声をかけて連絡先を交換した。その後しばらく連絡はしなかったが、やがておなじ保育園になり、娘同士のお誕生日が二日違いであることなども相まって、つかずはなれず、以来家族ぐるみでずっと仲良し。

昨日は彼女の友人で占星術をしている人がいるとかで、その人にみてもらおう、という日だった。料理人で後輩のめぐちゃんも一緒に。オープンに、みんなでワイワイみてもらったので、特徴、個性などが丸出しで涙を流す大爆笑だった。いろいろウケたが、わたしは常識の概念が欠落していて、とにかく無駄なことがきらいな人、ということだけはわかった。言われるまで自覚がなかったが、確かに口癖のように、それは無駄、だって時間の無駄だから、お互いに無駄なの、誰も得をしない、など無意識に「無駄」という言葉を連発していることに気がついた。こわーい!(涙)。 なのに買い物が好きな性分で、たびたび無駄使いをしているらしく、お金を稼いでは使う人生らしい。「父のことですか?」と聞き返したかったが、私のことだった。かなしみ。わたしは父といろいろな気質、性質が類似していることもわかった。今では大好きな父だけれど、そうおもえるまで長かったのは、鏡をみていたからということになる。パパ、キツく当たったりしてごめんね。でも、言われるだけのことをしてたよね、なんていまだにおもうことはおもう。かぞくみんなから、ちょいちょい叱られていた大黒柱。でももう、今はすべて超越して、オレ様スタイルだった父を心から尊敬していて、感謝しかない。はかりの針がおもいっきり振り切れていた父。オートマティックで、後(あと)に続くであろうわたし。
終わって鎌倉のイタリアンへ移動し、乾杯。ビール、スプマンテ、白ワイン。笑ったり本音をもらしたりして、いい時間。途中、「サルシッチャたべたい」なんてオシャレなことを言い合っている二人に、「サルシッチャってなに?」とわたし。「ミモさん、サルシッチャはハーブやスパイスなどを練り込んだお肉のことで…」とめぐちゃんがわかりやすく教えてくれた。いい勉強になった。運ばれてきたサルシッチャは、口に含んで噛むと確かに、そのままのお肉とは香りも味もちがった。昨日は一日遊んだので、今日は二日分がんばろう。みなさまも、どうぞ良い週末を。

2025/09/09

Do you remember The 21st night of September?

 「この曲いいよねえ、サビ以外も好き」と娘が言ったのは、<キリン一番絞り・糖質ゼロ>のCMで使われている、アース・ウィンド・アンド・ファイヤーの代表的な曲「セプテンバー」が流れたときだった。夫は同じCMをみていて「糖質オフなんてロックじゃねえよなあ、アニキ!」と豊川悦司が言うのがツボらしく、いつもウケている。同じものを見ても感じ方が違うのが感性というもの。わたしはこの曲が流れると、ただ気分がいい。娘が言うように、イントロも「9月21日の夜のことを覚えてる?」と歌い出すところも、その全部が気持ち良い「セプテンバー」。

娘の感性は愉快。中学校の入学当初に部活紹介があったときも、部活の内容より、ユニフォームの配色について感想をくれた。中でも、ソフトボール部のブルーにホワイトのロゴがかわいかったと言っていたが、運動神経がそこそこで足腰が弱い(すぐに疲れたという)バブちゃんなので、入部はまったく考えなかった様子だった。わたしも、配色にはいつでも目がいく。この色かわいいなとか、この色とこの色の組み合わせはきれいだな、というふうに。それは海をバックに揺らぐ洗濯物を見ていてもおもう。出かける前にハンカチを選ぶときも、ハンカチを取り出したとき、この色だと配色がきれいだなと思って選ぶことがおおい。それは自分がきれいな色を見てたのしんでいたいからで、日常で触れている色、見つめている景色、そういうものが自分自身のタイパンツ作り、布選びに大きく影響している。
今日はケニアの布を扱っている。ビビッドな色彩に黒の縁取りなんてむずかしい組み合わせは、センスが良くないとできない。現地の人の肌の色を想像すると、確かに似合う。ケニアの大地、肌の色、空の青、なんて想いを馳せながらミシンを踏んでいる。70年代のアメリカの曲を聴きながら、ケニアの布をつかい、日本でオリジナルの服を仕立てる。そんな風変わりなことをたのしんでいるじぶんを、結構気にいっている。

2025/09/08

ママの文章

 「ママ、最近文章の仕事した?」と娘が聞いてきた。仕事とはこのブログのことなので、「ここ数日はしてないかなあ」とこたえる。「そっか。ママの文章が好きなんだよね」と娘が言った。わたしの表現に不意打ちで感想をくれて、気分がいい日曜日の朝。「どうやって書こうとおもうの?」と聞かれたので「なんとなく、これ書きたいなって思うことがあるじゃん。そうすると冒頭の文章が浮かんでくるんだよね、あとタイトルが先に浮かぶこともあるよ。文章の終わりはむずかしくて、それはいつも書きながらなんだけど、スムーズに書き終われると気持ちいいんだよね」と言うと「小学校の放送委員の時、原稿を書くときもそうだったなあ」と言う。娘は小学校のとき、放送委員に情熱を注いでいて、とても熱心だった。最後の放送が終わったときに低学年の子が放送室ににやってきて「毎回たのしみにしていました」とお手紙をもらったそう。そのことを今でもとても嬉しそうに話す。面談でも、先生から「これまでの放送とは明らかに雰囲気をを変えたんです。他の先生も言ってますよ」と褒めてもらった。小学校生活で、一番うれしい出来事だった。放送原稿の話の流れで中学校の放送の話しになった。「中学校の放送はあまりおもしろくないんだよ。内容が毎回似ていて、聞いていてだんだん飽きちゃう。ずっと先生の紹介をしているんだけど、飽きちゃったねってクラスの子もいってた」と厳しい意見。やっている方も規律などがあるのかもしれないが、表現において飽きられてしまうのは一番避けたいところ。なんとなく肝に銘じておこうとおもうわたし。

じぶんにとってタイパンツと文章は、やると決めてはじめたものづくりなので、死ぬまで続けていくと決めている。他に続けてきたものもないし、弱いじぶんを、前よりは強くしてくれたものでもある。何も浮かばなくて書けないときも、縫うの疲れるなあ、手が痛いなとおもうときもあるが、なるべく飽きられないよう、怠らないよう、じぶんに正直に仕事を積み重ねていく。手を動かしていく人生、そういう生き方を選んだのだから。

2025/09/05

how to know that what I like

 今朝は大雨だったので、夫を駅まで送迎し、もどって娘に朝ごはんを作り、次は娘の送迎。途中で、おなじくビーチフロントに住むおともだちもピック。海の前に住んでいると、風の向きによっては家を出て5秒くらいでずぶ濡れになるので、送迎は家事の一つになりがち。

昨日は点検にだしていた車を取りに。代車の期間、けっこうな頻度でBluetoothのスピーカーを助手席に置いて車を走らせていた。ガサガサした音でラジオを聴くのもわるくないのだが、やはりApple Musicで好きな曲を聴きたいときもある。こまかいスペックなどは気にせずに選んだ車だけど、買って、乗ってからスピーカーの音が結構いいことを知った。これはいい出会いだった。よみがえってきたのは父の車で、音楽好きの父がいかにスピーカーにこだわっていたのか、今回それをはじめて知ることができた。よく故障していた父の車。だけれど、故障すらも好きの中に含まれているのかというくらいに、父は「坂によわいんだよねえ」なんて平気で言っていた。会話って、案外鮮明に覚えているものだ。エンジンの音、アクセルの踏みかた、少し左右に揺れる父の歩き方、大きめな足音。たとえもう、ずいぶん聞いていなくても。
じぶんの車の好みは、なるべくスピーカーの音がいいこと、車体がちいさいこと、できたら2ドアが良くて、サーフボードが中にいれらることなんだなと、だんだん好みが絞られてきた。遠出もしないし、キャンプも車中泊もしない。散歩の延長、家の続きみたいな車がいいのだろう。事実、我が家かとてもちいさい。この先、もっとちいさくしたいくらいなのだ。好きなものに囲まれる、という表現をよく耳にするけれど、じゃないほうを体験することで、あらてめて好きなものを知ることができる、体感で。外は大雨、白とグレーに包まれた空と海。ワイパーが必要なほど、窓に打ち付ける雨。

2025/09/03

mama, I am proud of you

 東京へ。鹿児島から従姉妹がきており、姉といとこ、わたしの三人で母に会いにいく。従兄弟は学生時代に東京で暮らしていたこともあり、当時から母を慕ってくれていて、母も従姉妹を可愛がっていた。昨日は4人でのんびりとおしゃべり。またくるねと玄関でバイバイをするとき、施設の方に声をかけられ「おかあさまは昔から穏やかだったんですか?」と聞かれた。「そうなんです、母から褒められますか?」とふざけて聞くと「労(ねぎら)いの言葉しかかけられません。いつも、なにをしても『ありがとう』って言ってくれます」と言われた。ああ、こんな会話はわたしにとって生涯の宝物だなと、心の中にあるノートにペンを走らせる。母はそんな会話も、わたしが渡された言葉もしらない。こんな人生をおくれたらいいなと、心底おもった。おおきな評価ではなく、誰かの笑顔をつくる人生。誰にも知られないようなちいさな称賛。それすらもじぶんの手ににぎりしめず、どんどん配っていくような人生。「親切にしてもらったら、お返ししなさい。同じ相手じゃなくてもいいのよ、めぐっていくから」と母はよく言っていたが、その言葉をふと思い出した。その後三人でお茶をしていたのだが、長女に対しては、母はもっと厳しかったよね、という話になった。確かに兄と長女に対しては「きちんと育てなくては」、という意識があったのかも知れない。わたしは四番目の末っ子なので、そのような意識も薄れていたのだろうか。あるいは母自身に変化があったのか、もはや知る由もないが、違う視点で育ててもらった感じがある。正解ばかりの子育てではなかっただろうと思うし、若くして結婚した母には母の苦労もあったはず。両親から譲り受けたものはたくさんあるので、忘れないうちに言葉に残していきたい。自分自身に無意識にインストールされたものを、娘がまた、彼女の感性で受け取っていく。そうして手渡されていくことで、わたしたちの短く、しかし尊い命が続いていく意味は、秋のように深まっていくのだろう。紅葉する木々の葉は、やがてはらはらと落ちていく。それでいい。わたしたちは言葉をつかってもいいし、使わなくてもいい。肉体が存在しても、しなくてもいい。過ぎ去っていった言葉、笑顔、風景、そういうものを思い出せる心こそが永遠の光であり、それをきっと、人は豊かさとよぶのだろう。

2025/09/01

結婚詐欺?

 毎年のことだが、8月31日の娘はこわい。着替える余裕もないのかパジャマ姿で、朝から夜まで宿題と格闘している。書けない作家が締め切り直前にホテルで缶詰状態、みたいな殺気である。一つに結(むす)んだロングヘアもボサボサで、ビジュも全然いけてないご様子。同級生のLINEのストーリーズ(インスタが使えない12歳はこれが主流)をみては「いいなあ、リア充だなあ。なんではやく宿題やらなかったんだろう!涙」などぼやく。昨日はApple Musicで天国と地獄をBGMにし、自らを奮い立たせていた。夏休み明けの本日、滑り込みセーフを感じさせない涼しげな様子で、かわいくポニーテールをして登校。オンとオフのはげしいバブちゃん。

昨日、夫とテレビを観ていた時のこと。番組に本棚が出てきたとき「あ〜読んだなあ、おもしろいんだよねえ」と言ったのをわたしは聞き逃さなかった。結婚して21年、夫が読書をしている姿を見た記憶がないので、てっきり本を読まない人だと思っていたのだ。「え! どういうのを読んでいたの?」と聞いてみたたはものの、言われた全部の作家名が一人もわからなかった。その後よーく思い出してみると、付き合った当初、確かに夫の部屋には本棚のようなものがあったことが、映像として鮮やかに蘇ってきた。
付き合う前は映画館をハシゴして一日に三作品観るような人だったらしいし、本も好き。加えて一人で美術館に行くほどアートも好きだった夫。そういうことはぜんぶ興味がなかったわたしは、心底趣味の合わない人とお付き合いしたことになる。出会った時はヨット部のOBという仮面をかぶっていたので、てっきり海の男だと思っていた。若かったわたし、騙されたんだわ! 一方、当時二十歳だったわたしはいっときだけのギャルブームが到来。都会的な女性が好きだった夫は、うっかり勘違いしてわたしとお付き合いをスタート。ヒールなどのキレイな服ブームは一瞬で飽きてしまい、夫も好みの女性とはかけ離れた人と付き合っていたことになる。思い込みと勘違いからスタートして、結成28年のオレたち。
一緒に暮らす中で、アジア好きだった夫を無理やりハワイ好きにねじ伏せたわたしと、美術館など一生行くことがなかったであろうわたしを、旅先で必ず美術館に連れていく夫。結婚、それは歩み寄りなのかも知れぬ。娘はそのうちに巣立っていくわけで、夫婦は基本譲りあいと小競り合いを繰り返しながら、いきていく。お酒、旅、海、波乗り、ヨットと、かぶる趣味を大切にしながら、これから先も末長く。