2026/05/29

息を止めて縫う仕事

「午前中、息吸ったっけ?」とおもうくらいに緊張する裁断をし続けて、午後はひたすらにアイロンと縫製。OEM(Original Equipment Manufacturing)は先方の指示書通りに、おなじものもひたすら縫う。どうしたらもっとはやく上手にできるか、効率を考えながら手を動かす。必死に縫っていてたら、18時をまわっていた。空が明るいから、夏は集中していると仕事の時間がうしろにおしてゆく。
キッチンでビールを呑みながらドライカレーを作った。BGMはジェシ・エド・デイビス。こんなに適当なのにこんなに美味しく作れるの天才だな、とおもうような味に仕上がった。クミン、コリアンダー、ターメリック、ガラムマサラなど、適当に入れるだけなのだ。サラダはラディッシュ、枝豆、にんじん、あと忘れたが適当に野菜をスライスしたものを入れて、塩とリンゴ酢、粒マスタード、オレンジがあったのでそれを絞って、少しだけハニーと、胡椒とオリーブオイル。オレンジを絞った残りは、白ワインと炭酸で割ったものにいれてスプリッツァーに。
これから検品をして、無駄な糸などが出ていないかの最終チェック。請求書を発行して発送すればOKなはず。今日は午後から打ち合わせで来客あり。天気が良くて良かった。皆さんも素敵なフライデーを。

2026/05/28

つよくたくましい女の子たち

 織り作家の中島寛子(なかじま・ひろこ)ちゃんと、バッグ作家のCANOさん、鎌倉でご飯屋を営む<sahan>さんとタイパンツ作家のわたし、4人で鎌倉散歩。はじめましてのメンバー4名で遊ぼうと提案したのはわたしで、きっと気が合うのではないか、とおもったからだった。

鎌倉宮で待ち合わせをして、瑞泉寺へいった。寛子ちゃんが子供のころによく足を運んでいたという、おばあちゃまが暮らしていた瑞泉寺エリアを探索。お家は現在もしっかりと残っていた。しかも、建物は古いのに、びっくりするくらいきれいなままそこに存在していた。寛子ちゃんの目に映っているのはセピアカラーなのか、モノクロなのか。あるいは当時のままの鮮明さなのか。風が頬を撫でるくらい、木々が揺らす葉っぱの重なりの音までも思い出しているくらいに。様々な角度から家を眺め、うっかり怪しい人だと思われてもおかしくないくらいに覗き込んだりしていた寛子ちゃんの動きは素直で、それがとても愉快だった。
瑞泉寺に足を運ぶのははじめて。拝観料の200円を払って中にはいった。紫陽花や山吹が咲きほころびはじめたとことで、梅の木はたわわに実がなり、目にも美しい。途中、藤棚の下にベンチがあった。谷から風がかけあげってくるような気持ちのいい場所で、休憩をした。そこでのことだった。先日、寛子ちゃんが「みもちゃんに似ている女の子が出てくる絵本がある」というようなことを伝えてくれていた。昨日、寛子ちゃんはその絵本を持ってきてくれていた。『まゆとおに』というタイトル。手渡して貸してくれるのだとおもっていたら、「ここで読み聞かせしようかな」と言い、わたしたち三人に読んで聞かせてくれた。
絵本は見た目も内容もなんともあいらしく、「わたし、この子に似ているのかあ」と、うれしかった。読み聞かせてをしてくれているとき、「ああ、この日のことをきっとずっと覚えているだろうなあ」と心が言った。何十年かして、この中の誰かが死んでしまったとき、あのとき楽しかったなっておもうだろうなと、なぜかわからないけれど、すごくそうおもった。小学校で読み聞かせのボランティアをしているという寛子ちゃんは、さすが上手だった。大人になって絵本を読み聞かせしてもらっておもったが、こんなに贅沢なものはない。ちいさな感動すら覚えた。
お昼ご飯をどこで食べようかと話してたら、寛子ちゃんが大町の<オイチイチ>にいきたいと言い出した。なんでも古い知り合いだそうで、「え〜そこ繋がってるの!」と驚きを隠せないまま、お店へ。わたし自身も、店主の女性を街中や近所の邦栄堂市場(製麺所の敷地内でときどきマーケットが開催される)などでお見かけするたび、感じのいい人だなとおもっていたので、いつかお店に足を運んでみたいとおもっていたのだ。渡りに船であった。カウンターに座ってご飯をいただきながら、たくさん話を聞いたり喋ったりして、すごくいい時間はあっという間に過ぎた。次は、寛子ちゃんとCANOさんが住む横浜方面の妙蓮寺・白楽エリアで遊ぼうと約束を交わして、解散。

わたしと<sahan>の店主は30歳前後で湘南で出会ったが、寛子ちゃんとCANOさんも、同じような時期に不思議な巡り合わせで横浜で出会って以来、ずっとお友達なのだと言っていた。二人のそのときの感じ、知らないはずなのに、よく知っているような気がした。わたし達も、そんな出会い方をしたからだ。
あの頃の自由な感じ、何者でもない浮遊感、夢を見て、夢だけを語る感じ。あの日から今日に至るまで、しんどいこと、もうやめたいとおもったこと、みんな何度もあったはず。じぶんも含めて、よくがんばったね〜と労いたい気持ちだった。昨日、寛子ちゃんはピンクのタイパンツを穿いてくれていた。数年前に縫ったもので、妙蓮寺の<本屋・生活綴方>でタイパンツ展をさせてもらった時の作品だった。コロナ禍もあったし自分自身の体調もしんどく、当時は色々と大変なことが重なっていたけれど、それでも細く長く、なんとか頑張って続けようと這うような感じで縫っていた当時のことを思い出した。寛子ちゃんのタイパンツ、たくさん穿いて、たくさん洗っている様子が布からよくわかった。クタッとしていて、感じが良かったから。

ものづくりは、やっぱりいい。続けることはしんどいことの方が圧倒的におおいけれど、作品が、こうして時々自分を励ましてくれる。続けていればたまーにいいこともあるもので、ご褒美のような瞬間がある。なんでも、はじめたら最低でも、クソミソになってでも、10年くらいはひとまずやってみることだ。そうすると、ふっと、月の光や太陽が顔を見せてくれる。遊びが本気になったのは、自分はそのあたりからという実感がつよい。遊びは楽しいが、本気はしんどい。仕事ってそういうことだとわかるまでに、ずいぶん長い時間がかかった。人生は続く。だから大丈夫。後半戦も、わたしらしくコツコツと頑張っていくのみ。今日も、明日も、ずっと、ずっと。




2026/05/27

モノと目が合う

 昨日はチャハット鎌倉店のヘルプ最終日。諸事情によりレギュラーのスタッフが不在で、その穴埋めやら葉山でのポップアップのお手伝いやら、シャチョーの仰せのままに、西へ東へ奔走した一週間。
大竹シャチョーは、弊社のオリジナルの布を作る際にもインドの工場との間に立ってくださり、多大なご協力をいただいている。気がつけば知り合ってから、お付き合いもながい。ものづくりの、自営業の先輩でもあるシャチョー。尊敬しているところ、学びたいとおもうところ、たくさん。根底に愛のある人だから、少しでも役に立てたらという気持ちだ。
昨日はやたらと忙しく、週末以上にてんてこ舞いだった。せっかく代打で行くからには1枚でも、1円でもおおく売上に貢献したいと、チャハットオリジナルのパンツを履いていった。これがまたよく売れた。履いているわたしがおもうが間違いなくいいものなので、お客様にとってもハッピーがパスされたこととおもう。
店は老朽化により、まもなく取り壊しがはじまる。現店舗での営業は、あと少し。「最後にもう一度これてよかったです、そのために来ました」なんて感想を伝えてくださるお客様もいらした。それだけ丁寧に積み重ねたきたことが、ここにあるのだろう。同じ通りの並びにある<sahan>の店主も、お店を閉めてからやってきてくれた(水曜日は16時閉店)。おしゃべりしていたら、「パンツと目があっちゃった」と手に取り、試着し、買っていってくれた。ホワイトとブラウンのストライプに裾がフリルのパンツ。昨日彼女がはいていたナイキの白のエアリフトとも似合っていた。「目があった」という言い回しがとてもいいなとおもった。ものと目が合う。そういう感覚でお買い物ができる人は、お買い物上手な気がする。人もものもそんな感じで、合う人は合うし、合わない人とは一生合わない。せっかく合った人やモノを、大事にしたい。

2026/05/26

ものもらい

 眼科へいってきた。やはりものもらいだった。免疫力が落ちているそうで「よく食べて、よく寝てね」と先生。日頃からよく食べてよく寝ているのだが、もっとなのか。イレギュラーな仕事がはいると、脳も体も違う動きになるから、疲れるのだろう。
帰宅して布を洗って干して、ちょっとだけと横になったらうとうと昼寝していた。起きたら布も乾き、太陽の角度も変わっていた。寝てスッキリしたが、もう仕事をする気にはなれず、5時くらいからベランダに出て、ビールを呑んだ。そうこうしていたら娘が帰宅。ビールを2本呑み終わりそうなそうなタイミングで「ママ、そろそろ夕飯の支度してもらっていい? 陽も落ちてきたし」と言われて「はーい」と部屋へ。こちらの様子をうかがって見てくれていたのかと、出来る子だなとしみじみ。
今朝早くにチャハットのシャチョーからライン。「目はどうですか?」とのこと。今日のお店番も頼まれていて、なるべく閉めずに開けてあげたいとおもっていたので、「大丈夫ですよ」と返事。とはいえまだぽってりしているので、今日もグレーのサングラスでお店番をする予定。

2026/05/25

通り過ぎてゆくバースデー

 お世話になっているチャハットの大竹シャチョーが困っている。たびたび困っている様子だが、今回こそは本当にピンチで、人手が足りない感じ。
平日は葉山のポップアップへいき、週末はチャハット鎌倉店のお店番。土曜日は、誕生日を返上で店番をしてきた。そんな噂をどこで耳にしたのか、シャチョーが<カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ>のコーヒー豆を持って「おめでとう〜」とやってきてくれた。シャチョーは、とてもいい人なのだ。
慣れない商品を扱って接客するのはむずかしいけれど、持っているものもまあまああるし、わからない時は曖昧に接客せず、「ちょっと待ってもらえますか」といってシャチョーに電話し、遠隔で教えてもらった。帰宅したら、夫と娘が夕飯からバースデーケーキ、ビールを注ぐまで上げ膳据え膳で、毎日誕生日ならいいのになあ、なんておもうような嬉しい晩餐。ケーキは鎌倉・雪の下の<VANNILA>のもの。アップルパイとショートケーキ。
で、昨日です。起きたら左目が出目金のように腫れていた。数年ぶりにものもらいになった。イレギュラーなことが続いて、疲れも出たのだとおもう。目以外は元気だったので、昨日は薄いグレーのガラスが入ったサングラスをしながら接客。鎌倉店は海外の人もおおくて、もっと英語を使うかとおもったが、そうでもなかった。ハワイから来た、という若い夫婦(とお腹の中にいるベイビー)と、少し言葉を交わす。
お仕事をふっていただいているバッグのOEMや、自分の仕事も溜まっているし、なんだか忙しい。暇が取り柄の俺様、どこへいった?でも、お世話になっている人が困っていたら、微力でも役に立てるのは嬉しいことだ。個人事業主や小規模事業者にとって、お店の休業や売上が止まるのは死活問題なのを知っている。湘南にきてたくさんの人に出会って、皆さんにめちゃくちゃお世話になって今があるので、恩を返していきたい。しかしながら、まずはこの出目金をなんとかするべく、今日は眼科へ行ってくる。

2026/05/22

恩返しのような気持ちで

 いろんな仕事をふってもらって、本当にありがたい。さまざまな縫製はもちろん、販売や接客などで困ったときも、声をかけてもらうことがある。お誘いは、なるべく断らずにいくようにしている。普段からお世話になっている人たちなので、恩返しできたら、という気持ちだ。
昨日一昨日はチャハットの展示で人がたりないとのことで、急遽、葉山までいってきた。初日は忙しく、昨日はあいにくの雨だったが、ひとつひとつ、自分にできることはなんだろうと考えながら手を動かし、接客をした。
今日はこれから別の方からOEMで縫製をご紹介いただいたので、その受け渡し。また別の方からはドレスの依頼もあり、頭の中があっちにこっちにと動いていく。明日からは、急遽チャハットの鎌倉店の店番をすることに。数日なのか、しばらく続くのかは未定。シャツも縫わないといけないし、BRANDINの準備もある。できることを優先順位を考えながら順番に一個づつ。心を込めて、丁寧に。

2026/05/20

タイニーなスペースで

オーダーいただいたトップスを縫い上げ、発送を終えてから打ち合わせで<BRANDIN>へ。
昨日は店主のひろみさんとゆっくりおしゃべりをしつつ、諸々の確認を終えて、最後にもう一度お部屋を見させていただいた。「次に来るのは6月6日、楽器の日」、心の中で唱えてドアを閉じる。
元々のお部屋が素晴らしいのであまりいじりたくはないけれど、少しだけ自分の色も加えたい。どんな空間にできるだろうと、想像している。流したい音、眺めていたい色、自分が好きなもの、ちいさな空間に身を置くたのしみを想像して、ワクワクしている。


2026/05/19

うれしく緊張する依頼

 「みもちゃんにこういう仕事をお願いしたいんだけど、できる?」と聞かれると、どきっとする。依頼のほとんどは、大抵やったことがないものばかりだからだ。話をうかがって、勉強になりそうだなとおもえて、先方の期待に応えたいとおもえたら、「やらせてください」とお返事をするようにしている。ここのところ、そういう縫製関係の話が続いていて、緊張は続くが、お仕事をいただけるのはありがたい。上手に縫える人はこの世にたくさんいるのをよく知っているからこそ、「わたしでいいのか」と思うが、そういう弱気なことは言わないと決めている。心を鬼にする。どんなこともやってみなければわからないわけで、向き不向きなんて、やりながら考えるしかないのだ。

昨日は写真家の杉江篤志(すぎえ・あつし)くんが昼前から来訪。必要があって、縫製作業をしている普段の風景をカメラで撮影してもらった。一番シンプルな、白のタイパンツを縫うところを撮ってもらったのは、白を縫うのがいちばん好きなのもあるが、シンプルな方が失敗もしないだろう、と思ったことも大きい。ところが、である。たとえ気心知れたい人であっても、人に見られると緊張するもので、途中の工程を一部間違ってしまった。で、解いて縫い直した。そんな凡ミスは10年以上一度もないので、初心忘れるべからず、と神様からメッセージをもらったような気持ち。
時間ギリギリいっぱいまで、物撮りなどもしてくれた杉江くん。作業を終えて、娘のとわたしの自転車二台で、材木座の<ミルコーヒー・スタンド>までペダルを漕いだ。遅いお昼をさっと食べて、コーヒーを飲んだ。店主の女性と杉江くんは、10年ぶりくらいに会うようだったが、楽しそうに言葉を交わしていた。昨日、写真を撮り終えた後に「納得のいく写真が撮れていなかったら、また撮りにきます」と言った杉江くんの気持ち、よくわかる。縫製に関しては、私も同じことをおもうから。

2026/05/18

セッションとは

 昨晩は葉山の<ラ・マーレ>で開催されたライブへ。
ギタリストのペティート・カイさんと、ドラマーの沼澤尚(ぬまざわ・たかし)さんのDUO。海外からのサプライズゲストもあり、華やかな演奏。湘南ビーチFMプレゼンツのライブ、竹下由起さんがお知らせをしてくださり、この日を楽しみにしていた。
びっくりしたのは、ほとんど休憩がなくずっと演奏が続くこと。楽譜などもなく、呼吸を合わせて音を奏でるもの。演奏されている人の楽しそうな笑顔が印象的だった。「セッション」という言葉は知っていたけれど、それを生で見て、肌で感じ、言葉の意味を理解したのは昨夜がはじめてだった。
会場は、10年ぶり、いやもっとかもしれない友人・知人もお客様として何名かいらして、「みもちゃんだよね!」とか、「笑顔が変わらないからすぐわかった!」と声をかけてくれたおじさまもいて、嬉しい再会もいくつかあった。
この場にいたかもしれない人が、何人かはもう天に召されているんだな、ふと数人の顔が浮かんだ。だからこそ、お互いが生きていて、再会できることが一層に嬉しかった。「光」ではなく、「灯(あか)り」という言葉の方がしっくりくるような感覚が心に灯(とも)った。とてもいい夜だった。

2026/05/16

船出を助けてくれる人

あたらしいことをはじめるとき、記念に「もの」を買う。BORN FREE WORKSをはじめたときは、『ウッドストックの小さいって大きないのち』という本を買った。ギャラリーに置いておいて、大切なものはなにかをいつでも確認できるように。
来月からの<BRANDIN>で、再びあたらしいことをはじめるにあたり、ふと、「あの空間にランプがあるとかわいいな」とおもった。オーダーを依頼したのは、サーフボードの修理・製造を生業にしている<BIRDS CREATION>の小玉譲二(こだま・じょうじ)くん。
サーフボードを作る工程で出るグラスファイバーの廃材から生まれたランプがあるのだが、その不思議な形と色合いは他で見たことがなく魅惑的で、以前から「いいな、素敵だな」と眺めていた。ランプの打ち合わせを兼ねて昨日、ジョージくんが家に来てくれた。言っていた時間よりもずいぶんあとにひょっこりやってくる感じ、さっきまで海で潜っていたらしく、海で拾ったというものを手にして玄関に立つ姿は小学生のようだった。その全部が、ジョージくんだった。以前、彼は隣の部屋に住んでいたことがあるので、窓の外に広がる風景をおおいに懐かしんだり、感嘆していた。
七里ヶ浜で軽いランチをして、茅ヶ崎の<BRANDIN>まで車を走らせて、場所をみてもらった。はじめて<BRANDIN>を訪れたジョージくんは、空間と店主の宮治夫妻のお人柄に触れて「すごくいいね」と、言ってくれた。まっすぐな大きな目で、ゆっくり頷くしぐさ。
「ランプのサイズや色は任せるから、あとはよろしくおねがいします」と伝えると、「みもちゃんのために頑張る」と言った。「そのセリフ、10年前にも聞いたね!」と、思わず笑った。<BORN FREE WORKS>のこけら落としのときも、企画展でジョージくんにお願いしたのだ。あの時も、真っ先に頭に浮かんだ。「なんか作って!二ヶ月後に展示をしたいんだよ」と。無謀なことを言った自分を振り返って、「あのときは本当にごめんね」と、思い出して大笑い。

船出のときは、緊張もするし、不安もある。
船を出せるのか、走れるのか、港に戻ってこれるのか、いろんな種類の不安がある。そんな時、ジョージくんの顔が浮かぶ。「常識では」とか「普通はこう」、みたいなことからはだいぶ遠いところにいる人だけれど、本当に困ったとき、無意識に頼りにしているのだろう。決して見せないけれど、たくさんの苦悩や苦労や痛みを重ねた分だけきっと、その全てを光にして放っている。
店内はほどほどに混んでいた。「こんなにみんながくつろいでいるお店、すごいね」とジョージくんも言っていたけど、私もいつも、本当にそう思う。だからこそ、ここでやらせてほしいと思ったわけで、「間違いない」と思えたことが嬉しかった。温かいチャイを飲んで、くだらない話にゲラゲラと笑って、ゆるんで、眠くなって。
店を後にして134号線を走り、家まで送ってもらった。開け放った窓、ハンドルを握るジョージくんのほうから、助手席に座るわたしの窓のほうへと、潮風が通り抜けていく。Tシャツ、顔、髪、気まぐれにかき乱して、駆け抜ける。海面に反射する太陽の光を「ダイヤモンドみたい」と彼は言った。ランプはいつできるのか、どんなものができるのか。そのぜんぶがわたしの宝箱の中に入ったような、午後のこと。

2026/05/15

ミシンを踏むとき

 毎日ミシンに向かっているけど、上達は簡単ではなくて、うまく縫えない。パターンなんて、本当に上達が感じられず、ただただむずかしい。気分転換に昼ご飯をつくり、簡単に済ませ、食後にすこし散歩をしたりして、また気を取り直す。
ロックミシンの前は海が広がっていて、だんだん曇ってきたなと思ったら雨が降り始めた昨夕。天気の移り変わりを肌で感じながら、ミシンを踏む。音楽に耳を傾けながら、手を動かす。五感の全てを、縫うことに注いで。


2026/05/14

鎌倉で乾杯

 昨晩はDAILY by LONG TRACK FOODSの馬詰さんと鎌倉で乾杯。バリとマレーシアのお土産があったので、お茶でもどうですかと朝にラインをすると、早めの夕方に軽く一杯呑もうとなった。馬詰さんと会うときは、たいていいつも当日に決まる。そういうことが苦手な人もいるとおもうが、お互いにそういう方が楽なタイプなのだとおもう。
<ペローニ>というイタリアの生ビールの次は、台湾のパイナップルビールを呑みながら異国の料理をつまんだ。旅行のお土産話、お互いの近況報告などをたくさんして、馬詰さんが<BORN FREE WORKS>をはじめたばかりのことや、師匠の永井宏さんの話題にもなり、ゲラゲラわらった。やれやれという話もぜんぶまとめて夜の帳に開放させて、早々に解散してほろよいで帰宅。とてもいい夜だった。
なぜかわからなかったけれど、馬詰さんがわたしのインスタグラムをたまたまなのか見てくれたようで、「開襟のシャツがかわいい、あれをオーダーしたい」といってくれた。お互いにインスタグラムのアカウントは持っている。けれど、たぶん馬詰さんは全然更新をしないタイプだろう。わたしのフォローもしていないはずだが、わたしもフォローをしていない。そこに、特に意味はない。たまたま流れてきたわたしのインスタを見てくれたのかもしれない。いずれにしても、シャツは目下励んでいることなので、素直に嬉しかった。「タイパンツを16年縫い続けてきたから、シャツも16年くらいは没頭するはずです」と言って、二人でわらった。
世界中のテイラーという職業に尊敬を抱いている。縫製のゴールは紳士服のジャケットではないかとおもうが、時間的に間に合わない気がすると言って、またわらう。「ジャケットは別にいいんじゃない?」と馬詰さん。確かにそうかもしれない。もうすぐ49歳、ここから16年シャツに没頭したとして、65歳。そこからジャケットを学び始めたとしたら、80をこえてやっと納得いくかいかぬか、そういうスピードの性格なのだ。
アイテム少なすぎアパレル選手権では、結構いい線いくはず。コレクションが変わらない、というのが弊社の個性のひとつであります。さて、今日もこれからシャツを縫う。

2026/05/13

とおくと、ちかく

 マレーシアを旅した際、お世話になった歳の離れた友人が「もうブログ書かないんですか?」と聞いてきた。娘にも、久しぶりに会った作家の友人にも言われた。とおくで、ちかくで、読んでくれている人がいるんだなと、うれしく、ありがたい気持ちだ。ブログは記録として書き続けたいと思っていたので、アナログでコピペしてブロガーに持ってきた。これからも自分のペースで書いていく。どうぞご贔屓に。
日本に帰ってきて、たった10日くらいの不在だったのに、街にゴミがないこと、地面の綺麗さ、ご飯の美味しさなど、いちいち感動している。そんなに日本食好きだったっけ?と自分自身に問いかけたいくらいに、お刺身、白米、冷奴、湯豆腐、お味噌汁などせっせと作っている。仕事もあれこれ溜まっているので、せっせとこなしながら、日常を取り戻している。

2026/05/11

旅からもどって

インドネシア・バリ島と、マレーシアの旅から戻ってきた。
クアラルンプールで駐在員として暮らす、元同僚のKちゃんに会いにいくのが目的だったが、せっかくならバリも行こうよと欲張って言い出したのは夫。波乗りにリゾートホテルと、バリ島を目一杯楽しんでから、都会のマレーシアへ向かった。

Kちゃんファミリーは、クアラルンプール空港のお迎えを皮切りに自宅に宿泊させてもらったり、ガイドさながらにきめ細かくケアをしてくれて、ただただ感謝の一言だった。アウトドアブランドの修理部で一緒に仕事をしていた当時、正直そんなに親しかったわけでもないし、Kちゃんは歳も9歳若い。振る舞いや仕事の仕方などを見て、真面目ないい子だなと思っていたが、海を超えて会いにいくほどに突き動かされたのはなぜだったのか、その答えを見つけたような旅だった。
ご主人は現地の日本人学校で教鞭(きょうべん)を執っている。10年ほど前に一度だけ会っていたが、その頃と比べて、先生として、親として、顔つきが何倍もたくましくなっていたのが印象的だった。当時も素敵な感じの青年だなとは思ったが、この旅でゆっくり言葉を交わし、日常を垣間見て、その人間的な魅力に素直に納得ができた。Kちゃんは二人の子育てと慣れない現地での生活に日々奮闘しているのだろうと思う。朝早く起きて、ご飯を作り、上の子を送迎をし、間髪入れずに下の子を送迎をし、あっという間にお迎えの時間がやってくる。今は自分の時間など、きっとほとんどないだろう。本人は悩みも迷いも、この先の不安もあるかもしれないが、とてもいい顔をしていた。まずもってしっかりと家族を見つめ、自分にしかできない仕事をこなしていて、足元がとても安定して見えた。

当初、GWは娘と二人でカリフォルニアの叔母のところへ行ったらどうか、と夫に提案された。経済的にも三人でいくより二人の方がいいのではないか、とのことだった。そんなの全然楽しくないじゃん、とわたし。娘にも聞いたら、同じ答えだった。それだったら、みんなでマレーシアに行こうよ!と提案をしたのはわたしだった。
現地で暮らす友人に会いたかったのももちろんあったが、娘に「こんな暮らしをしている人もいるんだよ」というのを見せたかったのだ。娘が小学校の時に大好きだったM先生は、和歌山からやってきた男性の先生。二人の子育てをしながら、時に厳しく時に優しく、愉快で、オシャレで、わたしも大好きな先生だった。そのM先生と、Kちゃんの旦那さんが、いつもどこかでクロスオーバーしていた。関西人で、二人のパパで、歳も、家族構成も、二人はとても近かったのだ。娘にもそのことは話していたので、「M先生みたいに、日本で先生をする人もいるし、Kちゃんの旦那さんみたいに、海外で日本の先生をする人もいるんだよ」と説明はしていたが、実際に暮らしを拝見して、娘にとっても世界が広がったようだった。もちろんわたしも、夫も。
16年ぶりのマレーシアに、9年ぶりの海外は、縮こまっていた心と体がぐーんと大きく伸びをしたような、気持ちのいい時間だった。マレーシアはイスラム教の習慣で、トイレにハンドシャワーがある。紙を使う代わりにシャワーでお尻を流す。最初は戸惑う日本人も多いとは思うが、せっかくお邪魔しているのだしと、ホテルでトライしてみた。最初はコントロールが難しかったけれど、なかなかいいものだった。街には「アザーン」といって、礼拝の時間を告げる音が、一日に何度か鳴り響いた。
マレーシアはスクランブル交差点のようにいろんな国の人が住んでいて、宗教も違えば、肌の色も、食事も、様々な様式が混在していた。母国語が英語ではないから、お互いの英語やイントネーションを理解しようとする優しもたくさんあった。また旅にでたい。そのためにも仕事を頑張ろうと、とっても前向きな気持ちになって帰国できたのは、旅のおかげ、現地の人のおかげ、なにより、Kちゃんファミリーのおかげ。今日からまた、わたしはわたしの国で、わたしにしかできないであろう仕事を、コツコツと頑張っていこう。