織り作家の中島寛子(なかじま・ひろこ)ちゃんと、バッグ作家のCANOさん、鎌倉でご飯屋を営む<sahan>さんとタイパンツ作家のわたし、4人で鎌倉散歩。はじめましてのメンバー4名で遊ぼうと提案したのはわたしで、きっと気が合うのではないか、とおもったからだった。
鎌倉宮で待ち合わせをして、瑞泉寺へいった。寛子ちゃんが子供のころによく足を運んでいたという、おばあちゃまが暮らしていた瑞泉寺エリアを探索。お家は現在もしっかりと残っていた。しかも、建物は古いのに、びっくりするくらいきれいなままそこに存在していた。寛子ちゃんの目に映っているのはセピアカラーなのか、モノクロなのか。あるいは当時のままの鮮明さなのか。風が頬を撫でるくらい、木々が揺らす葉っぱの重なりの音までも思い出しているくらいに。様々な角度から家を眺め、うっかり怪しい人だと思われてもおかしくないくらいに覗き込んだりしていた寛子ちゃんの動きは素直で、それがとても愉快だった。
瑞泉寺に足を運ぶのははじめて。拝観料の200円を払って中にはいった。紫陽花や山吹が咲きほころびはじめたとことで、梅の木はたわわに実がなり、目にも美しい。途中、藤棚の下にベンチがあった。谷から風がかけあげってくるような気持ちのいい場所で、休憩をした。そこでのことだった。先日、寛子ちゃんが「みもちゃんに似ている女の子が出てくる絵本がある」というようなことを伝えてくれていた。昨日、寛子ちゃんはその絵本を持ってきてくれていた。『まゆとおに』というタイトル。手渡して貸してくれるのだとおもっていたら、「ここで読み聞かせしようかな」と言い、わたしたち三人に読んで聞かせてくれた。
絵本は見た目も内容もなんともあいらしく、「わたし、この子に似ているのかあ」と、うれしかった。読み聞かせてをしてくれているとき、「ああ、この日のことをきっとずっと覚えているだろうなあ」と心が言った。何十年かして、この中の誰かが死んでしまったとき、あのとき楽しかったなっておもうだろうなと、なぜかわからないけれど、すごくそうおもった。小学校で読み聞かせのボランティアをしているという寛子ちゃんは、さすが上手だった。大人になって絵本を読み聞かせしてもらっておもったが、こんなに贅沢なものはない。ちいさな感動すら覚えた。
お昼ご飯をどこで食べようかと話してたら、寛子ちゃんが大町の<オイチイチ>にいきたいと言い出した。なんでも古い知り合いだそうで、「え〜そこ繋がってるの!」と驚きを隠せないまま、お店へ。わたし自身も、店主の女性を街中や近所の邦栄堂市場(製麺所の敷地内でときどきマーケットが開催される)などでお見かけするたび、感じのいい人だなとおもっていたので、いつかお店に足を運んでみたいとおもっていたのだ。渡りに船であった。カウンターに座ってご飯をいただきながら、たくさん話を聞いたり喋ったりして、すごくいい時間はあっという間に過ぎた。次は、寛子ちゃんとCANOさんが住む横浜方面の妙蓮寺・白楽エリアで遊ぼうと約束を交わして、解散。
わたしと<sahan>の店主は30歳前後で湘南で出会ったが、寛子ちゃんとCANOさんも、同じような時期に不思議な巡り合わせで横浜で出会って以来、ずっとお友達なのだと言っていた。二人のそのときの感じ、知らないはずなのに、よく知っているような気がした。わたし達も、そんな出会い方をしたからだ。
あの頃の自由な感じ、何者でもない浮遊感、夢を見て、夢だけを語る感じ。あの日から今日に至るまで、しんどいこと、もうやめたいとおもったこと、みんな何度もあったはず。じぶんも含めて、よくがんばったね〜と労いたい気持ちだった。昨日、寛子ちゃんはピンクのタイパンツを穿いてくれていた。数年前に縫ったもので、妙蓮寺の<本屋・生活綴方>でタイパンツ展をさせてもらった時の作品だった。コロナ禍もあったし自分自身の体調もしんどく、当時は色々と大変なことが重なっていたけれど、それでも細く長く、なんとか頑張って続けようと這うような感じで縫っていた当時のことを思い出した。寛子ちゃんのタイパンツ、たくさん穿いて、たくさん洗っている様子が布からよくわかった。クタッとしていて、感じが良かったから。
ものづくりは、やっぱりいい。続けることはしんどいことの方が圧倒的におおいけれど、作品が、こうして時々自分を励ましてくれる。続けていればたまーにいいこともあるもので、ご褒美のような瞬間がある。なんでも、はじめたら最低でも、クソミソになってでも、10年くらいはひとまずやってみることだ。そうすると、ふっと、月の光や太陽が顔を見せてくれる。遊びが本気になったのは、自分はそのあたりからという実感がつよい。遊びは楽しいが、本気はしんどい。仕事ってそういうことだとわかるまでに、ずいぶん長い時間がかかった。人生は続く。だから大丈夫。後半戦も、わたしらしくコツコツと頑張っていくのみ。今日も、明日も、ずっと、ずっと。