2026/02/28

音を楽しむ

 一昨日のお酒が残っていて、昨日は一日廃人であった。二日酔いのだるさもどこか懐かしいくらいで、学生時代から妊娠するまでは数々やらかしてきたわたしなので「久しぶりだね」と、旧友に再会したような気持ち。

なんだか目がかゆい、喉もイガイガするかもと、数日前から娘が言い出したので夕方に鎌倉の耳鼻科まで連れて言った。短いドライブではあるけれど、運転が好きだからいい時間になる。エンジンをかけると、車に内蔵されているBluetoothスピーカーがわたしのスマホに自動で接続されるので、さっきまで聞いていたプレイリストがそのままかかる。娘の世代はTikTokでいろんな曲を知るようで、わたしの好きな70年代の曲なんかも意外とよく知っていたりして、それがほんとうにいい。世代を超えて、時空を超えて、親子で同じ音にノレる、語れる、シャウトできるなんてこと、誰も教えてくれなかった。一番くらいにおもう、親になってよかったと。ボーイズ・タウン・ギャングの『キャント・テイク・マイ・アイズ・オフ・ユー』(邦題は『君の瞳に恋してる』)がかかったときなんて、イントロから「キタキター!」という感じで二人で縦に揺れたし、サビでは横に揺れた。夕方の人がおおい時間帯、材木座の交差点で信号待ちをしていたから、自転車を跨いでとまっていた人は、あの親子、どうしたんだろう、一体何を聴いているんだろうと、不思議に思ったかもしれない。
わたしは車でよく歌うので、娘はそれを普通に聴いている。ジノ・ヴァネリというアーティストの『アイ・ジャスト・ワナ・ストップ』という名曲がある。昨日の車内ではそれも流れた。一度聴いていただければわかるとおもうのだが、サビに繰り返し出てくる「ストップ!」の部分は熱唱せずにいられない美しい旋律を奏でている。昨日もわたしが熱唱していると、ロマンティックなサックスが流れる間奏のあたりで「ママ、何をストップって言っているの?」と娘が聴いてきた。歌詞を全部知っているわけではないけれど、こんなに素敵なメロディだから恋愛を歌っていない訳がないし、恋人への愛とか、止められない想いとかだろうね、と伝えた。帰ってから、自分も気になってApple Musicで歌詞を調べたら、モントリオールで過ごした恋人との日々、街明かりなどを思い返しながら忘れられない、決して忘れることなど出来ない想いを歌っているラブソングだと、はじめて理解した。
娘から聞かれること、頼りにされることのパートは決まっている。勉強や塾や英検や地理や歴史などは夫、料理や裁縫やスポーツや一人旅や英語や修理全般はわたし、娘もちゃんと使い分けている。なので、せっかく聞いてくれることはちゃんと答えたいという気持ちがある。「別に誰に褒められなくても関係ないし」と思って生きてきたけれど、娘に「すごいね」と言われるとなんかものすごくうれしいのだ。母に「みもちゃんはすごいわね」と褒められるのとはまた全然ちがう種類の喜びが、体の奥のほうから芽生える。自分でも知らなかった部分に光が当たったような、そんな感覚。「ママかわいいね」もよく言ってくれるので、その度に「お化粧品やネイルや香水をもっと買おーっと!」と、単純におもってしまう。先日も、朝起きたばかりのわたしを見て「ママかわいいね」と娘が言った。「髪がふさ〜っとして金髪で、ライオンのあかちゃんみたいだね」と言って頭を撫でた。わたしよりも背が高い娘。あれはいささか変化球だったけれども、ぜんぶ受け止めてあげるよ。
昨日、花粉症かどうかの血液検査をしたそうなのだが、「たいして注射も痛くなかったし、血って、おもっているよりも赤じゃなくて、黒っぽい赤なんだなっておもった。これが自分の中に流れて頑張ってくれているのか、すごいなあっておもっちゃったよ」と言っていた。「赤血球ちゃんでしょ」とサラッと言ったが、わたしを超えているのは身長だけではないことを知り、驚きを隠せなかった。注射、あんなに恐ろしいものはない。健康診断の採血は毎回騒いでしまうし、痛くないように耳たぶを爪で押してもっといたいところを作り、目を思いっきりつむって「こわいこわいこわい!」と唱えてしまう。採血が終わると「大丈夫ですか、たてますか?」って言われる。あの瞬間がいちばん恥ずかしい。どういう顔をすればいいのかわからないから。父も注射が苦手だった。歯医者でも、父とわたしだけが騒ぐと先生から言われたっけ。変なところが色濃く遺伝しているのだが、パパ、わたし、娘、わたしたち三人、みんなそれぞれに音楽がだいすきってところは見事にそっくり。遺伝ってほんとうにおもしろい。

2026/02/27

部活、それは積み重ねるもの

 吞み会のことを「部活」と呼ぶママ友がいる。はじめて聞いたときは腹を抱えて笑ったが、あれからずっと気に入って、折に触れてつかっている。昨日はビアフレンズの杉江篤志(すぎえ・あつし)くんと約束をしていて、町田へ。藤沢駅からの小田急線が各駅停車だったこともあいまって、外気が吹き込み車内はずっと冷えている。こんなに寒いのにビールは無理かも、そうおもった。

茶華道部の娘は、ときどき「今日、部活どうしようかなあ、テストも近いし」なんてことを朝に言っては、参加を迷う日がある様子だ。それでも、なんだかんだでいくことがおおく、帰宅すると「やっぱり行ってよかった」という。お抹茶も綺麗にたてられるようになってきたらしく、その他の所作も先生から褒められるようになったそうだ。部活は積み重ねただけの結果がでる、そう言うことなのだろう。誰と戦うわけでもない、自分との戦い。昨日の自分を、今日のわたしが超えていく。
前回、杉江君に教えてもらった<町田ノイズ>という店を大変気に入ったので、昨日もそこで待ち合わせ。バスでやってきた杉江くんが先にいてくれて、ランチの前にまずはビール。次もビール、そのあとランチ。からのカットバックして、またビール。練習熱心な我々。店を出て、杉江くんの案内で町田駅周辺をぷらぷらし、おもしろい商店街みたいなところ、住宅街などを経て、芹沢公園へ。そこにある町田市立国際版画美術館へいった。まず建物がとても素敵だった。加えてロゴや、グラフィックの配色センスなどもとても良く、帰り際にスーベニールショップでポストカードやアートブックを購入した。そのあとも園内をのんびり散歩。途中、得意のバードコールを取り出してちいさく鳴らしてみたら、町田のバーズは控えめにアンサーしてくれた。
コーヒーでも呑もうかと言いつつ、結局またクラフトビールのお店でビールの飲み比べセットを頼んだ。それで帰ればいいのに、そのセットから最も気に入った味のビールを普通サイズで頼み、昨日の部活はコンプリート。町田へ向かうとき、行きは「すぐだな、近いな」とおもう。しかし、帰りです。まず、時間が想定よりも遅すぎる。そして頭をよぎるのは家族のこと。娘に「遅くなってごめんなさい」とラインをし、夫よりは1秒でも早くゴールすることを目標設定にして、気持ちを切り替える。そして、タッチの差でゴールテープを切ったわたしは、夕飯を作って夫に「おかえり」も言えた。事前のラインで娘に「内緒にしておいてね」と口止めしておいたので、お利口な娘は何ごともなかったかのように振る舞ってくれた。お風呂も掃除して沸かし、入浴まで済ませていた。可愛い上に、よくできた子。昨日の夕飯は、くたっとしたキャベツとチキンの、スパゲティミートソース。一昨日くらいに作ってあった残りのロールキャベツを鍋に(ぶち込むように)そっと入れて、上から(叩きつぶすように)やさしく崩し、ホールトマトをインして終わり。ありがとう、一昨日の丁寧なわたし、ガサツなわたしが感謝をした昨晩。さて、金曜日。みなさまも、どうぞ素敵な週末を。

2026/02/26

面接ごっこ

 マカロニえんぴつの『恋人ごっこ』という曲がすごく好きだ。カウントをとるイントロもいいけれど、ボーカルの声のせつなさや吐息、湿度を帯びた声色が、女子のハートに刺さる。わたしは「ごっこ遊び」が趣味のひとつで、中でも面接ごっこは得意中の得意。

ママ友のYちゃんは医療従事者で、昨日は久しぶりの有給なんだといって家にやってきた。娘の保育園時代からのママ友で、付かず離れずに仲がよい。ビールが好きなYちゃんだが、締めは赤ワインを呑みたい人。お料理があまり好きではないとはっきり言うところがかわいくて、そのかわりにお掃除が得意。家はいつお邪魔しても、水回りから床にいたるまで、ピッカピカ。昨日は冷えたビールをたくさんと、焼肉屋さんの手作りキムチをもってきてくれた。無理して手料理を持参しないところが、正直ではなまる。
保育園にはいって割とすぐの保護者会で、「自己紹介を兼ねて、お子さんの名前の由来を発表しましょう」というのがあった。Yちゃんの順番になったとき、Yちゃんはとても落ち着いた低めの声で話しはじめた。夜中から明け方に向かう時間帯に陣痛がきたときのこと、車窓から見えた暗がりの町の風景に散りばめられた「あかり」と「ひかり」の違い、その言葉の選び方、ニュアンスがなんとも詩的で、「なんてすてきな感性の人なのかしら! はい、合格!」と、心の中で丸をつけた。悪趣味だと言われたら否めないが、無意識に面接ごっこをしてしまう癖がある。お友達になりたい人、好きになりそうとおもう人、残念ながら今回はご縁がありませんでしたね、その採用・不採用を、頼まれてもいないが、心がオートマティックにしてしまう。店長、社長、人事、そういうポジションになったことがないし、この先もないと思うから実際の面接をすることはきっとないのが残念でならないほど、研鑽だけは積み重ねている。
昨日はおでん、春菊の白和え、ミニトマトのピクルス、油揚げと大根の炒めもの、枝豆のキムチをつまみながら、昼から夕方までダラダラ呑んでいた。なんの話の途中だったか「みもちゃんて、今ならどういう人が好きっておもう? クールな人を好きになったことってある?」と聞かれた。「ないね。クールっていうタイプの人にまず出会ったことがないし、これまで身近にいなかったから」と間髪入れずに答えた。するとYちゃん、「でも、けんようさん(夫)って、クールじゃない?」と言われて、呑んでいたビールを吹き出しそうになってしまった。「クールってなあに?」と念の為確認してみたのだが、喜怒哀楽があんまりでなくて、落ちついていて、感情の波がすくなくて…みたいなのを聞いていたら、それはまさに夫のことだった。笑いがとまらなかった。出会ったことがない、身近にはいないと言い切っていた自分の節穴加減には、いささかびっくりである。
医療従事者であることも多大にあるとおもうが、Yちゃんに会って彼女の死生感に触れるたびに、こんな人に看取ってほしいとふと想ってしまう。想っているだけだったが、昨日は「Yちゃんに看取ってほしい〜」と言ってしまった。低い声で「いいよ〜」と言って笑うYちゃんがだいすきだ。この文章を書いていることも、わたしがSNSをしていることも、何も知らないYちゃんは、今日も人の命にそっと寄り添っているにちがいない。

2026/02/25

Wine Stain and What I Think

 テーブルクロスが好きだ。汚しそうでこわいとか言われることがあるけれど、汚したってぜんぜんいい。洗えばいいし、洗っても落ちない赤ワインの染みなんて、なおのこといい。探して、触れて、眺めてしまうくらいに。

夫は毎晩、ビールのあとに必ず赤ワインを呑む。かわいいデキャンタみたいなのをいつの間にか買っていて(夫はお買いものがだいすき)、瓶からわざわざそれに注いで呑んでいる。夫がグラスに注ぐたびにデキャンタの縁から赤ワインがつたって、テーブルにワインのシミをつくる。日本のプロダクトだと「液ダレしないデザイン」、なんていうキャッチコピーをときどき見かけるけれど、この子は堂々とたれている。どこの国のものなのかと気になって、いまさっき瓶をひっくり返して見てみたら、ちいさく<ITALY>と書いてあった。夫が選んだのも、デザインがおおらかなのも、なんだか妙に納得した雨模様の今朝。
今日はこれから来客の予定。あの子はビールも好きだけどワインも好きで、おでんがいいのか昨晩のロールキャベツの続きがいいのか、そんなことを考えている。終日雨が降るのだろう。ずっと寒そうだから部屋の中だけはせめて、あたたかく。すこし散ってきた菜の花が、より一層堂々と美しく、咲き誇っている。

2026/02/24

まず、書類がとおらない

 受けたことがないので知らなかったが、英検というのは一度で終わりじゃないらしい。一次試験をパスしても、二次試験があるそうだ。その合否もメールでくるシステムらしい。先日、娘から「ママ、英検受かったかって、もう知ってる? あ、でもきっと知らないよね。あとで(パパに)聞いてみるから大丈夫だよ」と流れるような口調で言われた。確かに知らなかったが、返事をする余地もなく会話は終了。夜に夫が確認すると一次試験はパスしていたようだ。数日前、郵送でもその通知が娘宛てに届いた。次の会場は前回の高校とは別で、某大学でおこなわれるそうだ。娘はそれをとても楽しみにしている。「キャンパスってどんなところかたのしみ!」とのこと、なんでもたのしみなお年頃の様子です。妄想が趣味なのは、ママ譲りかもしれない。

一ヶ月くらい前のことだった。夫が「みもちゃん、これ受けてみれば?」といってみせてきたのは、鎌倉の、観光案内のアルバイト募集のおしらせだった。月8日程度で、日本語と日常的な英語がしゃべれること、多少のPCができることが条件だった。英語はまあ、たぶんなんとかなるだろう。勉強にもなるしいいかもしれいないと、素直に応募してみることに。書類は郵送かハンドキャリーだったのだが、夫に「みもちゃんは手で持っていったほうがいいよ」と言われて、素直に持参した。で、一昨日です。結果のメールをひらく、速攻で落選しているではないか。やっぱりなー、という気持ちなのは、昔から本当に書類が通らないのだ。たぶん、就職活動から換算したら30社ではきかないくらいに落ちている。字が汚いからかしらと当時は思っていたが、昨今はPCで履歴書もつくれるわけで、それでも落ちるのだから、きっとそこじゃないのだろう。転職歴の多さか、英検などの資格がないからかもしれない。待って、最近伸ばしているこの髪、ロン毛の茶髪に加えて色黒が仇(あだ)となったのかなど、家族で敗因を想像するが、正解はわからない。「みもちゃんも英検受けてみれば?」と夫に言われたけれど、「うーん、あんまり興味ないからいいやー」と答えたわたし。縁がなかったね、ということで笑い話でおしまい。さて、そんなわけで今日も、じぶんで仕事を作ってゆく。それ以外、わたしの目の前に道はなし。

2026/02/23

手紙を書くような気持ちで

 ここに書き残している文章を、誰が、何人が読んでいるのかしらない。調べる方法もあるのだろうが、興味がないからしない。インスタグラムのストーリーズにポストはするが、そこについた足跡の人が読んでいるとも限らない。それも、全然気にしない。日々は忙しいし、近くの遠くのお知らせもおおい。目も疲れちゃう。それで普通、それが普通。

昨日、『Life is beautiful』というタイトルで書いた文章に、ハートマークがひとつあった。ときどきあることなので、あ、この人が読んでくれたんだな、なんておもって眺める。昨日もそんな感じでちらっと見たら、そのマークの主は、なんとすぐそこにいる娘だった。これは、はじめてのことだった。
最近の中学生は、インスタグラムのポストはしないけれどストーリーズは使うことがおおいらしい。娘は最近になってわたしのアカウントのフォローをしてくれたそうだ。「ストーリーズにリアクションしてくれてたね」と言うと「うん、いい文章だったよ」と言った。なんだこのうれしい気持ちはと、自分でも驚いてしまった。それは、人から評価されることが嬉しいというのとよく似ているけれど、厳密には違うとすぐに気づいた。心のどこかでいつも、この文章は自分のために、次に娘のために書き残している気持ちで綴っているからだと気づいたのだ。たとえば娘が毎日チェックして、毎日おなじようにリアクションをしてきたらなんだか不気味だし気持ちが悪いような気もする。けれど、そうじゃないからこそ、昨日は届くものがあってうれしかった。
今日の夕飯はメヒカリの唐揚げ。魚よりも断然肉派の娘だが、「これは美味しい!」とたくさん頬張っていた。昨日のリアクションみたいに、やっぱり嬉しいわたしの心。あなたに手紙を書いたよ。うん、読んだよ。そんなふうに、お返事をもらうみたいなのが、一番いい。じぶんの表現を、知らない人にたくさんではなく、優先的に近くの、ちいさなところに先に届けたい。それが縫い物でも、料理でも、文章でもいいのだけれど、まずは身近な人に手渡していきたいと、そんなことをここのところ想う。すごくつよく、想っている。
今日、相談があり久しぶりに三輪舎の中岡祐介(なかおか・ゆうすけ)さんと長電話をした。ずいぶん久しぶりだけれど、お互いの想っていること、考えていることはとてもそばにあった。忙しそうなのに、相変わらずに親切でグッときてしまった。中岡さんに限らず、軸をぶらさずにおなじことを続けてきた人から学ぶことはおおい。
若いときはあっちこっち手を出したい時期もあったし、変化をつけたいとか、もっと違うこともできるのではないかなんて、そんなことばかり思っていたが、最近、ほんとうにそのような考えはじぶんの中から消えた。いらないものはどんどん削ぎ落としていきたい気持ちが強い。そしてやっと、少しはじぶんのことを褒められるようになった。腐りそうになっても腐らずに縫ってきて良かった、誰が読むんだろうと思いながらも書き続けてきて良かった、そんなふうに。この賞賛は、他の誰かからもらういいねがいくつあっても、決して得られなかった。それを知るまでに、こんなにも時間がかかると、若い頃のわたしは知らなかった。だからと言ってここがゴールではなく、気づけたからまた、スタートなのだ。トラック、2週目。少しづつ、次のイメージを描いている。今年はそれをひとつひとつ、行動にうつしていく。そういう年にするって、もう決めている。

2026/02/20

life is beautiful

 「日曜日は夕方までテレビをつけない」という暗黙の約束は、娘が産まれる前からあった。それは、夫が聞きたいラジオ番組<shonan breeze>が昼から夕方まで、湘南ビーチFMで毎週6時間あるから。加えて、朝早くにはわたしが好きな落語家さんの番組<これが宮治でございます>がTBSラジオであり(早すぎてなかなかリアタイできない)、家族が起床して朝ご飯のあたりではFM横浜の<SHONAN by THE SEA>を流し、10時からはTBSラジオにもどって<安住紳一郎の日曜天国>へとうつる。娘はそれが日曜日の当たり前となっていて、別に何も言わない。興味がないときは、イヤフォンで別のものを聴くこともある。ワンルームだけど、イヤフォンがあれば結構ストレスなく、プライベート空間を確保できる、これはほんとうにほんとう。

土曜日の昨日、用事があり久しぶりにひとりで長谷を歩いた。<三留商店>でおいしそうなはちみつが売っていて、二つで迷って、結局二つとも買う。ひとつは、はちみつの巣のような形のままで、ゴロっと入っているもの。帰ってみせると、娘が「これ、スリービーハウスで食べたよね!」と言った。数年前、福岡・糸島の<bbb haus>というホテルに宿泊したとき、モーニングでそれに似たものを確かに食べた。甘党の夫と娘は、それをたいそううれしそうに頬張っていたっけ。「あそこで『フォークとナイフ、上手に使えるんですね』って言ってもらったよね」とも言っていた。わたしはまったく覚えていなかったが、そういう言葉を、言われた人は覚えているものなのかもしれない。言葉ってすごい。言っている方は無意識であっても、受け取る側は凶器にも、薬にも、毛布にも、なんにでもかたちを変えられるんだ。身が引き締まるような気持ち。
バードコール(鳥を呼ぶ道具のようなもの)を買って以来、朝夕とベランダにでて、それをちいさく鳴らすのが日課になった。きれいな鳴き声を返してくれる鳥もいて、ちょっと天国みたいだって本当におもう。朝は鳴き声とともに朝焼けを、夕方は明るい月を、焼けていく空を、鳥と一緒に眺める。「キレイだね」って一緒にしゃべっているような、そんな気持ちになる。美しさをつくる、美しさを眺める以外に、人生でできること、残せることって他に何かあるのだろう。見渡してみるけれど、みつけられない。そんなふうに思わずにいられない。この気持ちをうまく言葉にできないけれど、「できない」って安易に口にしないで、掘り下げて、見つめ続けて、言葉にできるような人になりたい。そういう日常を繰り返すことを、宝ものだと思えるような自分でいたい。傷つきやすい繊細さ、すぐに揺れる心の振動、高まったり弱ったりする鼓動。そんな自分を、昨日とおなじくらいに明日もきっと、そっと愛でていけますように。

頼もしい、リペアマンたち

 風邪が流行っているらしい。先方の体調不良で打ち合わせが延期になった今日、他でもチラリホラリと耳にする。うがい手洗い、何より休養と休息です。今週は気になっていたことを片付けようと、冬のうちにメンテナンスしたいものをもっていったり。

波乗りでつかうウェットスーツは、子安に工房を構える<m-stance>の長嶋さんにつくってもらっている。首の部分にすこしダメージができてしまったので、そのメンテナンス。見せにいくと、そこまでひどくないからと、ボンドで無償で修繕してくれた。亀裂がはいってダメになったら、首の部分だけまるっと交換するリペアになるそう。ボンドが乾くまで10分位とのことで、そのまま待たせてもらう。お互いにミシンを使って仕事をするので、最新のミシンについて、ほしいミシンについて、熱く盛り上がってたのしかった。長嶋さんは、元気な声がよくとおる気持ちのいいひとで、信頼ができる。
そのまま坂をのぼったところにある、<BIRDS CREATION>の小玉譲二くんのところにも顔をだす。ジョージくんはサーフボードの製造と修理の仕事をしている。いっとき、部屋がたまたま隣だったことで知り合ったのが15年前。オーダーで頼みたいことがあって、その相談。と、先日、北参道の<LABOUR AND WAIT>で買ったバードコール(鳥を呼ぶ手のひらサイズの道具)を見せたかったのだ。ジョージくんならきっとわかってくれるのではとおもったが、わたしの熱量とおなじくらいに一緒にたのしんでくれて、めちゃくちゃうれしかった。おじさんとおばさんがちいさなバードコールを交代で鳴らして、鳥の鳴き声に耳を澄ませるという平和。子安のバーズたちはノリがよく、コールアンドレスポンス、アンサーもたくさんでコールしがいがあった。
予定がぽっかり空いた今日は、鵠沼海岸に店を構える<Philson’s Shoe Repair (フィルソンズシューリペア)>まで車を走らせた。夏に気に入って履いているカンペールのサンダルのメンテナンス。と、何年か前に買って使っていた、処分するか迷っていたイルビゾンテの財布を、やっぱりメンテナンスしてつかうことにしたのだ。濃いグリーンがキレイで選んだし、今買い換えようとおもってもわずかにモデルチェンジをしているから、おなじデザインではない。覚えていないし調べてもいないが、為替の関係や物価高も含め、価格も購入当時とはちがうのではないか。いずれにしても、好きなものは信頼しているプロになおしてもらいたい。そこには時間とお金をいくらでもかけたいわたしなので、今回も全面的にお任せで。レザーはクリーニングや色の吹き付け?みたいな工程も加わるみたいで仕上がりがたのしみ。
フィルソンズの山森さん、あんまり目をあわせてくれないところも毎回嫌いになれず、というか寧(むし)ろ誠実にすらおもえるくらいになっている。靴を見て、靴を手にとって、「そうですよね」って、よく靴に話しかけている。でも、最初にいったときよりもたくさんおしゃべりをしてくれるようになったのと、何年か前にAlden(オールデン)の靴の話をしたことを覚えていてくれた。うれしかった。急に親しくなろうとする感じとか、土足でふみ込まれるのがとっても苦手なわたしなので、このくらいにすこしづつのほうがいい。長嶋さんもジョージくんも山森さんも、それぞれに動きやすそうなおようふくをきていて、じぶんの作業場で手を動かしている。冬なのに半袖だったり、七分だったり。ジョージくんはよく、シャツのカフス部分をマスキングテープでタイトにホールドしている。作業中に袖が落ちてくると気になるのかもしれない。それが絶妙に、彼のスタイルを作り上げていて個性的。みんな実直で、格好つけていなくて、他のだれとも似ていない。そんな彼らを、格好いいなと眺めている。そういうリペアマンたちが、わたしはすごく好きだ。応援しているし、たくさん助けてもらっている。大変なこともおおいとおもうけれど、続けてくれていて、ありがたい。わたしもがんばろうとおもわせてくれる、大切な存在。

2026/02/17

I LOVE JAPANESE FOODS

 生まれ育ったのは高田馬場という街。駅からほんのすこし坂をのぼった、歩いて7〜8分くらいの場所。学生街でしょ、住むとこあるの? となんども聞かれてきたが、幼い頃は本屋も肉屋も花屋もあり、スーパーも普通にあった。時代の移り変わりで個人店はどんどんなくなってしまったけれど、そんな中でも健在なのは(たぶん今も)豆腐屋だった。

わたしの父は、今でいう「食育」にはめちゃくちゃ熱心だった。父が食べさせてくれるもの、父の言う「美味(びみ)だろう〜」は、確かに美味しいものばかりだった。服や靴や車はイタリー(こう言うのだ)一択だったが、食だけは違って、朝も夜も和食を好んだ。海苔は<山本海苔店>の味付けじゃなくて焼き海苔が好きとか、鮭の瓶詰めは<加島屋>で、ハラスの粕漬けは四谷の<魚久>の切り落としが好きとか、書くとキリがないがとにかく食いしん坊で、美味しいことにこだわりまくっていた。日本橋の高島屋と、ロイヤルパークホテル(こっちはソーセージやハム、デニッシュ系のパンを好んでいた)をこよなく愛していたので、よく立ち寄っては、美味しいものをしこたま買い込み、たくさん食べさせてくれた。薔薇の花が描かれた高島屋の紙袋、ピンクのチューリップのようなお花が描かれたロイヤルパークホテルの紙袋をぶら下げた父が車から降りてくると、「わー、なんだろ!」なんておもったものだった。鮮魚は通勤途中の道で見つけて以来、早稲田の魚屋を信頼してずっと通っていた。鮮度を保つために車のトランクにはコールマンのちいさなクーラーバッグを入れて通勤していて、直前で刺身などを買って帰宅。で、毎晩ながい晩酌がはじまる。
そして豆腐です。豆腐は近所の豆腐屋を贔屓(ひいき)にしており、わたしは母に頼まれて、よくおつかいへいったものだ。リクエストは圧倒的に絹どうふで、たまに豆乳をかった。数年前、実家をでて何年もたったある日、たまたまお豆腐屋の前を通ったときのことだ。あの当時と、そうおおきく変わらない、当時から美肌だったあのおじちゃんが、相変わらずに豆腐屋に立っているではないか。肘までまくった袖、冷たい水にさらされた赤い手のひら。当時から時が止まっているかのようで、びっくりした。どんな広告よりも、ダイズイソフラボンのパワーを感じずにはいられなかったわたしだ。
前置きが長くなってしまったけれど、今、わたしはあの日の父のように豆腐屋に夢中なのである。きっかけは、「生おから」というものに興味があり、歩いて行けなくはない場所に豆腐屋があったことを思い出して出向いたことだった。その日、切り落としの油揚げも一緒に買ったのだが、とにかくどちらもが衝撃的に美味しかったからだ。「えー!」とおもい、以来凝り性なので頻繁に再訪している。昨日もいった、今日も行くかも。だってあんまり日持ちがしないのだ。「フードスロスコーナー」というのがあって、いくと大抵いつも、何者かがそこに鎮座している。今日までの命のものもいくつかあるので、食べられる分だけ選んで連れて帰ることも。好きになると全メニュー制覇したい熱狂的なタイプのわたしなのだが、今、めっちゃはまっているのががんもどきなんです。ごぼう、しらす、しょうが、などなど色々あって、トースターで焼いて生姜醤油で食べる。「えー、ふわふわ〜!」となって、ビールや燗酒を呑む。日本人でよかったなー。ファッションやアートはアメリカが大好きなわたしで、昔はハンバーガーとかも大好物だったけれど、年々日本食が好きになってきた。皆さもぜひ、騙されたとおもって近所の豆腐屋へ。豆腐もさることながら、揚げ物にも挑戦してみてください。飛ぶぞ。

2026/02/16

干物に夢中

 魚よりは圧倒的に肉のメニューが多い我が家だが、なんとなく、今年は魚を多く食べたいなとおもっていた。近くに魚屋があるので、お刺身を食べたいときは買いにいくし、近年は三浦の野菜も置いてくれているので、たびたびお世話になっている。これまではお刺身か、焼き魚くらいしか頭になかった。その日も買い物へいくと、店のおじさんに「じぶんで干物つくったらおいしいよ」と言われた。「え!干物!?」とおもったが、聞くと確かに簡単そうだしと、その日は鯵の開きを3尾購入した。戻って、濃いめの塩水に一時間つけて、水で洗い流し、水気を拭いたら干す、夕方には食べられるとのことだった。で、実食。これまでの干物はなんだったんだ? と思うくらいにふっくらしていて、衝撃的なおいしさだった。凝り性なので、翌日すぐに干し網をかった。その日を堺に、わかりやすく干物生活に突入している。晴れていれば何からしらのおすすめを買って干す、夜食べる。その繰り返し。イカ、カマス、金目鯛、サヨリなど、魚屋さんのおすすめに素直に従っている。「今日も干物?」と魚屋さんに笑われる。「凝り性な性格なんです」と答えるとみんなに爆笑された。その魚屋は娘の同級生の家族が代々営む、家族経営の魚屋なのだ。「昔は干物もやっていたから、大変だったよ。満月の夜だけが嬉しかった。鯵の揚がる量がが少ないの」と教えてくれたのはおばあちゃんだった。へえ。

魚もいいが、イカの一夜干しも相当に衝撃的なおいしさで、こんなに柔らかくて良いのか?というくらいにソフトで美味しい。燗酒との相性が最高。娘は肉が大好きなので、別でお肉を焼いたり、好物のカジキマグロの漬けを焼いたりもしているけれど、夫とわたしは干物に夢中になっている。読んでくださっている皆さんもぜひ、騙されたとおもって一度やってみていただきたい。キッチンペーパーで魚の水気を拭くとゴミがたくさんでそうだし(ゴミ捨てがだいきらい)経済的じゃないので、手拭いで水気をとっている。すぐに洗わないと臭いが残りそうだから、お湯や水や塩などでじゃぶじゃぶ洗って、干しカゴのそばで一緒に手拭いを干す、というところまでがワンセット。別の家事や仕事をしながら難なくできるし、保存もきく。最高である。おなじタイミングで、豆腐屋の豆腐とがんもどきと油揚げとおからにハマっている話は、また今度。

2026/02/15

表参道から、北参道へ

 「きっとことりさん好きです」と連絡をくれたのは、北参道にある<TAS YARD>の店長を務める杉江篤志くん。ビールを愛するビアフレンズでもある。シェアしてくれたのは、彼が肝入りで企画したというライブだった。『浮とズビズバー』という二組のライブで、お知らせを読むと、土曜日の17時からとのことだった。どうしようかなあとおもっていたのは、まずあまりライブに行ったことがないからそもそもよくわからないということと、ビールとか飲みたいけれど途中でおしっことか行けるのかしらんとか、飲み終わったらおかわりもできるのかしらでもそれは演者に失礼な振る舞いなのかしらんとか、週末の夜に外出したら家族が寂しがるかもしれないしとか、そんなことをいくつも考えていた。

ライブ前日、13日の金曜日の朝のこと。娘の朝ごはんを用意しながらチラッとそのライブの話をしたら、娘が「いけばいいのに!」と言ってくれた。そうかな、そうだよね! とおもって、素直にチケットをポチった。「杉江くんもでるの?」と娘、「でないよ、なんで? でるならきた?」と聞くと、「いや、店長がでてきたらなんかおもしろなとおもって」といっていた。娘がふいに投げかけてきたボールをグローブでキャッチする。ボールを、一回、二回、空中に投げてキャッチするような感じで、そんな日が来ないとも限らないよなと、ぼんやりと思った。
で、昨日である。表参道のルイヴィトンで開催中のアンディ・ウォーホールの展示もみてくると話すと「僕もいこうかな」と夫。娘に、「表参道に行くならいろいろみたり買ったりできるよ!」と誘っていたが、「うーん、いいかな」とあっさり断られていた。気の毒なパパ。そんな訳で中年夫婦水いらずで明治神宮を参拝し、MOMA、オニツカタイガー、ヴィトンと見て歩き、ビール休憩で<J -COOK>と歩いた。北参道の<TAS YARD>に向かう途中にある<LABOUR AND WAIT TOKYO>で、探していたものを買う。この辺りで夫とは解散のはずだったが、「僕もいってみようかな」というので「チケットなかったら解散にしようか」と、一応列に並んでみる。大丈夫とのことだったので、昨日は夫と二人で参加させてもらった。
ライブ、すごく良かった。初心者なので他がよくわからないけれど、浮(ぶい)さんとズビズバーさん、二組とも共通するものと全然違うものが混在していて不思議で妙に良かった。杉江店長が肝入りというのが、なるほどなあという感じに納得の夜。店長、目を光らせてレジに配膳?にMC?にと、めっちゃ忙しそうであった。でも、間髪入れずにいい場所でライブを眺めたりもしていて、よかったねとしみじみ思う、ビアフレンズのわたし。お店は広いしスタッフもおおいし、お客様もさまざまであろうと想像する。長く店長を任されている杉江くん、ここまで来るのに大変なこといっぱいあっただろうなあと思うと、やったね! という気持ちも相まって、実にたのしい夜になった。娘を置いて夫婦でライブなど予期せぬことだったし、ライブは時間が押していて(そういうものなのかもしれない)、後ろ髪引かれつつ、アンコールのあたりで席を立つ。そうだ!特筆すべきデビューがもうひとつあった。昨日、『どぶろく』なるものをはじめて呑んだ。<suigen>というバンド活動をパパ友としている杉江店長のバンド仲間で、どぶろくを作っている人がいると、以前から何度も聞いていた。確か、田村さんという名前だったと記憶していたのだが、昨日お店のメニューにその方のどぶろくがあったので、ビールの後に飲んでみた。「やだー、おいしいんですけどー!」という味で、夫にも呑ませると「これは、くいくい呑んじゃう危ないやつだね」と言った。そんな夫はビールワインワインワインと飛ばして、後半しゃっくりがとまらず静寂の中「ヒック」とくり返していて、お前のほうがよっぽど危ない奴だな!とおもったが、忠告をまもって昨日は二杯だけに。でも、もっと全然たくさんのめたなー。なんだろう。少女だった甘酒が、少し見ないうちにレディになったような、大人びた甘酒というか、なんだかとても魅惑的な飲みものであった。「台湾の紅茶が入っているって書いてあった」とミスターしゃっくり(夫)が帰りに言っていたけれど、そうなのかな。いずれにしてもおいしかったなー、またのみたい!ライブの感想がどぶろくの感想になっちゃった!ワハハ。

2026/02/13

うれしいけれど、ドキドキしちゃう

 修理依頼の連絡がくると、ありがたい気持ちとセットでドキドキがやってくる。波乗りをしていると、波がないよりはあったほうがいいに決まっているのだけれど、サイズがでかいとドキドキする、みたいな感じとも似ている。

ジャケットの裏地の修理の件で、連絡がきた。あの人が着るジャケットだと、きっとあのタイプかあのタイプで、そうすると裏地はうすいコットンか、あるいはナイロンに違いない訳で、ナイロンだとめっちゃむずいだろうな・・・と、この時点でもう縮こまる。打ち合わせの朝も、少し早く目が覚めるほどなのだ。拝見して難しかったら、紹介できる人も頭の中で考えておく。リスクマネージメント能力が高いように見えるが、つまり逃げ足がはやいのだ。
昨日、会って実物を見せてもらった。ご本人が破れているとおもっていたそれは、破れではなくシワだった。つまり縫製ではなくアイロンのほうがよく、それであれば、まずはいつも利用しているクリーニング屋さんにプレスの相談をした方がいい、という提案をした。わたしも業務用のアイロンがあるので、もちろんできる。しかし、長く縫製の仕事をして思うのは、ミシンよりもアイロンの方がよほど技術と経験がいる、というのがわたしの見解。なので、アイロンが専門のクリーニング屋さんの方が、はるかにおすすめできる案件だと判断した。お母様からお譲りいただいたというグレーのウールのジャケットで、襟や裾にハンドステッチが施されている、見るからに上質なものだった。お母様にも一度お会いしたことがあるが、女優のように美しい方だった。天に召されたお母様のジャケットを、面影をしっかりと残したお嬢様のYさんが着る。なんて素敵なんだろう。帰宅したら緊張が緩んだのか猛烈に眠くなり、二時間も昼寝していた。
個人事業主だし、一円でも売り上げをあげた方がいいのだ。是が非でも仕事をとってきたほうがいいのだけれど、なんかできない。というか、したくない。物と人にベストな道を、いつでも正確に、誠実に提案したい。だって、服はわたしよりずっと長生きする。人間として生まれたわたしの短い人生でできること(仕事も言葉もぜんぶ)を選ぶとき、相手にとっていちばんいいと思えるものを差し出せることの方がよっぽど尊いし、それこそが、じぶんの存在価値ではないか。お金が大好きだけれど、時間も大好きなのだ。お金がないときは知恵をフルでつかう。アイデアマンだからなんとかできるけれど、時間がないのは心がつらい。考えたり、試作したり、失敗したりできないから。アイデアを出せないことが、自分はすごくストレスなのだと、最近ようやく気がついてきた。車を運転するのが好きだから、お金を出して車を買うことは何よりの喜びだし、じぶんの人生に車があるのはうれしい。でも、ドライブをする時間がないのはつらい。だったらすぐに売るか、いやその前に、仕事を減らして時間を増やすだろう。前は、車は走ればなんでもいいとおもっていたけれど、最近はちいさくてスピードが出て、スピーカーの音がいいとなおのこと好き、ということに気がついた。マツダのロードスターとか、一度は乗ってみたい。さて、今日はこれから確定申告の作業です。好きではないけれど、そこまでできないこともない。がんばろっと。

2026/02/12

振り返れば奴がいる

 何度も書いているが、ワンルームで暮らしている。年頃の娘、季節はバレンタイン。おともだちと午後からチョコをつくりたいという。「ママたち、どっか行ける?」というので二つ返事でいいよと答える。夫と、お風呂にでもいこうかと話していた。風呂好きの娘、以前だったら「ずるーい!」と言っていたに違いないけれど、「いいなあ、でもちょうどいいかも。たのしんできてね!」とのことだった。夫婦水入らずでゆっくりお風呂の祝日、悪くない。「前はいつでも三人一緒だったのにね・・・」そう言っては寂しそうな顔をする夫だけれど、昨日は友人のMちゃんも一緒にお風呂へいくことに。道すがら、Mちゃんの家へお迎えにいく。その前に、髪もちょっとだけカットしてほしいとのリクエストがあり、Mちゃんの自宅に夫婦でお邪魔して、数ミリくらいわずかにヘアカット。その間、夫はソファでくつろいでいた。

夫とMちゃんは関西人で同郷なのもあり、ノリも似ていれば性格も近いところがおおく、なんだかんだ、とても仲が良い。Mちゃんがいない時にMちゃんの話題になると、我が家では「あいつ」呼ばわれのMちゃん。夫婦水入らずのお風呂デートではなく、振り返ればあいつがいた昨日。結果的に夫も「寂しい・・・」と嘆くことなく、三人で愉快にドライブ。娘もあまり乗らなくなったしと、車も2ドアにしたはずが、振り返れば奴が後部座席にちいさくなって座っていた。アイツはいつでも、おもしろい。
昨日、お風呂上がりに休憩所でくつろいでいたら、「お好み焼きをご飯と食べないなんておかしいよねえ!」と、オヤジとアイツに不意に絡まれた。ビールの大ジョッキを呑む夫。アイツはクリームソーダを呑みながら、たこ焼きを頬張っていた。その話の流れで、「シチューもご飯と食べないっていうんだよ!」と夫がアイツにいうと、アイツも「えー!ハッシュドビーフだって、ごはんとたべるぢゃん!」とのこと。夫が「みもちゃんはこどもの頃からバゲットだったんだって」とMちゃんにいうと、「ハイカラだな!」と二人。ゲラゲラ笑う。あのスピード感で『ハイカラ』というワードが出るMちゃん、頭の回転がはやい。とにかく、会話の展開が早すぎてついてゆけない。昨日のあれは、風呂上がりのコントだったのかな? 練習したんでしょう? 息がぴったりあっていて、熟年の粋だった。ふたりは、かわいいものやインテリアなどにも興味があって、知識もあって、なんだかコンビのように見える。ものすごくイラチだし、いつでもなにかに目を光らせ、辛口にものを申しあっている(以前は駐輪場のおじさんについて延々と語り合っていた、こわい)。関西人に縁があるわたしだけれど、2対1だとスピードも勢いもかなわないわ!とおもった昨日。娘の存在がもっとも恋しいとおもったのは、風呂上がりのあの瞬間がピークであった。せっかくお風呂でゆるんだというのに、まったく、油断も隙もない奴らである。

2026/02/11

わたしたちのこれまでと、これからを

 JRの石川町駅で降りる。待ち合わせの場所に向かう途中、一軒の花屋。軒先には元気な鉢植えがこれでもかとひしめきあっていた。かき分けるように店内に入ると、切り花もたくさん。お店の方に声をかけると、自分で選んでもらっていいんですよ、とのこと。ピンクのチューリップと、白にピンクの縁取りをしたようなチューリップを何本か引き抜いて、みずから選ぶ。

昨日は数年ぶりにSちゃんとランチ。予約をしてくれていた11時、<cafe・de・lent>に向かうと、Sちゃんはもう並んでそこにいた。キャメルのような色のコートにかわいいカゴを持って、短い髪に茶色のまあるいめがね。素敵な店の外観とも相まって、なんともチャーミングだった。美しかったのでわざと歩くスピードを遅めたり、いややっぱり早く気づかないかなと足取りを早めたり、遠くから近くから、その風景を眺める。わたしは目がいいのだ。
お祝いしたいことがあり、チューリップを渡して、おめでとうと伝える。最後に会ったのはいつだろうね、というくらいのSちゃんとわたし。お互いの近況報告、仕事の話、あっちこっち行ったりきたりしながら。会わなかった時間を愛おしくおもった。おそらく、二年ぶりくらいにあったSちゃんは、前よりも「気」のようなもの、「無意識」のようなものの置き場所が変わっているように映った。頭よりももっと上の方にあったように思えたそれは今、胸と腹の間あたりまで移動して、スローダウンしているように見えた。波乗りでいうと、ボトムターンするために波のピーク(いちばん高いところ)から斜面を降りてきたんだね、という感じの、いちばん気持ちのいいところにいるような。前は聞き役が得意な感じだったけれど、以前よりも質問がおおかったり、心の扉をあけて、そこから取り出したものを手のひらにのせて見せてくれるような感じというか、すごくいい感じに見えた。わたしはわたしで、この数年で変化があった。悩みがあると誰彼かまわずに相談ばかりしていた性格だったけれど、近頃は自分で決められるようになってきた。すぐに人と比べて卑下してしまっていたところ、その反動で傲慢になり、雑になってしまっていた自分を反省できるようになった。前よりはすこしだけど丁寧に、謙虚に考えられるようになった。共通点はすくない、むしろ正反対なところがいくつもあるわたしたち。だけれど、彼女はいつの頃からか、わたしの心のどこかにふわっとやってきて、静かに、そこにいてくれる。存在や言葉で、力をくれたり、励ましてくれる。彼女のことを、遠くの星のような存在だと、ずっとおもっていた。寂しい夕暮れ、暗く哀しげな夜、ふと空を見上げると、ちいさく、瞬いてる存在だと。でも昨日、船のモールス信号のほうがしっくりくるなとおもった。彼女は彼女で暗い海を航海していた。船のモールス信号で、互いの安全を伝え、言葉を交わすような感じ。「歳とったよね、目が見えないんですけど」と何度も言ってはクスクス笑った。若い頃より目が見えない、疲れる、あそこが痛い、ここが痛い。けれど、気持ちは今のほうが、うんといい。
それぞれにお会計を済ませたので、先に店を出ていたわたしは軒先の木のベンチに腰をかけていた。しばらくしてSちゃんが出てくると、お土産にと、家族の分のスコーンを持たせてくれた。贈りものが苦手だったはずのSちゃんの贈りものが、なによりも嬉しかった。さりげなく自然で、「自分にも買ったんだ」と嬉しそうにいった。大人になってもわたしたち、いやみんな、成長できるんだ。わたしも前を向いてゆく。この道を、この航路で航海してゆくんだと、そんな気持ちで。

2026/02/10

How much love you guys

 10年前の今頃は、友人のおぐちゃんが当時鎌倉で営んでいた古本屋<ウサギノフクシュウ>で展示を予定しており、準備をしているころだった。娘は3歳になったばかり、わたしは38歳。こども服の手作りパターン(型紙)と、縫いあげたふくの展示販売。娘はいつでも展示にくっついてきたがり、その割には途中で電池が切れる。まだまだおんぶに抱っこと手がかかっていた。そんなわけで店主のおぐちゃんや、隣で店を切り盛りしていたsahanの店主にも、たくさん手を借りた。展示が終わってほっとしていた頃に、今度は「由比ヶ浜のギャラリーをやらないか」と誘われていくわけで。2016年は、誰かが窓を開け放ち、わたしの中にあたらしい風を入れてくれた。そんな年だった。あれから10年(綾小路きみまろ風)、娘は13歳、わたしは48歳に。娘はすっかりおねえさんになった。お出かけにもあまりくっついてこなくなり、わたしはギャラリー運営を終えて五年が経過した。変わったこともたくさんあるけれど、変わらないこともある。その全部が愛おしいと思える今、自分は幸せに歳を重ねているようにおもう。この気持ちを健全、あるいは健やかさと呼んでいいのならば、自分だけでは決して手にできなかった。周りのひとや場所が、自分をそんなふうに育ててくれた。ありがとうの言葉以外に、差し出せるもの、伝えられるものは見当たらない。

昨日は、もう20年くらいのお付き合いになるHさんとお茶。バースデーのお祝いをしようと誘い、まずは一緒に茅ヶ崎の<BRANDIN>へ。Hさんと店主のひろみさんとご主人の宮治さん、三人はわたしよりもうんと長いお付き合いなので、わいわいおしゃべりが止まらない。いつも忙しそうな店主のひろみさんだが、今月は冬季休業中。その期間に<喫茶ケルビン>という屋号で、地元の青年が場所を間借り中とのことで、昨日はそこへ足を運んだというわけなのだ。こんなにゆっくり話したの、いつぶりかなというくらいだったけれど、ひろみさんは変わらなくて、ブランディンも変わらない空気で、店主ではなくお客様としてひろみさんがそこにいることだけが新鮮だった。いついっても変わらない場所を守っていくことや、変わらない心(信念)を持ち続ける意志の強さに触れると、ときに胸が苦しくなるくらいだ。眩(まばゆ)い光が、すみずみまで降り注いでいた。昨日は相談ごとがあり、いくつかイメージを提案させてもらう。ひろみさんはわたしの伝えたいことをすぐに理解してくれた。目に見えないはずのなにかが、ちいさなおとを立てて「コトン」と、確実に、わずかに動いたのを、わたしの心と耳は確かにとらえた。
帰りに<湘南T-SITE>へ立ち寄り、Hさんのお祝いで早めの夕飯。Hさんが知っていた<LIFE Sea>というお店、とてもおいしかった。「ビールも飲んでいいんだよ、みもちゃん」と言われて「えー!」と言った割にすぐに注文。お祝いしようと言った割に主役に運転してもらい、ビールを飲んでいる自分が、ずいぶんと失礼でおかしくて笑う。Hさんとは、20年ほど前にラジオの取材を通じて知り合い、お友だちになった。2005年か2006年だったとおもうが、当時、七里ヶ浜のフリーマーケットで作ったもの(切り絵と布小物)を売っている夫婦、というの何かで知ってくれて、自宅まで取材に来てくれた。Hさんも、ずっと変わらない。なんて尊いことだろうとおもうし、自分もそうありたいと先輩たちを見ていておもう。変わってもいい。けれど、変わらない美しさに触れると、敵わないなとおもうことが、自分の人生にはあまりにもたくさんある。積み重ねること、時間がかかることがすきだ。ゆっくり過ぎていくことが、なによりも豊かだと信じている。すぐには、買えないから。昨日もまた、本が一冊売れた。のんびりぽつりぽつりと売れる『Sunny SIde』を郵便局で発送する準備をする。あと何冊あるんだろう、本の在庫を眺めた。目を細める。窓の外の光が眩しいのか、差し込む光が本に注がれているからなのかは、よくわからない。嬉しそうに、すこし照れているようにも見える本たち。わたしの分身であり、命懸けで書いた本。在庫が減っていくたび、大切に届けたい気持ちがより一層、おおきくなってゆくばかり。

2026/02/09

every single day

 6:25からEテレで流れるラジオ体操、日課にして2年くらいが経つのではないか。努力家で真面目な夫は「ルーティンが大事だ」と昔からいう。夫には万年反抗期のわたしは、心からそして頭から「ばっかじゃない!」とおもってきたし、正統派な意見にはなんでもかんでも口答えをしてきた。けれど、「あれ? 待って。繰り返し続けるって確かにだいじかも」そうおもうようになってきた近頃。わたし、大人になったんですか? 習慣化するとなんだか気持ちがいいし、やらないとむしろ気持ちがわるい。体のわずかな変化に気付けたり、スキルが上がっていく気もして、じんわりとうれしい。

40歳をすぎたくらいから、若い頃に比べて体調の変化を感じるようになった。45歳をすぎたあたりで、それをもっとおもうようになった。で、本を読んだり、人から聞いたりして、簡単にできそうなことは生活に取り入れて、できることは見直している。40代になってすぐくらいはランニングにハマったけれど、走りすぎて股関節が痛くなり、このままいくと怪我をするかもと、日課からは遠ざかってしまった。たまに走るけれど、前ほどは続かない。最近は、心拍数を上げるのは坂道と階段だという答えにいきついた。近所にある神社の階段、175段をなるべく毎日のぼれるようにとおもっている。でも、毎日はむつかしい。なのでなるべく、毎日って感じ。
朝、ラジオ体操の前後で圧力鍋にあずきを大さじ2杯入れる。そこに水を1リットルほど。煮出して小豆茶をつくって、ポットに入れておく。きっかけは、小豆は利尿作用があってむくみがとれると本で読んだから。スーパーに買いにいったが売っていなかったので、小豆を買って作るようになったのがはじまり。ほうっておけばできるし、難しいことはない。「むくみ取れるの? ほんとかなー」なんて半信半疑で始めたけれど、朝にすこしキツくなっていた結婚指輪が近頃はするするになった。体重も減ったから、水分が出たんだろうなとおもう。煮出した小豆は食べたり、お砂糖で煮詰めたらあんこになるので、あんこが大好きな夫と娘も喜ぶ。お茶を作ったあとは、お鍋をさっと洗って、簡易的な出汁のパックとか昆布とか、その日の気分でいいのだけれど出汁をとっておく。これもやっぱり1リットルくらい。そうすると、もう夜の準備までなんとなくオッケーなので、気分がいい。その作業を、朝一でコーヒーを淹れて、のみながら適当にやるのがなんか気持ちいいのだ。ものすごく健康体を目指しているわけでも、ストイックなタイプでもないので、なるべく毎日できることをやる、というのが自分なりの健康法。冷えないように、冬はビールの後に燗酒(ホットワインもあり)を呑む、というのも健康法ではないかしらとおもっている。

2026/02/03

どこへだって、どこへでも

 「英語検定を受けてみる」と娘が言い出し、先日試験を受けにいった。英検とか受けたことがなかったので「なるほどですね」と、おかしな日本語しか出てこない母のわたし。知らない駅で降り、試験会場となっている知らない学校へ足を踏み入れることを、娘はやけに楽しみにしていた。当日、試験が終わると家族LINEに報告がきて「やりきったよ、悔いないよ、今サイゼ(サイゼリア)!」と写真が届いた。中学一年生、ひとりで外食とか、まだ苦手な子もいて当然だとおもうが、娘はそういうのが楽しいそうだ。一人旅もしてみたいと言っていたし、そんな日もそう遠くない気がする。自発的、というのが一番いい。スイッチを押すのは、いつでもじぶんの人差し指で。

それにしても、羞恥心というものは実に人それぞれ。マックはいいけどサイゼは無理とか、サーティーワンは一人だと恥ずかしいとか、大人であっても、カフェはいいけどバーは行けないとか、聞くといろいろあるみたいだ。娘を妊娠中、やたらと肉を欲していた時があった。三日連続で焼肉屋に足を運んだとき、6人がけのテーブルに一人で座り、焼肉を焼いているじぶんは流石に滑稽だなとおもったが、恥ずかしくはなかった。一人でご飯を食べることが苦手で、駅のトイレの個室でおにぎりやお弁当を食べる人もいると、テレビでみたことがる。実際に、駅のトイレの個室でお弁当の空き箱を見たことは、過去に何度もある。人の羞恥心に対して「なんで?」と土足で踏み込むことはしたくないけれど、羞恥心は目に見えないから複雑で、とってもデリケートだ。なにかトリガーがあったのか、性格か、環境か、複雑に絡みあうものなのか。じぶんにも、掘り下げていくときっとあるはず。ここだど恥ずかしいけれど、よそでは違うよとか、それ日本だけだよ、みたいなこともたくさんあるはずなので、見て、感じて、じぶんのものさしを持っていたい。身近な人から言われたこと、あるいは、顔もしらない誰かの言葉、しっくりこなければぜんぶブランクでいい。
一昨年くらいから、修理の依頼をいただくことが増えてきた。自分で直せるわたしは、これまでいわゆる街のお直し屋さんなどに足を運んだことはほとんどなかった。お客様から依頼を受けるようになり、街ではどんな値段でどんな納期なのかなとおもい、ときどき足をとめてのぞく。Tシャツの裾あげなんかは、だいたい3000円〜4000円がおおく、特殊ミシンを使うので店舗にはなく、工場に送るため10日くらいかかるところもあるそうだ。簡単そうで難しい作業だから職人としてはよく理解できるが、カスタマーはどうなんだろう。1000円代で買えるTシャツもあるし、数万円のものあるわけで、修理代の方が高くなることもあるはず。職人であり作家のわたしがおもうのは、最初にしっくりくるサイズがあれば一番だよな、ということだ。わたしは背もちいさければ手も足も短いので、既成のお洋服でそれを探すのはむずかしい。でも心地よく着れないとバランスがわるくて美しさを欠くし、なによりもストレスなので、たいていのものは自分で直す。ちいさな違和感を減らす、ということが暮らしの心地よさに直結するといつもおもっている。そういう信念で手を動かしているじぶんの仕事が、お客様にも喜んでもらえるのはうれしいことだ。「修理」というと勘違いされがちだけれど、古いものを直すというより、個人的にはキレイに心地よく、快適でいるためのお手伝いをしたい。なんでもかんでも直すスタイルはじぶんの好みではない。時期がきたら別のものに仕立て直すか、「ありがとう、さようなら」も大切にしている。プロなので、寿命だとおもったらはっきりお断りもする。ブランドも、もともとの値段も、まったく気にしない。頑固なんです。自分で仕事をするのは、自由と責任がワンセットだから、信念だけがガイドラインなのだ。さてさて、今日もこれからミシンを踏む。本日も、修理とものづくりの二本立て。