ストーミー・アウト・サイド、荒天である。ここ最近、師匠のことを、正確には師匠に言われた言葉を、思い出していた。
「ことりさん、ブログを書いているからって文章を書いているなんておもっちゃダメだよ、日記なんて文章じゃないから」と、師匠は言った。2005年、そのころはインスタやフェイスブックはもちろん、かろうじて『ミクシイ』(若い方はご存知ないかも)はあったかなかったか、そんな時代であった。当時のわたしはIBMのホームページビルダーを買って、自分でウェブサイトをつくり、その一部に日記のページをつくっていた。その後、エキサイトが運営をするブログに移行して日記を書いていたのだが、それを読んでくれていた師匠が、ある日わたしにそう言った。当時は「えー!まあまあな文字数を書いてますけど!」とおもっていたが、今となっては師匠の言葉は当然である。誰とあった、何をした、どこに行って、こんなものを食べた、ハッキリ言って誰だってかける。日記は文章ではなく、記録に過ぎないのだ。自分が記録を残したいのは、こどもへ手紙を綴るような気持ちがおおきい。財産は残せないとおもうし、たとえあっても残さずに使うから、娘には心の財産と言葉を遺すと決めている。4月30日をもってこのウェブサイトは抹消されるので、ブログだけは何か別のブログサービスにスイッチするか、あるいは手書きでノートに書いていくのもいいかな、なんて思っている。母も日記をつけていた。短い、詩のような日記をおおむね毎日。それがめちゃくちゃかわいかったりおもしろかったりして、家族みんながツボっていた。日記のような手帳はリビングのダイニングテーブルに堂々と置いてあったので、ときどき、家族の誰かがそれをのぞいては読み上げた。母を筆頭に涙を流して爆笑したり、たまに、しんみりしたりしていた。実家で過ごした、懐かしい思い出。母は手紙もよく書いた。郵送のものから置き手紙に至るまで。ひとたび手紙を書き出すと、他の家事や子育て、時間すら忘れて熱心に書いていた。そうして夕飯の時間がずれたりすることは、一度や二度ではなかった。細い見た目によらず大きな字で、ロマンティックな文章で、母からもらう手紙は読むのがたのしみだった。絵本を買ってくれたときも、ページの最後に買った日付と、お手紙のようなメッセージを記していた母。子育て、色彩感覚、人付き合い、常に個性的な考えをもつ母は、自分のことも、子供のことも、「人と比べる」ということが皆無だった。だからなのか友達も、とてもすくない人だった。一度「どうしてママは、学校でほかのお母さんたちとおしゃべりとかしないの?」と聞いたことがあったが、「誰がどこに受験したとか、旦那様のお仕事はなにとか、ママはそういうことに興味がないの」と言った。「その人が話さないことは、聞かないこと。話したければ、人は自分からお話をするわ」とも言った。「よけい」なことを嫌う人で、「邪魔をしない、余計なことをしない」というスタンスをとるひとのことを、いつもすごく褒めた。母は、優しかったし口調も常に穏やかだったが、聞かれたら、自分の意見をハッキリと言うことができる人だった。そういうときの母は、すごく迫力があった。
文章をもっと丁寧に書きたい。そのためには、脳と心の透明度を高めること。それは自分が一番よくわかっていた。今の自分の生活は、脳への情報のインプットがはやすぎて、おおすぎる。加えて、目が老眼で疲れやすい。それで、インスタグラムのフォローをいったん全部やめることにした。Instagramはインターネットなんだとおもうことにして、知りたい情報はグーグル検索みたいにサーチして、足を運ばさせてもらう。ロックのかかっているお友達の情報はキャッチできなくなったけれど、会いたければ足を運んで会いにいくし、メールやラインや連絡先はわかってる。なにより、手紙を書くからね。
ここ数ヶ月、ウェブサイトをどうしようかなと悩んでいて、いろんな方のサイトを、参考までにいくつもみていた。「今はインスタしかみない、インスタだけでいい」と聞いていたし、じぶんもそうおもっていたけれど、俯瞰したらそうでもないみたい、ということも今回わかった。インスタグラムはタイムリーでキャッチーですごく楽しいのだけれど、おもっているより見すぎちゃう。人のフォロワーの数も、みなくていいに、なんかついみちゃう。かといって、少ない人は魅力がないかと聞かれたらそんなことは全然ない。むしろフォロワーが少ない人こそ、なんだか興味深い。そういう人が、ブログだけは熱心に書いたりしているからおもしろい。先日足を運んだ鎌倉の園芸店のウェブサイトを拝見したら、店主の日記がびっくりするぐらいおもしろかった。読み込んでしまった。誰が読んでいるのかわからなくても、ずーっとブログを書いている人も身近には案外いて、ちょっと尊敬すらおぼえる。彼らは信頼に値する。
これを読んでくださっている方も、「ことりさんのインスタは、たまにのぞければいいや」っておもってくださったら、どうぞお気になさらず、そうしてください。「フィール・フリー」という言い回しが英語であって、わたし、この言葉が大好きなんですね。遠慮なくね、とか、気軽にね、みたいなニュアンスで使う英語なのだけれど、本当にそんな気分でいますので。