2026/03/31

フィール・フリー

 ストーミー・アウト・サイド、荒天である。ここ最近、師匠のことを、正確には師匠に言われた言葉を、思い出していた。

「ことりさん、ブログを書いているからって文章を書いているなんておもっちゃダメだよ、日記なんて文章じゃないから」と、師匠は言った。2005年、そのころはインスタやフェイスブックはもちろん、かろうじて『ミクシイ』(若い方はご存知ないかも)はあったかなかったか、そんな時代であった。当時のわたしはIBMのホームページビルダーを買って、自分でウェブサイトをつくり、その一部に日記のページをつくっていた。その後、エキサイトが運営をするブログに移行して日記を書いていたのだが、それを読んでくれていた師匠が、ある日わたしにそう言った。当時は「えー!まあまあな文字数を書いてますけど!」とおもっていたが、今となっては師匠の言葉は当然である。誰とあった、何をした、どこに行って、こんなものを食べた、ハッキリ言って誰だってかける。日記は文章ではなく、記録に過ぎないのだ。自分が記録を残したいのは、こどもへ手紙を綴るような気持ちがおおきい。財産は残せないとおもうし、たとえあっても残さずに使うから、娘には心の財産と言葉を遺すと決めている。
4月30日をもってこのウェブサイトは抹消されるので、ブログだけは何か別のブログサービスにスイッチするか、あるいは手書きでノートに書いていくのもいいかな、なんて思っている。母も日記をつけていた。短い、詩のような日記をおおむね毎日。それがめちゃくちゃかわいかったりおもしろかったりして、家族みんながツボっていた。日記のような手帳はリビングのダイニングテーブルに堂々と置いてあったので、ときどき、家族の誰かがそれをのぞいては読み上げた。母を筆頭に涙を流して爆笑したり、たまに、しんみりしたりしていた。実家で過ごした、懐かしい思い出。母は手紙もよく書いた。郵送のものから置き手紙に至るまで。ひとたび手紙を書き出すと、他の家事や子育て、時間すら忘れて熱心に書いていた。そうして夕飯の時間がずれたりすることは、一度や二度ではなかった。細い見た目によらず大きな字で、ロマンティックな文章で、母からもらう手紙は読むのがたのしみだった。絵本を買ってくれたときも、ページの最後に買った日付と、お手紙のようなメッセージを記していた母。子育て、色彩感覚、人付き合い、常に個性的な考えをもつ母は、自分のことも、子供のことも、「人と比べる」ということが皆無だった。だからなのか友達も、とてもすくない人だった。一度「どうしてママは、学校でほかのお母さんたちとおしゃべりとかしないの?」と聞いたことがあったが、「誰がどこに受験したとか、旦那様のお仕事はなにとか、ママはそういうことに興味がないの」と言った。「その人が話さないことは、聞かないこと。話したければ、人は自分からお話をするわ」とも言った。「よけい」なことを嫌う人で、「邪魔をしない、余計なことをしない」というスタンスをとるひとのことを、いつもすごく褒めた。母は、優しかったし口調も常に穏やかだったが、聞かれたら、自分の意見をハッキリと言うことができる人だった。そういうときの母は、すごく迫力があった。

文章をもっと丁寧に書きたい。そのためには、脳と心の透明度を高めること。それは自分が一番よくわかっていた。今の自分の生活は、脳への情報のインプットがはやすぎて、おおすぎる。加えて、目が老眼で疲れやすい。それで、インスタグラムのフォローをいったん全部やめることにした。Instagramはインターネットなんだとおもうことにして、知りたい情報はグーグル検索みたいにサーチして、足を運ばさせてもらう。ロックのかかっているお友達の情報はキャッチできなくなったけれど、会いたければ足を運んで会いにいくし、メールやラインや連絡先はわかってる。なにより、手紙を書くからね。
ここ数ヶ月、ウェブサイトをどうしようかなと悩んでいて、いろんな方のサイトを、参考までにいくつもみていた。「今はインスタしかみない、インスタだけでいい」と聞いていたし、じぶんもそうおもっていたけれど、俯瞰したらそうでもないみたい、ということも今回わかった。インスタグラムはタイムリーでキャッチーですごく楽しいのだけれど、おもっているより見すぎちゃう。人のフォロワーの数も、みなくていいに、なんかついみちゃう。かといって、少ない人は魅力がないかと聞かれたらそんなことは全然ない。むしろフォロワーが少ない人こそ、なんだか興味深い。そういう人が、ブログだけは熱心に書いたりしているからおもしろい。先日足を運んだ鎌倉の園芸店のウェブサイトを拝見したら、店主の日記がびっくりするぐらいおもしろかった。読み込んでしまった。誰が読んでいるのかわからなくても、ずーっとブログを書いている人も身近には案外いて、ちょっと尊敬すらおぼえる。彼らは信頼に値する。
これを読んでくださっている方も、「ことりさんのインスタは、たまにのぞければいいや」っておもってくださったら、どうぞお気になさらず、そうしてください。「フィール・フリー」という言い回しが英語であって、わたし、この言葉が大好きなんですね。遠慮なくね、とか、気軽にね、みたいなニュアンスで使う英語なのだけれど、本当にそんな気分でいますので。

2026/03/30

イエス! スプリング・ハズ・カム!

 週末は夫婦で過ごすか、一人で出かけることがデフォルトになってきた。娘はのびのびし、夫も寂しがらなくなってきたし、わたしは自由を得た。すごくいい感じだ。初夏になったらテニスとゴルフの打ちっぱなしデビューを、そしてヨットを再開しようと二人で話している。

昨日は都内にいくか迷って、結局湘南で過ごすことに。朝は夫に「パパのところに行くから駅まで送って」と張り切っていたが、数時間後には「やっぱり鎌倉で花見するから一緒にいこう」と言っていた自分。こうして日々夫を振り回しているので、ときどき反省して「ごめんね」という。すると「大丈夫だよ、慣れてるから」と言われる。朝令暮改(ちょうれいぼかい)という言葉を最近知ったけれど、夫に「みもちゃんは朝令朝改だから」と言われて笑った昨日。
鎌倉まで、知らない山側の道を歩いてみようとぷらぷら歩きはじめた。途中、大町(おおまち)というエリアになんとも感じのいい桜のトンネルがあり、しばらくそこでお花見。地元の人がぷら〜っと自転車できて、ただ桜を愛でるような感じで、それがとてもよかった。気候もよく、途中にお寺や、お店でお洋服などを見て歩きながら、裏駅まで辿り着く。喉も乾いたし蕎麦屋で呑もうとなり、キリンの瓶ビール、燗酒を呑みながら板わさ、カツ煮の卵とじ、せいろをいただく。どうでもいいことでゲラゲラ笑って、おじさんおばさんご機嫌さん。一昨日は裏山にビールとグラスを持参して、やっぱり夫とお花見をしていたのだが、お互い呑むし花見も好きなので、とてもありがたい存在だ。蕎麦屋を出て、<ポンポンケークス・ギャレ>で気になっていた展示を観て、<sahan>に寄って再びビール。どのお店も、とっても賑わっていた。みんな、春の陽気でネジが緩んでいるのか、嬉しそうにみえた。
夫とは鎌倉駅で解散。わたしは歩いて帰りつつレモンを買いたかったので、裏駅の御成商店街を歩いて八百屋へ向かった。途中、<鎌倉ロコマート&ガーデン>が目に入った。軒先のお花が可憐で妙に可愛く、なんとなく吸い寄せられるように入店。店内の陳列がきれい。ハサミ、ジョウロ、植木鉢、梯子、テーブル、ひとつひとつのアイテムがシンプルでセンスが良く、じっくりみていた。素敵な植木鉢がいくつかあり、そのうちのひとつ、最初にみていいなあとおもっていたものをいただくことにした。せっかくなら植物も買いたいとおもい、何かおすすめはありますか? と聞くと、『ソフォラ・リトルベイビー』というのを勧めてくださった。「侘び寂び(わびさび)って感じでいいんです」と言われて、即決した。店構えも店主の風貌もアメリカ(厳密にはサンフランシスコ)が大好きなのをビシバシと感じたが、そんな方がいう侘び寂びなら間違いないと思えたし、まずもって名前がいい。レジ横にあったTシャツも、ボディや色選びなどがとても感じよく、一枚買わせてもらった。買ったばかりの鉢に、店主が手際よくリトルベイビーを植え替えてくださったのだが、これがまあ、なんとも素敵なものになった。お店でかかっていた音楽がよかったのでShazam(楽曲検索アプリ)をしたいとスマホをいじっていたら、CDを見せてくれた。<オハイオ・ノックス>というアーティストの、1971年に発売されたアルバム『オハイオ・ノックス』というアルバムだった。すごく好きな感じだった。それからしばらく、いや結構ながく音楽やアメリカの話をして、たのしい午後。
お店を後にして、斜向かいの八百屋へ。レモンを買うはずだったが、気分が変わって湘南ゴールドを手にした。夜はパスタだからね、サヨリの丸干しは塩胡椒とニンニクで焼いて、レモンを絞ってイタリアンパセリだね、と言っていた朝。結局、ペペロンチーノだけ有言実行で、キャロットラペに湘南ゴールドを入れたら満足してしまい、サヨリに絞るのはすっかり忘れてしまった。パセリなんて、もはや買うのも忘れていた。塩胡椒とニンニクでも十分美味しかったが、彩りがつまらなかったので、三つ葉をちぎって散らした。こんな感じの休日がじぶんはとてもすきだ。波乗りみたいで。夫は植木鉢をとても気に入ってくれて、レモンの木の鉢も買いにいこうよと言った。Tシャツは自分も欲しいといったので、今度一緒にいこうよと伝えた。そうです。Tシャツの季節です、春なんです。そろそろサーフィンもしたくなってきた。水はまだまだ冷たそうだけれども。

2026/03/27

いろいろ気付かれない

 普段は自宅でひとりで仕事をしているので、人がいるとペースが崩れてしまう。ワンルームであることもおおきい。昨日から春休みがはじまり、娘はスタートダッシュでいきなりだらけている。朝は起きないし、遅く起きてきてもベッドでゴロゴロ。だらけている人がいると、うっかり引きづられてしまう意志のよわいわたし、ついつい巻き込まれてしまいがちだ。

一昨日の夜、Mちゃんがやってきて、春休みの前夜祭的にみんなでわいわいお好み焼きを食べた。Mちゃんは関西人だし料理人でもあるので、手際がいいし焼くのも上手。日頃から多忙を極めているので「たまにはご飯を食べにおいでよ」と誘うのだが、大抵は料理を手伝わされている。そんなMちゃんが、昨日のわたしのブログ(前髪切っても気付かれないことをぼやきました)を珍しく読んでくれて、「気付かなかった!分厚くないからかも」とラインがきた。Mちゃんは、ご本人にも申し上げているがきのこのような、マッシュルームのようなヘアスタイルを長年好んでいらっしゃる。あのような前髪にすれば気付かれるのかもしれないけれど、あれはわたしには絶対に似合わないし、もう書いて気がすんでしまったのでよしといたします。
気が付かれないといえばもう一つある。Mちゃんにも昨日LINEで伝えてたいそう驚かれたが、去年の夏から5キロくらい、一年前からだと8キロくらい体重が落ちた。学生時代の体重に戻った。でも、誰にも気付かれない。痩せたというより、正確には数年かけて太っていたのが戻っただけだけれど。「痩せたことも気が付かなかったけれど、太ったことにも気付かなかった!」とMちゃんに言われた。前髪に限らず、人から注目されないタイプなのだろうか。『ダイエット成功術』という本を書くべきだ、とMちゃんに言われた。家族の本を書きたいのでそんなつもりはさらさらないが、Mちゃんはいつでも返しが愉快。日頃、このブログは読んでいないとおもうが、登場回数のおおいMちゃん、私たち家族から『あいつ』と呼ばれているMちゃん、歌舞伎町にあるテルマール湯の館内着を、あえて娘とお揃いのピンク色のワンピースを選んで、以来夫から『阿佐ヶ谷姉妹』と呼ばているMちゃん、家族水入らずの海外旅行にまでついてきた、振り返れば奴がいるタイプのMちゃんである。
体重の話に戻すと、この何年も、もう痩せないんだな、と思っていたけれど、そんなことはないことがわかった。あと、運動で痩せるわけでもない、ということもわかった。だってそんなに運動していないから。甘いものはあまり食べないけれど、お酒はよく飲む。やっぱり、日頃の食習慣なのだろう。魚屋(干物)と豆腐屋(がんもどき)にもヒントがあるのではないか、どうなのだろう。だって、調理方法と調味料が違う。塩、醤油、みそ、ザッツ・オール!って感じ。とにかく、日本食ってやっぱりすごいってことだ。日本人は天才ですよ、マジで。ここ最近ずっと雨か曇天だったから、魚を干せずにいたけれど、今日は来たぜ晴れ。ウェルカムバック・太陽! 皆様も、素敵なフライデーを。

2026/03/26

ママ、それは娘を真似したい生き者?

 ティーンの女子が家にいると、ただそこにいるだけなのにキラキラと光を放っている。夜ですらまぶしいほどに。

保育園の年長さんくらいからずっと、長い髪をかきあげるようにしていた娘だったが、最近の流行りに乗って、ついに前髪を作ってから一ヶ月ほどが経った。当日は一緒に馴染みの美容室に行ったのだが、「前髪だけで人はそんなにぶち上がるのか?」というくらいに喜んでおり、その日を境に、毎朝鏡の前で熱心に前髪をいじくりまわしている。学校でもかわいいとたくさん言われたと、ご機嫌であった。そんな娘を眺めているうちに、「かわいい、うらやましい、わたしも切りたい・・・」そんな気持ちが芽生えてしまった48歳(もうすぐ49歳になります)のママ。で、先日。おなじ美容室にいき、ことの経緯を話して前髪を作った。前髪を切るなんて中学生以来ではないか。しかしです。誰もこの変化に気づかないのか。どなたからも「かわいい、前髪切った?」などと言われないまま一週間が過ぎた。涙 でも1歳くらい若返ったような気がするし、新鮮なのでよしとする。
娘の影響力は前髪だけではない。娘が教えてくれた<ヤングスキニー>というアーティストにもハマっていて、さかのぼってたくさんの楽曲を聴いている。めちゃくちゃいい曲がたくさんあるが、中でも『雪月花』というナンバーは、歌詞も声色も吐息もせつなくて、とにかくすごくいい。「せつげつか」と読む難しいタイトル。この言葉の意味は、雪・月・花の順で、四季折々の美しい自然の景観(特に冬の雪、秋の月、春の花)を愛でる風雅(ふうが)な心を表す言葉、らしい。むつかしい日本語を知っている、ロマンティックなヤングなんですね。おばさんはその才能にうっとりしている。昨日、大雨が降る中娘の塾の送迎中に車の中で聴いていたのだが、サビの歌詞で、

あなたの匂いをわたし全部覚えているよ

というフレーズがあって熱唱していると、「えー、きもー」と娘が言った。歌詞はこの後、キャメルのタバコの空箱のくだりが出てくるのだけど、最近の子はタバコも吸わないし、そもそも娘はまだ若いし、彼が吸っていたタバコの匂いとか、別れた彼を思い出す情緒とか、そういう情景すらもピンとこないのね、若いって経験がすくないから想像力が乏しいのね、ああ、心の底から可哀想だわと思いながらも、無視して歌い続けた。しかし、その後の

不器用な私だから
あなたの愛に気づけなかっただけかな?

という歌詞になると「あ、この曲かー!」と言って、突然助手席で踊り出した。TikTokでそのフレーズだけがバズっているのだそう。今の子の音楽の楽しみ方って独特だけど、それはそれで自由でいいものだ。だって楽しそう。音と踊りがワンセットになっている。<ヤングスキニー>でいうと、もう一曲特筆したい曲がある。Apple Musicを車で流しながら聞くので、普段はあまりタイトルを見ないのだが、冒頭の歌詞で

あの時はごめんね、振り回してしまって
悪気は少しもなかったの
多分だけど、多分だけど
あの時はごめんね、傷つけた分だけ指を折って
もう足りない、もう足りない
両手じゃ収まらないな

と歌い出す曲がある。イントロがなく、頭から歌ではじまる楽曲なのだが、夫に対しての日頃の自分(出会ってからずっとかもしれない)を代弁しているみたいで、「いい曲だわ〜」と聴いていた。フルで歌えるくらいに完コピしたので、バンドやるならカバーしたいとおもった。で、昨日ふと、タイトルはなんだろうと思って調べてみた。『ゴミ人間、俺』という曲名だった。窓の外は今日も雨。

2026/03/25

桜の時期に想うこと

 高田馬場で生まれて、大学を出た後も、社会人になって結婚するまで、ずっと実家で暮らしていた。兄も、二人の姉もそう。まわりの友人は大半が都内出身の子で、数人だけ神奈川県の子がいるくらいだったから、ほとんどみんな似たり寄ったりだった。結婚を機に湘南に引っ越してきて、地方からやってきた友人たちに、はじめてたくさん出会った。彼ら彼女らの、親元を離れるはやさにはとても驚いたし、今想像してみても、やっぱりうっすらと驚いてしまう。けれど、よく考えてみればわたしの母もそうなのだ。母は鹿児島の西側の海のそばで育った。中学校からは鹿児島市内で、姉(今はLAにいる私の叔母)と共に、知り合いの家に下宿をしていたらしい。短大の進学で東京に出てきて卒業後すぐに父と結婚をしたので、実家にいたのなんてほんとうに短い。一方の父は下町で生まれて、実家を出ることなく結婚をし、結婚を機に実家の隣の区に新居を構えた。都内で生まれた人あるあるで、あまり移動をしない。父は家業を継いだので転勤などもなかったし、疎開で一瞬群馬県に行った以外、東京を離れることはない人生。このままきっと、都民のままで生涯の幕を閉じるだろう。

桜の時期になると、いつも実家の、小鳥の家族を想う。新宿区から一番近い有名な花見スポットといえば、なんといっても九段下の千鳥ヶ淵と、靖国神社。地下鉄東西線をつかえば数分で着くし、父とよくドライブをしながら桜並木を眺めたりもした。父は靖国神社の裏手にある男子校に通っていて、中学高校と六年間を男子だけで過ごした土地で、その思い入れは特別なものがある様子だった。
10年くらい前のことだったとおもう。地方から出てきた、お花見が大好きな友人が千鳥ヶ淵を知らないというので、びっくりして連れていくと、彼女はとても気に入ってくれ、以来毎年のように足を運んでいる様子だった。「みもちゃんも一緒に行こうよ」と何度か、いや何度も誘ってくれたけれど、あまり一緒に行く気がしなかった。家族との思い出があり過ぎて、なんだかつらくなるからだった。「花見っていいよなあ、桜の下で怒っているやついないじゃない。みんな笑ってたのしそう」と父が言ったのも、靖国神社で家族でビールを呑んでいるときだった。父は休日に家族サービスをするようなタイプのお父さんではなかったから、家族の思い出といえば、父が好きな花見と、父が好むお店での外食ばかり。授業参観や卒業式などきたことがなかったし、息子とキャッチボール、なんて一度もみたことがなかった。父は運動もきらいだった。小学校の運動会に至っては、母が用意した布のマットや可愛いカゴなどを広げると、ワインをボトル持ち込んだ父は、そこで宴会をはじめた。今思い返してもピクニックスタイルで可愛かったが、悪目立ちしたのだろう。翌年の運動会のお知らせに「酒類の持ち込みは固く禁じます」と書かれ、以来父は運動会にも興味を無くし、一切こなくなった。そういう父だった。
千鳥ヶ淵や靖国神社での花見は、ここ何年もひとりでふらっと足を運んでいた。父と同じくらいの年の人が親子で歩いているのを見ると、ついいいなあとおもってしまったし、若々しい家族を見れば「あんなことあったな」とおもってしまう。一人で歩いていたら、あまりにもいろんな気持ちが込み上げてきて、ビールを呑みながポロポロと泣いてしまった。桜の下で怒っているやつはいなくても、泣いているやつはいるんだねと父に教えたいけれど、もう一緒には歩けない。もう戻らないのだ。そのことを、去年くらいから少しづつ受け入れられるようになってきた。そんな痛みにも変化が訪れてきたんだよね、誘ってくれていたのにずっと一緒にいかなくてごめんねと、花見好きのMちゃんに告白したのは一昨日のこと。
歳をとると涙もろくなると聞くけれど、当たり前といえば当たり前な話。だって、思い出が積み重なっていくのだもの。たのしかったな、わらったな、わかかったな、元気だったな、その全部が胸にせまってくる。季節、場所、匂い、ふとした瞬間に。
たのしい時間はかけがえのない宝物に違いはない。けれど、その分だけ、その宝箱を開けるのが辛い時期があると、父や母の介護を通じで知った。とはいえ両親の命はまだまだ続いていて、そのことにはありがとうの気持ち以外ない。いつか二人の命の灯火が消えたら、次はどんなに寂しい気持ちが襲ってくるのだろうと想うけれど、そんなの想像しても、まだわからないこと。だから、会える時に会っておこう。そして、言葉にして残しておく。この時間をまたいつか振り返って、わたしはきっと、メソメソ泣いたりするのだろう。大人になると、宝物がどんどんどんどん、増えていく。桜の時期はすきだけど、すきが積み重なりすぎて少しつらい。幸せな痛みなのかもしれないけれど、時々まだちょっと、胸がいたむ。

2026/03/24

Life Like a Book  - 本のような人生を –

 仕事をしていたら近所のHさんから電話があった。プリンターが壊れたと半ベソで連絡があったのは、先週のこと。その30分後くらいにパソコンを持って駆け込んできたHさんのプリントアウト問題は無事に解決。「どこかお昼でもいく?」というので、うちでホットサンドでもつくるから一緒に食べようといった。バウルーといって、直火で焼ける器具があり、我が家はそれをよく使う。いつでもホットサンドを焼けるように、食パンは10枚切りを買うことがおおい。鎌倉ベーコンの切り落としと、冷凍庫にはグリンピース、冷蔵庫にはよつば乳業のチーズがあったので、それらを入れて簡単に作ったものを出すと「おいしい〜、チーズがいい仕事してる〜」とHさんが食レポしてくれて、笑った。コーヒーとチャイはどっちがいいか聞くと、「選べるの?チャイ!」と元気がいい。Hさんは最近ほんとうに元気で、見ていてうれしい。こう書くとわたしがあれこれサポートしているようだけれど、そんなことはないのだ。事実、先日の富山行きのフライトが早朝すぎて、万が一タクシーがつかまらなかった場合、Hさんが朝の5時に送迎に来てくれることになっていた。そんな感じで近所の仲間同士、助け合っていきている。

友達、仲間、家族、どんな関係を築いていけたらいちばん幸せなのだろう。ずっとそばにいられなくても、心を寄せる、信頼を寄せていられたらと、個人的にはいつもおもっている。都内で育ち、現在はお隣の神奈川県に住んでいるわたしは親元を離れるのも遅かったし、一人暮らしもしたことがない。そんなわたしは、家族で一人だけ東京を離れたので、この距離ですら、もっと近ければなあとおもうことはある。でも、ほんとうにたくさんの家族との思い出があるから、この先もなんとなく、大丈夫。年々、色々なことを忘れていく父と母ではあるけれど、娘のわたしは決して忘れない。親からもらった言葉を、まるで昨日交わしたかのように、心の中であたためている。「人にしてもらったことを返していきなさい。たとえおなじ人にじゃなくてもいいのよ、巡っていくから」と母はよくいっていたから、それは心の指針のようにしている。父はよく「仕事にはるんるんでいけ」といっていた。だから、たとえそんな気持ちになれない日でも、鏡の前で「るんるん」と声に出してみたりして、可愛くお化粧をして、オシャレをして、じぶんをよいしょって持ち上げる。
結婚を機に実家を出て、湘南に引っ越してきたばかりの2004年の夏、わたしは27歳だった。夏から秋に向かっていくシーズンで、陽が短くなるだけでもう寂しくて、夜に呑みにいこうとおもったら街にはネオンがない。心の底から嫌な風景だとおもった。「もう無理! 東京にかえる!」と夫にいった、引っ越して一ヶ月くらいだったのではないか。「もう少しだけ頑張ろう」と言われたが、いや、絶対に無理ですとおもった。実家に電話をかけると父が出て「寂しいから東京にかえりたい」といったら、我が娘よくぞ言ったと言わんばかりに「おう! すぐ帰ってこい!田舎はたいくつだろう!」と、弾んだ声でいった。母に電話をかわってもらうと「みもちゃん、結婚生活はちいさなことを乗り越えられないと、おおきなことも乗り越えられない。でも、ちいさなことを乗り越えたら、きっとおおきなことも乗り越えられるとママはおもうわ」と言われて、ショックで卒倒しそうになった。いつもやさしい母だから、「あらあら、そうなのね」と言ってくれるとおもっていたのだ。あの日、母に言われて考えを少し改めることにした。この暮らしはネオンもないし飲み屋もないしくらいしさみしいし実家も遠いし友達もいないしつらくてつらくて心から嫌だとおもったが、それでもがんばって、その年の秋と冬を泣きながら過ごした。そうやって、この土地に馴染んでいった。父には悪いが、今の暮らしがあるのは母のおかげかもしれない。あと夫。
言葉の力ってほんとうにすごい。こうしてずっと、ずーっと光を放っている。わたしはきっとすべてを忘れていくし、あと何十年かしたら、いやもしかしたら今日でも明日でも、不可抗力で死ぬときは死んでいく。でも言葉は残るし、残すことができるのだ。だったら、できるだけやさしい言葉をつかいたい。あたたかい言葉を贈りたい。笑える言葉を口にしたい。泣ける言葉があってもいい、だってロマンティックな人生を送りたいから。本みたいに、たまに思い出して手にとってもらえたら。読み返してまた、そっと閉じて本棚にしまってもらえたら。誰かにとってそんな人生をおくれたら、言葉を残せたら、わたしはもう、ほかにはなにもいらない。

2026/03/23

a mountain of plenty

 「冬に冬らしいところに旅するならどこにいきたい?」家族で話していたときのこと。家族全員が「富山」と答えた。

昨夏、初の北陸に足を運んだ。夫のルーツでもある金沢(大阪育ちだが、ご両親が金沢の人なのだ)にいってみようか、という軽いノリで金沢に二泊したあと、富山に一泊した。金沢駅から富山駅へは新幹線で移動したのだが、駅に着いたときの人の数や駅の雰囲気が、さっきまでいた金沢駅とはあきらかに違った。疲れていたのもあったが、なんだかちょっとホッとした。娘もおなじようにおもったのか、「富山、なんかかわいい」と言った。すごくしっくりくる言葉だった。一泊だったし、天気も曇っていたし、噂の立山連峰は1ミリも拝めなかった。タクシーの運転手さんが「天気が良ければ見えるわけでもなくて、気候条件が整う日は年間でもたくさんではなくてですね」と、控えめに教えてくれた。路面電車やバスに乗ると、車掌さんがとてもやさしかった。道が海外みたいにひろくて、美術館が素敵で、公園が広大だった。
「また富山にいくんだよね」と人に言うと「なにがそんなに魅力なの?」と何人かに聞かれた。確かに、半年ほどで再訪するのだから聞かれて当然といえば、当然だった。「それがよくわからないんだけど、なんか家族みんな富山が好きになっちゃって、その答えを探しにいくの」と答えたが、本当にそんな旅となった。
富山県のきときと空港のチケットは取れなかったので、石川県の小松空港に降り立ち、レンタカーで富山へ移動した。高速を降りて走っていると県営の公園や動物園などが見えた。駐車場にはたくさんの車が停まっていたからきっと気持ちのいい場所なのだろう。スケールが広大で、海外にいったときなんかにおもうような、広いっていいよなーという気持ちに包まれながら、車から風景を眺めていた。前回訪れてかなり気に入った富山県美術館も、世界一美しいと言われるスタバのある冠水公園も、ゆったりとしていて、富山は空がひろいから、息を吸っているだけでも気持ちがいい。前回1ミリも拝むことのできなかった立山連峰、今回はこれでもかと言うくらいに眺めることができた。娘が「前回ははかわいいっておもったけれど、今回の富山は、かっこういいね」といったときには、よくぞこの気持ちを代弁して表現してくれたと、抱きしめたいくらいだった。「かわいくて格好いいなんて最強だし、格好いい人はまだまだ格好いい姿を見せてくれるものだよ」と娘にいった。そして、それは事実だった。
富山との出会いをうんでくれた『HUTTE』というセレクトショップを営む浅野さんには、本当に本当にお世話になった。日頃から愛しておられるのだろうとおもう大切な場所を、いくつもシェアしてくださった。朝ごはんを食べ、夜ごはんも食べ、みんなでたくさん笑ってのんで、たからもののような時間は両手からこぼれ落ちそうなくらい。

椎名林檎の曲で「ありあまる富」という大好きな曲がある。朝にひとりで散歩をしているとき、イヤフォンからずっとリピート再生して聴いていた。ギターのイントロがやさしくロマンティックで、BGMにはあまりにもピッタリだった。ふと振り返ったとき、道路を横切るときに不意に視界に飛び込んでくる山々に触れると、あまりの美しさに胸が詰まるような、詰まった胸に風が吹き抜けるような、ほんとうに不思議な感覚を、何度も、何度も覚えた。歌詞の中に

僕らが手にしている富は見えないよ
彼らは奪えなしいし、壊すこともできない
僕らは数えないし、無くすこともない

と言うフレーズがあるのだが、この楽曲は富山のために書いたのではないかとおもうくらいに、言葉のひとつひとつが、富山という土地にしっくりくる。桜もみてみたいし、遊覧船にも乗りたいし、紅葉も見たいし、トロッコにも乗りたいし、香箱(こうばこ)カニも食べたいけれど、大雪もみてみたいねえと家族で話していたら、「富山は、一度ではみせてくれないねえ!」と娘がいった。「ママ、それってあざといってこと?」と聞いてきた。最近のティーンは、あざと可愛いとか、あざといと言う言葉をよく使う。「一度で見せちゃうほうがあざといんじゃない? 自然はそんなに都合よくいかないからね」と言うと、娘はすごく納得したような表情を浮かべた。どうしてこんなに富山を好きになったのだろう。まだまだ、それをうまく言葉にできない。もっとたくさんの表情を見たいし、全ての季節の時を、一緒に刻みたい。もしかしたら、こういう気持ちを、愛とか恋とか、呼ぶのかもしれない。

2026/03/19

日記本じゃなくて、日記をつくることにした

 日記本をつくるにあたり、信頼をおいている仲間の何人かに会って相談をしているうちに、見えなかった光が見えてきた感じ。服もそうだが本もそうで、原材料費も人件費も上がり続けるし、価格をおさえて利益率を上げるにはたくさん刷ってたくさんうること、どうやらそれ以外に道はない。しかしそれ、本で生計を立てているわけではない自分が本当にやりたいスタイルなのだろうか、疑問を抱えていた。

お気づきの方もいらっしゃるかとおもうが、街中の素敵なカフェや本屋、アパレルなどのお店を注意深くみていると、最近『通信』や『新聞』というようなスタイルで紙媒体のお知らせを置いている店が増えた。しかも、デザインや配色などとても素敵なものがおおい。印刷費とかたいへんだろうなとおもうけれど、楽しそうなのが紙面から伝わってくるし、静かなメディアでいいものだなとおもうから、ありがたく手にして帰る。先日、日本橋の<木屋>に行ったら、なかなか立派な『日本橋』という本をいただいた。銀座でも、確か昔からこんな本があったことをふと思い出した。父がよく読んでいて、バックナンバーがトイレに置いてあったのだ。確か、『銀座百店』というタイトルだったような。その一方で、価格を抑えてつくったんだろうな、という本も昨今たくさん見かけるわけで、ものづくりってなんなんだろうと、表現ってなんだろうと、頭が混乱する。それは本だけでなく、服も、靴も、なんでもそう。ただでもいらないとおもうものが、堂々と値段をつけて売られていたりする。果たして自分は今どこの立場にいて、どのくらいの財源で、どんなものを作れるのだろうと考えたら、進みたい足が立ち止まってしまっていた。
「どうして日記本つくりたいんですか? 誰に読んで欲しいんですか? 予算はどのくらいですか?」
先日相談にのってもらったNさんに直球で聞かれて、「いちばんは、娘に残したいんです」と答えたら「だったら、極端なはなし一冊でもいいのかもしれない」と言われて、なんだか目から鱗が落ちた。絶対的な信頼をおいているNさんの言葉は、刺さるものがあった。「それ日記本じゃなくて、もはや日記ですね」と言って一緒に笑ったが、なるほど、わたしはそういうことしてみたかったのかもしれない。一冊つくる。自分でプリントして、束ねて、装丁も考えて、学生時代に卒業文章を作ったみたいに、日記本を作ってみようとおもう。出来上がったそれは娘に捧げたいが、6月からはじめるあたらしい場所にも置いておくので、オーダーをいただいたら、また一冊、もう一冊と作っていこうとおもう。
先日表参道の<MoMA>で、特装本(とくそうぼん)というのをはじめて目にした。特装本とは、その名の通りに特別な装丁でつくられた本。大量に刷られた本は一冊1980円だったが、その特装本は16万5千円で、ガラスケースの中に飾られ、横に置かれてあった。その特装本、目が飛び出るほどに素敵で、時間とお金のかかっているものとは、と思いながらもさすがに手が出ないので1980円の本を買って帰った。五十嵐威暢(いがらし・たけのぶ)さんの、『はじまりの風』という本で、素晴らしいので足を運んでみてほしい。特装本ではないが、わたしが手にした本も十分に素敵で、デザイナーだった著者ならではのシンプルだがセンスのいい装丁は目に美しく、手触りも素晴らしい(著者は<PARCO>のロゴなどをデザインされた世界的に有名なデザイナー)。
日記本は娘に残せたら十分だが、もしも読み返したいとおもってくれる稀有(けう)なかたがいたら、心を込めてまたつくるつもり。同じものは、きっと二冊とない作りになるはず。この先、命懸けでつくりたい本はあと一冊で、それは実家の家族のこと。そのための原稿を5年くらいかけて書こうとおもっているので、文章という文章は、しばらくはそちらに全力を注ぎたい気持ちでいる。それ以外に、短い言葉を残す訓練をしたいので、昨日から詩をかくことを決めた。「声に出して読めない言葉は書かないほうがいい」と師匠は言っていた。ダサいもの、格好つけてるものは声に出すとペラッペラでつらいから、等身大の言葉を、できたら手書きで残して声に出す、という試みをはじめてみようと思いついた。長文を書くためには、短文もきっと必要だろうとおもったのだ。陸上部の長距離選手だって、トレーニングで短距離ダッシュをするはずだ。人生は部活。文芸部、練習を積み重ねるべし。

2026/03/18

船を漕ぎはじめる

 声を大にして言いたいが、修理の仕事ってほんとうにむつかしい。おなじものがほとんどないし、素材も違うし、大抵がはじめまして。昨日はスエット、自転車用のグローブ、ルームシューズの修理品を前に、触ったり考えたりしていたら時間があっという間に経ってしまった。打ち合わせでやってきた写真家の杉江篤志(すぎえ・あつし)君が、玄関のチャイムをピンポンと鳴らしたのは13時前くらいだった。干物を焼いたりしている間、杉江くんのホットな近況を聞いておもしろがったりしつつ、簡単なランチをしながら、お願いしたいことをざっと話した。<BRANDIN>ではじめるあたらしい活動に際して写真が必要になり、そこの部分を彼におねがいしたいとおもったのだ。これまで、もしかしたら白黒の写真を得意としてきたのかもしれないが、最初に彼を知ったのがたまたまカラーの写真展のときだった。それがとても良かったので、自著の『Sunny Side』に載せる写真もカラーでお願いした。わたしは杉江くんの撮る写真がとても好き。

空間を見てくれればイメージをつかんでくれるだろうとおもったし、単純に音楽好きだから一緒に<BRANDIN>にいこうとなって、杉江くんの運転する車で茅ヶ崎へ。曇っていた午前中が嘘みたいにどんどん晴れてきて、波もすこしづつ上がってきた様子を眺めながら、134号線を走る。窓を開けても寒くはないし、潮風と波の音が気持ちいい。サーファーも、まだまばら。自分が知っている限り、春の陽射しの中だとといちばん好きな、湘南らしい風景だった。
道中で杉江くんがかけていたのは<グレイトフル・デッド>だった。彼らを好む人たちをデットヘッズと呼ぶことも、昨日はじめて知った。小鳥さんのまわりにもいるのでは、みたいな会話になったので、「どんなファッションを好む人たちなの?」と聞いたりして、答えを紐解いていく。「あー、なるほど! いるかも」と回答用紙を埋めていく感じで、楽しいドライブだった。お店につくと、偶然とはいえまた<グレイトフル・デッド>がかかっていた。デッド、キテマスキテマス、って感じだ。ものすごく好きかと言われるとまだよくわからないのだけれど、「こういうのすき」っておもう音(曲?)がふいに流れる。<グレイトフル・デッド>、一昨日しって、昨日で二日目の初心者なわたしだ。<グレイトフル・デッド>を聴きながら、だいすきな<アイズレー・ブラザーズ>の棚を眺めたり、本を読んだり、ビールを飲んだりしてから、ひろみさんと杉江くんで庭の奥の場所にいく。あとはもう、杉江くんと天気のふたりにお任せすれば大丈夫、という信頼があるので何も言わない。
場所をつくる、という言葉に憧れはあるが、一から作るのがあまり得意ではない。というか、たぶん興味もないのだろう。あれば熱狂してやるに違いない性格だが、その情熱がない。例えば椅子はこれ、器はこれ、というほどにアイテムの知識がないし、調べるのが面倒くさいタイプなのだ。そのかわりに、つくられた場所の心地よさには異様に敏感で、「すき!」とおもうと、突き抜けてときめく。馬詰佳香(うまづめ・かこ)さんがつくった<BORN FREE WORKS>もそうだったし、タイパンツ展で長くお世話になった吉村眸(よしむら・ひとみ)さんの<Zakka>も、そして宮治ひろみさんがつくった<BRANDIN>の庭にある小部屋も、はじめてみたときに胸がときめいて、キラキラキラキラって音がするくらいの気持ちになった。そうおもった場所にご縁が生まれてお邪魔するときは、なるべく空気を変えずに使いたい、というのが自分の意思。なので、あまり手を加えることなく、少しだけ、道具として使うがアートにもなるものをあと二つだけ置きたいとおもっている。ひとつは夫の切り絵、もうひとつは<BIRDS CRESTION>の小玉譲二(こだま・じょうじ)くんには、もう相談済み。さてさて、いつ仕上がってくるのかな。でもいそがなない。別に始まってからでもいいのだ。わたしは今、ゆっくり船を漕ぎはじめたばかり。

2026/03/17

セッション

 ものすごーく頭と感性をつかう仕事の打ち合わせが、先週二件続いた。脳が疲労しているのか、昨日はうっかりうたた寝。パッと目が覚めて起きると、さっきまで曇っていた空は陽が差し始めていた。ちょっとリフレッシュした方がいいものができるはずと、車を走らせて茅ヶ崎まで飛ばす。

13時のオープンから少し経ったくらいで<BRANDIN>につくと、軒先のパーキングが空いていたので縦列駐車をする。外から手を振ると、カウンターにいた店主のひろみさんがわたしに気づいて手を振り返してくれた。チャイをいただきながら二人で話し込んでいると、常連と思しき年配の男性がいらして、おなじテーブルの向かい側に座った。話しているうちに、海外赴任がおおかったご様子、奥様が先立たれたこと、お嬢様がフランス人男性とご結婚されて、娘さんと三人でファミリーバンドを組んでおられること、数日前までお嬢様達はマウイにいたけれど、ストームから逃げるようにフランスのご自宅に無事戻られたことなどがわかった。とても感じのいい紳士で、今日は待ち合わせなんだという。やがてやってきた女性に、わたしはまた「はじめまして」と、ご挨拶をする。クアラルンプールに住んでいたという方で、近くわたしも足を運ぶ予定があると伝えると、嬉しそうな表情をたたえ、どんなエリアでどんなホテルなの?と、あれこれ盛り上がった。どこからどうみても素敵なマダムで、お化粧もキレイで、髪型もうつくしく、話し方、話の運び方もチャーミングで、見惚れてしまうほどだった。その後にやってきた少し髪の長い男性は、もともと出版社にいたという方で、ひろみさんがわたしのことを「本を書いている人なんです」と紹介してくれると、その方はわたしの著書『Sunny Side』を知ってくれていた。腰のひくい、言葉選びの素敵な人で、ああ、出版関係納得、と唸ってしまう感じの人だった。続いてやってきた女性にも、ひろみさんがおなじように紹介をしてくれると、「日記本を作りたいならここにいったらいいかも」と、都内のあるスペースを教えてくれた。翻訳の仕事をしている、というボーイッシュな女性だった。教えていただいた場所がとてもいい感じがしたので、近く必ず足を運んでみようと決めた。

インスタグラムでお知らせしたとおり、6月6日から<BRABDIN>の庭にある素敵な空間で、あたらしいことをはじめる。これまで何度足を運んだかわからないくらい大好きな場所で、レコードを聴き、コーヒーを飲み、本を眺め、たまに、手紙を書いた。頭がいっぱいのとき、心がついていけないとき、忙しすぎるとき、泣く力すらわかないとき、羽を休めるように足を運びたいと思う場所が、<BRANDIN>だった。由比ヶ浜の<BORN FREE WORKS>の運営を終えてから5年間、あの場所と同じか、それを超えるくらいに好きだとおもえる場所を探せなかった。そのことはどこかでいつも寂しかったし、風景はおなじようなものがおおく、退屈で、つまらなくもあった。やっと、あのときとおなじくらいの気持ちで「動きたい!」とおもえる場所を見つけられて、今はワクワクした気持ち。曜日の設定を土・日・月としたのは、理由がある。ギャラリーの運営では金・土・日としてきて、週末にむえて売り上げを上げていくぜーと、テンションもボルテージをあげてきたけれど、次はシフトダウンしたいとおもったことが大きい。月曜日のスピードがゆるまった感じが個人的にとても好きで、加えて、サービス業の人も月曜日はお休みの人が多いから決めた。昨日、月曜日に足を運ぶ側の気持ちを再確認しようとおもっていったのだが、その答え合わせのような時間を過ごせて、間違いないなと、確信に変わった感じ。
じぶんも含めて、今は昔より、疲れている人がおおい気がする。こどもも、おとなも、みんな一様にうっすらと疲れたベールをまとっている人がおおい。待ち合わせも買いものもなんでもかんでもとても便利になって、たくさんの恩恵を受けているわけだけれど、「みて」、「忘れないで」、「買って」は、頼んでいないが無意識のうちに3点セットになって、そこにいる。今も昔も時間はおなじだけあるはずなのに、なんだかいつも、急かされてばかりだ。聞けば、お風呂やベットにまでくっついてきちゃう子もいるという。君、ずいぶん甘えん坊だね。それとも、働き者なの? 早く売らなくちゃ、たくさん売らなくちゃ、そのお金を老後に向けて増やさなきゃ、不安、不安、不安って耳にする。ねえ、本当にそうなのだろうか、わたしたち、忙しすぎはしないか。そうおもうわたしは暇なのか。
不便、非効率、そういうものをあえて選んでみてはどうだろう。視界がガラッと変わるはず。疲れているのは体ではなく、心でもない。ブレインだって気づくと、美しい音が聴こえてきて、彩りが豊かになっていく。わたしは最近、心の底からそうおもっている。「綺麗事だ」って、君はいう? わたしには決して聞こえない場所で、名前すら名乗らずに。それも知っている。わたしだってわからない。だから、それが本当かどうか、それが現実になるまで、その実験をしたいのだ。6月6日の<楽器の日>から。楽器って最初からはうまく音を出せない。だから繰り返し練習をするしかない。それを続けていくことでしか奏でられない音がきっとあって、わたしにしか出せない音がきっとあると、そう信じている。ねえ、いつの日か一緒にセッションしようぜ。

2026/03/16

めぐりゆくもの

 横浜駅構内で、横須賀線のホームにあがるにはどうすればいいのか、困っている様子の親子がいた。ひとりは車椅子に乗った男性、車椅子を押しているのはわたしとおなじくらいか、もう少しだけ年上かもしれない。親子なのだろう。雪の降るエリアから来たのかなとおもったのは、なんとなく土地に不慣れな感じがしたのもあるが、肌の焼け方が雪の反射で焼けたような雰囲気を彷彿させたこともある。でも一番は、履いている靴がスノーシューのような、雪道に対応するタイプのものだったから。案内の看板をじーっと見ていたので、しばらく彼らを遠くから眺めていた。すると、お父さんと思しき男性をその場に待たせて、若い男性がさっといなくなった。急ぐ用事もなかったし、車椅子の男性のほうに歩み寄って、「エレベーターをお探しですか?」と声をかけたら、若い方の男性が帰ってきたので、おなじ質問をする。「エレベーターだったらあっちみたいですよ」と、案内表示のほうを指さして伝えると、「ありがとうございます。駅員さんが、一番奥ですっていったので」と言った。会釈して別れ、わたしは階段でホームに上がった。なんとなく、ちゃんと登ってこられるかが気になったので、エレベーターが上がってくるのを確認できるくらいの場所から離れて見ていると、すぐに二人はやってきて、またキョロキョロとしながら、ホームを歩いていった。不安そうな姿が、小さくなってゆく。

昨日は久しぶりに母に会いにいった。母にあったあとは父に会いにといつもおもうのだけれど、母とたくさんおしゃべりをしていると、いつも時間はあっという間に経ってしまう。年老いた両親はそれぞれの現在に適した場所で、適切なケアをしてもらいながら暮らしている。すこしだけ居住エリアが違うから、都内でも移動に時間がかかるのだ。母はわたしをみるなり「そのセーターかわいいわね。にもちゃんも着たいって言わない?」と言った。袖と裾がオレンジ色で、ボディの部分はブラウンベースのニットを着ていったのだ。ネイルも同系のオレンジだったから、母はそれも含めてかわいいと褒めてくれた様子だった。時間がないとおもったけれど、ゴールドのネイルを落としてオレンジに塗り替えてよかったな、わたしはおもった。母とシュークリームを食べながら、最近の修理の仕事の近況など話していると、「人に喜ばれるでしょう。喜ばれるっていうのが、なによりの喜びよね」と言った。「お直しって、失敗ができないわね、緊張する?」とも聞かれた。「緊張するよ! 終わったらどっと疲れるよ」と言ったら、母は笑った。「あら、笑って涙がでちゃったわ」と言って涙を拭っていたけれど、さっきからその涙を眺めていたわたしは、ああ、会いにきてよかったなと、しみじみおもっていた。
四人兄弟で、ぶつかることはあってもおおむね仲良くやっているわたしたち兄弟。誰かが両親のところに足を運ぶと写真をとっては、みんなにシェアをする。決まりではないが、いつからかそれが当たり前になっていて、送られてきたほうは「いってくれてありがとう」とか「元気そうな姿を見れてうれしいです」とか、そんな感想をかんたんに送りあう。東京を離れたのは家族でわたしだけだから、一番足が遠のいているが、でもこうして、涙を流す瞬間だとか、シュークリームを口に運ぶ動作なんかを目の前でみると、やっぱり会いにきてよかったと強くおもう。写真や動画は残せるけれど、残せないものを、自分の中に残したい。そんなことをおもった。母は昔からよく「人からしていただいたことをお返ししなさい」と言っていた。「たとえおなじ人にじゃなくてもいいのよ、めぐっていくから」と。
子育ても親の介護も、当事者にならないとわからなかったことばかりで、今世では経験しない人生の人もいるとは思うけれど、わたしはその全部を糧にしてゆく。人の痛みや優しさに触れることを本当にたくさんしったし、それがまた誰かの役にたつこともあるのだと、最近つくづくおもう。生きているといろんなことがある。子育てや介護などは不可抗力で、努力も、意思も、コントロールもきかない。だから比べない。昼間に月を探さない、夜に太陽を探さない。陽がのぼり、陽が沈むように、人生はグラデーションでうつりかわってゆく。その時々の濃淡の中で、邪魔をしない存在でいたい。きれいだな、きれいだねと、お互いがおもえるような色彩の一部のように。

2026/03/15

わたしを「みも」って呼ぶひと

 茅ヶ崎市は南北にながい。海側と、山側。その山側に、事務所と倉庫と工房と呼んだらいいのか、巨大な場所を構える末綱浩次(すえつな・こうじ)さんは、<LOGGER WOOD SUPPLY CO.>の代表を務めている。木材を扱っていて、店舗の内装の仕事などを中心におこなっているはずだか、彼の仕事は多岐にわたるのではないか。代表といっても母体はひとりなのかもしれないが、ひとりのようで、人と一緒に仕事をすることが仕事でもあるとおもうし、一言では簡単に説明ができない。そして、きっとわたしはまだまだ彼の仕事をよく知らない。友人であり、おにいちゃんみたいでもある。お互い九州にルーツを持っているだけあり、顔立ちに南方系のニュアンスを感じるから、親戚にあったような安心感がある。それは最初にあったときからずっと、今もおもっていること。くしゃっと笑った顔がなんとも良くて、「クシャッと笑う」、という表現が本当にしっくりくる人だ。

昨日はLOGGERではじめてのイベントがあると聞いて、足を運ぶことを楽しみにしていた。先日電話で聞いたら、埼玉県の入間市に店舗を構えるセレクトショップ、<LAND>という店の店主の通称『まっちゃん』の企画だそうで、彼の仲間達が一同にやってくるような、そんな感じなんだと聞いていた。服、パンツ、ハンバーガー屋もくると聞いて、わーなんかいいねとおもった。近所に住むKちゃんもいくというから、彼女の車に乗っかって、わたしは向こうでハンバーガーとビールだぜと企んでいたのだが、Kちゃんの夫も行きたいと言い出し、まさかのわたしの夫も行きたいと言い出したので、結局それぞれの車で向かうことに。
先日、仕事で会計ソフトのことを調べる必要があり、詳しい人は誰だとおもっていたら、ふっとYさんの顔を思い出して電話をした。Yさんはわたしが19歳でアルバイトをしていた時のカフェのオーナーで、ひとまわり歳の違う男性。半年振りくらに電話をしていきなり本題に入ったのだが、話の理解が早い人なので、要点をつかんでくれてサーっと説明してくれた。「ありがとうございます、またね!」とさっさと電話を切った。ふと、Yさんもロガー好きかもな、とおもい、前日だったかラインで誘ってみたら、Yさんもくるという。そんなわけで、夫とYさん、二人のおじさんを引き連れて茅ヶ崎までドライブ。
何度も足を運んだことのあるロガーだけれど、昨日はまたちょっと違う雰囲気になっていて、でもいつもの雰囲気が損なわれることはなく、とてもいい塩梅だった。夫はさっさとビールを飲んでいたので放置し、Yさんと会場をうろうろ。Yさんは銀座でハンバーガー屋をやっていた時代もあるので「ハンバーガー食べます?」と聞くと「昨日食べたんだよね」という。そして、「あの写真いいよね」と、会場の一角に設けられたギャラリースペースのような場所を指さしていった。写真の人がイベントに出るなんて書いてなかったし、「あそこ、なんなんですかね」と言って二人で近づいた。
Yさんは90年代に、新宿で<ニューヨーク・カフェ>と<ニューヨーク・マフィン・ファクトリー>というカフェを経営するオーナーで、わたしはそこのバイトだった。Yさんは写真も好きで、内装で飾る写真は自らニューヨークに撮りにいくほどで、その写真がまたとてもセンスがよかった。ゴミ箱一つ買うのにニューヨークに行くような奇天烈オーナーで、一緒に七里ヶ浜で波乗りもしたし、西新宿でスケートボードもした。仕事(主に掃除と美的感覚)は厳しかったけれど、最高に楽しいオーナーだった。そんな写真好きなYさんだから、昨日はその写真が飾られていた一角で、写真家の菊池崇(きくち・たかし)さんと実に楽しそうに言葉を交わしていた。菊池さんはとても素敵な写真を撮る方で、ニューヨーク、カウアイ、オアフと、いろんな写真があった。夫もわたしも、一枚づつ購入させてもらった。
そうこうしていたら末綱さんもやってきて、Yさんを紹介する。ノリで、遊びで来たとおもっていたYさんだけど、木材のことで興味があってきたのだと、末綱さんとの会話ではじめて理解した。Yさんは、遊んでいるようでいつでも仕事熱心なのだ。最近は飲食店のコンサルティングのような仕事もしているのはうっすらと知っていたので、なんとなく、末綱さんの仕事につながることがあるといいなー、くらいはおもっていたけれど、ちゃんと視野に入れて動いているのがさすがYさんであった。Yさんは某私立の幼稚舎から大学までエスカレーター式であがっていった、いわゆる典型的なおぼっちゃまくん。加えて、ザ・バブル世代。だからといって気取らないし、飾らないし、人を値踏みしない。いっつも静かにおもしろくて、笑いのツボがちかい。センスがよくて、好きと嫌いがはっきりしていて、ダメなものはダメだと、ビシッと相手に言える人。わたしがバイトをしていたとき、20歳になって夫と出会ったので、Yさんは付き合いたての、当時26歳だった夫のこともよく知っている。「みも、あの人ほんとうに大丈夫なの? だって無職なんでしょ?」と、無職でロン毛で、なのにヨットには乗りにきていた、こうして書くと確かに相当ヤバめな夫のことを、すごーーーーく注意深くみていた(わたしは当時大学のヨット部で、夫はOBとしてヨットを乗りに来ていたのだ)。昨日はその話を振り返りながらのドライブで、三人で大爆笑しながらの楽しい道中だった。トレンディドラマに憧れて、コンクリートの打ちっぱなしのマンションに住み、ギバちゃん(柳葉敏郎を彼はこう呼びます)になれるとおもって上京して、現実に打ちのめされていた夫。当時は廃人のようにダークサイドにいたので、六歳年上のシティボーイのYさんを、羨望の眼差して見つめていたらしい。そりゃそうだよね。32歳で都内でカフェを二店舗も経営して、社用車なのにフォード乗って(わたしが乗りたい、古いポルシェにも乗っていたことが昨日判明した)、ニューヨークに買付いって。確かにすごい人だったんだなと、今になったらわかる。でも、Yさんは執着がないからいつも次のことを考えているような人で、そこが魅力の一つな気がする。職人タイプではなく、数字にも強いし、側(がわ)をつくる才能が秀でているような人。だから、まわりにはあんまりいないタイプなのだが、昨日Yさんが末綱さんに「みもが紹介してくれるってことは、きっとセンスのいい人なんだろうとおもってきました。ウェブサイト(インスタ?)も見てきました」と言っていて、それがじんわりと嬉しかった。わたしのこと「ことり」って呼び捨てする男子は地元の高田馬場にたくさんいるけれど、「みも」って呼び捨てする男性は父とYさんだけ。それもなんだか嫌いではない。そうそう。父とYさんは大学が同じで、父はYさんのことを「後輩」とか、「後輩の店」とか言っていたことも、昨日ふっと思い出した。パパ、元気かな。すっかりご無沙汰しちゃってるから、顔を見にいこうかな。

2026/03/14

ちかごろわたし達はいい感じ

 これまで、仕事で何度足を運んだか数え切れないくらいの横浜・妙蓮寺駅だけれど、まだまだしらないことがおおい。昨日は友人で織り作家の中島寛子(なかじま・ひろこ)さんのワークショップに参加するべく、CANOという場所へ。駅から公園を抜けて知った顔をしてぷらぷらと歩いていたら、緩やかな坂から信じられないくらいの坂道に突入してへとへとになった。登ったとおもったらまた急にくだる。もう無理かもしれない。Googleマップによると、目的地は前方にみえるあのあたり。「えー、またしても坂があるー」と泣きそうになりながら向かった。あとでわかったが、どうやら道を間違えていたようだ。最初のお山は通らなくていい道だった。お腹は空いているし、時間はギリギリだし、坂道で息は上がるしで、半べそになりながら、急坂を後ろ歩きでのぼったりして頑張って向かった。わたしはとにかくヘタレなので、坂道もけっこう苦手で、すぐに根を上げてしまう。

自宅の一角と思しきCANOさんのアトリエは、感じのいい素敵な建物だった。ガラスのドアをノックすると、何年振りかわからないくらいの寛子ちゃんが、ぱああっという光の音が出るような笑顔で迎えてくれた。CANOの諏訪さん、という女性をご紹介してくださった。一瞬で、寛子ちゃんの長年の友達というのが納得、という感じの方だった。昨日は織りでコースターをつくるワークショップで、これがもうすごくたのしくて、人数も五人とコンパクトなのも良かったと思うが、めちゃくちゃいい時間だった。お集まりになった方も総じて感じがよかった。
寛子ちゃんとの出会いは18年くらい前だと記憶している。当時原宿の明治通り沿いにある宮崎ビルの地階にあった<Zakka>で。当時から織り作家として活動していた寛子ちゃんは、納品かなにかでZakkaにいて、わたしは当時、Zakkaのギャラリースペースをお借りして夫の切り絵展かタイパンツ展のどちらかをしていたはず。店主の旦那様の北出博基(きたで・ひろき)さんが紹介をしてくれて、はじめましてと言葉を交わしたのではなかったか。高校時代の同級生の、お父さんでもあった北出さん。いつも優しくて、たまに厳しくて、愛のかたまりみたいな人だったから、 <Zakka>で取り扱いのある作家さんを、何人も紹介してくれた。当時のわたしはタイパンツ作家と名乗り始めたベイビーというか作家のはしくれで、まあまあやばい人だった。仕入れという名目でタイパンツ展の直前にアメリカに遊びにいったりしていたわたしを「みもちゃん、展示前に海外で遊んでいる作家さんはいないよ!」と呆れらたのも、今ではいい思い出。
Zakkaで作品を見ることのできる作家さんは、当たり前だがみなさん一流だった。そして総じて控えめで、真っ直ぐで、感じのいい人がおおかった。寛子ちゃんもその一人だった。真っ白な服が似合う感じの寛子ちゃんだけれど、わたしのタイパンツを選んでくれたのは、割とパキッとしたグリーンのアメリカの布だったり、ピンクのインドの生地とかで、結構攻めた色も好きな人なんだとわかった。確かに、寛子ちゃんの作品にはビビッとなものもあるから、納得と言えば納得なのだけれど。
三人の子育てをしながら織り作家として暮らし、最近はちょっと面白い町おこしみたいな活動もしている寛子ちゃん。昨日、『中島先生』として彼女を見ていておもったが、ものすごく熱いハートの持ち主で、愛情がこれでもかとこぼれ落ちる人で、どっしりと構えたおかあさんそのものだった。家でも、きっとこんなふうなのだろう。まずもって声がいい。優しくて落ち着く。うっかり眠くなりそうだった。ちょっと失敗しても「だいじょうぶだいじょうぶ、正解はないから」とすぐに軌道修正してくれる。「おかあたーん!」と呼びたいくらいだった。お互いにちょっとだけ子育ても楽になり、ちょっぴり歳もとったけれど、なんかいい感じに歳を重ねていた。手を動かしている人なので、手がしっかりとしていて、ゴツッとしていて、格好よかった。会の終わりにはまさかの先生お手製のキャロットケーキまで振舞われてびっくり。寛子おかあさんは、出し惜しみせずになんでも差し出しちゃうタイプなのだろう。大人向けのワークショップは、今回がはじめてだったそうだ。それを聞いてびっくりするくらい落ち着き払っていたし、めちゃくちゃ向いているとおもった。いろんな場所でタネをまいたらいい。家庭が、村が、町が、平和になるに違いない。そういう空気と時間を、自然とつくれる人なんだと確信した。寛子ちゃん、昨日はありがとう。また会おうね。

2026/03/13

こどもはみている

 遊ぶために働いているわたしは、できることならいつだって遊びたい。だから仕事の仕方について日々工夫と研究、なによりも努力をおしまない。お店ではないから始業も終業もないので、まあまあ早くから仕事をする日もあるし、押した場合はお昼の時間をうしろにずらし、駅中の立ち食いそばみたいに、キッチンで卵かけご飯!みたいな日もある。

縫製の仕事が中心ではあるけれど、前日とかに突然バイトを頼まれることもある。店舗の接客、請求書の発送、ラジオのAD、などなど。ときには「ネズミの駆除でいい業者さんを教えてほしい」(知っていたのでご紹介した笑)なんてこともあった。そんな感じで、日々友人や知人がさまざまな相談を持ちかけてくれる。みもちゃんなら知っているのではないか、なんとかしてくれるのではないか、暇なのではないか、そのどれかで連絡をくれるのだろう。たしかに暇な気もするし、忙しいと言えば忙しいわたしだけれど、書類は落ちるがこうみえて仕事ははやいほうなので、高速でこなせばたいていはなんとかなる。相手がなにを望んでいて、どこをいちばん困っているのかを判断して優先的に動く、というのが得意なのだとおもう。
昨日も仕事の依頼があった。よく知っている方からなので「うちで打ち合わせでもいいですか」と、お願いをした。干物を干しながらPCの作業をし、ご飯を炊いている間にお味噌汁を作り、卵焼きを焼いて、簡単なサラダをつくっているころにやってきたので、一緒に食べた。お客様をお見送りして仕事を再開していると、四時間授業だったらしい娘が入れ替わりで帰宅。「おやつがない!」というので、材木座の<ミル・コーヒースタンド>へ行ってみようかと、二人で自転車を漕いで向かった。娘は最近カフェへの憧れが強く、とっても興味津々な様子だった。お店は古い建物の一階で、壁にはレトロなタイルが貼られているのだが、その配色、緩やかなカーブ、椅子の色など、いちいちツボっていた。店主はひとりでやっているのか、この上に住んでいるのか、あの奥の席にいる女性は勉強をしているのか(ノートに何かを書いていた)、少しくらいならここで勉強をしてもいいのか、あれこれ質問攻めにあった。メニューを見てニューヨークチーズケーキとガトーショコラ、二つを迷っていたのでどちらもオーダーする。娘はココア、わたしはいつものドリップコーヒー。ほどなくしてドリンクが運ばれてくると「カップかわいいー!」と娘。写真を撮ったあとに飲むと「おいしいー!ミルクじゃなくて生クリームなのかな?ふわふわ〜」という。続いてケーキがくるとテンションマックスでお写真撮影に勤しんでいた。ケーキの上には生クリームが美しく添えてあるのだが、「こんなこと、家でやらないよね〜」と言いながら頬張る。「丁寧につくられた味がする!」と娘。ブレーキを踏むことなくアクセル全開で食レポ。空腹だと不機嫌になるのはわたし譲りで、満たされると眠くなるのも同じで、昨日は滞在時間30分あった?というくらいだった。お会計のときに、店主の女性に娘のケーキの感想を伝えると、ほころんだ笑顔で娘と言葉を交わしていた。子供は正直だから、いつでも真実を真っ直ぐにみつめている。平等で、計算がなく、お世辞もない。大人は子供に、見習うべき点ばかりだ。
自転車を漕ぎながら「さっきこの道走ったよねっていうくらい、すぐに出てきたね!」と言って、娘が笑った。「お店の人、こっちを何度かチェックしてたよ。メニューおいたら、すぐ来てくれたよね」ともいった。そして、「スタバとかもオシャレでいいけど、ああいうお店もいいね。応援したい」といったときは「へえ!」、と心の中でおもった。「そうだね。スタバもいいけど、おねえさんのお店はお給料制ではないからね」とわたし。果たして中学生のお小遣いでどれくらいの応援ができるかはわからないけれど、カフェひとつとっても、商(あきな)いのいろんな違いが見えてきた様子の娘だ。お給料はありがたいけれど、組織に属して働くしんどさもあるよ。足並みを揃える大変さも知って損はないよ。あと、会社員と自営業、できる人はどっちもちゃんとできる、というのが48年生きてきた今のわたしの見解だよ。向き不向きはあるけれど。でも、その話はまだすこし早いかもしれないから、またいつかね。
いずれにしても社会を知って、視野を広げて、仕事の仕方、お金の稼ぎ方、いろんなことを肌で感じてくれたらそれが一番。子供は未来。未来しかないんだから、見て知って、なんだってやってみたらいい。わたしはもはや、最近は肩書きとか、なんでも良くなった。人の役に立つこと、社会に貢献すること、それが仕事の基本だと、最近のママはおもってる。

2026/03/12

冷静と情熱のあいだ

 昨日学校がお休みだった娘は、わたしの友人であるMちゃんと二人でクリームソーダをのみにいくとのことで、車で鎌倉駅まで送迎をした。叔母なども含めて、母親ではない大人の女性と触れ合うのはとてもいいことなので、Mちゃんには感謝の気持ちでいっぱい。途中、現代風に進化を遂げたプリ(最近の子はプリクラをこう呼びます)などもラインに送られてきた。加工に加工を重ねた現代っ子の娘とMちゃんが、そこにいた。日々多忙を極める働き者のMちゃんだが、これに懲りずにまた遊んでいただきたい。

一方の母は午前中に仕事を済ませ、午後は和光の後輩で料理人のMちゃんをピックし、三浦まで。<新兵衛>で鯖の塩焼き定食とイカのフライを待つ間、Mちゃんから修理品の相談を二件受ける。一件は、修理よりも染め(藍染や草木)のほうがきっといいだろうと思ったので、そのように伝えてご返却。もう一件はできることは色々あるので提案をして、そのままお預かりすることに。
Mちゃんは、以前一緒にいったリサイクルショップ<爆安屋>をお気に召したようで、昨日も一緒にいくことに。道中で、「でもさ、Mちゃん断捨離してるっていってたじゃん。わたしたち、なにを買いたいんだろう」と笑いながらはなし、無駄なものは買わない!と意を決して向かった。
爆安屋は、店頭にも品が溢れかえっていてる。昨日、車を降りて10歩くらい歩いたら、赤い脚立が目に飛び込んできた。「かわいいー!」と手にし、その目と鼻の先にあった、木の座面に黒いアイアンのスツールも素敵で「買うー!」と両手に抱えたら「みもさん、まだ店内に入ってないのに二個も持ってる!笑」と後輩のMちゃん。そんなMちゃんも、断捨離しているといいながら、まあまあおおきな卓上のランプを買っていた。しかし、あれは絶対に買うべきだとおもった。琺瑯のカバーがなんともクラシックでかわいかったし、あんな素敵な赤と台座の黒、さらに調光もできるなんて最高だと思った。ミッドセンチェリーが何かわからないが、ミッドセンチェリーな気がした。というか、そういうお店で置いてあるランプにしか見えなかった。「これ、MoMAにあったら一桁はちがうよ」とわたし。爆安屋的にはとても高額な品だったけれども、Mちゃんは大人買いしていた。わたしは前回いった時に素敵だなあと思っていたワイングラスを買いに来たのだ。これまで数えきれないほどここで買い物をしてきたけれど、たぶん最高額でもひとつ220円くらいまでしか買ったことがない。それらが、たくさん家にある。しかし、そのワイングラスは一脚980円だった。二脚買ったら税込2178円。隣のグラスは10円とか50円とかなので、「高額すぎる!わたしには無理!」と思って前回諦めたのだが、昨日一緒にいったMちゃんが「これ、絶対やすいですよ!」と言うので、清水の舞台から飛び降りる思いでお買い上げ。ワイングラスを一脚だけ買うつもりで向かったのに、結果的にワイングラス二脚、脚立、スツールと買い込んで帰宅。
Mちゃんとわたしは20歳近く歳が違う。若いけれど精神年齢が高く、過去に何度か、もしや老人なのかと聞いたことがあるくらい、落ち着きを払っている。でも肌が若いし、髪の艶も先輩とはレベチなので若者なのは事実。冷静で分析も好きなのだけど、情熱がスパークする時もあって、それが結構おもしろい。冷静と情熱のあいだで、若者と老人が共存しているような子。帰宅して夫と娘におそるおそる戦利品を見せてみたが(夫によく怒られています)、二人ともとても気に入ってくれた。わたしの審美眼か、家族も慣れて麻痺してきたのか、もはや答えは誰もわからない。
以前、福岡・薬院の<BBB POTTERS>で見ていらい、ずっと欲しいと思っていた『天童木工』のリングススツールを購入したのは昨年の11月。一ヶ月後くらいに仕上がった品物が届き、以来とても気に入っているので、色違いでもう一脚いっちゃおうかな?と思っていた。しかし、先日サイトを見たら、値上がりしていた。昨秋は39600円(税込)だったのだが、現在の価格は51700円(税込)に。これがまさに、物価高の影響というやつなのだなと、身をもって痛感した出来事。残念だが、あきらめるしかない。でもスツールはもう一脚あってもいいよな、そう思っていたら、まさかの190円ですごく素敵なものが買えた。アイアンの感じ、座面の木の色、座面からアイアンがはみ出していないシルエット、全部が素敵だった。
これを読んでくださっている方はお気づきかと思いますが、わたしはどうやらお買い物が好きなのかもしれない。あたらしいものから古いもの、ハイブランドからノーブランドにいたるまで、全方位で楽しめるタイプのようです。勉強やリサーチが苦手なので、事前に調べることはほぼないが、見かけたものをずっと記憶している特殊な能力があるので、その膨大なメモリーをもとに、おかいものを楽しんでいる。ものに執着がないので、気が済んだらわりとすぐに売ったり、あげたりしちゃう。これも昔から。ほんと、父とそっくり。

2026/03/11

まあいっか、っておもえない

 とにかく朝に弱い娘で、目覚ましは起きるためではなく、止めるためのものだと思っている様子だ。「鳴ってるよ、鳴ってるよーーーーーー!!!!」とまずわたしが声をかける必要がある、果たして目覚まし時計の意味があるのか謎である。けれども毎晩必ずセットして眠りにつく娘は、どうやら懲りないタイプなのかもしれない。

先日、どうせ起きないのだしと思って、朝からスピーカーで音楽を流してたら、娘がムクっと起きてきた。「ママの音楽のほうがおきられるかも」、という。へーと思い、以来この作戦でいっているのだが、比較的打率高めで推移している。数日前は大瀧詠一の『A LONG VACATION』というアルバムを頭から流してみたのだが、やっぱり起きてきて、一曲目の『君は天然色』のイントロを、「ワクワクする感じのイントロだね、こういうのだいすき」と言った。起床効果、絶大であります。
最近はウルフルズ一辺倒のわたしなので、昨日は朝から『笑えれば』を流してみた。娘は、以前お友達から教えてもらったらしく知っていて、「これ、いい曲だよね」と言った。『笑えれば』のあとは、朝ごはんを作りながら『愛がなくちゃ』、『暴れだす』、『それが答えだ!』、『ええねん』とソウルフルなナンバーをかけ続けていたら、「ママは最近、はげしいのが好きなんだね」と言われた。そうなんです。
日中に仕事を済ませて、おそい午後は鎌倉の<POMPONCAKES GARE(ポンポンケークス・ギャレ)>へ。友人の岡本果倫(おかもと・かりん)ちゃんの展示を観に。初日だったし、ひとえにカリンちゃんの人柄と作品力だとおもうが、とても混雑していた。もうすこしじっくり見たいので、期間中にまた足を運びたい。<ポンポンケークス・ギャレ>に足を運ぶのはこれが3回目。オーナーの立道嶺央(たてみち・れお)さんも店頭にいらしたので、ご挨拶をする。とてもうれしかったことは、わたしの著書『Sunny Side』(2021年3月11日発行)を読んでくださっていて、しかもしっかり読み込んでくれていたのが、伝えてくれた感想でよくわかったことだ。お店にも置いてくださっているとのことで、「若い人が手に取ってくれてます」とも伝えてくれた。すごいなあとおもったのは、お店を経営しながら、家族を養い、スタッフにお給料をはらい、さらに自(みずか)ら店に立ち、お客様のわずかな同行もチェックしていることだ。じぶんは全部できない気がする、頼まれてもいませんが。人と比べていいことはひとつとしてないので、ただただ、賞賛と尊敬の気持ち。
仕事って、待っていないで見つけるか、つくるしかないのだ。『Sunny Side』を書くことはわたしにしかできない仕事だったし、できたら若い子に読んでほしいとおもって当時命懸けで書いたので、昨日は発行から五年越しで、ほんとうにうれしい感想をもらえた。素人だったからわからないまま進めて、めちゃくちゃお金もかかったけど(60万くらいだった記憶)、やっぱり振り切ってよかった。時間が経つほど、より一層にそうおもう。当時も事業資金に余裕があったわけではないけれど、クソみたいなものを作品として後世に残したくないと思って決心したのだ。素敵な装丁にしてくれたデザイナーの川畑あずささんと、写真を撮ってくれたビアフレンズの杉江篤志(すぎえ・あつし)くん、鬼かとおもうときもあったが、あめとむちで引っ張ってくれた編集者・中岡祐介(なかおか・ゆうすけ)さん、高校の同級生で校正者の牟田都子(むた・さとこ)さんにはあらためて感謝。
そうだ。途中、若いスタッフの女性も声をかけてくださった。ブログを読んでくれている方だった。感謝。若いって、もう生きてそこにいるだけでいいですね。なんだか働いているみんなの笑顔が輝いてみえた(実際に若い人は肌のはりが違う)。みんな、頑張りすぎずに頑張ってください。若い人に言えることはなにもないけれど、ひとつ挙げるとすれば、おばさんになると、肌は衰えるけれども、楽なこともたくさんあるということです。最近同世代の女子にあうと「なにをするにも『めんどうくさい』が先に来ちゃうよね〜」と言っている人がおおく、分かりみが深すぎて、腹を抱えて笑いあってます。
帰宅して、次の本のことを考えている。前回もお世話になった印刷会社<イニュニック>さんに電話をし、次はこんな感じのページ数で、こんな装丁で、こんな雰囲気の日記本を作りたいのですが、まずは見積もりだけでも先に知りたいですと伝える。電話口の担当の方が、「ことりさん、それはいちばん高いタイプの製本になります」と言われて、ずっこけてしまった。妥協案としてこんなやり方も、こんなやり方もありますよ、と丁寧に説明してくれた。コロナでギャラリーを閉じて以降、近年売り上げが右肩下がりのわたしだから、電卓を叩いて冷静に、ちゃんと考えないといけない。しかし、妥協するくらいならなにもやりたくない。いらないものはタダでもいらない。まあいっか、っていつもすぐおもうのに、ものづくりだけはおもえない。頑固な職人なのかもしれない。仕事、それは作るもの。とにかく、初夏に向けてタイパンツを縫うべし。そして売るべし。みなさま、どうぞご贔屓に。

2026/03/10

ええねん

 じぶんの財産のひとつに、素敵なおとなとの出会い、というのがある。若いころに出会って、もう決して若いとはいえない今となっても、いつでも先輩は先輩として、その背中を見せ続けてくれる。

昨日は<MY CUSTOM STUDIO>の代表をつとめる、松屋さんに会いに神宮前まで足を運んだ。30歳くらいで出会ったとき、松屋さんは40歳だった。ザ・関西人! な松屋さん、昨日もトークがキレッキレでおもしろすぎてずっと笑っていた。飲んでいたアイスジャスミンティーを松屋さんの顔に「ブー!」っと吹き出しそうになり、危なかった。腹筋が鍛えられたランチ。
2007年だったか、夫の切り絵をモチーフにし、シルクスクリーンでTシャツをつくりたいと相談にいったのが最初の出会いだった。20枚とか、それを2柄つくってがんばって40枚とか、確かそのくらいの発注数だったような記憶がある。もっと少なかったかもしれない。今になればわかるけれど、当時の松屋さんにしたら、わたしはめっちゃ発注数の少ないお客さんだったに違いない。加えてど素人な若者だったわけだが、松屋さんはとても親切に対応してくれた。データのこと、プリントするとこんな感じになるよと、コピーした原画を無地のTシャツに載せてイメージさせてくれた。夢しかないくらいにテンションがぶち上がったことを、今でもはっきりと覚えている。
20代から30歳半ばくらいまでは、こちらが若いというだけでなんだか偉そうな大人もたくさんいたけれど、松屋さんはちがった。わたしの中の素敵な大人リストに、すぐにフルネームを書き込んだ人。いっときはご家族でハワイに住んでいらしたこともあって、めっちゃ働いて早々にリタイアされたのかなとおもっていたけれど、今また、フルスロットルで働いていらっしゃる。今は神宮前とニセコの工場を行ったりきたりのご様子。偶然だがこどもがおなじ年なので、部活の話しなんかもできて、不思議な気持ち。
いろいろ話したいことがあったはずなのに、ウルフルズの話にヒートアップしてしまい、それから波乗りの話し、本の話し、音楽の話しなんかもして、とにかくおもしろい話をたくさん聞けた。「なんでそんなになんでも詳しいんですか」と聞くと、松屋さんは「Tシャツつくってきたから」と言った。格好よかった。
神宮前の事務所は、どこで手に入れたんだろうと思うような、みたこともない海外のアートブックが美しく陳列されている。多忙な松屋さんを待っている間、あれこれ手にとってじっくり見させてもらった。聞くと、昔から本が好きで、海外でも本屋巡りをするとのことだった。なるほどなあ、と思わずにはいられなかった。次は家族でニセコにいってみたい。そこでまた松屋さんに会いたい。そうそう。昨日連れていってもらった表参道の<LOTUS>という店、ごはんがとってもおいしかった。古いお店らしい、またいきたい。
松屋さんに会う2時間前に前ノリしていたわたしは、久しぶりに<クラークス>でデザートブーツ、<MoMA>ではずっと欲しかった置き時計、ポストカード、ピンバッチ、本を買ってご機嫌さん。松屋さんの事務所の目と鼻の先にある<オン・サンデーズ>でも、かわいいノートを買った。お店の男性がとても感じの良い方で、スノードームのこと、手帳のこと、いろいろと教えてくれた。確か中学生だったとおもうが、当時から手紙を書くことが好きだったわたしは、ポストカードをもとめて、初めて<オンサンデーズ>にきた記憶がある。姉が教えてくれたのだ。膨大なポストカードに心が躍ったものだが、昨日もその感動はおなじで、色褪せることはなかった。とっても素敵なアドレス帳があり、それをノート代わりに使うんだとお会計のときに話すと、おなじ形で毎年ダイアリーも出ていて、9月頃には店頭に並ぶと教えてもらったので、来年の手帳はそうしようと決めた。布ばりのノートの感触のことや、お店に置いてあっためちゃくちゃ素敵なスノードームは、粒子の小ささが輝きの違いなんだとか、熱心に教えてくれた。口調の熱量で、その人の好き度がよくわかる。
<オン・サンデーズ>の前に足を運んだ<エルメス>で、カシミアシルクのスカーフの良さをお店の方が熱弁してくれた。49歳のお誕生日には間に合わないけれど、50歳の誕生日に、お金を貯めて自分で買おうと思った。そのくらい、軽くて上質でめちゃくちゃ素敵だったから。カラーもドストライクだった。サーフボードとおなじくらいの値段だったし、カシミヤシルクなら年中使える。本当は、手刺繍のハンカチを見にいったのだ。前にお店で見て、額に入れて飾りたいくらい可愛いと思ったので、ほんとうにそうしようと思ってお店に行ったのだが、もう売れていてなかった。でも、柄や色は変わっても手刺繍のハンカチは定番の品で、仕上がれば入ってくるとのこと。確か5万くらいだった気がするけれど、アートだと思えば全然いいし、別に拭(ぬぐ)いたければ手を拭(ぬぐ)たっていいのだ。とにかく、愛のあるものがすき。愛のある人がすき。オール・ユー・ニード・イズ・ラブ、だぜ。本日のブログのタイトルは、松屋さんが好きなウルフルズの曲名です。ええねん!

2026/03/09

メイ・アイ・カム・イン?

 娘の英検、二次試験は英会話なんだという。電車で行かせればいいのに、過保護な夫は車で送迎するといい、娘は「待っているあいだ、ぼっちだからママも来てあげてよ」という。夫は近頃、すっかり手のかかるさみしんぼうおじさんに変貌をとげた。家族にことわりもなく、である。わたしと娘は、土日に予定を入れる際「ママ、わたし⚪︎⚪︎ちゃんと土曜日遊ぶから、ママがもし出かけるなら日曜日でもいい?」、「いいよー、日曜日は(パパの)相手をよろしくー」みたいな会話も普通になってきた。一言目には「さみしい…」、二言目には「前は三人一緒だったのにね…」とぼやくおじさんは、娘に「ひとりおじ」と呼ばれている。夫と出会ってわりとすぐに、「結婚しようよ」といったら「とてもうれしいけれど、無理だとおもいます」と言った夫は、両親をはやくに亡くしていることもあり、僕はひとりで生きていくと決めている、みたいなことを言っていた。当時わたしは二十歳の大学生、夫は無職のロン毛二十六歳だったここともあり、すべての自信、未来、希望を喪失したような感じだった。なのに、目だけは吸い込まれるほどにきれいだった。奇天烈感しかなった。一人で生きていく、あの当時の志(こころざし)をうっすらとでも覚えているのでしょうか。今こそ、声にだしてみよう。

英検を待っている間、会場近くのおおきな<ダイソー>にいったり、<酒のカクヤス>に行ったりして時間をつぶす。ワインを眺めていたら、レジの方で「お会計は7500円です」みたいな声が聞こえた。爆買いする人がいるものだなあとおもって振り返ったら夫だった。わたしは春休み目前で、これからママ友など来客も増えそうだし、呼ばれる宅飲みもありそうだからと、かわいいワインを赤白赤白と4本買う。お会計は3000円くらいだった。安い、びっくり。そうこうしていると娘から連絡がきて、お迎えにいく間「できたかなあ、うまくいっているといいなあ」と、やたらと心配していたひとりおじ。笑顔だといいなとおもったが、待ち合わせ場所にいた娘はニコニコしていた。ちょっぴりわからないところもあったそうだが、コンコンとノックし「メイ・アイ・カム・イン?」からの、得意の「パー・ドゥン?」と「レット・ミー・シー」で、なんとか乗り切ったらしい。ここのところ、娘は熱心に会話の練習をしていて、この単語を連発していた。ほんとうにかわいかった。パパもママも英検など受けたことがなくスルーしてきたので、チャレンジする精神に、ただただ褒めてしまう。誰に似たのか。もしかしたら、わたしの父かもしれない。父は家族で唯一中学受験の経験者で、お受験好きなのか、大学もお受験をしている。けっこうお利口さんな父だが、アイ・ラブ・ミー気質だからかこどもの教育には全く興味がなかったようで、なにもいわれなかった。ありがたいっす。
昨日のブログに、リアクションやメッセージくださったり、ありがとうございました。夫に「ストーリーズ、みないタイプだよね」と今朝いったら「ストーリーってリール?」と聞いてきた。なんかもう、説明するのも相手をするのも面倒くさくなり「上にあるまあるいアイコンだよ!」と言うと「ああ、あれか。あれは本編と重複するし、情報がおおすぎるからな」と言っていた。ほんぺん!?と聞き返して、朝から涙を流して笑ってしまった。インスタグラムのこと、本編って呼んでいる人、はじめてみた。ひとりおじ、まじでやばいなと思った次第であります。長生きして、この先もわたしをたくさん笑わせて。

2026/03/08

いつもブログを読んでくださっている人へ

 宛名のない手紙を書いて、ボトルにいれて海に流すような、そんな気持ちで今日は書きます。


好きな言葉はたくさんあるけれど、ひとつだけえらんでと言われたら「奇天烈(きてれつ)」と答えたい。
「発展的縮小(はってんてきしゅくしょう)」、と言う言葉をはじめて聞いたのは、確か30代の半ば頃でした。お世話になっていた方が、年齢とともにご自分のお店の規模をちいさくするべく移転され、リサイズしながらも商いを継続させることを、そう言って表現していました。当時のわたしは、なんだか素敵な響きだなあとおもったくらいで、まだまだ体も心も元気印、正直なところ言葉の本質はぜんぜんピンときていなかったです。毎年タイパンツ展をひらき、バーーーっと売って、バーーーーっと縫う。ゼーゼー。そしてまた夏が来る。それを15年続けたわけですが、あれから20年くらいの時がたち、わたしは今年40代最後の年を迎えます。悩みながら、迷いながら、答えはでないのに年ばかりが重なってゆく。そんな中でも一つだけわかったことは、体力は確実に、そして平等に衰える、ということです。とはいえ、好きではじめた仕事で、ときに、好きだったはずが嫌いになりそうな日がいくつもあって、それでもまだ続けているこの仕事が、やっぱり好き。じぶんのためにも、人のためにも、モノのためにも、死ぬまで続けていきたい。わたしは、こんなふうにおもいました。年と共に体力も気持ちも変化をしていくことに、しっかりと目をこらしたい。いつでもじぶんに正直に、無理なく働き続けたい、と。
ウェブサイトをプロの方におねがいしてつくっていただき、三年が経ちました。が、この春でいったん、このサイトはクローズすることにしました。それにともなって、こちらのブログも4月末でクローズします。言葉が降りてこない日は休むことはあっても、決してサボっていたわけではなく、仕事として、できるだけ真面目に、誠実に向き合って書いてきたつもり。仕事といっても金銭が発生するわけではなく、むしろ管理者の方にサイトの運営管理費をお支払いしてまで書いていたわたしは、ほんとに我ながら奇天烈なんです。
個人事業主になって10年以上が経ちますが、仕事はお金だけじゃない。どんなことも、やると決めたらやりたいわたしで、まずやってみて、次に考えて、やりながらまた考えてきました。この日記のような散文も、駄文ではあっても正直に書いてきました。ですから、じぶんがつくった仕事としてちゃんと形にしたく、過去の記事を一旦全てエクスポートして、推敲(すいこう)し、今年、一冊の本にまとめようとおもっています。本って、つくるのにめちゃくちゃ時間もエネルギーもお金がかかるんですよね。知っているのに、でもやりたい。なぜか、奇天烈だからです。クラウドファンディングも決して否定はしないのだけれど、先にオレが先頭をきってつくっちまいたいタイプの性格で、宵越しの金は持たない下町気質の血は、まちがいなく父親譲りです。なのでみなさん、と呼びかけて、果たしてどなたに届くのかわからないのだけれど、本が出来上がった暁(あかつき)には、どうぞお買い上げください。一冊とは言わず、ご家族分でも大歓迎です。なんちゃって。それから、おしらせはもう少し先になりますが、6月からあたらしい場所で、あたらしいことをはじめます。もっとちいさく、もっと目の前の人に届けるような、そんな仕事の場所をつくって、またあたらしい景色を眺めていこうとおもっています。オフラインで、顔を合わせて、膝をつき合わせていきましょう。フリマをやっていた若い頃とちがってまあまあ歳なので、エアコン必須。昨年イベントに出させてもらって、屋外は疲れることを2回で理解したので(あきらめが早い)、ちいさな、屋根のある場所です。
ウェブサイトを作るにあたり、グラフィックデザイナー、モデルになってくれた友人や先輩、カメラマン、メイクアップアーティスト、プロフィールを書いてくれたライター、当時はまあまあ気合を入れて、お金もベットしてつくって、いろんな人に協力してもらいました。みなさんに、心から感謝しています。ありがとう。みてくれた人も、ありがとう。やって良かったし、やらないとわからなかったし、やってわかったので、じぶん、次にゆきます。そんなわけで、このブログはあと一ヶ月半ほどでおしまい。それまでどうぞ、お暇ならみてよね。