小学生のころ、生まれ育った新宿区でサッカーチームが発足された。六つの小学校が集まって、ひとつのチームをつくる地域のサッカークラブ。サッカーに興味があったので、男子にまじってボールを蹴っていたわたし。あれからずいぶんと長い年月が経過して、いまは年に一度、恩師(コーチ)の命日に集まる会が開催されている。参加できない年もあるし、実際のところはまだ数回しか顔をだしていない。今年で21回目の開催らしいけれど、知ったのはここ数年のこと。20代で東京を離れたし、同窓会などもあまり得意な性格ではないから、地元の同級生とはほとんど会うことがないまま、湘南に暮らして40代になった。そんな感じで大人になったわたしだけれど、彼らに会うと、昔と変わらずに「ことりー!」と呼ばれるのがたまらなくなつかしい。面影を残す顔や声やキャラクターに、不思議な気持ちが込み上げる。少年はおじさんになり、おとうさんなっていたり、独身だったり、大工、医師、染め物屋の3代目、某サッカーチームのGM、サラリーマン、エンジニア、グラフィックデザイナー、某スーパーのエリアマネージャー、ワインバーをひらきたい夢をいだくおじさんなどなど、いろいろな人生を歩んでいる。先日も、その集まりがあって高田馬場へ。新宿駅で降りて、徒歩で向かう道中には朝練をしていた公園があり、足を止める。小学校が好きでも嫌いでもなかったわたしにとって、学校以外の仲間が集うサッカークラブは、こどもながらに自由を得た感覚だった。深呼吸とリフレッシュができる、とてもありがたい時間だったのだ。コーチは、ボランティアでお父さんたちが担ってくれていた。その恩がそれぞれの心に宿っていて、こうして集まっているのだろう。当時のコーチの年齢に差し掛かっていたり、すでに超えていたりする今、親ではない大人との接点のありがたみを振り返る。亡くなった恩師の息子ももちろん会合に参加するのだが、姿形はコーチの面影しかなくて、夢の中で再会できたみたいな、不思議な現実を漂う。
近況報告をするのが恒例で、みんなの話を聞くのもたのしみのひとつ。50歳も見えてきて、人生もいよいよ折り返しにきたことを感じる今日この頃だけれど、皆の近況報告からもちらほらとそのような想い、決断を垣間見れた。あの頃のわたしは、当時こんな環境に身を置いていて、こんな人達との未来の時間を紡いでいたのかとおもうと、無意識、無垢、無欲に勝るものはないなと、そんなことを感じずにはいられなかった。心が洗われるような時間は、私自信は比較的いつでも、いくつもあるほうだとおもっていたけれど、彼らとの時間はなにかが、確実に違う。この愛情の深さのようなものを探っていったとき、そこには見守ってくれていたそれぞれの親御さんの姿が必ずある。他人であるはずのコーチが、間違いを正してくれたり、見守ってくれていたり、褒めてくれたり、叱ってくれた。今、じぶんはどんな親なのか、誰かにとってのどんな他人の大人なのか、そんなことを考えさせられた。渡されたものを誰かに渡して、命をまっとうしたい。寿命の長い短いでは、はかれないもの。ちいさな命にとっての、ともしびのような、わずかな安らぎのようなものにでもなれたなら。それこそがしあわせな人生だと、確かに言える。それはわたしが47歳になった今だから言えることで、時間をかけて、ようやくわかったこと。2025/02/11
2025/02/04
足元にあるもの
1月はゆっくり休もうと決めていた。自宅でミシンを踏みつつ、溜まっていた家のこと、事務作業などこなす。2月からは本腰を入れて仕事しよう。そうおもっていた矢先にCHAHATの大竹社長からラインがきた。「1日の土曜日、お店番できますか?」とのことだった。神様にお尻を叩かれた気分。人がいなくて困ると、時々こうして社長から連絡がくる。呼ばれた場所で、接客や販売を担うことはわりと得意だし、「困ったなあ。あ、ことりさんがいる」とおもってもらえるのはありがたい。求められたことにたいして誠実に仕事をする、ということが唯一の自分のスキルだと信じたい。この25年近く、たくさん転職をしてきた。一貫性のない業界と職種を歩んできたので、もはや積み上げたキャリアなどはなにもない。「石の上にどうして3年?」みたいなことは語れるけれど、世間的にはダメ人間の部類にくくられても、いたしかたなし。ミシンだけはずっと踏んできたことが、一つの心の支えではないが、心の豊かさになっていることだけは確か。そういう意味では、「継続は力なり」はほんとう。
少しやってみて「わー、これ無理だ。全然違った」とおもったら、すぐに辞めてしまう。その都度、まわりの人からは「もう少し頑張りなよ」と幾度となく言われてきた。すごくイヤだった。頑張ってもきっとおなじだろうと一度思ってしまうと最後で、お互いに時間の無駄だと思えて仕方がなかった。甘いし、根性もない。そこが短所で、同時に長所だと思えたのは、親のおかげ。実家で暮らしていたが、なにもとがめられることなく、個性だと受け入れてくれたから、自分の選択を信じられた。そういう環境で暮らせたことは、人生の最大の宝だと感謝している。もう十分な大人だし、大人になったらなおるのかなとおもっていた部分は、結局何も変わらなかった。むしろたくましく、揺るがないものになっている。いろいろな不具合、不恰好な部分があってもこうしてなんとか生きているわけで、しぶといし、ずぶといのかもしれない。じぶんができなかったこと、選ぶことができなかった道のほうも含めてどんどんさらけ出して、バカを全力で出していきたい。若いひとは生きているだけでいろんなことを悩む時期がいくつもいくつも、やってくる。時に、命を落とすほどに。そういうとき、その手前で「困ったなあ。あ、ことりさんがいる」っておもってもらえたら本望。継続力と忍耐力で勝ち取ったものはこの世に確かに存在するだろうから、頑張れるときはそういう先輩に話を聞いて。頑張れないときは、イヤフォンでもして耳をふさいで。立派な人は世の中にたくさんいるから、わたしは「じゃないほう」の先輩でありたい。「若い頃はしんどかったよ」ではなく、「ずっとしんどいけれど、鈍感で図太くもなるから、逃げながら、のらりくらり生きていて」と、言いたい。あの頃の自分にも、ちょっと前の自分にも言ってあげたい。頑張れば、この先に成功や光があるよなんて無責任に言えない。だって、別になかったもーん。それに、それが本当に幸せなのかも、正直わからない。生きているだけで、よろしいんじゃないでしょうか。何者かにならなくても。 ことりさんは近頃、家族がわたしのいうことに笑ってくれて、ごはんを美味しいと食べてくれて、年老いた親に会いに行けて、兄弟と力を合わせられて、そういうことだけで十分自分の存在価値を見出している。これも仕事なんだと。優先順位はまずじぶん。次に身近なひと。小さな世界に笑い声がこだますること。そこに見出せた幸せを超えるものは、今のところない。何者も知りえないこの幸せは、じぶんだけのもの。足元に転がっているものほど、大切なものはない。
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