2025/06/30

変わらない湘南のおねえさんたち

 今日で6月もおしまい。先週はひとに会う用事がおおく、そのうちの二人は20代の頃から『湘南のおねえさん』と慕っているひとだった。久しぶりにあっても変わらずにたのしくて、こっちも変わらいなけれどあっちも変わらなくて、当たり前ではない奇跡をおもう。当時わたしは20代の終わりで、おねえさんたちは40代に突入したくらいだった。今、わたしは48歳。歳を重ねるほどに、距離感のようなものが近くなってきた。積み重ねてきたものもあるし、わたしが歳をとって大人になったこともおおきいのだろう。

先日も、おねえさんの一人で湘南ビーチFMの竹下由起(たけした・ゆき)さんと会っていた。由起さんの運転する車で海沿いをドライブしていたときのこと。じぶんは定期的に、誰にも会いたくなくなるときがあることを話していた。そういう時は言葉も浮かばないからSNSもウェブサイトもチェックしないで、たいていは気まぐれに三浦へ向かい、素潜りして、気ままにごはんを食べたりしていると。あるいは、それと同じくらいに、誰も知り合いに合わないであろう東京の雑踏に身を委ねて歩くことが好きだ。そんな時はよく「どうしているの? 元気?」と人に聞かれるが、元気なはずがない。正直なところ「うざってーな」くらいにおもってしまう。そういう失礼な人間なのだ。人に会うこと、書くこと、エネルギーをつかういろいろなことがわずらわしくなってしまう。そんな自分のことを「わがままなんだろうね」と由起さんにはなすと、「いいじゃん。自分のこと、自分が好きなことがわかっているってことだよ」と言われた。うれしかった。本当のわたしをわかっているのはこの世でわたしだけだけれど、その屈折した輪郭をそっと照らしてくれるような言葉で、「ああ、わたしはこの人のこういうころが好きなんだな」と改めて実感した一言だった。
例えばおなじ頻度でおなじことをする、おなじ場所に通う、みたいなことがとてもではないができない。そんなじぶんは時に苦しくもあるけれど、そういう拗(こじ)らせている自分もまた自分で、今世ではそんな自分を選んで生まれてきたのだろう。人はきっと、誰もが皆そんなウィークポイントを抱えていて、人には見えない痛みがあるはず。それは美しく言えば個性とも言えるが、傷とも、短所とも言えるだろう。名前のない、目にもみえないじぶんのそのような癖を見捨てることはできず、嫌いにもなれない。蓋をせず、例えくさいものであってもやさしく、愛でてあげられたら。そうして、そんな時間をやり過ごしているうちに、またエネルギーがチャージされてゆく。目にはみえない、満たされたなにか。言葉はふたたび霧雨のように降ってくるから、すぐに書くことができる。人のことも、また好きになれる。
由起さんとのドライブの道中で、あまり聴いたことがなかったアース・ウィンド・アンド・ファイヤーの『ブラジリアン・リズム』が流れたので、「これなに?」と聴いたら、「もともとはレコードに収録されいたもので、それがCDになって・・・」みたいな長い説明をしてくれてた。相変わらず音楽にマニアックなおねえさんの、嬉々と語るその横顔は、陽の光が照らされたようにきれいだった。その数日前も、もうひとりのお姉さんと会って、笑って笑って、腹を抱えて涙を流した日のはなしは、また次の機会に。

2025/06/28

モーニングではなく、モーニンのほう

 修理品の受け渡しその他もろもろで、写真家の杉江篤志(すぎえ・あつし)くんの家へおじゃましたのは昨日のこと。その前に、杉江くんから聞いていた町田の『NOISE』でモーニングをたべる。とっても好きな感じの店だった。2時間ほど長居するあいだ、常連とおぼしき人が次々とやってきては去ってゆく。入店から退出まで、すべての流れをひととおり眺めていた。モーニングのお客さんが入れ替わり、さあ、ランチタイムがやってきましたよ、という波に乗って杉江くんも登場。モーニングの時間帯は静かだったBGMが、11時35分からボリュームが上がって、ホールの人もそこからひとり増えたんだよ、ポイントカードをもっている人はレジで見せると10%オフになるみたいだと、おしゃべりスイッチがはいり、ひと通り喋り倒す。音楽のボリュームがおおきくなったことに気がついたのは耳ではなく、自分の足が揺れたときだった。組んでいた足がリズムに乗ってポンポンとはずんで、「あ、音がおっきくなった」と気づいた。聴いたことのある好きなジャズのナンバーだったので、得意のシャザムで検索すると、ボビー・ティモンズの『Moanin’』とでた。モーニングみたいとおもったけれど、「モーニン」は「うめき声」という意味だと知った昨日。

杉江くんの運転する車で新築(というほど最近でもないかもしれない)の杉江ハウスにおじゃまする。建物にそこまで興味のないわたしだけれど、山の中の小屋(そんなにちいさくはない)のようで、庭の緑やとおくの借景がとても目に気持ちよく、中にいるのに外みたいな居心地のよい空間だった。庭にはシンボルツリーのような栗の木があった。屋根を越すようなサイズではなく、どちらかといえばまだちいさめな栗の木なのだろう。けれど、枝ぶりが自由奔放に育っていて、それがなんとも杉江くんの家らしく、彼の家族のあるがままの姿を表現しているようで、とても印象的な木だった。新築祝いにシャレでおくったハートランドのビールワンケース、そこに熨斗(のし)だけつけて贈ったのだが、実物をみて、斬新すぎてわらう。熨斗(のし)をつければいいってもんじゃないんだよと、教えてあげたいようなチャーミングなビジュアルだった。あげたハートランドをじぶんも3本のんで、レコードを聴いてたのしい午後。呑み進めていくうちに、パーマをかけて髪を伸ばしている杉江くんが、だんだん昭和の松田聖子ちゃんにみえてきたり、Tシャツの色とかボブディランのパーマとかあとはもう忘れてしまったが、どうでもいい話をおもしろがってしゃべり合い(杉江君は呑むとよくしゃべる)、散々ウケていたら帰宅時間が遅くなってしまった。時刻をしらせてくれなかった杉江くんがわるい。家族に謝りのラインを入れて、夕飯は鎌倉のサイゼリア集合にしてもらった。引き続きわいわい呑んで食べて、なんだかんだで、オールオッケーなフライデー。

2025/06/23

ものを売るということ

 営業や販売とはなにか。そのことを教えてくれた人が、ふたりいる。

ひとりは父。家業を継いでいた父は、根っからの営業マンだった。本人のキャラクターのなせる技もおおきいとは思うが、「常に心に営業を」みたいな人で、家でもよく、晩酌をしながら営業先でのはなしなどをしていた。実に楽しそうに。家では仕事の話をしないお父さんだった、みたいなことをときどき聞くが、父は真逆だった。家族で誰もわかる人がいないのに、気にせずにしゃべっていた。
切り絵作家の夫が、東京ではじめての個展をすることになったときのことだ。父にDMを郵送してお知らせをすると、それを見た父からすぐに電話がかかってきた。「あのハガキ、まだあるならパパのところに何枚か余分におくってくれよ」とのことだった。あとでわかったことだが、父は自分の友人などにもお知らせをしてくれていたのだ。たとえばマガジンハウスで働いていた同級生など、どこかのなにかに引っ掛かるかも? と父のセンサーがはたらいた人には、長文の手紙を添えてDMを送ってくれていたそうだ。母がおしえてくれ知った。実家のあった高田馬場には、近所に、週末になると千葉県から軽トラックで野菜を売りにくる農家の老夫婦がいた。父はそのご夫婦をやたらと好いていて、毎週欠かさず足を運んでいた。その日、わたしは夫の展示の手伝いで、実家に連泊していた。久しぶりにそのトラックを見かけたので挨拶をしたら「おとうさんが、娘さんのご主人の切り絵展ですか?ハガキをくれてね」と声をかけられた。「お父さま、『なんだかよくわかんないんだけどさ、よかったらいってやってよ』って」と。笑ってしまった。と同時に、ものを売るってこういうことなのかと、ゆるゆるな頭を殴られたような衝撃を受けた。
ふたりめは展示場所で何度もお世話になった『Zakka』で、公私にわたって面倒をみていただいた写真家の北出博基(きたで・ひろき)さん。展示の前日、切り絵の搬入と設営を終えて一息ついていたら、「みもちゃん、これが全部売れたらいくら?」と聞かれた。すぐに答えられなかったわたしに「ちゃんと計算しておかなくちゃダメだよ!」と、怒った口調で、ふざけてわらった。はじめてタイパンツ展をやらせてもらったときも、北出さんは初日の賑わいをバックヤードからずっと見ていた。お客様の入りと反応を終日みてくれていた北出さんは、閉店後に「これはうまくいけば化けるかもしれないぞ〜?」と茶目っ気たっぷりに言った。「名前はタイパンツにとらわれなくても、いろいろ調べたら日本にはモンペ、袴、カルサンなど、いろいろあるみたいだよ。みもちゃんも調べてみなさい」、とも。
ものを売ることを考えるとき、いつもこのふたりをおもう。彼らのメガネの奥でひかるつぶらな瞳の力強さが、時にいまでもこわいほどに。ものを作って売ることをはじめると、大抵は「なんとなく売れればいいかな」とか「値付けはずかしい〜」なんてことをよく聞く。自分もそんなことをよくおもっていた。一生懸命なんてダサい、みたいなバカみたいなプライドもかなりあった。1秒でもはやく捨てるべきだった。買ってくれる人や場所を提供してくれた人、家族、総じて応援してくれている人たちに、とても傲慢で嫌なやつだった。一番は自信の無さと、いつでも逃げられるようにという甘えがあったのだろう。失敗しなくないし、本気になるのがこわかったのもある。ふりかえると逃げ道や回り道ばかりして、寄り道のながい人生だ。失敗は反省して、学びを忘れず、成長しつづけたい。実直に、真剣にものを作って、誠実に売っていきたい。ものをつくって売るということ、それはわたしにとって、時間と魂を削るということ。

2025/06/18

わたしとあなたの、ダニー・ボーイ

 夫と娘を送り出したあと、自宅でミシンをふんでいる間はわりと大きな音で音楽を流している。合間に家事をし、手を抜いた昼食をつくると、スツールをキッチンに持っていき、そこで食べる。お行儀が悪いと夫が嫌うスタイルだけれど、夕方のキッチンでも、ビールを呑んだりつまんだりするのが大好きなのだ。夫が不在のひとりの時間は、それをのびのびと、堂々とする。でも、ほんとうの理由はそうじゃない。ダイニングテーブルの上には布や様々な裁縫道具を広げているので、それを片付けるのが面倒くさいというだけ。言い訳はいつでも安易で、人は容易に嘘を並べる。

中学生になった娘が学校から帰って来ると、「お腹すいたー!」という。陽が長い季節は日没まで仕事をするので、一旦手を止めて、簡単な夕飯をつくってしまうことがおおい。娘はそれを喜んで食べる。布が散乱した、散らかった部屋にも慣れた様子で。そう、だってうちはワンルームなのだ。
その間も、ずっと音楽を流している。娘は日によって「音楽聴くね」と言ってイヤフォンをする日もあれば、テレビでYouTubeやネットフリックスを見たそうなときは「ママがイヤフォンするね」と言う日もある。そして、そのどちらでもない日は、わたしが流している音楽が部屋に流れているので、聴くともなしに聴いている娘がいる。先日、ビル・エヴァンス&シェリー・マンのバージョンの『ダニー・ボーイ』が流れていたとき、「この曲いいね。ピアノがいいね」と娘がいった。そういう感性のキャッチボールがわたしは一番好きで、心が躍り、高揚するのがわかる。うれしくなって、「ビルエヴァンスだけのダニー・ボーイもあるから、次そっちもかけるね!」と鼻息荒く流してみたら、「こっちはジャズって感じだね、ニモ(娘の名前)はさっきの方が好きかな」とあっさり言った。そういうところも、そういうことをはっきり言ってくる娘も、わたしにとっては心地が良い。わたしとあなたの好きなものは決して全部が一緒ではない。好きと、そうでもないという境界線を相手に言葉にして伝えることができる、そのことの方がよっぽど尊い。
娘は生まれたときから、その佇まいや存在にどこか達観しているものを感じていた。うんちやおしっこ、よだれを垂らしてハイハイをしているのになぜだろうと、わたしはいつも思っていた。歳を重ねていくうちに、「すごいね。生まれたときから60歳って感じがする」というわたしに「ママはずっと16歳なんでしょ」と言って笑う。バカリズムが脚本をかいた『ブラッシュアップライフ』というドラマで、人生を何度もくりかえている主人公のことを「タイムリーパー」と呼んでいた。そのドラマをわたしたち家族はたのしくみていた。近頃、ことあるごとに「ニモってタイムリーパーなんでしょ」とわたしがいうと、娘はたいてい、ふっとちいさく鼻から息を吐いて「ママ、その話好きだよねえ」という。あんまりしつこくいうわたしに、先日夫がとつぜん「あんまり言ったら可哀想だよ!」と叱った。それをきいた娘は「え?全然そんなことないけど」と言った。やっぱり60歳なんだ、わたしは思う。タイムリーパーは、自分がタイムリーパーであることを、タイムリーパー同士にしか打ち明けられない、とドラマで言っていたもん。わたしはまだまだ、きっと人生1回目。だから娘はそれを打ち明けられない。16歳のわたしは、割と本気でそうしんじている。