2026/07/08

ジャスト・ナンバーとは言うけれど

「残念なニュースって、なくならいね」朝の情報番組を見ていた娘がぼそっと言った。犯人が連行される様子が映像で映されると、たいてい一瞬、カメラは容疑者をおさえる。スローモーションだったり一時停止されたその瞬間、「こっち見るな!」と、娘はいう。父は、「目を見ればわかる、人も魚もおなじだよ」とよく言っていた。死んだ魚の目は濁っていて、鮮度が悪い。鮮度のいい魚の目は、真っ黒でキラキラしているのだと。父の言っていた通り、犯罪を犯した人の目は、確かに死んでいると感じる。
「年齢なんてただの数字よ」
素敵な感じの人っぽい人がよくつかう言葉を、メディアを通じてときどき目や耳にする。あれって本当に、本当だろうか。自分は、容疑者の年齢をつい目で追ってしまう。「えー、同じ歳なんだけど」と、つい声に出して言ってしまうのは、「じぶんもあんなにおばさんなのか」とか「この歳でこんなことしちゃうのか」とか、とにかく色んな感情がうごめいて、ものすごく、腹の力が奪われる。つまり、映像をとうしてめちゃくちゃ負を浴びているってことなのだろう。とてもよくないこと。そのすぐあとで「では、次はワールドカップのニュースです!」とか言われても、こっちは感情を切り替えるのがむつかしい。アナウンサーも大変な職業だ。
昨日は午後から今年初の海の家パパイヤのアルバイト。一年ぶりのオーナーや新旧混ざったバイトの皆さんにご挨拶。キッチンでラーメン、揚げ物、焼きそばなど、記憶をたどりつつ手を動かした。今日は午前中だけ仕事して、午後はやっと休日。波乗りしたいけど、少し仕事もしないと間に合わない。明日はサーフィンしたいけれど、波はどうなんだろう。今、窓の外にはちょうど良い感じの波が広がっていて、「ミシンなんて踏んでないで、こっちおいでよ」って言っている。何度も手招きをしている。そんなふうに見える波。

2026/07/07

彼らのこと

土曜日の午後、「ミュージシャンをつれてきました」と、<BRANDIN>のひろみさんが若者を二人引き連れてきてくれた。それだけ言い残して、ひろみさんはお店に戻った。
連れてこられた彼らは、タイパンツよりも部屋の本棚に置いてあったボブ・ディランの本に夢中そうだったので、しばらくそっとしておいた後、話しかけた。聞けばふたりは、<BRANDIN>からすぐの、近所の高校の同級生同士だそう。一人は現在イギリスのウェーズル音楽大学でドラムを学んでいるとのこと。今は夏休みで帰国中なのだそう。もうひとりの男の子は、日本の音楽専門学校に在籍中だったが、推薦?にパスをして、来月からアメリカのバークリー音楽大学に編入し、ベースの勉強をするそうそうだ。それは、どうやらとても難関なことらしい。ウェールズの彼いわく、ものすごいことのようだった。よくわからないが、とにかく目下バンドマンに憧れのあるわたしにとっては、楽器の弾ける若者に羨望の眼差しで食いついてしまった。とっても感じのいい若者で、どうしたらこういうメンズが育つのか、娘しかいないわたしにとっては、永遠の謎。
途中でアイルランド人だったかな、常連の男性もやってきて、ひろみさんが紹介をしてくれた。ウェールズにいる彼は、エッジの効いたイギリス英語で会話をしていた。あとで「さすがイギリス英語だね〜。きちっとしているね!」というと、わざとフランクな英語を喋って「こんな感じのカリフォルニア英語も喋れなくはないんですよ〜」といって笑ってみせた。かわいい・・・。かわいいの極みであります。
<BRANDIN>では老若男女、様々なお客様がいらして、音を楽しんでいる。文化ってこういうことなのか、と本当に目の当たりにする。文化系男子の父から生まれたわたしは、「文化が」とか「カルチャーがね」とか口にする男性、音楽を語るときに「どんなジャンルを聴くの?」とかいってくるすべての男性が、正直ものすごく苦手だった。若かったし、偏見もあった。大人になって、ジャズが好きだった父の話をすると、「リビングで流れていたの?」と聴かれるが、そうではない。父は二階に、レコード部屋を持っていたのだ。その部屋はバーカウンターのようにお酒も飲めて、一人がけのレザーのソファが、確か二、三脚あった。うそでしょ、っていうサイズのバカデカいスピーカーを備え、壁紙もその部屋だけは、多分まちがいなく海外の、めちゃくちゃオシャレなやつにしていた。実家は日本家屋だったのに。その部屋は、こどもながらに近づきたくない怖い部屋だった。レコードの音はうるさいし、走ると怒られる。スピーカーの前で、まだあかちゃんのわたしが写っている写真が一枚あるのだが、今にも泣き出しそうな、すごく不機嫌そうな顔をしている。母は、その写真がなぜか大好きで「パパにそっくり〜かわいい〜」と愛でる。
父はいっつも自分のことばっかりだった。レコードもそう、車もそう。お洋服、靴、バッグ、香水、自分がいちばんで、自分がだいすきで、自分にめちゃくちゃお金を注いでいた。一度だってレコードの針の落とし方を教えてくれることもなく、ジャズも、自分だけが楽しそうにスイングして聴いていた。もっと家族を構ってほしい。レコードなんてバッカみたい! そうおもっていたのにな。父が元気だったら、この場所での活動を、どんなにか喜んだだろう。<BRANDIN>にいると、父のことを何度も、何回も、どうしても、おもう。この気持ちを音に乗せて、言葉にして、命懸けてで家族の本を執筆したい。

2026/07/06

すぐに剥がれるわたしのメッキ

娘を産んで、13年と8ヶ月。
長年積み上げてみた飲み歩き、ときどき午前様の生活は封印して、子育てをしてきたつもり。じぶんなりに一生懸命やってきた。子育てはクソミソになるフェーズもあれど、これまでまったくしらなかったしあわせも教えてもらえて、「もうそんなに夜遊びはいいかな」なんておもっていた。けれど、娘が中学生になったくらいからだろうか。すっかり手が離れ、同時に時間がうまれ、気がつけばのびのびと羽を伸ばしているわたしだ。
週末の<BRANDIN>は、二ヶ月目に突入。第一土曜日の夜は毎月ジャズのイベントがあり、はじめて参加させてもらった。21時過ぎにお店を後にして、夜の134号線を飛ばして帰宅。昨夜は店主の宮治ひろみさんと、<BRANDIN>の長年のお客様でいらっしゃるHさんとわたし、三人で茅ヶ崎駅近くの<FROGGIES>というバーへ。いやあ、夜遊びたのしい〜。13年かけて塗ってきたはずのメッキ、ここ最近で一気に剥がれた感がある。
本当は辻堂で一人で呑んで帰ろうとおもっていたのだが、「<FROGGIES>の店主の小田さんに、一度はみもちゃんを会わせたいの」と以前から言ってくれていたひろみさんのご提案で、足を運んだ昨晩。店主の小田さんを交えて、カウンター越しにあれこれおしゃべりして楽しい夜。ファミリーバンドのこと、「さみしさ」について、ジャクソン・ブラウンのライブのことなど、話題はあっちこっち。わたしだけひとり逗子市民で自宅が遠いので、21時に席をたち、電車を乗り継ぎ、バスに乗って帰宅した。
週末の<BRANDIN>は久しぶりのお客様、友人、元同僚、<BRANDIN>のお客様など様々な方に見ていただき、ありがたい時間だった。まだまだ改善点もたくさんあるけれど、あせらず、ゆっくりやっていく。今日は台風のうねりが届きはじめた湘南で、これからサクッと波乗りにいく。色々仕事は溜まっているのだが、リフレッシュして、パフォーマンスをあげたい所存であります。<BRANDIN>は13時から18時まで、本日最終日。よかったら遊びに来てください。

2026/07/02

着たいものを着ればいい

 パタンナーのKちゃんはロングボーダー。打ち合わせで自宅に来てくれた昨日、床に立て掛けている6.8ftの板を見て「これ、なんですか」というので「スポンジボードだよ、もらったんだよ」と答えた。「サイズはいくつですか、良さそうですね」と、興味を示していた。現在、友人から借りパク中のグラスボードも見たいと玄関にいったKちゃん、「これはテイクオフが早そうですねえ!」といった。そして「7.7ftは、みもさんだと普通の人の9ftくらいかもですね」と言うから「ほんとだよ」と笑った。
Kちゃんは静かに頑固なところがすごく良くて、そこをとっても信頼している。イエスと言ってくれそうな雰囲気だけど、全然イエスマンじゃない。Kちゃんに提案や相談をして、冒頭で「う〜ん」と言われると、素直に聞くことにしている。「う〜ん」の後に、何故それがあまり良くないかを、素人にわかりやすく説明してくれるので、すごく納得ができる。昨日も、わたしの意図をよく汲み取ってくれて、その上でできること、目指すべきところを提案してくれた。「パターンはそこまで勉強していないから」と言う謙遜タイプのKちゃんだけれど、この先も他のパタンナーを探そうとはおもわないだろう。これからも、嫌だと言われてもつきまとってゆく。昨日Kちゃんが着ていたシャツが素敵だったので、「いいね」と言うと、メンズのシャツだった。身長が高く、すらっとしている女性だとこういう服も着こなせるのか、いいなと眺める小さなわたし。
昨日Kちゃんに、もしも襟(えり)を修正したかったら、ギミックはこうで、ここをいじるとこうなるから、ミモさんもやってみても全然いいかも、というような内容を、親切に教えてもらった。おもしろそうだなと興味が湧いたので、「やるやる、やってみる!」と言って、打ち合わせを終了した。はずなのに、頭の中に残っていたのはKちゃんのメンズのシャツ。
せっかく教えてもらったエリの修正に背を向けて、うっかりメンズのシャツを縫ってしまった。マドラスで縫ったシャツは涼しげで素敵な仕上がりになった。メンズサイズだけど女性が着ても、ストンとして感じがいいだろうとおもえた。「分厚い生地だど違うけど、テロンとした生地感だとメンズサイズもありです」みたいなことを言っていたKちゃんの言葉の通りであった。メンズとかウィメンズとか、もはや今の時代なら関係なく、着たいもの着ればいいような気がする。どうですかね。さてさて、今日もこれからミシンを踏む。毎日毎日、飽きもせずに。



2026/07/01

師が嫌ったもの

先日娘と某公立高校の文化祭へいったときのこと。受付をするかわいい女の子や、「チュロス美味しいですよ〜」と呼び込みをする男の子をみて、「なんか高校生ってたのしそう」と娘がいった。
文章のワークショプに通っていたわたしにとって、師匠は美術作家の永井宏さんになる。「外で決して僕のことを師匠だと言わないように。こんなに色の黒いサーファーがお弟子さんだと思われたくない!」と生前よく言われたけれど。師匠はいろんなことに、面と向かって辛口で厳しかった。中でも「文化祭」的なことをすごく嫌う人だった。「文化祭じゃないんだよ」は何度も聞いた言葉。そのことを、この間の文化祭でふと思い出した。
ギャラリーをしていたとき、企画展で声をかけると「他にも誰か誘っていいですか」みたいなことを何度か言われた。全部断ったのは、師匠の教えがあったから。個展はひとりでやるものだ、というのを叩きこまれた。大勢でやると責任も集客も分散される。それはなんとなく安心だけれど、結局背負うものがない。「責任を持て」とよく言われたのは、そういうことなんだと、やってみて後でしった。痛みやプレッシャーを個で受け止める。反省したり、喜んだり、その繰り返しから学ぶことは大きかった。これは師匠に感謝していることのひとつ。
もう20年くらい前になるけれど、葉山芸術祭というイベントに『BEACH BOOK STORE』という名前で海辺の本屋として参加した時のことだ。出来上がったパンフレットには「海辺の本屋さん」と紹介されていた。「本屋」ではなく「本屋さん」と書かれていたことに師匠はすごく違和感をあらわし、あきらかに不機嫌そうだった。幼稚な感じで嫌だ、というようなことだった。そういうわずかなことに、ものすごく厳しい人だった。気難しいところもあったけれど、人が見落としそうなところ、誤魔化しちゃいそうなところを、はっきりと指摘するような、厳しい人だった。愉快なおじさんのイメージが強いけれど、実際はめちゃくちゃ厳しかったことを、今でも、時々思い出す。師匠も亡くなって、自分も大人になり、もうあの頃のように注意してくれる人はいない。だからこそ、恥ずかしくないように、責任をもって生きていたい。「これで大丈夫かな」と確認する。「これじゃダメだな」とおもうと、やり直す。面倒くさいとおもっても。自分で自分が恥ずかしくなるから。
そういう気持ちで生きていないんだろうなと感じる振る舞いの大人とは、最近もう付き合えなくなってきた。正解がどうではなく、ベクトルの違いなのだとおもう。今日は午後からパターンの打ち合わせ。それまでにどれだけ縫えるかな。