2026/07/30

へ・と・へ・と

やる気はあるのに、体がやすめといっている。目だけは覚めたけれど、日課のラジオ体操すらサボってしまった。これを老化というのだろうか。振り返ると二段ベッドの上段で、すやすや寝ている13歳のおんなのこがひとり。そうよね。夏はみんなエアコンが効いたお部屋で、いつまでも寝ころがってたい。
昨日は朝から晩まで、通しで海の家「パパイヤ」のアルバイト。ずーっと忙しくて、終わったら放心状態であった。あしたのジョーの「燃えたよ、燃え尽きた、真っ白にな・・・」というキャプションをじぶんにつけたいくらいだった。帰宅してシャワーを浴びてビールを呑んで、キッチンに立つ。前日からお酒と生姜汁と醤油に漬けておいたカツオの切り身に、片栗粉をまぶして竜田揚げ。前日に三浦で買った水茄子は手で裂いて塩でもんで、茗荷と大葉ときゅうりを刻んで、甘酢をふって水茄子のサラダに。シャワーを浴びているあいだに、夫がAJINOMOTOの冷凍焼売を蒸してくれていて、しおこんぶとごま油を垂らした冷奴もつくってくれていた。そんな感じの晩御飯をみんなで囲む。
「こういうの食べたかった!」という夕飯。エアコンの効いた部屋でビールを呑んだら無事に復活をとげたが、缶ビール1本で電池がきれて、21時前には就寝していたみたいだ。「月がきれいだねえ、ピカピカだね」と娘が夫にいっていて「ママもみたいなあ」とおもいながらもベッドから起き上がれず、夢の中へむかう列車に揺られていた。そんな感じの昨晩。さて。今日と明日は作家業にもどって勤しんで、週末からの<BRANDIN>に照準を合わせたい。

2026/07/29

愉快な先輩たち

ときどき、三浦に潜りにいく。ひとりで、車でサッといく。30分くらい潜れば十分な性格で、体が冷えない程度であがり、帰ってくることがほとんどだ。
先日、展示を見にいった<fabric camp>の店主の小山千夏(こやま・ちなつ)さんに、「車だから、よかったら今度一緒にいきますか?」と何の気になしに伝えたら想像以上によろこんでくれて、ならば早速いきましょうとなった昨日。迎えにいきますよといったが、うちまで自転車で来てくれるというので、仕事をしながら待っていた。作業のキリが悪かったので、少しだけ家に上がってもらい、ボンドの仕上げをしてから出発。おおきくなった娘に驚いていた千夏さんと、千夏さんを覚えていない娘。
向かう途中で、裁縫の師でもある三橋友美(みつはし・ともみ)さんもピックアップして、諸磯へ。
素潜りは通常長めのフィンを使用するのが常なのだが、千夏さんはめちゃくちゃコンパクトなフィンを持参していた。「へえ!」なんておもっていたら、友美さんはまさかのクロックス(靴)のまま入水。想像の斜め上をいくふたりに笑いが込み上げてしまった。千夏さんは泳ぎが得意なのだとおもう。あの小さなフィンでスイスイ泳いでいた。
友美さんは「そんなに深く潜らなくてもいいの」と言っていた通り、岩場を攻めていた。手にグローブをつけて、岩場の藻をゆらゆら触り、魚を呼んでいた。その姿は水族館の水槽の中にいるおねえさん風でとてもおもしろく、おもわずじっと眺めてしまった。「クロックスは本当に脱げないのか?」という疑問もあって、魚と、友美さんのクロックスを交互に眺め、そんな自分にもまた笑えてきて、終始愉快な素潜りだった。三浦で育っただけあって、友美さんはわんぱく感が半端なかった。こんなお嬢様を育てたご両親が確かにいらっしゃったんだなあ、何だかうまく伝え切れないが、ものすごく込み上げてくる感動があった。バックグラウンドが、自分とは180度ちがう。わたしは見た目だけだか、友美さんはマジで本物であった。
海から上がっても、二人はあんまり真水とか使わず、涼しげにお着替えを済ませていた。お化粧水とかしないのかしらん? 水着は着替えたのかな? もはや、パンツはいてないのかなとか、好き勝手に妄想したらもうずっと笑いが止まらなかった。色々とびっくり続きで、めっちゃウケてしまった。それを先輩たちにいい続けながら、愉快にドライブ。
友美さんをご自宅に送迎し、「ごはんたべよう」と千夏さんがいって、〈SUNSHINE+CLOUD>のカフェでカレーを食べることに。千夏さんが唐突に「みもちゃんて、サンライトギャラリーにはきたことあった?」と聞いてきた。サンライトギャラリーとは、わたしの師匠の永井宏さんがその昔(1992年から1996年まで)、葉山でやっていたギャラリーのこと。
「私が永井さんに会ったのは、もっとぜんぜんあとですよ」と伝えると「そっかー」と千夏さんは言った。永井さんには、2005年にはいったワークショップで出会ったこと、そこで「生徒たちは海にもいかない人ばかりだから、小鳥コーチはみんなをサーフィンにつれていってほしい」と言われたこと(実際に何度かやった)を話すと「永井さん、うれしかっただろうなあ」と言った。千夏さんがそういうなら、そうだったのかもしれない。千夏さんと永井さんの長く親しい間柄もそうだが(千夏さんはそのギャラリーを手伝っていた)、千夏さんが口にする言葉には、そうおもわせる力強さがある。
帰りの車でも「それにしても二人がわんぱくでおもしろかったです!いろんな人に話しちゃうとおもう!」と、しきりに言ってしまった。自分は道具をちゃんと揃えたいタイプで、迷ったときは妥協せず、ぜったいにいいほうを買いたい性分。昨日も、格好は誰よりもそれっぽかったけれど、安定の見た目だけでいちばんへっぽこであった。「そういうところで、都会っ子がでちゃうんです。きっと永井さんもそうだったとおもいますよ。波乗りとかしていたけれど、そういうタイプだったとおもいます」と言うと「そうかも!すごいわかる〜」と千夏さんが笑っていた。「BORN FREE WORKSも、馬詰さんも、BRANDINも、ぜんぶ永井さんが紹介してくれて、ほんと、先生には感謝しかないですよ。お墓(三浦にある)参りもいかずに、今、先生に背を向けて帰ってますけど!」と言ってゲラゲラ笑った。千夏さんも、永井さんのおかげで知ることができた人だ。昨日は久しぶりにゆっくりと、まるっと休日で、ほんとうにいい1日だった。奇跡的に雨雲をすり抜けて遊べた、パーフェクトと言っていいだろう夏の日。

2026/07/28

安堵するとき

ご相談を受けてから2ヶ月と少しの時間をかけてきた仕事が、昨日無事に納品を終えた。素材選びから、サンプルとなる形を購入して、パターンをひき、裁断、縫製、微調整。途中で「裏地をつけたほうがいいね」となり、また勉強。緊張したが、とても学びのおおい仕事だった。感謝。試着してもらって、ものすごく喜んでもらえて、しかもめちゃくちゃ似合っていて、一安心。まだまだだけれど、今の自分にできるすべては注いだつもり。
縫製の依頼は、様々だ。例えば昨日は、前述のドレスを終えてから、「ドールハウスの家具を夏仕様にしたい。さらにそのドールハウスの家主のベアに海パンも穿かせてあげたい」という依頼の、最終仕上げ。その次は「長すぎるエプロンを4センチ、裾上げしたい」というものだった。ドールハウスは、木製の家具が見るからに高級で、インテリア用にお預かりした生地はUKのものだった。全部が素敵だった。あまりにもかわいくて、仕事の途中におままごとをしてしまったほどだ。エプロンのお客様のは、タグを見るにイタリアンレストランのオリジナルなのかな? デザインと素材がよかった。ざっくりと、すこし大きめに縫われたミシン目の間隔。なるべくおなじピッチで、やりすぎない(丁寧にしすぎないという意味)ようにと、心がけてミシンを踏んだ。
依頼をうけるとき、大抵の方は「いそぎません」と言ってくれる。そう言われるが、こう見えてけっこう真面目な性格だし、見た目よりせっかちなので、すぐに仕上げてあげたい気持ちがつよい。「はやい!」と言われるが、そう言われたいのではなく、おそいのが嫌なのだ。全てご返却して自分の作品に集中したい気持ちもある。そのバランスはむずかしいけど、心に切り替えスイッチがあるので、モードを変えて作業をしている。
それにしても、<BRANDIN>での活動をはじめてから、一ヶ月がものすごくはやい。在庫が切れたものを縫い、修理や縫製の依頼を作業していると、あっという間に次のオープンデーがやってくる。だって今週末だもの。

2026/07/27

機嫌よく暮らしたいけれど

なるべくひとにやさしく、機嫌よくいたい。そうおもってはいるが、家族いわく空腹時と暑いときは、ものすごく機嫌が悪いそうだ。「みもちゃんはお腹が空いていると黙っているからすぐわかる」と、日頃からよく夫にいわれる。父も長女も、昔から暑いのが嫌いだった。レストランに入ると、エアコンの場所を確認すると言っていた。母は暑いのも平気で自然もだいすき、いっぽう父は暑がりで自然が苦手だった。
私たちが幼かった頃は、夏になると母が実家の鹿児島へ、帰省を兼ねて連れていってくれていた。夏休みの初日から、ひどいときは終業式が終わるとすぐ、羽田空港へ向かった。ひと夏を鹿児島で過ごすのが恒例だったのだ。父だけがお盆の頃に二泊くらいでやってくるのだが、一緒には泊まらず、父だけ旅館を予約していた。縁側で月を眺めるとか、蚊帳の中でみんなで寝るとか、おおきな蜘蛛が出てきて逃げまわるとか、そんな風景に、父はいつも不在だった。去年の夏、鹿児島からやってきた従姉妹がそんな思い出話をはじめて「おじちゃまが『ブランデーが呑みたい』っていいだしたらしくて、旅館の女将さんは必死で探したらしいよ、あとで聞いたんだけど!」とおもしろおかしく教えてくれた。父はそういうわがままな人で、自分勝手で、みんなを騒ぎに巻き込んでしまう。なのになぜか皆が父を嫌いになれない。そんな不思議な人だった。
父は海もきらいだった。海好きがこうじてヨットを持っていた祖父が、おもてなしに父を乗せようとしたら「海にはサメが出るから僕はいきません」と本気で言ったそうだ。そのエピソードは笑い話としてずっと語り継がれている。たしか父が結婚の挨拶に行ったときだったはずだが、母方の祖母は年齢的にもお付き合いの短さ的にも、結婚はまだはやすぎるとおもったそうだ。「娘はお米も炊けないくらい、なにもできないんです。お嫁にいくには、まだまだなんです」というと、父は「買えばいいんですよ」と、平然と答えたそう。その時のやりとりがよほど好きだったのか、あとに何度聞いたかわからないほど、母から聞いた。昔からデパートが好きだった父はきっと、素直にそうおもったのだろう。だからかかはわからないが、わたしが物心ついた時にはすでに、母はデパ地下がだいすきだった。もちろん料理もたくさんしてくれたけれど、両親が買ってきてくれるデパ地下のお惣菜のおかげで、知らない料理をたくさん知ったのもまた事実。父は唯一食育だけは熱心で、それを今、わたしは心から感謝している。
そろそろ父に会いにいきたいが、暑すぎてとにかく東京がとおい。そして仕事もたくさん溜まっている。自分で仕事をつくり、その仕事がちゃんとあることを、誰よりもよろこんでくれるのは父。それをよく知っているのは、もちろん娘のわたし。次は誰の何を縫うんだっけと頭で順番を整理しながら、せっせと手を動かしている夏だ。さてさて、今日もはじめますか。

2026/07/26

レス・バゲージ、モア・コンテントメント

ミシンの仕事とフジロックの配信と、家族の野暮用の送迎に次ぐ送迎で、大忙し。気がついたら一瞬で夕方って感じだ。
昼間、友人のSくんからライン。「Yuuf!!」ときたので「もちろんみてる!」と打ち返した。Yuufは、音楽好きのSくんが教えてくれたアーティストだ。教えてもらってPVを観たことがあり、お洋服の刺繍が印象的なアーティストだった。フジロックの衣装も、やはり刺繍がほどこされていた。こだわりなのかもしれない。波や葉っぱなど、シンプルなモチーフがひとつ、おおきく入っている。白っぽいシャツに同系色の刺繍の人もいて、あれはあれでなかなか好みだった。
職業柄もあるが、ミュージシャンの服をみるのがものすごく楽しい。サイズ感とか、風がこういうふうにはらむんだなとか、アームホールは大きいのが好きなんだなーとか、タックが2本も入ってるパンツでこんなに細いってことは、ウエスト何センチなのかなーとか。クソ暑くても革ジャンを着たいこだわりとか、すごくいい。その人の生き様というかスタイルなわけで、いいねえ、と眺める。Tシャツなのか、それともシャツなのか。無地なのか、メッセージTなのか、柄なのか、コットンなのかリネンなのか。お靴はなんなの? すべての選択が個性で主張で、ほんとうにおもしろい。誰もが、誰にも似ていないのが気持ちがいいし、格好いい。
夕方、仕事を中断して、Kちゃんをピックしてから由比ヶ浜の『TALE』へ。友人のイベントに顔をだした。「暑いし車にしようよ〜」と言ったのはわたしだが、帰る頃になって、車じゃなかったら心が折れるほどの豪雨になった。19時からの藤井風のライブを意地でも観たかったので、めげずに近くのコインパーキングまで歩いた。ゲリラ豪雨みたいな雨だったので、駐車場はまあまあ冠水していた。裸足になろうかな、と一瞬思ったレベルだった。車で本当に良かった、車ありがとう。急いで帰宅したらライブはギリギリ間に合って、判断が正しかった自分を褒める。お気に入りのカンペールのレザーサンダルが濡れたので、つま先部分には小さなタオルを詰めて、全体は、左右それぞれにおおきなタオルでそっと包み、ずぶ濡れになったワンピースを脱いで、最後に手を洗った。で、ビール。
藤井風のライブ、圧巻だった。ピアノのみならず、サックスもめちゃくちゃ上手だった。MCで印象的だったのは「満足することに上手になりましょう」という言葉だった。「小さなことに満足して、幸せになってください、それだけです本当に」と彼が言ったとき、あまりにも心に響くものがあって、ちょっと苦しいくらいだった。「レス・バゲージ、モア・コンテントメント」と言っていた。余計な荷物やいらないものを手放すことで、満足して、満たされよう、みたいなニュアンスだろうか。
ものを作る仕事をしていると、「もっと効率よく縫えればなあ」とかすぐ考えてしまう。でも、作家として、根源として忘れてはいけないことは、自分も、お客様も、心が満たされるものをつくりたいって気持ちだ。そんなものは、効率よくなんて、つくれるはずがない。そのことは、手をうごがしてものを作っている人ならきっと、みんな痛いほど知っている。これまで、レス・イズ・モアという言葉がずっと好きだったけれど、レス・バケージ、モア・コンテントメントも、心に留めておきたい。

2026/07/25

裸のままで

 Amazonプライムの、フジロックの配信をたのしんでいる。娘の部活の送迎や、歯医者の送迎などなどを挟みつつ、仕事をしながら聴く。聴き逃しているものもたくさんあるけれど、いい時代でありがたい。甲本ヒロト、Hi-STANDARD、おじさんになってもかっこよくてしびれた。若い頃よりもさらに格好良くなっている人をみると、魂がより一層に揺さぶられる。
奇妙礼太郎(きみょう・れいたろう)というアーティスト、今までぜんぜん知らなかったがものすごく良かった。絶対にライブにいきたい! と、サイトをチェックしていた今朝。『オーシャンゼリゼ』を歌っていたが、これだけ音程を外してもこんなにかっこいいということは、つまりどれだけ歌が上手くて、耳がいいのだろう。1977年生まれ、関西の方だった。白いシャツに黒いパンツでシンプルな出立(いでた)ち。格好よくて、目が釘付けになってしまった。

わたしたちみんな、この世に平等に生まれてくる。親から最初に授けてもらう贈りものが、名前。そして神様が授けてくれるのが「声」なのかもしれない。泣きながら産まれてきて、顔を真っ赤にして泣き叫んでいるのに、みんなは「おめでとう」とよろこぶ。泣いているのに、祝福される。それが命、それが声。わたしたちみんな、裸のままでやってきた。この世に、じぶんだけの楽器を持って。産まれるって、そういうことなんだ。

2026/07/24

ライブへゴー

めずらしく、娘が泣きながら起きた。夫が死ぬ夢をみたという。エレベーターの中でアクシデントがあり、夢の中で夫は死んだらしい。「エレベーターに乗るのがもう少し早かったら死ななかったのに」、わたしに説明しながら、また泣いた。じぶんが出かけるのが遅く、「もうちょっとまって」と言ったからだとシクシク泣いて、泣きやまない。先に出ていたわたしは、そこにいなかったそうだ。
娘がまだちいさなころ、「こわいゆめみたー」と、泣きながら起きることがたまにあった。「夢だからだいじょうぶだよ」と背中をトントンしながら泣き止むまで抱っこした日のことを、ふと思い出した。夫にラインをすると「僕はまだしにましぇ〜ん」と返事。「それ、にもちゃん(娘の名前)知らない時代のだから」とわたし。娘は背中をトントンしなくても、じぶんで泣き止むまでに成長した。トントンさせてもらえた時代の尊さを想う。
めちゃくちゃ緊張する仕事に朝から取り掛かっていた昨日。気迫を感じたのか、娘が「ママ、朝ごはんはじぶんで適当にやるから、気にしなくてだいじょうぶだからね」と言った。ドレスの裁断だったのだが、「ママって本当に洋服屋さんなんだね、すごいね。タイパンツは穿かないけど、ドレスもつくれるんだね」と娘。「なにが一番緊張する?」と聞くので「裁断だよ、一発勝負だから」と答えて、うまくいきますようにと心の中で唱えて、潔く裁断。
午後、最終の袖丈と裾丈のチェックでお客様が我が家へ。すごく気に入ってくれた様子で、心から安堵。あとは裏地と袖の部分を仕上げたら、来週には納品できそうだ。絶対にミスりたくない依頼だったが、そもそもワンピースは経験値が低いからまだまだ得意分野ではない。仕事をいただいた上に、勉強になった。お客様の晴れ舞台に少しでもお力添えできたら、という一心で引き受けた仕事。
一昨日の夜に発表があったが、ブルー・ノマーズの来日公演のチケットが当選した。娘も夫もわたしも好きなので、東京と福岡に出したら、福岡公演に当選。すぐにマイルとホテルをおさえて、来年とはいえ興奮気味。娘は初のライブがブルー・ノマーズ、しかも福岡ってことになる。最高じゃん。

2026/07/23

POOL

海もすきだがプールもすきだ。「プールサイド」という響きもすきで、「プール・サイド・バー」なんて一番すきかもしれない。プールに腰までつかり、水中の椅子に腰掛けて飲みものをのめるとはじめて知ったのは、いつだったのか。高校の卒業旅行でいったグアムか、その半年後くらいのハワイのどちらかなはず。体的には冷えてよろしくないのだろうけれど、あんなにご機嫌なものはない。5月に行ったバリのホテルもプールサイドがとにかく最高で、「ずっとここでいいかも」と、夫と語りあってしまうほどだった。寝転がりながらビンタンビールのんで、水音を聴くともなく聴き、光る水面をぼんやりと愛でる。間違いなく、天国だった。
プール好きがこうじて、学生時代は区民プールでもバイトをしたし、スイミングスクールでコーチのバイトもした。沖縄のリゾートホテルで、ビーチとプールのライフガードをしていたこともある。そんなプール好きのわたしなので、夏のあいだ、近所に屋外プールがオープンするのは大変にうれしいこと。
昨日も夕方の30分くらい、仕事を切り上げてぱっといって、サッと泳いで帰ってきた。温泉?とおもうくらいにぬるくて、泳いでいると熱く、ながくは泳げなかった。夕方のプールは、上がったあとのシャワーが寒いのが恒例なはずなのに、この酷暑でむしろ心地がよいほど。帰宅して、熱いシャワーを浴びて体や髪を洗う。
夕方からは友人のMちゃんがご飯を持って遊びに来てくれて、乾杯。ほどなくして娘も塾から帰宅。夫は不在だったのでダラダラしてゴロゴロして、安定の女子会。Netflixでサザンオールスターズ、RADWINPS、星野源のライブを流しつつ、アイス食べる人、ワイン呑む人、好き勝手にフリースタイル。今日も暑くなりそう。夕方はプールにいきたいので、それまでせっせと仕事を片付けよう。

2026/07/22

玉井健二さんの船

大阪・枚方の星ヶ丘という場所で< SEWING TABLE COFFEE>を営む玉井健二(たまい・けんじ)さん。通称タマケンさんは、喫茶業のかたわら流木と針金でちいさな船をつくっている。派手さはなくなんとも素朴で、ちいさい中にしっかりと表情がある。昔からしずかにファンで、なんか好きなのだ。
鎌倉の<FABRIC CAMP>で展示がはじまり、本人もいるだろうと、タマケンさんが大好きなビールを持って遊びにいくと、朝の新幹線で大阪へ帰っていた。まあしょうがない。奥様の惠美子さんもランチに出ていたので、店主の小山千夏(こやま・ちなつ)さんとのんびりおしゃべりしつつ、作品を眺めていた。今回の展示は惠美子さんの洋服に加えて、ご友人にあたる長谷川文子さんの陶もあるとのことだった。しばらくすると、惠美子さんと文子さんと思(おぼ)しき女性がもどってきた。
展示のおおきな目的は、タマケンさんの船を見ることだった。が、その横にある、布でできたちいさな袋のようなものに目がとまる。ネックレスのようにも見えるなあと、しばらく見つめていた。まず色合いがかわいい、デザインもすき。袋の中には一体何が入っているのだろう。作家の文子さんに聞くと「へえ、それは絶対にほしい!」と、購入を決めた。おしゃべりをしていると、関西からのお仲間が次々とコントのようにやってきた。「え、どういうこと?」と聞くと、みんなで夜から御蔵島へ、イルカに逢いにいくのだという。総勢8人でいくのだという。ツアーではないか。すごい!
引率の先生も、関西から遅れて登場。少し言葉を交わしただけで、とっても感じの良い方なのがわかる人だった。そのあともしばらく、先生といくつもの言葉を交わして連絡先などを教えてもらう。またきっと、そのうちどこかで会えるような気がする。
自分がこれまで出会ってきた関西の人って、総じて本当に、なんとも感じがいい。東京の人とも、神奈川の人とも、持って生まれたエネルギーの色が違う感じがする。昨日も全員がそれぞれにスパークしていた。最高であった。
展示の前に、和光の同窓のあっこちゃんと<sahan>でビールを飲み、展示の後は近所に住む作家の岡本果倫(おかもと・かりん)ちゃんと<PHO RASCAL>でパナシェを飲んだ。あっこちゃんは会社を経営している。事業規模の桁がちがう、本当のやつのほうの取締役。生き様がなんとも格好いいが、話すと思想がだいぶ愉快。歯に衣着せぬ感じも清々しく突き抜けていて、聞いていて気持ちがいい。昨日も、「汗とかかかないの?」と聞きたくなるような涼しげな雰囲気で登場。お高そうなピアスをしていて、ものすごく似合っていた。深いグリーンのような、見ていると吸い込まれそうな色だった。喋らないと清楚な美人さんなのだが、話すとかなり振り切れていて、ほんと、おもしろくて大好きだ。
かりんちゃんは作家で、二児の子育てをしながら作品を作り、積極的に展示もしている。売れっ子なので多忙だとおもうが、家が徒歩60秒くらいなので、「暇?呑もうよ」って誘える間柄で、すごく気楽。昨日、帰りがえけに「これあげるよ」ってバッグからサッポロの瓶ビールを出してくれた。そういう人。みんな個性的で全然違うタイプなのだが、総じて言えるのは人と作品(仕事)が誠実であること。自分の仕事に責任を持っているところだろう。そういう人が、わたしはだいすきだ。


2026/07/21

格好がいいって格好いい

 ビル・ウィザーズが涼しげな声で「ラブリ・デイ」だとわたしに語りかけている。朝から暑すぎて、どのあたりがラブリーなのか、目をこらして探している朝。
娘が起きてきた。「8時だよ!すごいよね!」といきなりじぶんでじぶんを褒めている。先日の三者面談で、夏休みの目標を書く紙に「昼までに起きる」と書いてあった。先生も私も思わず二度見したが、あれ、本気だったんだね。ママは朝からめっちゃ仕事をしている。午後から人に会う用事があるし、夕方はプールにも行きたい。早回しで動かないと、とにかく仕事が追いつかない。
縫製業を営んでいて、お洋服にたずさわる仕事をしているが、自身はおしゃれかどうかと問われたら、そこはあまり目指していない。おしゃれは我慢とよく聞くが、我慢が大嫌いなわたしだから、多分方向性が違うのだとおもう。
目がいくのは格好いい人で、バランスのとれた人がすきで、一言でいうならば、素敵な人がすき。似合っているものを着ている人がすきだ。それがハイブランドでなくてもいいし、ハイブランドでもいいし、新品でも古着でもいい。似合っている人を見ると、「わあああ」って思って目で追ってしまう。格好つけていないのに格好いい人、というのがいちばんすき。
格好つけないといられないような場所にいくと、なんかすごく心の奥が恥ずかしくなってしまうから、すぐに退散すると決めている。そういう場所がすきで楽しい人もいるとおもう。みんながすきな空間を自由に楽しんだらいいのだが、自分はどうしてもだめ。格好つけられない。風が止まっている感じがしてしまって、心と体が暑くなる。で、喉が渇いちゃう。
服装や暮らしでいうと、新宿にいくとたくさんのホームレスを目にするのだけれど、ダンボールの組み方や服装にこだわりを感じる人もたまにいて、「あの人、工夫してるな」なんて眺めるのが、昔から結構すきだった。幼稚園児のころ、手を繋いで歩きながら母も似たようなことをよく言っていた。「あの人、インテリよね」とか言っていて、「インテリってなあに?」と聞いたら、「あの人、何ヶ国語も語学が喋れるの。よく、いろんな国の言葉で独り言をいっているのをママは知ってる」と言ったあと「お顔立ちも素敵!」と付け加えた。絵も上手で、母はその人に「よかったら使ってください」と、家で使わなかったクーピーをあげたりしていた。その人は、ジュードのような布を貫頭衣のようにかぶっていた。今でも忘れらないが、ちょっとヒッピーぽい感じで、危うい、格好良い感じだった。おおきなショッピングカートを押しながら暮らしていて、幼稚園のそばによくいたのだが、隠しきれない気品が漂う紳士だった。きっと、ものすごいエリートだったのではないか。
母は見た目が女優のように綺麗でスタイルもよく、いつもピアスやブレスレットをつけ、香水をつけ、幼稚園のお迎えでも必ずヒールを履くような人だった。他人からはさぞや都会的に見えたとおもうが、中身は南国の海辺で育った野生児のままだった。服装や色彩のセンスも考え方も、すごく個性的だった。誰にも染まらない感じで、そこが本当に素敵な人だったと今でもおもう。家族の本には、母のことをたくさん、たくさん書きたい。

2026/07/20

連休のあれこれ

ニーナ・シモンがカバーしている「トラブル・イン・マインド」を聴いている。たとえどんなに嫌なことがあっても、落ち込んだ底からでも、人はかならず光を探せる。大丈夫。そんな気持ちにしてくれる力強い声と歌詞だ。日頃、声をほめてもらうことがおおいのだが、大抵は「かわいいね」と言われるばかりで、「かっこいいね、ニーナ・シモンみたいで」なんて言われたことは一度もない。こんな声だったらな、聞くたびに夢をみている。自分の声を嫌いではないが、ほんとうに好きな声は、こんな声だ。
連休は家族で映画を観たり、暮らす町のカラオケ大会を楽しく眺めたり、友人の展示会に顔を出したり、気になっていた展示に足を運んだりと、なんだか忙しかった。昨日は娘がお友達と横浜へ遊びに出かるとかで、明るいうちから夫とゆっくりビールやワインを呑んで、あれこれおしゃべりをして楽しい午後。
『Tシャツが乾くまで』と言うドラマをNetflixで観ている。夫が不慮の事故で行方不明になってしまう妻を演じる蒼井優さんが、近所に住む男性、園田さん役の中島歩さんといい感じになるシーンを昨日ふたりで観ていた。「さみしいとおもいつつ、わたしならすぐ園田さん好きになっちゃうかもなー。めっちゃかっこよくてタイプ!」というと「やだ! 生き返って出てくる!」と夫が言うので「お化けで? こわーい!」とか言って、ゲラゲラ。
娘はお友達と出かけることが増えて、移動距離も伸び、世界が広がっている。とてもいいことだ。視野を広く、世界を広く、高いところから俯瞰して眺めてほしい。Googleマップを二本指で縮めるみたいな感じで。いいときはもちろん、よくないときこそ、そんな感じで。
夕方になって娘が帰宅すると、夫はすぐに「さみしかったよう〜」と娘に言った。「ごめんごめん、明日は一日いるから」とかわされていて笑った。あと数年もすれば彼氏ができて、デートしたり外泊したりバイトしたり、きっと娘は忙しくなるだろう。そのとき、夫にニーナ・シモンのこの曲を聴かせてあげたい。
いつでも今が一番かわいいのが子供というものなのだけれど、子猫や子犬が反則的にかわいいのと同じで、バブちゃん時代の娘の可愛さにはものすごい破壊力があった。あの頃の娘を思い出してはいつでもうっとりして、直後にさみしんぼうオジになる、というのが娘を持つパパという生き者なのだろう。立ち上がって現実観ていこうぜい〜。俺たち、チームワーク大事だぜ〜。朝4時起きでワールドカップの決勝戦を観たので、今日は寝不足のわたくしであります。

2026/07/18

仕(つか)える事(こと)をたのしみたい

平穏な土曜日の幕開け。エアコンのきいた部屋で好きな音楽を聴く、最高であります。
昨日一昨日は、連日海の家<パパイヤ>のアルバイト。昨日のラストオーダーあたりは、記憶が飛ぶくらいの忙しさだった。この二日間のキッチンは暑いの極みであった。が、友人が来てくれたり、知人がのんびりくつろいでいる姿を眺めるのは、いつでもやっぱりいいものだ。
一緒に働く人は、大人が半分、若者が半分。昨日はじめて一緒に働いたKさんは、ヘアメイクアーティストの人だった。仕事は舞台が中心のようで、舞台がはじまると仕込みから始まって終演までの数週間びっちり張り付いて仕事、みたいな感じらしい。舞台衣装の仕事をしている友人がいて、以前似た話を聞いたことがあったが、そのメイクアップアーティストが、彼女ようなスタッフということなのだろう。明日からはしばらく忙しいから来られないとのこと。みんな手に職があり、それぞれの仕事があっておもしろい。カメラマン、古着屋の店主、グラフィックデザイナー、そしてタイパンツ作家。みんな、本業の休みの日に唐揚げあげたりラーメン作ったりしているわけで、ほんと、そう考えると愉快だ。期限のある仕事や、リズムや波のある仕事、いずれにしても、スケジュールを自分で管理できるから可能なのだとおもうが、みんな、働くこと、仕事が好きなのだろう。この仕事は、お金ではないのだとおもう。お金も大事だけれど、そこは皆、本業でカバーしているのだろう。
昨日、受付とドリンク係を担当する若いおんなのこ三人と、仕事を終えてしばらく話をしていた。先輩には敬語があやふあなわたしなのに、若い子にはめちゃくちゃデスマス口調で話ている自分がいた。そのくらい、なんかもうものすごくかわいくて、緊張しつつ憧れてしまった。かわいくて動きもよく、仕事もできる。同じ人間なのか、ちょっぴり疑わしいくらいに可愛かった。これからのことを悩んでる、みたいな話をチラッと聞いたけれど「若いんだからなにやってもいいとおもいますよ。可能性しかないですよ」と言った。ワーホリの話にもなり、「年齢で制限のあることは、若さの特権だからなんでもやったらいいっておもいます!」とも言ってみた。あの若さと可愛さ、ほしいとおねだりしたら、きっと一億くらいは払わないと絶対に買えない。そのくらいに、可能性200パーセントだった。がんばらなくていい。うるさい人の言うことなど一切きかず、心のままに楽しんでほしい。
夕方、織り作家の中島寛子ちゃんもお子さんを連れてきてくれた。ピンクのタイパンツがほんとーーーうによく似合っていて、一緒に働いていたヘアメイクのKさんに、「おしゃれな人がはくとあんなに素敵になるもんですね、あれ、実はわたしが縫ったタイパンツなんですよ」と自慢したほどだ。お子さんも「昭和からやってきたの?」と聞きたくなるような、なんだろう、素直で素朴で、さっぱりとした雰囲気をまとった少年たちだった。おもわず「かわいいね」とか言って、フライドポテトを持って近付いてしまった。変なおばさん。
パパイヤでは自分で縫ったシャツとタイパンツを着て仕事をしている。開襟シャツとショート丈のタイパンツで働くのを、この夏は結構気に入っている。開襟シャツは首元が涼しいし、風もとおる。見た目もちゃんとしている感じ。昨日、「かわいいですね」とスタッフの女性二人から声をかけてもらって、疲れが吹き飛ぶくらい、めちゃくちゃうれしかった。「わたしが縫ってるんです」と、まだ堂々と言えない。シャツはまだまだこれからで、もっと上手になる予定なんだもん。

2026/07/16

先輩とのアルアル

オーダーのパンツを縫ったり、別件でオーダードレスのパターンを引いたり。波がないと仕事がサクサクはかどっていい。あっという間に時が過ぎる。もっとゆっくり進んでほしいくらいだ。お昼は材木座の<ミル・コーヒー・スタンド>でスパイスカレーとプリントコーヒーを食べる、と決めていた昨日。お昼過ぎ、DAILYの馬詰さんから電話がきて、あれこれ世間話をしていた。これからミル・コーヒーにいくんですと言うと、じゃあそこで会おうとなって、20分後くらいに集合となった。
毎週水曜日だけだというスパイスカレーは、残念ながら売り切れていた。プリンとコーヒーをオーダーしたが、今まで食べたプリンの中で、いちばん好きなくらいに美味しかった。鎌倉の裏駅の<ロンディーノ>のプリンも好きだけれど、それを超えてしまった。
馬詰さんと会うのは、突然なことがおおい。先輩はいろんな話題がいつも新鮮に豊富で、ついつい笑ってしまう。昨日もそんな時間だった。なんでだったか波乗りの話題になったとき、馬詰さんはデカ波が好きだというから「私は小波専門家なんです」と言って、また笑った。「ロングでデカい波って怖くないですか?」と聞いたら、ジェットコースターみたいなのが好きなのだそう。
ボディーボードをしていた頃はずっと大波が好きだったけれど、9フィートのロングボードに乗りはじめてから、大きな波の日ははいらなくなってしまった。まずアウトに出るまでのパドリングがつらい、波に巻かれてもつらい。砂浜の持ち運びから、もうつらくないですか? と、わたし。今は7ftくらいの板だけど、それでも板を運んでいるときに風であおられると、板も気持ちも持っていかれちゃう。
昨日、自分がいかに怖がりでヘタレか、という話をしていたところだった。基本的にお化けも暗闇も叱られることも自然災害もこわい。「自然が好きそう」とよく言われる。虫も、暑いのもだいきらいだ。一瞬だけハイキングに手を出したが、靴が土で汚れることにものすごく強いストレスを感じて、すぐにやめた。エアコンの効いた部屋がだいすき。ネオン街のコンクリートが一番安心で安全だと、わりと本気でおもっている。とにかく、こわいことからはすぐに逃げると決めている。自慢じゃないが、逃げ足だけはめっちゃはやい。そういう人間なのだ。父譲り。

ヘタレ知らずの先輩と、ヘタレ専門家のわたし。馬詰さんは背も高いし手足もながいから、パドリングのストロークもわたしの2倍くらいあるはず。スタイルが良くてうらやましいけど、まあ、こればっかりはしょうがない。先輩は少女と男の子のハイブリットみたいな、不思議な魅力を兼ね備えている。自分とはいろんなことが、ぜんぜん違う。でも、言っていることはすごく理解ができる。だから話していてたのしいのだろう。

2026/07/15

どんな恋をしたら

 娘が好きな「RADWINPS」というアーティストの曲を一緒に聴いていたときのことだ。

この恋に僕が名前をつけるならそれは「ありがとう」

という歌詞が流れる「me me she」というナンバーがあるのだが、娘が「どんな恋愛したらこんな詩を描けるんだろうね!」と言うので「妄想でも詩は描けるよ!」と言ってみたが、反応薄めだった。そっか、妄想じゃダメか。これから高校生に向かってまっしぐらの中二なので、夢と希望はすべて現実に落とし込みたいのだろう。いいね、確かにママもそんなことばかり考えていた。
夫と出会う少し前にお別れをした男性がいて、「なんだあいつ! 恋愛はしばらく懲り懲り!」と思っていたのに、夫に出会ってすぐに付き合うことになった。夫は当時、仕事も生活もうまくいかず『しょんぼりくん』と名付けたいような、そんな時代だった。お顔に縦線がはいったような夫がなんだか妙にツボだった私は「今のあなたにぴったりなバーがあるから、一緒にいきません?」と誘ったのが、新宿三丁目にある『どん底』だった。それが、たぶんほんとうに最初の方のデートだったはず、という話を先日<BRANDIN>の店主のひろみさんに面白おかしく話していた。すると、「どうしてミモちゃんは、二十歳でそんなお店を知っていたんですか?」と聞かれた。どうしてでしょうね、ここではかけません!笑 
いつかネタになると思ったのだろう、『どん底』の看板の前で記念撮影もした。夫は髪を結べるほどの長髪で、今なら絶対に着ないであろう、長くて重くて、ザ・イングランド!って感じの可愛いダッフルコートを着ていた。当時は、スニーカーも黒を履くような、真っ黒なコーディネートの人だった。腕も骨折していて、ギブスに三角巾。私は安室ちゃん風の厚底ブーツにメッシュでロン毛の二十歳。そんな話をしていたら「ご主人は、きっと目の前に天使が現れたって思ったでしょうね」とひろみさんが言ってくれて「そうだと思います!」と言ったけれど、夫がそう思っているかは謎。たぶん思っていないとおもう。
出会ったときから、たぶんずっと夫を振り回している。夫の意見はあまり聞かないし、ずっと反抗期。家事もそんなにしないし、すべてが嫌になって塞ぎ込んでしまうこともある。配偶者がわたしだと、夫は苦労も多いはず。この間、夫が「94歳までは生きないと」と言うので「中途半端な数字を目指してるんだね」と言ったら「女性の平均寿命が88歳だから、そこに6歳足すと94歳なんだよ」と言っていた。心配性で、いつも色々なケースを考えている。わたしが88歳まで生きるかどうかなんて、わからないのにね。


2026/07/14

先生、ありがとう

昨日の娘の三者面談を楽しみにしていたのは、先生にお会いしたかったから。
還暦を迎えられた担任の男性は、数日に一度という高い頻度で、手書きの通信を配ってくれる。まるもじのフォント感や、通信のタイトルも昭和そのもの。日々、紡がれる言葉から滲み出る人柄には、なんだろう、心がほどけるものがある。まず褒めてくれる、次に感謝。たまに書かれる独り言のようなぼやきも、これがなかなかにウケるのだ。
春に配られた第一号を復習したら、先生の『趣味』の項目には「レコードとCD収集」と書いてあった。記憶に間違いないと確信し、こっそり『Better Days』(わたしが作っている通信)と<BRANDIN>のお知らせハガキももった。なのに肝心のスリッパは忘れてしまう、うっかりさんのわたし。
初めてお会いした先生は、ほんとうにいい感じの男性だった。「緊張する〜」と言いながらはいってきた娘に「怒ることは何もないし、感謝しかないよ」と先生が言った瞬間、なんだか私のほうが泣きたくなった。こんな感じの方に、思春期の娘の日中を預けているんだなと思ったら、こちらこそ感謝の気持ちだ。

先日の体育祭で、校庭のトイレのトイレットペーパーが切れた瞬間に立ち会った。「誰か先生が持ってきてくれるはず」と、生徒のひとりが言ったあと、遠くのほうから、地味な感じの男性が両手にトイレットペーパーを抱えて走ってやってきた。「こういう雑務って目立たないし、評価にも入らないんだろうなぁ」と眺めていた。ふと、年齢的にも性別的にも「あれ? もしかして、あの人が担任の先生だったりして。そうだといいな」と思って目で追っていた。昨日ついにご対面した担任の先生は、あの日のトイレットペーパーの男性だった。
わたしが、<BRANDIN>で『Better Days』を作って配ろうと思ったのは、実は、先生の通信がヒントだった。そのことと、日頃の通信を楽しく読んでいることを伝えたかったので、昨日の面談はとてもいい時間だった。進学や成績のことも、もちろんちゃんと話をした。「中学二年生は、とにかく興味のある学校の文化祭などに足を運んでみて、自分にあっているかな?とかね、雰囲気を見てみることだよ。そのあとで、じゃあその学校にあった学力にするには、足りないところをどう伸ばしていくかを考えていったらいい」とのことだった。娘が名前を出した高校に対して、瞬時にそう言った先生の優しさが、親には手に取るようにわかって、また泣きそうになった。なんだか、言葉ひとつ一つに愛があって、ほんとうにあたたかい人だった。可能性と選択の自由を潰さない感じ。自分もこんなふうに、相手を想ってやさしく喋れているかなと、考えさせらる時間だった。


2026/07/13

ありがとうございました

 昨日は朝からラジオのオンエアで、自分もいちリスナーとして拝聴。インスタを見て聴いてくれた人、知らずに聴いていた人など、連絡をくださったりして、みなさんありがとう。番組のスタッフの方にも、ほんとうに感謝の気持ちでいっぱい。
オンエア中、インスタグラムのフォロワーがどんどんふえていった。うれしいような、不思議なような、本音を言うとちょっぴり怖いような、そんな全部の素直な気持ちをひとつにまるめて胸に戻して「メディアってすごい、ラジオってすごい」と改めて。そんな中、隣でパジャマのままで聴いていた娘が「ママ、すごいねえ」と言ってくれたことが、なんだか地味にうれしかった。
今朝は9時から自宅で打ち合わせ。<BRANDIN>の店主の宮治ひろみさんが、我が家へやってきてくれた。海が見えるロケーションや、わたしのミシンおよび作業場など、興味深く楽しんでいらした。感性がずっと少女のまま大人になったような方で、好奇心の針がブイーンと振り切れている。その感じが、大人の女性としてはきっとマイノリティで、そこが人としてすごく魅力的。打ち合わせのアウトラインは決まったので、あとはわたしが作業に入るのみ。はじめての依頼だけれど、すごくおもしろいお仕事をいただいて、やる気スイッチがはいっている。きっと楽しく手を動かせるはずと信じて、わたしも突き進みたい。
打ち合わせを終えて、西鎌倉の<LEPOLUKU>ではやいお昼ご飯にナポリタンと、夏みかんのソーダをいただいた。時間があったので、波チェックを兼ねてひろみさんを<BRANDIN>まで送迎し、コーヒーをいただいて、先ほど帰宅。今日はこれから娘の三者面談。西へ東へ、海へ山へ。そんな月曜日の幕開け。今週も一週間、いつもどおりに、わたしらしく。

2026/07/10

みんながんばっている

テスト期間真っ只中だ。不機嫌な雰囲気をバンバン発して、夜遅くまで勉強をしている娘がこわい。殺気だっている。穏やかに勉強していただきたいが、いろいろな事情があるのだろう。ママは一切無視して、誰よりも早い就寝スタイルを貫いている。今朝起きると「ママ〜おくって〜」と弱々しくいうので、ふたつ返事で送迎。疲れているのだとおもう。こういうことしか応援できないし、とにかく甘やかして育てたい。自分もそうやって育ててもらって今がある。
ほんとうにおかげさまだが、仕事が忙しい。納品の順番は、公平に、お仕事をいただいた順番なのは当たり前のはなし。だが、大急ぎ案件などが入ると、自分の時間を切り売りする。残業もしくは早出で対応。昨日も朝から仕事をしていて、昼に受け渡し、午後は近所のKさんのご自宅にシャツのサンプルをお見せしに。
Kさんは今年の秋で50周年を迎えるサーフショップを営んでいる。「ご、ごじゅうねん!?」と聞き返したくなる長さだが、24歳でお店をはじめたそう。30歳くらいまでできるかな? と思っていたそうだが、気がつけば50年だとおっしゃっていた。アップダウンがあったけれど、と手のひらでおおきな波をつくりながら。そんな話をきいていたら、お客様のボードの修理が仕上がったと、<BIRDS CREATION>のジョージくんが板を抱えてやってきた。わたしもジョージくんもKさんのお家にお邪魔するのははじめてで、おもしろい偶然。
インドネシアのスマトラ島にトリップにいっていたというジョージくんは、めちゃくちゃ元気そうな表情をたたえていた。充電完了したのだろう。ボードとともに、手には領収書もちゃんと準備していた。Kさんと少し言葉を交わしつつ、受け渡しをして、「任務を果たしてきます」と言って「みもちゃん、またね!」と、風のように帰っていった。わたしも仕事が残っていたので、あとに続いて帰宅。みんな遊んでそうだけれど、真面目に働いている。そうじゃないと50年もお店が続くはずない。ジョージくんもひろい工房を維持しつつ、家族を養っているパパなのだ。Kさんもジョージくんも、サーフィン業界で食べていくって、なかなかにガッツがいることとおもう。好きを仕事にする大変さ、根性、見習いたい。今日は鎌倉の花火大会。娘の友人や、もしかしたらそのパパとママなど、来客予定があるので、できるだけ仕事を早く進めたい。お客様の期待を裏切らないように、そして家族と自分の暮らしのために、わたしもがんばろう。

2026/07/09

パパ、カットインしないで

 今朝、娘の朝食を準備していたときのことだ。「朝から『SHISYAMO』(ちょっと激しめの曲もあるガールズロックバンド)聴いていい?」と娘に聞くと「いいよ。ママがいろんな音楽流しているのには慣れているから、別に聞かなくてもいいんだよ」と言われた。
今日は朝一番で、竹内まりあの『セプテンバー』を宮本浩次がカバーしたものをかけ、ザ・オールディーズって感じのフィフス・ディメンションの『ウェディング・ベル・ブルース』をかけ、70年代のアメリカの曲を数曲かけてから、カットバックしてSHISYAMO。色んな時代の色んなジャンルの音楽が好きなのだ。
昨日は、某店舗のスタッフのKちゃんと海の家パパイヤで昼ビール。波チェックがてら家から海岸を歩いて向かった。Kちゃんとご飯を食べるのはこれが三回目。<BRANDIN>にもご夫妻で足を運んでくれて、修理品を預けてくれた。音楽とかサッカーとか子育てのこと、話が合うので楽しい。またしてもバブル世代のおねえさんで、じぶんはこの世代のお友達の方が、同世代よりおおい気すらする。音楽は70年代のアメリカが異様に好きで、お友達は60年代に日本で生まれたバブル世代が多め。狙っていないのに、不思議であります。
今朝流していたオールディーズの曲にはじめて触れたのは、1994年の夏。17歳のわたしはサンタモニカの叔母の家に、一夏お世話になっていた。当時、叔母がよく聴いてた<ケー・オー・ワンオーワン>というラジオから流れてきた。「なんだこの曲は!」と目がハートになった。このラジオ曲は選曲がとてもよくて、日本に帰っても聴いていたいとおもい、カセットテープに録音して、帰国してからもずっと聴いていた。ジングルもよく覚えている。
あの夏、はじめて海外にいって、成田空港のお見送りには母と長女が来てくれた。心配性の姉は、心配そうな顔をしていた。ワクワクしかなかったわたしは、エスカレーターを降りながら笑顔でふたりに手を振った。LAX(ロスアンゼルス空港)には叔母が迎えにきてくれていて、笑顔で手を振ってくれた叔母の顔を鮮明に覚えている。叔母からは、言葉では伝えきれないほどのものを授けてもらった。視野を広げてもらったし、ものの考え方、働き方、生き方、ほかにも、たくさんの、ほんとうにたくさんのことを。
父に「アメリカにいってみたい」と言ったら「いきたいんだろ? いけよ」と言ってポーンとチケット代などを払ってくれた。心配をする様子など、一切感じなかった。父は、進路もそうだったが「金は出すけど口は出さない」子育てだったようにおもう。「子供の自主性を重んじて」なんて美しい理論ではなく、シンプルに興味がなかったのだとおもう。江戸っ子なので、「テメエの人生で、オレの人生じゃねえんだよ」と思っていたはず。父は、めちゃくちゃ言葉遣いが悪かった。一方の母は、挨拶と言葉遣いだけはとても厳しい人だったので「ママはどうして、こんなにべらんめえな口調の人を夫に選んだんだろう」と、子供ながらに不思議だった。「おいちび、ちょっとこい」とか普通に呼ばれていたし、「てめえ、なんだって?」とか言う人だった。当時はことあるごとに「パパはやさしくない!」と思っていた。お金は出すけどこどもの選択には干渉しない。時を経ておもうが、どちらもなかなか、容易ではない。親になった今、悔しいくらいに、父の偉大さが身にしみる。わたしは昔から母が好きで、ママっ子だった。いつでも母のことを書きたいくらいに、今でも母が好き。なのになんでだろう、父のことばかり書いてしまうのは。



2026/07/08

ジャスト・ナンバーとは言うけれど

「残念なニュースって、なくならいね」朝の情報番組を見ていた娘がぼそっと言った。犯人が連行される様子が映像で映されると、たいてい一瞬、カメラは容疑者をおさえる。スローモーションだったり一時停止されたその瞬間、「こっち見るな!」と、娘はいう。父は、「目を見ればわかる、人も魚もおなじだよ」とよく言っていた。死んだ魚の目は濁っていて、鮮度が悪い。鮮度のいい魚の目は、真っ黒でキラキラしているのだと。父の言っていた通り、犯罪を犯した人の目は、確かに死んでいると感じる。
「年齢なんてただの数字よ」
素敵な感じの人っぽい人が、よくメディアでつかうあの言葉。あれって本当に、本当だろうか。自分は、容疑者の年齢をつい目で追ってしまう。「えー、同じ歳なんだけど」なんて声に出して言ってしまうのは、「じぶんもあんなにおばさんなのか」とか「この歳でこんなことしちゃうのか」とか、とにかく色んな感情がうごめいて、ものすごく、腹の力が奪われる。つまり、映像をとうしてめちゃくちゃ負を浴びているってことなのだろう。とてもよくないこと。そのすぐあとで「では、次はワールドカップのニュースです!」とか言われても、こっちは感情を切り替えるのがむつかしい。アナウンサーも大変な職業だ。
昨日は午後から今年初の海の家パパイヤのアルバイト。一年ぶりのオーナーや新旧混ざったバイトの皆さんにご挨拶。キッチンでラーメン、揚げ物、焼きそばなど、記憶をたどりつつ手を動かした。今日は午前中だけ仕事して、午後はやっと休日。波乗りしたいけど、少し仕事もしないと間に合わない。明日はサーフィンしたいけれど、波はどうなんだろう。今、窓の外にはちょうど良い感じの波が広がっていて、「ミシンなんて踏んでないで、こっちおいでよ」って言っている。何度も手招きをしている。そんなふうに見える波。

2026/07/07

彼らのこと

土曜日の午後、「ミュージシャンをつれてきました」と、<BRANDIN>のひろみさんが若者を二人引き連れてきてくれた。それだけ言い残して、ひろみさんはお店に戻った。
連れてこられた彼らは、タイパンツよりも部屋の本棚に置いてあったボブ・ディランの本に夢中そうだったので、しばらくそっとしておいた後、話しかけた。聞けばふたりは、<BRANDIN>からすぐの、近所の高校の同級生同士だそう。一人は現在イギリスのウェーズル音楽大学でドラムを学んでいるとのこと。今は夏休みで帰国中なのだそう。もうひとりの男の子は、日本の音楽専門学校に在籍中だったが、推薦?にパスをして、来月からアメリカのバークリー音楽大学に編入し、ベースの勉強をするそうそうだ。それは、どうやらとても難関なことらしい。ウェールズの彼いわく、ものすごいことのようだった。よくわからないが、とにかく目下バンドマンに憧れのあるわたしにとっては、楽器の弾ける若者に羨望の眼差しで食いついてしまった。とっても感じのいい若者で、どうしたらこういうメンズが育つのか、娘しかいないわたしにとっては、永遠の謎。
途中でアイルランド人だったかな、常連の男性もやってきて、ひろみさんが紹介をしてくれた。ウェールズにいる彼は、エッジの効いたイギリス英語で会話をしていた。あとで「さすがイギリス英語だね〜。きちっとしているね!」というと、わざとフランクな英語を喋って「こんな感じのカリフォルニア英語も喋れなくはないんですよ〜」といって笑ってみせた。かわいい・・・。かわいいの極みであります。
<BRANDIN>では老若男女、様々なお客様がいらして、音を楽しんでいる。文化ってこういうことなのか、と本当に目の当たりにする。文化系男子の父から生まれたわたしは、「文化が」とか「カルチャーがね」とか口にする男性、音楽を語るときに「どんなジャンルを聴くの?」とかいってくるすべての男性が、正直ものすごく苦手だった。若かったし、偏見もあった。大人になって、ジャズが好きだった父の話をすると、「リビングで流れていたの?」と聴かれるが、そうではない。父は二階に、レコード部屋を持っていたのだ。その部屋はバーカウンターのようにお酒も飲めて、一人がけのレザーのソファが、確か二、三脚あった。うそでしょ、っていうサイズのバカデカいスピーカーを備え、壁紙もその部屋だけは、多分まちがいなく海外の、めちゃくちゃオシャレなやつにしていた。実家は日本家屋だったのに。その部屋は、こどもながらに近づきたくない怖い部屋だった。レコードの音はうるさいし、走ると怒られる。スピーカーの前で、まだあかちゃんのわたしが写っている写真が一枚あるのだが、今にも泣き出しそうな、すごく不機嫌そうな顔をしている。母は、その写真がなぜか大好きで「パパにそっくり〜かわいい〜」と愛でる。
父はいっつも自分のことばっかりだった。レコードもそう、車もそう。お洋服、靴、バッグ、香水、自分がいちばんで、自分がだいすきで、自分にめちゃくちゃお金を注いでいた。一度だってレコードの針の落とし方を教えてくれることもなく、ジャズも、自分だけが楽しそうにスイングして聴いていた。もっと家族を構ってほしい。レコードなんてバッカみたい! そうおもっていたのにな。父が元気だったら、この場所での活動を、どんなにか喜んだだろう。<BRANDIN>にいると、父のことを何度も、何回も、どうしても、おもう。この気持ちを音に乗せて、言葉にして、命懸けてで家族の本を執筆したい。

2026/07/06

すぐに剥がれるわたしのメッキ

娘を産んで、13年と8ヶ月。
長年積み上げてみた飲み歩き、ときどき午前様の生活は封印して、子育てをしてきたつもり。じぶんなりに一生懸命やってきた。子育てはクソミソになるフェーズもあれど、これまでまったくしらなかったしあわせも教えてもらえて、「もうそんなに夜遊びはいいかな」なんておもっていた。けれど、娘が中学生になったくらいからだろうか。すっかり手が離れ、同時に時間がうまれ、気がつけばのびのびと羽を伸ばしているわたしだ。
週末の<BRANDIN>は、二ヶ月目に突入。第一土曜日の夜は毎月ジャズのイベントがあり、はじめて参加させてもらった。21時過ぎにお店を後にして、夜の134号線を飛ばして帰宅。昨夜は店主の宮治ひろみさんと、<BRANDIN>の長年のお客様でいらっしゃるHさんとわたし、三人で茅ヶ崎駅近くの<FROGGIES>というバーへ。いやあ、夜遊びたのしい〜。13年かけて塗ってきたはずのメッキ、ここ最近で一気に剥がれた感がある。
本当は辻堂で一人で呑んで帰ろうとおもっていたのだが、「<FROGGIES>の店主の小田さんに、一度はみもちゃんを会わせたいの」と以前から言ってくれていたひろみさんのご提案で、足を運んだ昨晩。店主の小田さんを交えて、カウンター越しにあれこれおしゃべりして楽しい夜。ファミリーバンドのこと、「さみしさ」について、ジャクソン・ブラウンのライブのことなど、話題はあっちこっち。わたしだけひとり逗子市民で自宅が遠いので、21時に席をたち、電車を乗り継ぎ、バスに乗って帰宅した。
週末の<BRANDIN>は久しぶりのお客様、友人、元同僚、<BRANDIN>のお客様など様々な方に見ていただき、ありがたい時間だった。まだまだ改善点もたくさんあるけれど、あせらず、ゆっくりやっていく。今日は台風のうねりが届きはじめた湘南で、これからサクッと波乗りにいく。色々仕事は溜まっているのだが、リフレッシュして、パフォーマンスをあげたい所存であります。<BRANDIN>は13時から18時まで、本日最終日。よかったら遊びに来てください。

2026/07/02

着たいものを着ればいい

 パタンナーのKちゃんはロングボーダー。打ち合わせで自宅に来てくれた昨日、床に立て掛けている6.8ftの板を見て「これ、なんですか」というので「スポンジボードだよ、もらったんだよ」と答えた。「サイズはいくつですか、良さそうですね」と、興味を示していた。現在、友人から借りパク中のグラスボードも見たいと玄関にいったKちゃん、「これはテイクオフが早そうですねえ!」といった。そして「7.7ftは、みもさんだと普通の人の9ftくらいかもですね」と言うから「ほんとだよ」と笑った。
Kちゃんは静かに頑固なところがすごく良くて、そこをとっても信頼している。イエスと言ってくれそうな雰囲気だけど、全然イエスマンじゃない。Kちゃんに提案や相談をして、冒頭で「う〜ん」と言われると、素直に聞くことにしている。「う〜ん」の後に、何故それがあまり良くないかを、素人にわかりやすく説明してくれるので、すごく納得ができる。昨日も、わたしの意図をよく汲み取ってくれて、その上でできること、目指すべきところを提案してくれた。「パターンはそこまで勉強していないから」と言う謙遜タイプのKちゃんだけれど、この先も他のパタンナーを探そうとはおもわないだろう。これからも、嫌だと言われてもつきまとってゆく。昨日Kちゃんが着ていたシャツが素敵だったので、「いいね」と言うと、メンズのシャツだった。身長が高く、すらっとしている女性だとこういう服も着こなせるのか、いいなと眺める小さなわたし。
昨日Kちゃんに、もしも襟(えり)を修正したかったら、ギミックはこうで、ここをいじるとこうなるから、ミモさんもやってみても全然いいかも、というような内容を、親切に教えてもらった。おもしろそうだなと興味が湧いたので、「やるやる、やってみる!」と言って、打ち合わせを終了した。はずなのに、頭の中に残っていたのはKちゃんのメンズのシャツ。
せっかく教えてもらったエリの修正に背を向けて、うっかりメンズのシャツを縫ってしまった。マドラスで縫ったシャツは涼しげで素敵な仕上がりになった。メンズサイズだけど女性が着ても、ストンとして感じがいいだろうとおもえた。「分厚い生地だど違うけど、テロンとした生地感だとメンズサイズもありです」みたいなことを言っていたKちゃんの言葉の通りであった。メンズとかウィメンズとか、もはや今の時代なら関係なく、着たいもの着ればいいような気がする。どうですかね。さてさて、今日もこれからミシンを踏む。毎日毎日、飽きもせずに。



2026/07/01

師が嫌ったもの

先日娘と某公立高校の文化祭へいったときのこと。受付をするかわいい女の子や、「チュロス美味しいですよ〜」と呼び込みをする男の子をみて、「なんか高校生ってたのしそう」と娘がいった。
文章のワークショプに通っていたわたしにとって、師匠は美術作家の永井宏さんになる。「外で決して僕のことを師匠だと言わないように。こんなに色の黒いサーファーがお弟子さんだと思われたくない!」と生前よく言われたけれど。師匠はいろんなことに、面と向かって辛口で厳しかった。中でも「文化祭」的なことをすごく嫌う人だった。「文化祭じゃないんだよ」は何度も聞いた言葉。そのことを、この間の文化祭でふと思い出した。
ギャラリーをしていたとき、企画展で声をかけると「他にも誰か誘っていいですか」みたいなことを何度か言われた。全部断ったのは、師匠の教えがあったから。個展はひとりでやるものだ、というのを叩きこまれた。大勢でやると責任も集客も分散される。それはなんとなく安心だけれど、結局背負うものがない。「責任を持て」とよく言われたのは、そういうことなんだと、やってみて後でしった。痛みやプレッシャーを個で受け止める。反省したり、喜んだり、その繰り返しから学ぶことは大きかった。これは師匠に感謝していることのひとつ。
もう20年くらい前になるけれど、葉山芸術祭というイベントに『BEACH BOOK STORE』という名前で海辺の本屋として参加した時のことだ。出来上がったパンフレットには「海辺の本屋さん」と紹介されていた。「本屋」ではなく「本屋さん」と書かれていたことに師匠はすごく違和感をあらわし、あきらかに不機嫌そうだった。幼稚な感じで嫌だ、というようなことだった。そういうわずかなことに、ものすごく厳しい人だった。気難しいところもあったけれど、人が見落としそうなところ、誤魔化しちゃいそうなところを、はっきりと指摘するような、厳しい人だった。愉快なおじさんのイメージが強いけれど、実際はめちゃくちゃ厳しかったことを、今でも、時々思い出す。師匠も亡くなって、自分も大人になり、もうあの頃のように注意してくれる人はいない。だからこそ、恥ずかしくないように、責任をもって生きていたい。「これで大丈夫かな」と確認する。「これじゃダメだな」とおもうと、やり直す。面倒くさいとおもっても。自分で自分が恥ずかしくなるから。
そういう気持ちで生きていないんだろうなと感じる振る舞いの大人とは、最近もう付き合えなくなってきた。正解がどうではなく、ベクトルの違いなのだとおもう。今日は午後からパターンの打ち合わせ。それまでにどれだけ縫えるかな。