2023/09/30

ものづくり

 中秋の名月だった昨日。朝から『LOGGER』の末綱さんがやってくる。オーダーしていたフィン立ての納品と、オーダーいただいていたタイパンツの受け渡しを、我が家でコーヒー飲みながら。フィンスタンドは全てお任せしてあった。なんとなく、ごつめの木で出来上がるのかなと思っていたら、繊細なアイアンだった。海に流れ着いて、砂浜に打ち上がっているようなアイアン。フィンをセットすると、まるでヨットが帆をあげて走っているように見えなくもない。セットしたいと思っていた『Birds creation』のジョージくんがつくったフィンも、海藻(かいそう)を流しいれて作ったフィンなので、ほんとうにピッタリだと思った。色々と想像して作ってくれたのだろう。それがわかって、本当にうれしかった。 素人は口を挟まないに限る。プロなんだもの。

納品したデニムのタイパンツも、気に入ってくださった様子で一安心する。普段、あまり厚い生地を縫わないので、いつもと縫い方を変えた。知らない生地を縫うのは、いつも神経を使う。裁断したら引き返せないので、毎回緊張する。タイパンツは動き方を想像して縫うのだが、ここは分厚くならないようにとか、布のミミ(端っこのこと)がチラッと見えたらかわいいかなとか、ここをいじったらいじりすぎかなとか、色々考える。『マイナスの美学』を心掛けていて、いかにシンプルに出来るかはいつも課題。ときどき余計なことをしたくなるけれど、そこをしない。服に着られるのではなく、着る人に寄り添うものが理想。着た人が主役。彼らや彼女らが、美しい風景の一部となるような服をつくりたい。それがわたしの理想であり、ものづくりの思想。
駅まで末綱さんに送ってもらって、その後は日暮里の繊維街へいく。急ぎでどうしても必要な布があり、その調達へ。改札を出る前に、日暮里駅の構内でトイレを借りたときのことだ。掃除の人の日本語がすごく上手だったので、帰りがけに「日本語お上手ですね」と声をかけると「うーん、まだまだ!」と笑顔で。「どこの国の方なの?」と聞くとフィリピンだという。「素晴らしいよ、すごく上手です」と言うとニコニコして「ありがとう〜」と。手を洗って出ようとすると「またお待ちしてまーす!」と元気な声がした。他の飲食店でも働いたことがあるのだろう。あんな風に、異国でその国の言葉を使って元気に働く、彼女の逞しさが眩しかった。
布は、定番のものは何軒か問屋さんとお取引があるので、普段はダイレクトにオンラインで注文をする。が、こうして足を運ぶと違うお店の布や、新しい発見もあるので定期的にくることにしている。お取引先の方との、無駄話みたいなご挨拶も大切。仕入れを済ませて、時刻はもうすぐ15時になりそうな時間にやっとランチ。日暮里駅のすぐそばの『川むら』は大好きな蕎麦屋。白穂乃果(しろほのか)というビールがあって、毎回それを頼む。銭湯で知り合いになったおばあちゃんが厨房で働いているので、ご本人がいらっしゃるかお伺いする。昨日はお休みとのこと。残念だが、再会を楽しみに。だし巻き卵ともりそばを食べて店を出て、谷中銀座をぶらぶらする。角打ちができる酒屋でストップバイして、再びビール。その後も商店街をプラプラして、日暮里駅へ戻ってきた。本当は銭湯もいきたいし、なんなら上野まで歩いて天ぷら食べて、あんみつ食べて、もっと言うと鈴本演芸場で落語も見てコンプリートしたいけれど、踵(きびす)をかえす。大人になったみもちゃん。えらいにも程がある。

2023/09/28

センセー

 二十代の終わりから数年間、葉山にあるワークショップに通っていた。ふら〜と参加してしまったが最後、やがて師匠となる、美術作家の故・永井宏(ながい・ひろし)さんのアトリエでおこなわれていたワークショップ。月に一度集まって、皆で詩や文章を書いて朗読し、互いの作品を批評し合う会。ワークショップは楽しかった。実際には通うことそのものが楽しかった。平日の朝に心置きなく波乗りが出来たし、その後134号線をドライブしながら葉山まで向かう、という時間そのものが。

ワークショップは真面目な時間の前後こそが楽しくて、そこがワークショップの真骨頂だった。レコードを聴いたり、誰かがコーヒーを淹れたり、帰りにごはんを食べにいったり。みんな暇人だったから、部活みたいな感じだった。先生のことを先生だと思ったことはあまりなく、先生は『センセー』で、どこかふざけたニュアンスだった。もちろん尊敬していた。尊敬していたはずなのだが、時々ムカついて言い返したり、違うと思ったことは、『センセー、それは違うと思います』みたいなスタンスで応戦していた。
センセーと呑んだ思い出はいくつもある。飲むと顔が赤くなって、茹で蛸のようになるセンセー。一度、野毛にある串揚げ屋で呑んだときは、恋についてとか、勝負パンツの大切さなどの話題で盛り上がった。その後『DOWN BEAT』というJAZZ BARにはしごして、ご機嫌になった帰り道、「生きているっていうのは、死に向かっているからただでさえつらかったり、暗かったりするんだよ。だから楽しいことをしたり、作ったりするんだよ。笑いはクリエイティブなんだよ」とセンセーはいった。その頃のわたしはまだまだ若くて、親も元気だし、仕事もお金もそこそこあるし、なんの責任もなくて自由だった。身近な人が亡くなるなんてことも、年老いた祖父母くらい。そこから何年も経ったが、他はあまり経験がなかった。辛いこと? えーっと、過去の失恋とか? くらいの年頃だったのだ。今なら師匠が言っていた意味がわかりすぎるくらいに、つらい経験も、悲しい別れも、歳も重ねた。
いつもいつも、本当にいつも思うことは、なんでも笑いに変えていきたいということ。昨日も、鎌倉でご飯屋を営むMちゃんと時をともにしていたのだが、そんなことを思いながらたくさん笑った。Mちゃんとも、永井さんのワークショップで出会った仲間の一人。鎌倉が好きでひとり関西からやってきて、「お店をやりたい」といって本当にお店を初めて、もうすぐ12年になる。信じられないくらいの努力家で頑張り屋だけど、一見あまりわからない。素敵な大人女子に見えるが、中身はお笑い芸人並みのハイスペック(よしもとクリエイティブエージェンシーに転職しないのかとずっと勧めている)。ほとんどの人は、外側しか見ない。憶測でイメージが先行するけれど、ねえ、ちょっと待ってよ。そんなはずはないのだ。いつも楽しそうだって? それよりあんたどこの誰、笑わせんなよって鼻で笑いたくなる。「なんでそんなに笑い上戸なの?」、「なんで笑うと泣くの?」とよく言われるが、まあこれは父譲りで遺伝なんです。笑うと目から水が出るのは家族皆がそうで、涙を拭うタイミングも大体一緒。
出来るだけ、ずっと笑っていたいのだ。おもしろいことを、いつでも探していたい。悲しいこと、辛いこと、笑えないことが、世の中には多すぎる。笑いのクリエイティビティを爆発させたい。なによりも、優しい人でいたい。自分一人だけじゃなくて、そばにいる人も一緒に巻き込んで、腹を抱えて笑って、泣いていたい。いつもわたしが思っていることは、例えばそんなこと。

2023/09/27

Nine to Five?

 LAに住む叔母に、以前「なんで歯医者さんの仕事から美容師になったの?」と聞いたとき「ナイン・トゥー・ファイヴの仕事に飽きちゃったの」と言っていたことを、時折思い出す。叔母は都内の短大を出てから、数年間は日本で秘書として働いていた。仕事帰りに『アテネ・フランセ』で英語を学び、お金を貯め、自力で渡米した叔母なので、そもそもそんなに若いスタートではなかったはずだ。時(とき)は1970年代、当時ならなおのこと「結婚は? え、アメリカ!?」とか、色々言われただろう。1ドル360円の時代でもあった。そういう時に単身で渡米した叔母。「3ヶ月で帰ります」といって、3年帰ってこなかった叔母。破天荒なMy Aunt.

そこからはデンタルクリニックの受付の仕事をし、さらに美容学校へ通い、ライセンスを取ってヘアデザイナーに転職して今に至る。わたしが叔母の家に入り浸っていた頃、叔母は美容師で大忙しだった。フリーの美容師で、カスタマーからダイレクトに携帯に電話がかかってくるシステムだった。電話が鳴るたび、「ハロウ?」と優しい声で応えて、すぐに手帳を広げる。びっしり書かれた予約表の中、なんとかアポイントメントを入れてあげられないかと調整していた姿を思い出す。早朝からヘアカットとか、自分のランチを飛ばしてまで予約を入れてあげている日もあったし、ときに、「今日は夕方のアポイントメントを入れないから、みもちゃん外にご飯を食べに行こう!」とドライブに連れていってくれたりもした。色々な国のひとにわたしを紹介してくれたし、自分の働く姿も、大いに見せてくれた。始めるのに遅いことはないと、叔母を見ているといつでも思う。同時に、働く時間が『ナイン・トゥー・ファイブ』である必要もないと教えてくれた人。わたしは早朝から仕事をするのが好きだ。途中休憩を挟んでまた働くのも好き。視点や視界が変わるのがいい。よく「タイパンツ縫ってからきた」というと、会う人には驚かれるが、自分はそんなに驚かない。『仕事』や『労働』という言葉のイメージや意味は、人それぞれ。

昨日は二宮へ。改札で待っていてくれたのはKちゃん。一度ゆっくり話してみたいと思っていた人で、お声掛けをしたのはわたしから。当時わたしが由比ヶ浜で運営していたギャラリーにも何度か足を運んでくれて、顔を合わせれば少し会話をする程度のKちゃん。昨日は駅前の『ミニストップ』でビールを買って、『ブーランジェリー・ヤマシタ』でハンバーガーを買う。Kちゃんは自宅から持参の白ワインを持って、えっちらおっちら、吾妻山へ。改札が一つしかない二宮の駅も、その町並みも素晴らしいけれど、なんと言っても吾妻山公園。山頂から眺める雄大な景色、風、太陽、Kちゃんとの会話、全てが素晴らしい一日だった。彼女のやさしい感性に触れた気分で、お互い「たのしかったねえ」と言い合いながら下山。Kちゃんの、考えながら言葉を選ぶ間とか、決して人のことを悪く言わない言葉の選び方が、なるほど、すごく彼女らしい。反対に、自分が大好きだと思うもの、人、場所には饒舌になる。清らかな川の流れが突然早くなるみたいな感じで、緩急ある川下りみたい。聞いていて、すごく愉快だった。色々なことをあらゆる角度からとらえて、まずは咀嚼(そしゃく)しようという努力する姿勢があるひと、という感じ。「パンが大好きすぎで、パン屋では勤めないって決めてるの」、と言っていたのもすっごく可笑しかった。太っちゃうからって意味なの?
家族のことが大好きで、家族のことを話している時もごく嬉しそうだった。食べることと飲むことも心底大好きそうだし、仲良くなれてうれしい。声をかけてみてよかった。「またすぐあそぼう、またね」と改札で別れる。戻って仕事のメールや電話、雑務を終えて、そんな感じの一日。働いたり、遊んだり、また働いたり。いつものことなんだけど。さてさて、今日はどんなふうに。

2023/09/25

お役所、それは……

 昨日は書類と格闘する一日。補助金の申請が通ったのはありがたいが、通るまでも一苦労(何度も落選)。さらに通ってからも提出書類のあれやこれ、入金後も事業の売上改善報告やらなにやらと、まだまだエンドレスに続く。お役所に出すものだし、税金を使っているので当たり前なのだが、昨日だけで五歳くらい老けた気分。眉間のシワが深く刻まれたはず。数字と漢字が苦手なので、理解するのに死ぬほど時間がかかる。集中力が続かない。気を抜くと、すぐにBGMで流している洋楽の歌詞をサーチして、一緒に歌ったりしているオレ様。時間だけが残酷に過ぎてゆく。誰も助けてくれない個人事業主。苦手を克服しなければいけないのだが、もっと売上を伸ばして人に頼みたいと思うことがいくつかある。例えばこういうこと。得意な仕事をがんばったほうが、結果的に早いはず。でも、この助成金のおかげでできたことが色々あるのだ。ウダウダ言わず、まずは感謝。最後まで頑張ろう。

チャージスポット

 目的があり、夫が勉強中なので邪魔をしないように家を出る。ちいさなクーラーバッグに保冷剤を入れて出発。長谷の三留商店でビールを買ってビーチで呑もうかな、というのが昨日の構想だった。読みたい本とレジャーシート、サングラス、キャップ、オールオッケー。しかし、自転車のペダルを漕いでいたら暑くなり、由比ヶ浜の『ナンリーショップ』にピットイン。で、結局そのままダラダラとお話をして、居座ってしまった。わたしの予定はいつでも未定、あってないようなもの。たびたび、こうなっちゃう。そのほうが大抵、楽しい奇跡を生むことが多いからいいのだ。

昨日、自分が疲れたときに足が向かう場所の話になった。個人的にはビーチサイドだと三浦一択だけど、そこに音楽やサウナ、ラーメン(花水ラオシャンがだいすき)が加わると、茅ヶ崎と平塚に足が向く。よく言う『パワースポット』みたいなもので、身体の内側にエネルギーが蓄えらるのがわかる。そういう場所を見つけるのがわりと得意。だからこそ、苦手な場所や人にも極端に敏感。家族と居てもすぐにいなくなったり、お店から出たり、電車の車両を変えたりはよくあること。夫もそういうことに敏感な人だけど、結界(けっかい)を張ることで『これ以上は近づかせないぞ』という威圧感のようなものがある。わたしはそれができない。なので『気づいたら疲れていた』、みたいなことが多い。昔よりはマシになったけれど、まだまだある。いろんな苦手があるけれど、心から無理なのが、怒りのエネルギーが強い人と、人のエネルギーを奪いたいくてしょうがない人。そういう雰囲気を近くに感じると、体温が下がるのがわかるし、ちょっと呼吸が浅くなるくらいに苦手だ。すぐに退散する。夫はもともとかなりハイパーなので、人のダークな部分を含めて、見る目がずば抜けている。ちょっと怖いくらい。目にみえない色々なことを、言葉にしなくても理解してくれるから、わたしにとってはとてもありがたい人。その才能は、娘も引き継いでいる気がする。二人の存在が、わたしをどれだけ助けてくれていることか。感謝しているつもりだけど、もっともっと感謝しても足りないくらいだ。

2023/09/23

かえってきた波乗りライフ

 16歳でボディーボードをはじめた。きっかけは当時からサーファーだった七つ上の兄(今もずっとショートに乗ってる)が、「みももいく?」と、連れていってくれたから。鹿児島の祖父母の家で遊んでいた夏、確か宮崎まで連れていってくれた。兄が誰かから借りてくれたボディーボードを使って波の上を疾走したあの日から、波乗りの虜になったわたし。途中ヨット部で忙しい時もあったけれど、そこから9ft以上のロングボードもはじめて、のちに8ftへうつり、今は7ftに落ち着いた。

35歳で娘を出産するまでは、結構海に入っていた。当時は週5日都内に通う、外資系のOLだったわたし。派遣先はアメリカの某有名スニーカーカンパニーだった。オフィスは天王洲アイル(品川から徒歩で通っていた)で10時出社だったので、早朝サーフィンからの出勤もしょっちゅう。真冬はグローブにブーツをはいて海に入った。リーマンショックで派遣切りにあい、あっさりリストラされたのが33歳。そこから自然と暮らしが海よりにシフトして、タイパンツを縫ったり、途中鵠沼の平家から今のマンションに引っ越して。
なんとなく、こどもはできない人生かもなーと思っていたが、今の家に引っ越をしたら、娘がお腹に宿った。こどもが生まれて、サーフィンライフは遠くなった。頑張ればいけたと思うが、頑張ることがとにかく苦手だし、体もなんだか、いつもどこかが寒い感じがしていて、気が向かなかったのだ。年に一回入れたらラッキーくらいで、細く長く続けてきたこの10年。仕事も波乗りも、子育て中のキーワードは『細く長く』だった。フルスロットルで働くママを見て、じぶんはサボっている気がした時もたくさんあった。一度だけ、寝ずにものづくりをしている作家のSNSに影響を受けて、夜中に頑張ったら翌日そのまま睡眠がスライドして寝坊。保育園まで遅刻して、一回でやめた。そういう性格なのだ。頑張ることに熱中できることは素晴らしいが、できない人がしがみつくと悲劇をうむ。わたしは後者だった。
『頑張らない』。波乗りこそ、その最たるものだろう。頑張るものじゃない。必死でパドルする人もいるけれど、ふわ〜っと数回のパドルで波に乗る人もたくさんいる。肩の力が抜けていて、スタンスも自由。人にやさしくて、一人できて、ときどき海は厳しくて。そういうスポーツだから、わたしは波乗りを好きになった。
昨日は由比ヶ浜でサーフィンして、夕方は『Brandin』でレコード聴いて、なんかもう、他に何もいらないと思うくらいに幸せだった。今、洋楽にはまっている娘の帰宅を待って、「一緒にレコード聴きにいかない?」と誘ったら、「うーん。学校で疲れちゃったし、ゴロゴロしながら洋楽聴きたいから、ママ一人でいっていいよ。ありがとね」とはっきりと意思表示をした10歳。彼女みたいに、丁寧に言葉のキャッチボールをしたい。自分を待っていたのであろうママのことを、娘はよくわかっているはず。けれど、そこに自分を添わせない。なぜなら疲れているから。そして、今日はレコードよりも、寝転がってYouTubeで洋楽を聴きたいから。わたしが10歳の頃、こんなにもはっきり、意志をスピークアウトできていたのだろうか。もっと気にしていた気がする。周りのこと、周りの人の気持ち、親のこと、おにいちゃんのこと、おねえちゃんのこと、その隙間を縫って、じぶんらしく生きていた気がする。今でもその癖は抜けなくて、それが長所ではあるが、時に短所の顔を出す。ときどき、娘に(自分の思う)良いママを演じすぎてしまう。昨日だって、帰りを待たずに、さっさと車を飛ばせば良かった。でも、しなかった。「ただいま」って嬉しそうな顔に、それっぽい「おかえり」を返してあげたいと、変な犠牲と欲がでる。そういう上っ面を、娘はわかっているのかもしれない。娘には見習うことがおおくて、彼女はわたしのお手本みたいに生きている。娘に限ったことではない。こども、若者、みんな未来からきた素晴らしい人達なのだ。見守ることはあっても、教え諭すことなど、見当たらない。そういうスタンスで、わたしは歳を重ねていきたい。謙遜(けんそん)でも諦めでもない。光がただ、そこに見えるだけ。

2023/09/22

じぶんがいちばん

 昨日、『メゾンボングゥ』の焼き菓子を食べながら、横浜ストアで出会ったGちゃんのことを思い出していた。Gちゃんは茅ヶ崎在住で、男子(2人か3人、どっちだっけ)のママ。わたしがストアを去るとき、「みもさん、おつかれさまでした〜」とプレゼントを手渡してくれた。袋の中には『メゾンボングゥ』の焼き菓子と『カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ』のドリップパックが入っていた。ずっと行ってみたと思いつつ、駐車場とかあるのかなーなんて思っていたお店だったから、ものすごく嬉しかった。プレゼントを選ぶセンスがこういう人なんだな、というのを垣間見ることもできた。

Gちゃんは子育てにトッププライオリティを置いている。平日はきちっと早上がりする感じも、旦那さんがいらっしゃる週末はびしっと働いて、なんなら飲みにもいきたいみたいな感じの振り切り方も、すごく素敵な人だなと思っていた。Gちゃんの『いらっしゃいませ〜』が好きだった。居酒屋のように元気が良くて、こっちも思わず「すみません、生ビールくださーい!」と言いたくなるような活発な『いらっしゃいませ』が。後でわかったのけれど、Gちゃんは沖縄出身だった。なるほどなと思うような朗らかさと、根っからの明るさに、心底納得。「子どものご飯、面倒くさいよねー」とかよく二人で話していて、「『白米あるよね〜、ふりかけあるよね〜、オッケーだよね〜』って子供に言うよ」、みたいなことを話しながらゲラゲラ笑った帰り道。ときに相談に乗ってもらったりもして、すごく好きな人。あんなお母さんが家にいたら、子供は幸せだろうなと思っていた。沖縄の太陽みたいに力強いなにかを発している。

『キラキラ』という言葉を文章で使うことがある。例えば太陽、例えば海の水面、例えば星、例えば反射している光の粒、表現としてすきなのだろう。一方で、『キラキラ』と人から言われることは苦手。『キラキラ恐怖症』と言っても過言ではないくらいだ。「キラキラしているね」と昔からよく言われるが、なんかつらい。発言は自由なので「言わないで」とまでは思わないが、言われると「またか…」と思う。自分で自分のことを「キラキラしています」と思っている人はきっといない。わたしもそう。でも言われる。つらい。「ギラギラしてるね」と言われたら、面白い返しの一つや二つを想像しては、ニヤニヤできる。でも言われない。「ギトギトしてるね」も言われない。お風呂とか掃除とか、ぜんぶ大っ嫌いなんですけどね。イメージなんて本当に適当なものだ。だからわたしは人の噂も、噂を口にしている人も、一切信用しないと心に決めている。「あの人がこう言ってた」とか、「あの人は○○らしい」とか、心の底からどうでもいい。本人に聞けよ、そして言えよ、と思う。暇なんだね、とも思う。わたし、勝手にいい人に見られるけれど、氷のように冷たいハートなんです。自分が大好き。次に家族。その次に仲間が好き。会ったこともないのにおかしな熱量で近づいてくる人や、顔も名前も出さずに発言する人、噂ばかりの人、行動しない人、決断の勇気がない人、いっぱいるよね。自由は尊重するけれど、そういう人とはどうやっても心をかわせない。なんも届かねえ〜(2008年北京オリンピック時の北島康介風)。わたしが信じているのは、わたしの心の反応だけ。

2023/09/21

くたびれちゃってたんです

 なんでも訓練だと思っている。言葉を綴る習慣は作家として必要だけど、それ以前に、自分は人として大切だと思っていて。いかに素直に生きるか、等身大の言葉で伝えていくか。さらけだす習慣は、日々のトレーニングでしか蓄積されない気がする。師匠で美術作家の故・永井宏(ながい・ひろし)さんからは、生前よく「ことりさん、ブログ(日記)で文章を書いた気にならない方がいいよ。あれはぜんぜん文章じゃないから」と言われていた。当時は書いている気でいたけれど、今は師匠の言っていたことがわかる。本を出すために書く文章は、もっと言葉を尽くし、時間をかけ、書いては書き直す。さらに編集者にダメ出しされ、落ち込み、時に傷つき、それでもと起きあがって、描き終わるとヘトヘトになる。空っぽになる。この日記は、まさに『朝メシ前』レベルで、10分もあればかき終わる。でも、日々のこんな習慣がないと、自分は本を出せないのもわかっているから、書く。でも、書くこと以上に、素直な眼差しでものごとを見つめる訓練の方が、トレーニングの意味としては圧倒的に近い。


娘が10歳になった今年、自分の波乗りライフも復活できそうな兆しを感じたので、久々にウェットスーツをつくることにした。春と秋に着られる3ミリのジャージ(冬用は素材が違ったり、厚さが違うのだ)のフルスーツ。『Birds creation』のジョージくんから紹介してもらい、『M-STANCE』の長嶋さんをたずねる。色々相談に乗ってくれて、あれよあれよと採寸してくれた。仕上がりは一ヶ月後とのこと。楽しみ。『M-STANCE』という名前の意味を聞いて、長嶋さんの思想に触れた気分。目と鼻の先にあるジョージくんの工房にも立ち寄って、お礼を伝える。工房には湘南のサーフショップのオーナーもいらしていて、『THE FIVE BEANS』のアイスコーヒーを振舞ってくれた。氷入り。暑かったから、冷たくて美味しくて最高。
近頃バンド活動に夢中のジョージくん、昨日も遅くまでスタジオにいたとかで、いつもより眠そうな目をしていた。充電100%ではなく、70%くらいの瞳(ひとみ)。工房は子安の里の中腹で自然に抱かれるように存在し、そもそもの居心地がいい。決して人を逸(そ)らさないジョージくんだから、色々な人が彼に会いにきて、癒されて帰るのだろう。故に疲れることもあるのではないかと、昨日ふと思った。自分もそんな時がある。だから一人の時間も必要で、音楽が必要で、海が必要なのは、当たり前といえば、当たり前。
昨日は「わたしも楽器やりたいんだよね」と話をして、「でもサーフボードと一緒で、ロングみたいな長くて大きいのじゃなくて、ショートボードみたく、コンパクトな楽器がいいの」と話す。「ギター持っても似合わなかったんだよね」と言うと、うんうん、よくわかるといった表情の後に「だからってみもちゃんがウクレレもなんかなー」とジョージくん。で、いきなり「オカリナは?」と。オカリナ!? カナリアみたいでかわいい響きじゃない。そこから、ちいさなみもちゃんに似合うちいさな楽器縛りで盛り上がり、ハーモニカ、カスタネット、トライアングル、木琴と、だいぶ遠くの方まで話題は飛行。「そうそう、奄美のビーチで地元の人が三線(さんしん)ひいて歌ってて、それがすごく良かったんだよ〜」と話すと、「みもちゃん、三線(さんしん)いい!!三線(さんしん)いいよ〜!!」とジョージくん。とりあえず神田にGOじゃない?ってところで話題は着地。イメージばかりが先行する、みもちゃんのバンド妄想。

午後は鎌倉でご飯屋を営むMちゃんと茅ヶ崎へ。すごく素敵なワンピースを着ていたので、平塚の『花水ラオシャン』のラーメンもいいけど、カフェがイメージじゃない?ということで『GDO茅ヶ崎ゴルフリンクス』内のレストランへ向かう。お互いにカラーのトーンが近いワンピースをきており、ちょっとハチっぽいカラーリングだったので、『ハニーズ』というユニット名を組む。食後は『メゾンボングゥ』で焼き菓子やケーキなどを買って、我が家で娘を待ってみんなでお茶。昼寝する人、宿題する人、スイッチスポーツでテニスする人、それぞれにすごす午後。
サンセットの時間に、なんとなくここ数ヶ月の近況をMちゃんに話す。法学部出身で頭のいいMちゃん、やられたらやり返すタイプの負けん気が強いMちゃん、一見わかりにくいが、わたしの周りでは一位二位を争う心優しいMちゃんの一挙手一投足を、おもしろおかしく聞く。勉強嫌いで負けん気ゼロのわたし。似ても似つかぬ二人、なのに仲良しな我々『ハニーズ』。
ここ数ヶ月くたびれることがあって、休息する決断をして、やっと元気を取り戻しつつある最近。ひとえに友人たちのおかげで、家族のおかげで、海や音楽のおかげ。旅の力もおおきい。昨日Mちゃんに話していて思ったが、じぶんは、なるべく人のいいところだけを見て、全ての人と付き合っている。それを見られなくなった時は、シャッターを閉めるんだということを伝えた。傷つくことはたくさんあっても、それを悔しいとか、やり返すみたいな感情は昔からほんとうに見当たらない。その場から去ることしか、頭にない。前に占いで、「みもさんがダメだと思ったら、その人は本当にダメです。そのくらい、人のいいところを見られる人だから」と言われたことがある。(ちなみに夫は「人のダメなところを見る人なので、二人の意見が一致してダメな時、その人はもう本当にダメです」と言われてた!笑)
エネルギーは命だから、わたしの命や時間を、なるべくいいものに注ぎたい。自分だけではなく、世の中がそうであれば平和になるはず。世界平和とか、よく見られらいとか、有名になりたいとかでもない。頑張る、我慢する、根性論、戦う、全部できない。身近な人、そばにいる人、毎日顔を合わせる人にこそ、もっとも優しい言葉と愛を注ぎたい。綺麗事かもしれないが、そんな人でいたい。なんでも笑いに変えていきたいけれど、笑えない時は、もう無理なときなのだ。昨日会ったみんなには、たくさん笑わせてもらって、ありがとうしかない。彼らが疲れたり傷ついたとき、同じエネルギーを返せる自分でいたい。そういうことを、一番大切にしたい。

2023/09/20

気力はあるけど体力がない

 実家で親のことを色々してから湘南に戻ってくると、確実に体力が失われている。心は元気でも体力がない、という類(たぐい)の疲労なのでわりとシンプル。できるだけ寝て、できるだけ動かないで、できるだけ手を抜く。お金で買えるものは買って、楽をする。以上。

お昼ご飯を作るのも面倒で、自転車のペダルを漕ぐのも面倒だなって感じの昨日は、アクセルを踏んで逗子の『SWAN COFFEE』へ。友人の廣瀬さんが、月と火だけ店頭に立っている。サンドウィッチを食べようと向かったのに、「これからハムがきます、ことりさんごめんね」とか言うので「ちょっとちょっと。この店どうなってんのよ〜店長さん!」とクレームを言いつつ、ハムを待つ。付き合いが長いので(もうすぐ20年)、ダメなところも、良いところも、憎めないところも、全部知ってる。向こうもそう思っているだろう。こちらは着替えるのも面倒だったのでパジャマでお邪魔。気付いてない様子だったが、わたしのダメなところはたとえばそういうところ。午後からO社長と打ち合わせがあったので、その資料に目を通したり、要点を確認したり。
食事を終えて店を出る。駐車場から車を出すとき、店長が道に出てきてくれて、バイクを止めて誘導してくれた。窓からバイバイと手を振る。フロントミラーに映った店長は、キャップをとってバイクの人に深々と頭を下げていた。ものすごく美しい所作だった。ガススタでも気持ちよく仕事ができるだろうな、と思いつつアクセルを踏む。体が疲れていて、「なんとなく事故しそうだから気をつけよう」と思ったら、帰り道にバスと軽トラが思いっきり追突事故をしていた。今日はもう運転やめなさいってことかもしれない。午後の打ち合わせは自転車で向かった。
夜は近所にすむKさんがやってきて、一緒に夕飯。Kさんはわたしの親友に何かがすごく似ていて、彼女にあったような気持ちになる。真面目で、真面目すぎるところがある。その良さを活かしてほしい。若い頃はときに利用されたり、もしかしたら悔しいおもいもしてきたかもしれない。自分で引き上げるというよりは、彼女の才能を高く長く伸ばしてくれる人に出会うことで、人生がどんどん開かれていくタイプな気がする。並走するのが上手な人だから、素敵なランナーと走ってほしい。
昨日、「なぜなの?」と思ったことは、Kさんが自分の子供の頃の写真を見せてきたこと。酔っていたのか、斬新な切り口が愉快だった。子供の写真を見せる親は時々いるが、自分の子供の頃の写真を見せる人ってあまり出会ったことがない。しかも1枚ではなく、生まれたて、その後、そのもう少し後、春夏シーズン、秋はこれ、と数枚にわたって見せてくれた。真面目と愉快の共存。仕事を通じで出会ったが、色々な偶然があって、結構縁が深い人。内側に、熱い闘志と反骨精神を秘めているのが見え隠れしている。日々、あらゆる矛盾や葛藤の中で、奮闘しているのだろうな。彼女もわたしも、幸せに生きられますように。あー、やっと体力が戻ってきた感がある。おはよう、朝。時刻は5時31分。

2023/09/19

ALONE AGAIN

 昨日まで東京、ただいま湘南。昨晩、帰路の電車の中でギルバート・オサリバンの『ALONE AGAIN』を聴いていたとき、ふいに泣きたくなった。父にも母にも、長生きしてほしい。介護真っ只中の今だけれど、そんなことを純粋に、純朴(じゅんぼく)に思う。色々大変だけれど、この時間をいつか「尊かった」と思う日が来ることを、わたしはもう十分わかっているから。

昨日は母の住む吉祥寺ハウスで一泊。朝早く起きて、同級生で校正者のMちゃんとモーニングコーヒー。お互いの近況報告をし、労い、バカ笑いの一時間。お互いに畑は違えど、日々あらゆることに誠実に向き合い、戦って生き抜いているもの同士なので、なんでも通じるし、ほとんどが『あうん』の呼吸でわかる。
家に戻り、母に朝ごはんの用意をし、家事をして、体操教室のお迎えのバスを見送る。そこから夕方までの6時間がわたしの自由時間。少し休憩してからまずは銀座へ。伊東屋の7階で娘に頼まれていたノートと赤青鉛筆だけを買うはずが、うっかり大好きな6階に足を踏み入れてしまい、まずはかわいい老眼鏡を買う。続いてフランスのピアスを物色、シルクスクリーンですられた素敵なカレンダーやポスター、ワイン用の繊細な刺繍がほどこされたバッグなど、うっとり眺める。その後真横にスライドして、銀座松屋で『CHANEL』。他店のCHANELで品切れしていたものがここならあると知っていたので、ご褒美を買う。時計を見ると、次の待ち合わせ時間までどう考えてもギリギリだったので、タクシーで新丸ビル裏にあるラグビー神社へ。お世話になっているディレクターのHさんと待ち合わせ。元気そうだね!と、喜んでくれた。
先日足を運んだ丸の内のイベント(LIVE STOCK MARKET in MARUNOUCHI)、Hさんもきっと彼らの思想に共感されるのではないかと思い、声をかけたのだ。Hさんは背負っていたバックパックに、わたしは持ち込んだTシャツに、それぞれ刺繍をしてもらった。待ち時間が1時間ほどあったので、新丸ビルの『スタンドティー』でコーヒーを飲んで、雑談する。
これまでも転職を繰り返してきた人生だが、そのおかげで友達がたくさんできた。上司や部下とかあまり気にしないので、心が通えばずっと友達でいられる。Hさんも、普段はおおきな組織を取りまとめるトップの人だが、そういう立場の違いを、わたしはあまり気にしない。外では特に。たとえこの先職場を離れたとしても、きっとずっと親しくいられるだろうな、と思いながら楽しく会話を交わす。職場で出会えてよかったと思う一人だ。
ぎりぎりに母の自宅へ戻る。しばらくゆっくりしてから、母を乗せて次なる場所へタクシーで移動。途中、段差で危なそうなところは、母に手を差し伸べて、手を繋ぐ。やわらかい手、優しい手、しわしわになった手に、またねとバイバイ。
父の介護がはじまって、もう何年も経つ。父に続いて一人暮らしをしていた母のケアも始まった近年。こちらも歳をとって、さらに働き盛りで子育て世代でもあるので、色々としんどいこともある。四人兄弟なので意見の違いに時にぶつかりつつも、おおむね力を合わせながら、みんなでサポートをしているここ数年。振り返って思うと、父と母の子育ては世間の常識からおおきく逸脱していた。しかし時を経て思うことは、子育てに関して、もしかしたらものすごく真っ当だったのかもしれない、ということ。わたしはともかく、兄や姉たちをみていて、ときに両親を羨ましく思う。真っ向からケンカもするが(六人家族なので常に誰かと誰かがぶつかることはしょっちゅうだった)、みんな根底には優しいものが流れていて、愛がある。間違いなく、両親がくれたもの。介護に関しては、わたしだけひとり故郷の東京を離れたので、時間的には一番サポートが少なめ。でも、そこをあんまり気にしすぎない。末っ子らしく。可愛らしく。甘えながら、できることをできるだけ。

2023/09/18

予定は未定

 三連休の初日は日暮里の繊維街に仕入れへ。鎌倉から横須賀線に乗っている間、知人のインスタグラムのストーリーに目がとまる。丸の内で面白そうなイベントをやっていて、それに参加しているとのこと。速攻でLINEに連絡すると、今まさにスタッフとして会場にいると言うので、日暮里駅の前に東京駅へ向かう。

松屋さんは『ROUND』という会社を経営されていて、刺繍や、Tシャツのシルクスクリーンなどをお仕事にされている。途中ハワイに引っ越しされ、あちらでお店も出されたり(今もあるはず)、今はファミリーとともに再び日本に生活の拠点を移されたりと、アクティブな人。タフでもあるはず。仕事を通じで出会って、かれこれもう17年くらい。いつあってもひょうひょうとしていて、愉快なおじさん。
刺繍のライトなイベントなのかと勘違いしていたら、会場は結構大きくて、そこにまずびっくり。『LIVE STOCK MARKET in MARUNOUCHI』というイベントの一角で、「おようふくなどに刺繍のサービスができる」、というピンポイントのパートで関わっておられるようだった。このイベントをオーガナイズされていたのが、松屋さんの旧知の仲で「スタイリストの小沢宏(おざわ・ひろし)さんです」と、松屋さんからご本人をご紹介をいただく。会場のこと、イベントのこと、これまでのお仕事のことなど、ものすごく丁寧に、熱く語って下さった小沢さん。話の内容や、見ていらっしゃる未来がすごくしっくりきて、こちらもしつこく質問したりして、楽しくお話をする。『スタイリスト』という職業の人に出会ったの、はじめてかもしれない。ハートが素敵な人だった。会場は東京駅直結の丸ビルから有楽町駅の手前までカバーしていて、丸の内の街全体を歩いて巡ることができるシステム。楽しそうだったので、主に靴屋を中心に見てまわり、最後にまたメイン会場に戻ってきた。
簡単に説明するのは難しいが簡潔(かんけつ)に書くと、『おようふくや靴を、『DEAD STOCK』ではなく『LIVE STOCK』にする』ということ。ただ、リサイクル、アップサイクル、サスティナブル、と声を大にするのではなく、そこにはおそらくスタイリストの審美眼が大切で、『DEAD』としてストックにいた選手たちを、『LIVE』なストックに連れてくる感じ。すごく素敵な思想だなと思った。
エコとか、環境とか、声高に言われすぎると頭が痛くなることがある。上滑りしていると見ていて体温が下がるし、ときに怒りをともなった感情に触れると、心が折れる。素晴らしいことだが、言わずにやっている人もこの世には当たり前にたくさんいる。その代表的なお手本となるのは、他の誰でもない子供たちだと個人的には思っている。彼らは無闇にお金を使わない。使えないから。だからこそ、お茶を必ず首からぶら下げているし、色褪せていても、お気に入りのおようふくが大好きで、洗って乾いたらまたすぐに着たがる。次々欲しいって買わない。外食よりもお弁当が大好きで、レジャーシートが大好きで、どこでもそれを広げて世界を豊かに眺めている。彼らには敵わないと、いつも思う。お金で物事をはからないからだ。そういう彼らに、美しい風景を、海を、山を残したいと、わたしは心から思っている。だって、自然は誰のものでもない、預かったものだから。日々の家事で、ゴミ捨てを忘れがちなわたしは家事の中で一二を争うくらいにゴミ捨てが大嫌いだから(洗濯も大嫌いなんです)、なるべく、そもそものゴミを減らしたい。そういう思想で、わたしは生きていく。
どんなお洋服でも、それがハイブランドでもファストファッションでも、気に入ったら長く着たらいい。そのサイクルは、みんながそれぞれに決めたらいい。モノを大切にするのは大事だが、大人はおしゃれな気持ちも忘れないでいたい。若者と違って、おじさんとおばさんは清潔感が大切だから。売れない店やブランドは倒産するだけだし、カスタマーも、そのニュースが痛くも痒くもないなら、そのブランド、創立者、デザイナー、職人を、そもそもそんなに好きではなかったということだけだ。服に限らない。たべものだってそう。企業だけではなく、個人店だってそうだろう。とてもシンプルで、そこにあなたの愛があるかないかだけ。とても学びの多いイベントだった。行って本当によかった。
日曜日の昨日は再び鎌倉駅から東京方面へ。目黒で、グラフィックデザイナーの川畑あずさ(かわばた・あずさ)さんと打ち合わせ。いつも思うが、仕事に真摯で、デザイン以外の部分までも、気配りや目配り、想像力がかなり高い。スケジュール管理もずば抜けていて、秘書のような才能もかなり高い気がする。外資系のセクレタリーとかにいそうな感じ。自分にはないものばかりだけれど、それを妬んだり、羨ましがったりすることはなく、輝く光を真っ直ぐに眺めることができるのは何故だろう。この人ならと、安心して仕事をお願いできるし、この人にお金を払いたいと思う。お願いしているお仕事のリリースは、また追って。
打ち合わせを終えて、4時オープンの『とんき』でひとりでビールとヒレカツ定食を堪能してから、西荻窪と吉祥寺で家族のあれこれ。で、今は吉祥寺で朝を迎えている。久しぶりに娘は欠席で、母とわたしの二人きり。母は相変わらずに最の高(さいのこう)。忘れっぽいし、同じことを聞いてきたりする時空の中で、彼女なりの美意識を保ち、美しいフォームでクロールしている感じ。ストロークがきれいだから、わたしはそれを邪魔しない。

2023/09/16

憧れ

 2021年の春まで、由比ヶ浜の『BORN FREE WORKS』というギャラリーを運営していた。その最後の企画展でお世話になったのが、静岡県は沼津にある『Senbon Flowers MIDORIYA(センボンフラワーズ・ミドリヤ)』の岩﨑有加(いわさき・ゆか)さん。黄色のチューリップをバケツに大量に入れて、江ノ電で由比ヶ浜までハンドキャリーしてくださった。「バケツとバッグを返さないと」と思いながらまさかの2年以上が経過してしまい、昨日の午後にやっと、本当にやっと持っていけた。沼津はクラフトビールも熱い土地なので、ビール仲間のSくんも参戦。岩﨑さん、話しながらもずっと花に触れながら手を動かしていた。次回はゆっくり呑みましょうと約束して、店を出る。

Sくんとは『沼津クラフトテイスティングルーム』でビールを4種類、『チュチュルリエ』で白ワインのデキャンタ、『リパブリュー』ではまたクラフトビールを2種と、飲みまくって帰宅。お互い時間にルーズなタイプなので、待ち合わせも帰宅時間も予定通りにいかず、「もっとちゃんとしてよ〜」とか言いながら帰宅。Sくんが「僕らは」と口にする度に「一緒にしないで」と間髪入れずにカットインして、ゲラゲラ笑う。Sくんは「僕ら」が口癖なのか、聞いているとよく使う。「奇跡みたいな話なんですけど」という言葉も何度か過去に聞いている。そういう空気をきっとすごく大切にしていて、そんな時間があって、彼の感性や表現がうまれているのかもしれない。
昨日思ったことは、その場にいない人の話をするときの愛のようなものについて。お互いに共通の友人や知人が多いので、「○○さんが……」と何人かが話題に出た。そのたびに、どうしてこの話題になったのかな、と思いながら聞いたり、わたし自身も話したりしていた。Sくんがある人の話しているとき、その人のことが大切で、大好きなんだね、という気持ちが胸から溢れるほど伝わってきて、ちょっと泣きそうになる。会ったことのない人だけど、「今度三人で呑もうね、ことりさんが飛んでいくから」と言う。会ってみたいな、と思った。昨日、わたしにもそんな瞬間があった。酔っていたのではなく、話しながら「○○さんのことが、わたしは大好きだなんだな」という涙が出そうな瞬間が。
「ことりさんはよく、文化系と体育会系って言葉をつかいますよね」という話題にもなって「そうね、確かに」と思った。そこには憧れがあるからじゃない? というわたしなりの答え。わたしの両親はまさにそんな男女が結婚したパターンなので、お互いの趣味とか全くかぶっていなかった。子供ながらに、それはすごくふしぎなことだった。恋愛結婚をした二人なので、「一体どこにひかれたの?」と今でも心底思うが、ないものねだりなのかもしれない。いずれにしても「憧れ」という言葉がたくさん出た昨日。「憧れ」という言葉の持つ響きはなんともいいものだな、と思った。わたしは今、憧れている暮らしがある。「憧れ」だけで終われない性格なので、着実に、確実にコマをすすめている。「憧れ」にたいして、ずっとロマンティックを抱くことができる人生はとっても素敵。だけれど自分は根が図々しいし、アクティブなので、つい、憧れに近づきたくなる。触れずにはいられない。そうしてやりきって、「もう十分味わったな」ってことも過去にたくさんある。そんな人生だし、そんな性格なのだろう。これから先も、きっと。

2023/09/15

得意と不得意

 運転は好きだけど『2台の車で走る』というのがどうやら下手みたい、ということがわかったこの夏。先月、写真家のSくんファミリーと三浦へ素潜りにいった。その時、わたしが先導してSくんがついて来る、ということがあった。付き合いの長いSくん、自分勝手なわたくしの性格をよく熟知しているのでしょうか。出発前に、「ことりさん、一応場所を聞いておいていいですか?」とGoogleマップ片手に聞いてきた。その失礼のない聞き方、配慮と心配り、さすがだなあと思いながら目的地を伝える。「その前に、このローソンに立ち寄るからね」、とも伝える。いざ車を走らせると、速攻でパーキングの出口を間違い無駄にぐるぐるしてから出発。その後、伝えていたコンビニとは違うコンビニに気まぐれに立ち寄ったりと、やりたい放題のオレ様。できるSくんはそれでも完璧についてきてくれた。運転うまいんだね。

昨日は朝から仕事をして、途中、中抜けで茅ヶ崎へ。友人が『LOGGER』にラグを見に行きたいというので、アテンドする。ゴルフ場で待ち合わせをして先に三人でランチ。その後、LOGGERの末綱(すえつな)さんの先導で、海側から山側の茅ヶ崎へ移動。高速使ってビューンと移動。先導じゃないのね、ついていくなら大丈夫! と思っていたのに、結局は何度かロストしてしまった。「ま、いっかー」と思っていたら、末綱さんは少し先で、ハザードランプを出して待っていてくれた。やさしい。そっか、先導はこういうことをするんだと学ぶ。でも、多分できないからやらない。人と一緒に走るとか、人と一緒に働くとか、足並みを揃えるとか、もしかしたら、そういうことが全体的に不得意なのかもしれない。おかしいな。むしろ得意だとすら思っていた。勘違いしていたのだろうか。自分の無意識の言動、今現在自分を取り巻いているあらゆる状況を俯瞰しておもった。事実だとしたら愕然とする。人ができることができないのかもしれない。しゃべるのが好き。笑うのが好き。一人で運転するのが好き。黙るのが苦手。笑ってはいけない場面で笑いを堪えられない。ずーっと笑ってしまう。人と車を走らせるのがとても不得意。

昨日、ランチをしているときに10代でアルバイトをしていた時の話になった。西新宿の高層ビル群の一つ、アイランドタワーにあった『NEW YORK CAFE』というカフェで働いていたときの話し。時代は1996年、当時わたしは19歳の大学生。 たまたま散歩していて見つけたカフェで、制服がかわいかったことと、お店が小さくて、一人で働けるのがいいなと思った。アメリカのダイナーを意識した店内の雰囲気もセンスが良くて好きで、ここで働いてみたいと思った。程なくしてオーナーが面接をしてくれて、すぐに採用してくれた。オーナーはちょうど一回り上で、ニューヨークが大好き。自分で撮影したNYの写真がとっても素敵で、様々なセンスを教えてくれたひと。テイクアウト用の砂糖やミルクを入れる器を一つ探すのにも、死ぬほど時間をかけるような人で、こだわりのないわたしにはびっくりすることも多かった。幼稚舎から大学まで成城学園で、実家も成城にあって、パートナーは国際線のCAで、と典型的なおぼっちゃまだったオーナー。厳しいところもあったけれど、おもしろい人でなんだかすごく好きで、オーナーの車で一緒に七里ヶ浜に波乗りにいったりもした。西新宿でスケートボードとかもした。「ハワイやカリフォルニアもいいけど、みももそのうちニューヨークの良さがわかるようになるよ」と、よく言っていた。それを楽しみにしてたいた感じで、すごく可愛がってくれた。そのオーナーが、「みもは、褒められると『ありがとうございます』って受け取るところがいいところだね。『そんなことないです』っていう人はおおいから」と言われたことを、わたしはずっと覚えている。びっくりしたから。「謙遜(けんそん)」という言葉が自分の中にないのはなぜなのか。謙遜って、なぜするのか。当時まったくわからなかったし、今もわからない。世の中はわからないことがおおい。「ありがとうございます」が得意、「そんなことないです」が不得意。苦手なことが多いから、苦手を見ない。得意を伸ばす方が、きっといい。だって無理なものは無理なんだもん。

2023/09/14

どうして涙がでるのだろう

 上半期お世話になっていた横浜ストアのMちゃんから、夜にDMがくる。「インスタグラムに映る海の風景は、みもちゃんの家から見えるものなの?」とのこと。「そうだよ」と返事。そういえば、Mちゃんのフルネームを知らない。どこに住んでいるのかも、あんまり知らない。そういうことを語り合ったりしなかったけれど、なんか好き。Mちゃんが、店頭ではなく裏のストックで仕事をしているとき、よく常連の方がMちゃんを訪ねていらした。その度に、わたしは彼女を呼びにいった。長く勤めているMちゃんだけど、若者への配慮や、立ち居振る舞いを意識している感じが見てとれて、いいなって、そんな風に静かに眺めていた。ストアを離れてからも、Mちゃんをはじめ、みんなとはつかず離れず気まぐれに連絡を取り合っている。離れてよりいっそう、彼らの清々しさ、優しさを想う。

昨日、MちゃんとDMでここ最近の話を少しする。やさしい言葉のやり取りをいくつかして、さてお皿を洗おうとキッチンに立った。泡立てたスポンジをわけもなく何回も触っていたら、視界が滲んでポロポロと涙が出てきた。びっくりした。どういう涙なのかなと思ったけれど、多分すごく嬉しかったのだろう。元気に見えても、ここしばらく、とっても辛かったんだな、ということもわかった。蓋をしていたわけではないが、必要以上に元気に見えてしまう自分は、ときどきすごく損をする。人生を損得勘定で生きてはいないけれど、誤解をされやすいことは確か。でも、わかってくれる人は確かに、確実にいる。そういう優しさや、誠実さが琴線に触れると、内側から何かが溢れる。本当にいい経験と出会いを与えてもらった上半期だった。ストアのマネージャーはじめ、横浜のみんなには感謝しかない。
仕事をいくつも掛け持ちしている身としては、たとえ一つの仕事で何か困難があっても、他の仕事に支障をきたさないことがプロとして大前提。なので、昨日もいろいろな気持ちを切り替えて、タイパンツを縫ったり、打ち合わせをしたり、リフレッシュしたり。そういう切り替えが、おそらくわたしをたくさん助けてくれているのだろう。言葉の力にも、おおいに助けられた昨日。自分もそんな言葉を綴れる人でいたいし、発せられる人でいたい。さて、今日も1日が始まるわけで。

2023/09/13

JOYとかFUNとか

 今年の夏は娘のおかげでたくさん海へ足を運んだ。大きくなったとはいえ、まだまだ慎重派の10歳。海は危険なので放っても置けない。浮き輪で遊ぶとか、手を繋いで素潜りとか、そんな感じでどんどん黒くなる母。9月に入ったというのにまだ波乗りだけは出来ていない自分、確か去年もそうだった。隙を見てサーフィンしたいなと思っていた昨日は、いつそのタイミングが来てもいいように水着を着て、その上に服を着て、タイパンツを縫っていた。が、結局海には行かず。素潜りしたい誘惑にも、茅ヶ崎の『Brandin』でレコード聴きたいという誘惑にも打ち勝って、ずっと仕事をしていた。作業を終えて、気まぐれにプライベートでミシンを踏み、ベランダでビール。これで自分は十分に幸せ。

1枚の布が断たれて、重なり合い、おようふくになることが、何年やっても不思議だ。楽しい。いわゆる『文化』とか、服飾の学校に出たわけではなく、独学のわたし。学びがないことは自分が一番よくわかっている。だからこそ多く(のアイテム)に手を出さず、シンプルなもの、自分が好きなものを、繰り返し縫ってきたような気がする。そのようなものづくりをしている人を信用している。例えばエプロンなら『Zakka』の吉村眸(よしむら・ひとみ)さん、手作りのおようふくなら三橋友美(みつはし・ともみ)さん、キャンバスのバッグなら『BAILER』がものすごく好きで、お菓子なら馬詰住香(うまづめ・かこ)さんの『DAILY by LONG TRACK FOODS』が好き、ご飯なら高階美佳子(たかしな・みかこ)さんのsahanの味が好み、というように。
マイナスの美学、みたいなものが自分の中にはあって、いかに引けるか、と言うのは常に頭にある。できるだけ引き算する。リボン、ギャザー、タック、ボタン、ジッパー、切り替えなど、あらゆる装飾をなるべく減らしたい。出来るだけ、一枚の布の状態に近く、洗練された形を求めたい。人生も同じで、なるべく余計なこと、自分が余計だと感じるものを減らしていきたい。無駄な感情、いらない気持ち、そういうものを削ぎ落として日々を過ごしたい。手を動かしてものをつくるように、それは訓練しかなくて、つまり練習しかない。誰も助けてくれない。だからこそ、練習した分だけ力を蓄えたら、わたしはわたしを裏切らないだろう。
「気持ちがいい」って、誰かが作ってくれるものではない。自分でつくるもの、描(えが)くもの。楽しみ、喜び、気持ちいい、それらは究極のクリエイションだと、最近つくづく思う。さて、今日も。わたしは、わたしのJOYを、FUNを。

2023/09/12

音楽の思い出

 今どきの小学生は、音楽の聴き方、調べ方が愉快。TikTokやリールなどで流れる音楽にピンとくると、すかさずママのスマホでShazam(音楽検索できるアプリ)する。洋楽と邦楽の境がなくて、年代も色々。すごく自由だし、音を楽しむってこういうことを言うのだな、という感じ。先日、「ママ、『熱帯夜』ってけっこういい曲だねー』なんて言うものだから、鼻息荒く「ママの青春時代の曲で、『リップスライム』って言うんだよ。他にもいい曲たくさんあるよ、『楽園ベイベー』とか!」なんて答えたわたし。で、そこからずっとリップスライム沼にハマっている。びっくりするくらい完璧に歌える自分。

1990年代に波乗りをはじめて、高校生、大学生は波乗り、ヨットとずっと海通い。当時サーファーはみんな聞いていたのでは?と思うくらい、リップスライムが好きだった。なのに忘れていた。そんな自分が怖い。歳かもしれない。そのあとは海系だとサブライムとかジャック・ジョンソン、ドノヴァン・フランケンレイター、ザ・ビューティフル・ガールズ、ジャスティン・ジェームスとかもよく聴いた。ザ、アメリカだとグリーンデイが大好きだった。ブリティッシュ系だと友達の影響でオアシスとかウィーザーとかも聴いた。スティービー・ワンダーとかにハマるのは、もっともっとあとのこと。90年代は恋することと、海にいくこと、旅することに命をかけていた。そんな日々にBGMのように流れていた曲。だいたいは海にいて、たまに渋谷に繰り出してプリクラ撮ったり、終電ギリギリまで呑んだり、カラオケしたり。ずーっと楽しかったな。今も楽しいけれど、終わらない世界が目の前でスパークしていた。
娘も、子供時代は子供らしく、若者の時代は若者らしく、羽目を外してほしい。振り返ると、当時のあの生活を親はよくうるさく言わなかったなと思う。あっぱれだし、見習いたい。終電で午前様なんてしょっちゅうだった。タクシーで深夜に帰宅して、次の日は二日酔いでつらーい、みたいなドラ娘だった。典型的なダメ大学生。父はそこそこ似たり寄ったりだったけれど、母はいつでも家を守っていて「あらあら、みもちゃん。また飲み過ぎちゃったのね」とか言っていた記憶。あそこからの、今。オレ様は立派な大人になった。自分で自分を褒めてあげたい。

2023/09/11

奄美大島へ

 仕事を一切からめず、純粋な夏休みで奄美大島へいってきた。いつか必ずと思っていた奄美、ついに足を運ぶ時がきた。一言でいうと、「なぜ今まで来なかったのだろう?」というくらいに素晴らしい島だった。自分の中の何かが、コーリングされて、閉じていたものがひらくような感じ。これまでもたくさん旅をしたけれど、灯台下暗しだった。植物のグリーンはハワイのカウアイ島みたいで、国道は昔の鹿児島みたいで、ビーチサイドはちょっぴりハワイ島のコナにも似ていた。波乗りができて、素潜りができて、船での移動が盛んな島。現在を含めて、人生後半はマンションで暮らしながら、老後は船暮らしをすると決めていたが、この島で小さな平家を建てて生涯を終えてみたいと、ふと思った。そのくらい素晴らしかった。

2012年に生まれた娘も、この10年でそこそこ旅をしている。ハワイ、鹿児島、宮崎、種子島、バンコク、旭川、札幌、福岡、糸島、大阪、京都、名古屋、伊勢、黒磯(他にもあるかもしれないが忘れた)など。中でも奄美大島はよほど響いたのか、「感動して泣いちゃった」と夜にホテルで涙を流していた。天の川、海を泳ぐ亀、人の優しさ、何にそこまで感動したのか、本当の本当は彼女にしかわからないけれど。
普段はあまり語らないが、わたし自身はタイパンツ作家と、文章を書くこと、加えてアウトドアのリペアマンとして、三足のわらじを脱いだり履いたりしている。詳しくは書かないが、今年は仕事で色々なことが度重なって、さすがに心がすり減ってしまい、ペースダウンをしないとまずいなと決断したところ。そんなタイミングで、奄美大島の旅行をブッキングしていた自分を褒めてあげたいくらいに、タイムリーな旅だった。
今、46歳。働き盛りだし、そこそこ健康。夫、52歳。同じく働き盛り。ガラスの膝とか腰とか笑いつつも、そこそこ健康。幸せなこと。だけれど、見て見ぬふりで目をつむっていること、心に引っかかったままのトゲのようなものを、この旅で色々考えた。というか、考えさせられた。人生後半の命、時間を、どんなふうに過ごしたい? それは誰のために? わたしのために。正確には、わたしと夫のために。
娘はあと10年も一緒に過ごさない可能性も、高いだろう。住みたい場所、学びたい土地、歩きたい道、自分の人生を描(えが)いたらいい。そうなると、わたしと夫はいずれ元の二人組に戻る。その時、今と同じように健康なのかな。ガラスの膝って笑えるのかな。そんなことをこの旅で何度も思った。せっかく出会えた貴重なパートナーと、まだまだやりたいことがあるし、「いつか」なんて言っていてはきっとtoo lateになる。母との時間もそう。父との時間もそう。未来のわたしが「もっとこうすれば良かった」と言わずに、「パパママ、ありがとう。またね!」と泣きながら笑えるように、今できることを今する。わたしには、過去も未来も存在しない。今しかないのだ。今の繰り返しが、わたしをつくるのだから。

2023/09/06

いいまちがい

 今週末は奄美へいく。台風と台風の合間を縫っていけるのかいけないのか、天気はどうなのか。そんなことをあんまりきにしないタイプのわたしと、天気予報のチェックに余念のない夫、まったく気にしない娘、我が家はそんなチーム構成のワンチーム。

娘の鼻がちょっぴりぐずっていたので、念の為耳鼻科へ連れていった昨夕。待合室のテレビで放映されていたニュースをみていたら、ジンベイザメが日本海に現れた、という映像が。「ジンベイザメのドットって、キレイだね。どうしてあの模様になったんだろうね」と言うと「優しさの数だったりして」と娘。「やだー、素敵。だとしたらジンベイザメってすごい優しいね」とわたし。「いやなこと、楽しいこと、全部乗り越えた数かも」ともう一度、娘。人間の皺やしみや、そういうものも、そうだといいなと思った。娘の感性に助けられること、刺激を受けることはたくさんある。発せられる言葉、彼女が描く絵、わたしにはないものばかり。その光を、暗闇の夜空に瞬く星のように眺める。お互いの姿を、照らしあえたらいいね。
病院から帰宅してキッチンで夕飯を作っていると、「ままー、ジョニー・チャップがね」というので、「それって、ジョニー・デップのこと?」と聞くと「そうそう。『パイレーツ・オブ・ジャパン』のひと」と間違いにつぐ間違いを連発させるので、「それは『パイレーツ・オブ・カリビアン』のこと?」と聞くと、「そうそう」と普通に乗っかってきた。その後の会話がなんだったか、すっかり忘れてしまった。ネーミングや物事をざっくり覚える性格は、間違いなくわたし似。もうちょっといいところを遺伝して欲しかったなあ。なーんて思うことを、強欲(ごうよく)って言うのかもしれない。わたし自身のいい悪い、光っている光っていないなんて、わたしが決めることじゃ、きっとないんだよね。

2023/09/04

フェスってなあに?

 現在、時刻は5:13。サーファー、3名。空は曇天(どんてん)。恵みの雨という言葉がぴったりの霧雨が降っている。今日の雨を境に、季節が一歩前に足を進めるような気がする。

昨日は恒例のおばサミット。おばサミットとは、おばさんと、おばさんのようなおじさんたちが集い、語り、笑い、帰る頃には話したことをだいたい忘れている会。「おばさん、それは褒め合う生き者」というキャッチーなフレーズのもと、平和な時間が流れる。昨日のお題は『フェスってなあに?』。毎年フジロックに命をかけているフジロックおばさんのMさんに、フェスに行ったことのないタイパンツおばさんが色々質問する、みたいな会。音楽大好きなO君とKさんも参加してくれて、横浜は馬車道にある『馬車道十番館』でランチ。店内も、運ばれてくるものも、運んでくださる方も、お皿も、ナプキンも、何もかもが素敵なお店で、おばさんたちのテンション爆上がり。
フェスの話から、好きだったアーティスト、カセットテープ何買った? とか、金曜ロードショー、センセーショナルだったWOWWOWの導入についてなど、あっちこっち話題が飛ぶ。話していて思ったことは、音楽や映画など文化的なものに触れる、正確には出会うきっかけは、親、叔父、叔母、兄弟、友人などのキーマンがまずいる。そこからドラマの主題歌であったり映画のサントラとかも含めて世界が広がっていく、ということであった。中学生くらいになると、洋楽好きな同級生なども出現してくるよね、みたいな話も。でも、小学生くらい小さな頃は、頼れる大人は両親だけど、くわえて叔父や叔母の存在や影響力はとても大きいよね、という話もなかなかにおもしろかった。娘にとってもきっとそうだろう。本当の叔父叔母はもちろん、叔父や叔母のようなわたしの友人達も、きっとたくさん娘に影響を与えてくれている。正確には、育ててくれている。「わたしが母親だから責任を持ってこの子を育てます」なんてあんまり思わず、助けてもらおうこれからも、と思った。その経験の中で、彼女にとっての正解を取捨選択してほしい。音楽を選ぶみたいに、心で感じることを。
昨日も話題が尽きず、関内駅を挟んで反対側にある『文明堂茶館ル・カフェ』へはしご。ここでは何を話したんだっけな。すごく盛り上がったのに、もはやすっかり記憶なし。フェスというより、セゾングループの話が多かったような。西武百貨店本店の話。わたしが母に連れられていた場所は、おそらく『アール・ヴィヴァン』ではないか、とOくん。セゾングループにめっちゃ詳しいOくん、昨日もおじさんとおばさんのハイブリット感が炸裂していておもしろかった。文化と愉快がせめぎ合うOくん、大好きです。『パステル』という、どら焼きみたいなデザートとコーヒーがとても美味しかった。
関内で、じゃあまたねと解散して、わたしは鎌倉に戻って『Fablic camp』で昨日から始まった、おようふくの展示へ。裁縫の師と仰いでいる一人の三橋友美(みつはし・ともみ)さんの新作、創意工夫が相変わらずで、いくつか試着する。結局、最初に試着したものを買わせもらう。高い技術と知識が炸裂しているけれど、あまり語らないし、ほら!みたいな感じが全くしない。本当に格好いい。真のレジェンド。彼女のおようふくを着られることが本当に嬉しい。

2023/09/03

人の目

 車検で代車に乗っていたここ数日間。日頃はいわゆるコンパクトカーに乗っている。車に関して、我が家はとにかく劣悪(れつあく)な環境。ビーチサイドではなくビーチフロントなので、砂浜に車を停めているようなもの。中古車屋の店主にも「車検を通して4年乗るのを目標に、そういう車を乗り継いだ方がいい。134号線沿いの人とかは、割とそういう人が多いですよ」と言われて、言われるがままに買った車。気のいいおじさんだし、知人の紹介なので全面的に信用しているのだ。

代車は軽自動車の白いワゴン。これが結構運転しやすくて、うっかり気に入ってしまった。それで友人を迎えにいった先日のこと。鎌倉でご飯屋を営むMちゃんは、関西出身で笑いに関してハイスペックな女子。こちらに近づいてくる時点でニヤニヤが止まらない様子だった。「業者さんみたい!」とのこと。奇遇ですね、わたしも運転しながら「運送のバイトとかもできるかも」と思っていた話をする。運転が好きなので、免許をアップグレードして大型トラックとか、ゴミ収集車とか、色々できるような気がしてきた、と。赤帽さんとかもいいかも、と。バスとかもね、と一瞬思ったが、日本のバスは色々ときっちりしているので性格的に難しいかもしれない。
16歳の時、叔母の住むサンタモニカで『BIG BLUE BAS』という市バスにたくさん乗った。免許はないが時間はあったので、移動手段はバスだけだった。カリフォルニアの風土なのかな。フランクな運転手の自由さとか、バスの色の美しさや車体の長さ(2台連なったバスも多かった)とか、座面の高さとか、色々なことに衝撃を受けた。あるとき、バスに乗ろうと走ってきた人に気づかず、運転手が鼻歌を歌いながらバスを発進させた時のことだ。それに気づいた乗客の一人、黒人の女性が運転手に向かって大声で”Wait!”と叫んだ。運転手も素直にバスを停めてドアを開け、走ってきた乗客は”Thanks!”と言って乗り込んだ。そういう普通のことが、日本ではなかなか難しい。なぜかなって思うけれど、よくわからない。
いい車に乗っているとか、大きな家に住むとか、そういう憧れがまずあったとする。それを人にどうみられるか、あるいはみられたいか、みたいなものがくっついてくると、物事はさらに厄介なことになる。例えばすごく変な格好のえらい人とか、様子のおかしな車に乗っている普通の人、というスタンダードはあんまり見当たらないから、人は見た目でなんとなく判断せざるを得ないのかもしれない。わからなくも、ない。
わたしは人に会う時、無意識に靴を見てしまう。最初に靴屋に勤めていた癖が抜けないので、ついでにサイズも、好みのサイズの履き方までもある程度の判断ができる。1日1000万売れるお店にいたので、経験値が異様に高いのだと思う。ただ、海外にいくとこの習性は割と生きてきて、ヤバそうな街だな、とか、危険そうだな、という時の判断の一つになる。靴は結構語るから。
車に関してはずっと無関心できたし、むしろイタリア車好きの父への反発で「イタリア車だけはいや!」と思って生きてきた。けれど、ここ数年気付いたことは、自分は多分イタリアがめちゃくちゃ好きそうだ、ということ。しかも南イタリアが好きだろう、ということ。そう思うと、人生で一度はイタリア車には乗ってみたい気がしてくる。スペインとポルトガルも好きに違いないだろうな。そういう経験を、人生後半戦、ここからしていく気がする。
父に感謝していることは、車や家やお金や、そういうものはもうたくさん見せてもらったこと。その大変さも、今ならわかる。破天荒で色々と大変な父だったけれど、パパって素敵だなと思うところは、自分の好きにまっすぐだったところだろう。「こう見られたい」ではなく「こうしたい」が原動力の父で、人のこととか家族のこととか、全部たぶん、どうでもいい。車、靴、シャツ、手当たり次第イタリアに狂っていて、made in ITALY に命をかけていた。レコードも異様に愛していて、スピーカーにも死ぬほどお金をかけていて、そういう自分が大好きだった。その、最後の最後に残ったお金で子育てをしてくれていたのだろう。教育費を貯めようとか、結婚資金を、とかそういうことは1ミリも思っていなかったはず。パパの辞書に載っていない。そういう人が一家の大黒柱の家で育ったわたしなので、色々な常識が逸脱しているのも、もはや致し方無い。ということに、本当に最近気づいた。よその家と色々と違うことがずっと、ぼんやりと不思議だった。「あれ?」と、ときどき首を傾げながら、子供時代を過ごしていた。自分の幼少期のエピソードとか、うっかり話すと大体引かれる。でもね、変な人って世の中いっぱいいるんですよ。ほら、ここにもね。それでもこうして大人になれるの。だから、今辛かったり、人と違ったとしても、ぜんぜん大丈夫。そういう本を、次は書きたい。わたしと、わたしの家族の話を。

2023/09/02

違和感を大切に

 昨日から娘は小学校へ。長いようで長かった(!)夏休みもおしまい。わたしは午前中に大事なオンラインミーティングを終えて、メールなども一通り終えて、早めのブランチ。食後、あれ?と感じる。唇に違和感。鏡を見ると、なんかある。唇の端のほうに、小さな水膨れのようなものが。気になるとすぐに病院にいく人なので、車を飛ばして皮膚科へ。「ヘルペスですね。よっぽど疲れているときに出るんです。よく食べて、たくさん寝てね」と先生。帰宅して鏡を何度もみる。大したことはないけれど、なんかあるのが気になる。年頃の自分だったら、すごくイヤだっただろうな。デートしたり、キスするときに気になっただろうな、とか思いながら鏡を覗き込んだ。けれど、若いとヘルペス自体ならないものなのかな。

つくづく体は素直だ。夏休みの疲れというよりも、違う疲れが自分の中にはあるのだろう。むしろ、夏休みのおかげで娘や娘の友達にはたくさん笑顔をもらったし、エネルギーももらった。海にもプールにもたくさんいったし、大好きな運転もできて、むしろ休ませてもらったのかもしれない。体は正直だ。
昨日ある方が言った言葉が胸に響いたので、ここにも記しておく。「元気に見えるけれど、ダメージをあなどらない方がいい」。すごくいい言葉だなと思った。もしかしたら、これを読んでいるあなたにも言えることではないだろうか。違和感を放っておかないこと。痛みをないものにしないこと。誰より、何より、自分を大切にすること。心の声に耳を傾けること。そうしてはじめて、人は人に優しくなれると、わたしは信じている。