昨日はSAUCEの最終日。この三ヶ月、早い日はオープンの1時間半前には店にいた。掃除をしたり、レジ金の準備をしたり。用意周到で、任された仕事は責任をもってまっとうする。それは元気に店をあけること、そして売り切ること。そこに命をかけてきた。一昨日の土曜日ももちろん。その日もとにかく目が回る忙しさで、売り上げもきっちりマークできたし、もうやりきった感があったのは事実。で、昨日。気が抜けたのでしょうか。ここにきてまさかの遅刻!涙 オープン時刻の10時に家にいて、「やばい!これは一番やっちゃいけないやつ!」とおもって必死で自転車を漕いで、10時20分に到着。お店の前は長蛇の列になっていた。納品に来ていた料理人のNさんが右往左往していて笑、その姿にウケる。あわててカーテンをあけて、わたしも右往左往していたら「みもちゃん、どうしたの!?」とDAILYの馬詰さんがやってきて「てつだうよ!」と入ってきてくれた。休日でマッサージを受けていたらしく、たまたまとおりかかったらしい。そんなわけで、馬詰さんと小鳥さんのレアなコンビネーションでドタバタとオープン。日頃から長蛇の列のDAILYに慣れている馬詰先輩はめちゃくちゃ手際がよく、こっちも必死にレジを打つ。レジ金もまだレジに入っていないような状態で、なんだかひっちゃかめっちゃか。お弁当のポップを立てる間も無く飛ぶように売れていき、お客さんも「これはなんですか?」と聞きながら買う、みたいな鮮魚採れたて市場みたいな状態が延々と。「なんだろう牡蠣フライかな?」と馬詰さん。「ちがいます!カンパチのフライのタルタルです!笑」と言いながら小銭をレジに入れて整えて・・・。ずっと笑いを堪えてレジを打ちまくり、ピークが去ってふたりで大笑い。「みもちゃん、いつもあんなに早く来てるのに!」と馬詰さん。ほんとですよ・・・。
そんな感じで昨日は終日笑いの神が降臨して、ずっと笑っていたら閉店の時間になっていた。ギャラリーの経験のおかげだけれど、搬入と搬出は業者さん並みに早いので、撤収もあっという間。そんな感じの最終日。LOGGERの末綱さんや、BLANDINの宮治ファミリー、sahanのみーやんは昨日も今日も顔をだして、元気な笑顔をみせてくれた。水平線の美穂子さん、サーファーのKちゃん、タイパンツのお客様は数年ぶりに都内から、夫も電動ドリル持参で片付けを手伝ってくれた。この三ヶ月、みんなありがとう。つめが甘く、最後がきまらないのがわたしです。コントのような人生を、これからも。来年も仲間とたくさん笑って過ごせますように。SAUCEの仕事、「みもちゃん、やって」と声をかけてくれた馬詰さんには感謝の気持ちでいっぱい。ほんとうにありがとうございました。2024/12/30
2024/12/27
わたしたちの記念日
昨日、お店番をしていたら三輪舎の中岡祐介(なかおか・ゆうすけ)さんがきてくれた。本屋・生活綴方の鈴木店長も一緒に。
ギャラリーの運営をしていたとき、『本を贈る展』という企画展をした。そのとき、中岡さんとはじめてあったのが2018年の12月26日。それまで本に興味のなかったわたしが、展示をきっかけに、じぶんでも本をつくってみたいとおもったり、その編集を担ってもらったり、インタビュー形式のお話し会のきっかけをくれたり。中岡さんは、わたし自身にたくさんの発見と気づきをくれたひとり。中岡さんが最初に由比ヶ浜のギャラリーに来てくれた日のこと。夜にもらったメールには、たのしかったというような文面の最後に「こんな日がずっと続けばいいのに、とおもうくらいに」と書いてあった。ひとり出版社を立ち上げて、いろいろきついこともおおいんだろうなあという印象を残すような、どこか言葉に余韻のある人だった。中岡さんと最初にあった日が12月26日なので、わたしはその日を『中岡記念日』と呼んでいる。なるべく中岡さんに会いにいく、師走で忙しいときはいけなかったりするけれど。今年はレンバイがあるから無理だなーと諦めていたら、昨日は中岡さんのほうからやってきてくれた。大きな背丈を小さくかがめて、ガラス窓ごしに、いないいないばーみたいな登場で。びっくり!
『本を贈る展』をきっかけに、近年は中岡さんが立ち上げにたずさわった妙蓮寺の『本屋・生活綴方』でタイパンツ展を開催してもらったり、綴方出版部からはリソグラフでインタビュー本を出させてもらったりと、何度も仕事をご一緒させてもらっている。わたしより年下だけどどこか安心感がある中岡さんのことを、親しみを込めて「おとうさん」と呼ぶこともたびたび。背が大きいからどっしり構えて、一見、安定した自信があるように見える。けれど、中岡さんはいつも何かの困難に目をそらさず立ち向かって、考えたり悩んだりしている気がする。そういう時の中岡さんは、たいていあごを引いた上目遣いをしていて、なんだかこどもみたい。ちいさな子猫のような瞳で「ことりさ〜ん、ボクね…」とか言っている。おおきなこねこ、中岡祐介。わたしたち、いつもたいてい久しぶり。けれど、なんでもざっくばらんに話せるのは、これまで築いてきた関係性の賜物(たまもの)で、昨日もそんな感じ。笑えることはもちろん、たとえちょっと笑えない話でも、最後は「エイヤー!」と投げ飛ばして笑う。出会って6年、結構ながい付き合いになってきたものだ。これからも、きっと。俵万智(たわら・まち)のサラダ記念日ではないけれど、「こんな日がずっと続けばいいのに、とおもうくらいに」と君が言ったから、12月26日は中岡記念日。
2024/12/25
Very merry Christmas with my sweeties
クリスマスイヴの朝。娘がめずらしく、お腹がいたいと言う。終業式だからいきたいけれど、車で送ってほしいと。車で1分くらいの距離を運転して、送り届けた。学校から帰宅すると、娘はベッドでゴロゴロしている。母が昔、「こどもがゴロゴロしているときは、たいてい体調がわるいのよ」と言っていたので、嫌な予感がして熱をはかると、38.6℃!これはヤバいやつだと、耳鼻科へ連れていく。「はい、インフルエンザA型です」とあっさり。この間コロナとグッバイしたのに、間髪入れずにインフルとハローしているではないか。いろいろ流行りに乗りたいお年頃なのか。今日はなにも食べないで、水分だけとってくださいとのこと。
予約していたケーキと、やっぱり予約していたケンタッキーのチキンをとりにいく。娘のベッドを、窓辺のクリスマスツリーの近くまでゴロゴロ(三段ベットの三段目だけ、キャスターがついている)移動させる。なんとなく隔離。「クリスマスはなしにする?」とやさしい夫、ノー・ウェイで決行するわたくし。マスクをして寝転がっている娘をみながら、冷やしておいたカヴァを呑んで、グラタンとチキンとサラダとピクルスと、最後はケーキ。「ぜんぶとっておくからねー」とわたしたち。昨日はそんなクリスマスイヴ。ワンルームで暮らす我が家。だれかが風邪をひくと、突然危険と隣り合わせで生活をすることになる。風邪をひいても寝転がっていてもマスクをしていても、いるだけでかわいい娘だれど、今だけはうつってはならぬ。ママは早め早めの葛根湯をのんで、本日も10:00からオープンです。
2024/12/23
銀座の哀しい物語
クリスマスシーズンの銀座の夜はキラキラしている。4歳か5歳か、何歳ごろだったかは忘れだけれど、クリスマスシーズンに家族で銀座にいった夜のこと。買い物などをしたのだろうとおもうが、その終盤で父がとつぜん「俺は蟹が食べたい」と言い出して、行きつけと思しき店に行くと言い出した。母も一緒に連れていかれる様子だった。飲み屋だったので、父はこどもを連れて行きたくないと思ったのか、真相は定かではないが、「お前たちはここで待ってろ」と言われた。その飲み屋は銀座松屋の近くの、ビルの地下だった。私たちこども4人はビルの内側の、自動ドアが開いたり閉まったりする踊り場のようなところで待たされた。螺旋階段をさっさと降りていく父と、「え、え!?」みたいな母の後ろ姿を見て、「ママー!!!!(涙)」と思った遠い哀しい記憶。それ以来、しばらくクリスマスのキラキラした銀座恐怖症だった。その話を母にすると、たいてい口を押さえて爆笑している。「そんなことあった?ひどいいわね!ごめんなさいね、パパはわがままな人だから」と、たいていは父のわがままが原因になっている。「そっか、そうなんだ。パパはわがままだもんね」と長い間納得していたが、最近になって、ママもそう遠からずだったのでは?と思う時がある。父はいつでも、こどもたちのことは「ほっとけよ」と言っていたと、母から聞いた。おかげで伸び伸び育ったが、エピソードを聞くと、結構ひどいことがちらりほらり。
「みもちゃんは昔から声がきれいで、『ママ!』って呼んだ声を聞いた人から、『ことりちゃん、この子はジャズシンガーにしなさい!』って言われたのよ」と聞いた。なんて素敵なエピソードなのかと、それは誰なのと聞くと、銀座のゲイバーのママだという。聞けばその日は、家にいた父がとつぜんに行きつけのゲイバーに行こうと言い出したそう。まだ、さすがに小さな末っ子のわたしは置いていけない。苦肉の策だったのか、結果的にわたしは父と母と一緒に、ゲイバーに連れていかれたそうだ。わたくしは果たして何歳で銀座のゲイバーに足を踏み入れたのでしょうか。そもそも、あんよはヨチヨチできたのか。母はいつも、この日の出来事をたのしそうに話す。だから、聞いているこっちまでつい笑ってしまう。普通に考えて、ぜんぜん笑いごとではないけれど。鹿児島の海辺の田舎で育った母にとって、真面目でやさしいお父さんの娘として育った母にとって、父はどんなに変わり者に映ったことだろう。子どもは親を、その家庭環境を基準に「これが普通なんだ」と思って育つ。大きくなるに連れて、あれ?あれ?と他の家庭との違いに気がつきはじめて、思春期になると「普通がよかった」、「普通ってなに」と人生を模索していく。いつか家族のことを本にしたいとおもう時がある。誰の参考にもならないが、娘には残したい気持ち。だっていずれ、忘れてしまう。みんな消えてしまうから。
最近おもうのは、誰のために日々文章を書いているかということ。ずっと、自分のためと思っていたけれど、最近は、娘に書き残している部分もあるのかなと思うときがある。それは娘が面白がって過去のわたしの文章を読んでいる姿も少なからずある。加えて、娘は娘で、文章をたのしそうにパソコンで書いている姿をたびたび見るから。わたしの母も、言葉を、手紙を、綴るのがだいすきな人だった。父もそうだった。実家の片付けをしていたとき、母に宛てた、万年筆で書いた膨大なラブレターが出てきたとき、「へー」とおもったのも記憶にあたらしい。自費出版でまで本をつくったり、こうして文章を書いていると「たくさん本を読んできたの?」とよく聞かれる。答えはノー。その代わりに、たくさん会話をしてきた。六人家族だったので、誰かと誰かが喧嘩したり、それを仲裁したり。朝から晩まで騒がしい家だった。父の態度が納得いかないと、抗議文を書いて、父の寝室のドアに貼り付けたりもした。
誰かの言葉ではなく、わたしはわたしの言葉をもつ。だからこうして、書きたいときに、書いているのだ。記憶を残すため、気持ちを主張するため、ありがとうを伝えるため、たとえばあの日のさようならのために。わたしがわたしを慰めるために言葉はあって、いつでも、わたしに寄り添っている。
2024/12/22
またねって、さよならをする
閉店のお知らせがあってからの営業がスタート。金曜日も土曜日も、いつも通りの常連さんをはじめ、閉店を知って来たという人たちも含めて、いつもより客数多め。「閉店しちゃうんですね」という人が多い中、印象的だったのは常連さんのマダム。兵庫県の方で、オシャレで会話のテンポもよく、たのしい方。親子できてくれることも多い。昨日も親子で来てくれた。閉店の張り紙に気づいていないのかな、とおもい「実は閉店することになって…」というと、うんうんとうなづいて余計なことなにも言わず、「また来週も来るからね、挨拶はなしね!」といった。なんて粋な人なんだろうと一瞬泣きそうになってしまった。お店をしておられるご様子なので、「わたしもお店にいきますね」というと、さっとショップカードをわたしてくれた。商売人の鏡、見習おう。もうひとり、なんともチャーミングなおしゃればあばがいる。ほとんど毎日来てくれる。ピアスとお洋服のカラーコーディネートが絶妙でかわいい。いつも、着丈だけでなく、肩のラインや袖の長さもベストなジャストサイズをお召しなので「お仕立てなんですか?」と聞いたら、「ちがうのよ」と。それが最初の会話だった。昨日も来てくれて、明らかに張り紙に気づいていないご様子だったので、「実は…」と伝えると「そうなのね」と一瞬残念そうな顔を見せたけれど、「たいへんだよね!」っと明るく切り返してくれた。やっぱり「まだ来るからね」と言ってくれた。なんでだったか忘れたけれど、昨日は髪型の話になった。好きだった美容師さんがいなくなってしまってから、もう2年くらいご自分でカットをしているとのこと。わたしも自分で髪を切るのが好きなんです、と盛り上がる。叔母が美容師なんですよと伝えると「お近くなの!?」と聞かれたので間髪入れずに「アメリカなんですよ!」と笑う。いつもお仕事の合間に来てくださる自営業の方で、こんなおしゃればあばになりたいなあと密かにあこがれている。身長は小柄だけれど、目が合うと太陽を見上げたような気持ちになる。
『we inc. Architect Studio』の森さんも来てくれた。入間で友達になった同級生の森さん。『Sunny Side』の感想をくれて、「文章が上じょうずですね」と言ってくれたので「ありがとうございます」と素直に答える。褒められたら謙遜しない。今読み返すと、「あー、ここもここもダメだあー」と思うけれど、あれがあの時のベストだった。次に本を出すときは、もっと丁寧に、より詳細に言葉を尽くしたい。『LAND』のまっちゃんもDMで「もう一回行けばよかったー!」と連絡をくれた。森さんもまっちゃんも、まだ一度しかあってないのにね。ここで出会って友達になれたのだから、もう十分だよと返事をする。場所があるって本当にすごいと再確認する日々。もう忘れかけていたけれど、由比ヶ浜のBORN FREE WORKも、こんな日々だった。「さようなら」というのが苦手ではないが、いつもつい、「またね」と言ってしまう。「こんにちは」の代わりに「ヤッホー」とも言ってしまう。以前種子島に一人旅をしたとき、仲良くなった島の友人がこんなことを言っていた。島の人は、島を出る仲間を見送るとき「さよなら」とは言わず、「またね」と言うのだと。素敵だなとおもった気持ちが、記憶のどこかにとどまっているのかもしれないし、お別れが苦手なのかもしれない。寂しさを隠しているのではなくて、いつでも、その先の続きを見つめていたい。終わりは始まりなので、きっともう、始まっているのだ。ただ、まだそれが見えていないだけで。
2024/12/20
I LOVE MIURA
月に一度の木曜日やすみ。予定ではカレンダーを買いに、銀座の伊東屋本店までいくつもりだった。が、月曜日に体力を使い果たしてしまったのか、身体にうっすら疲労を感じたのでやめる。「明日は三浦までドライブでもするかあ」、とおもっていたら後輩(和光生)のMちゃんからLINE。「明日の仕事が急遽なくなったので、お茶でもしませんか」とのこと。一度は三浦にいってみたいと聞いていたので、Mちゃんをピックアップして昨日は三浦へ。
まずは野菜を買いにいく。Mちゃんは料理人なので、道中でも野菜について熱く語っており、野菜の表情がどうのこうのと興奮気味だった。野菜の表情の変化について、これまで気が付いたことがない(この先もきっとない)わたしにとっては「へー」「ふーん」であった。市場につくと、その値段と鮮度に驚いたのか、一緒に仕事をしているNさんに電話をしていた。いろいろと仕入れのお使いを頼まれている様子で、カゴには次から次に野菜が積まれていき、ビジュアル的にかなりおもしろい状況に。主婦のわたしはあんなに大量に野菜を買うことがないので、ウケてしまった。なんと言ってもザーサイが三束、あれはデカすぎるのではないか。カゴから飛び出すにもほどがあるほど飛び出ていた。もはや、カゴがカゴの役割を果たしていないレベル。後輩の姿を見て、先輩は何度も爆笑。その後は行ってみたかった三戸浜のおにぎり屋さん。こんなとこにほんとにあるの?という畑の中をぐんぐん車で走った先に、そのお店はあった。ご夫婦とおぼしきお二人がウェルカムしてくれた。感じのいいお店で、「またきたいね」と話す。その後は城ヶ島の『FISH STAND』で、マグロのカマをつかったフィッシュアンドチップスの揚げたてを頬張る。次はわたしが足繁く通っているリサイクルショップへ。もう何年もツボっている『爆安屋』という、ネーミングからしておもしろい店。口にだすだけで、もう笑える。Mちゃんも爆安屋がツボだったようで、かなり長居してしまった。二人で、「この無料は謎じゃない?」と、それぞれお鍋をいただく。私は透明の鍋。Mちゃんのはうっすら茶色がかった、やっぱり透明の鍋。どっちもいい雰囲気だった。Mちゃんのお鍋は、どう考えてもおしゃれなフランスの鍋だった。持ち帰るか迷っている様子だっので、「もってかえりなよー、だって無料だよ?」と笑う。料理人のMちゃんは、ザルや、マグカップやお皿もすこし買っていた。「爆安屋にいくと金銭感覚がバグっちゃいますね」とMちゃん。そうなのだ。常識とか、普通は、みたいなものが覆される。そのリセットがおもしろくて、つい足を運んでしまう。宝探しのようなたのしみもあるが、審美眼が鍛えられるのもいい。夫はリサイクル品とか古着とか苦手な人だけれど、娘は爆安屋をおもしろがっていて、テーマパーク的に楽しんでいる。昨日の無料のお鍋、きれいに洗って拭いてコンロの上に置いておいたら、「なにこれ、すごいかわいい!」と褒めてくれた。うれしい。最後は充麦(みつむぎ)でパンを買って帰宅。
銀座も好きだが、三浦も大好きだ。行くだけで元気になる。銀座にいくときはお金がたくさん必要だけれど、三浦はあんまりお金はいらない。どっちも元気になるのだが、エネルギーがちがう。今のじぶんには、どっちが必要なのかなと考えて足を運ぶと、それに合わせたものが、ちゃんと満たされていく。今晩は、昨日無料で持ち帰ってきたPyrexの透明の鍋で、三浦のブロッコリーとカリフラワーを蒸すつもり。さてさて、今日もこれからレンバイへ。いよいよゴールテープも見えてきた感じ。
2024/12/18
湘南のおにいちゃんたち
明日は月に一度の木曜日休み。昨日も休みで、明日も休み。ご機嫌な水曜日の夜が、まさに今。
昨日は、欲しいなと思っていたキャップを買いに、茅ヶ崎の『LOGGER』まで。末綱(すえつな)さんは、本業とは別にときどきグッズを作っている。トート、Tシャツ、ラグ、どれもセンスが好みなので一通りもっている。で、次はキャップ。末綱さんはわたしより少し年上。歳の離れた兄とふたりの姉をもつわたしにとって、年上の人といるときのポジションは自然。長年の慣れ親しんだものがある。
去年、ある方から工業用ミシンを譲り受ける話をいただいたとき、部屋が狭いから迷ってる、みたいなことを末綱さんに話たときのこと。「それは受け取った方がいいよ。置き場所で困っているなら、しばらくここにおいてもいいよ」と言ってくれた。そういう、困ったときにさっと手を差し伸べてくれる、頼れるおにいさん的なところがある。一方で、根っからのおもしろ気質なので、一緒にいるとずーーーーーーっとふざけてしまう。くだらないことへの飽くなき探究心が同レベルなので、終わりがみえない。クラスにいたら、セットで叱られて廊下に立たされているであろう感じ。昨日もバカみたいなことをたくさん言い合って、どうしようもないほどゲラゲラ。
そのあとは子安の里にある『Birds』のジョージくんのところ。この時期になると、渡したいものがあっていく。久しぶりだけど、だいたい久しぶりなのもいつも通り。近況報告して、「みもちゃんは適当だなあ!」と言われるのもだいたい一緒。ジョージくんも少しだけ年上。わたしよりもはるかに適当な人だけど、ここぞというときは助けてくれるしやさしいひとなので、そういう信頼はある。いつも興味深いのは、その類(たぐい)まれなファッションセンス。作業中だからかはよくわからないけれど、言葉にしがたい、複雑なコーディネートをしていて、それが密かにツボ。昨日も、トップスは派手目なニットで、ボトムスはFILAの、これからテニスでもいくのかな?みたいなパンツをお召しだった。ボードをシェイプしているので、頭のてっぺんから足元までしろい粉にまみれてることがおおい。「おぅ、みもちゃん!」というのも、エアスプレイみたいなやつで、それらをファーっと飛ばすのもだいたいおなじ流れ。シャワーを浴びるみたいな感じで、空気が飛び出すのだ。なんかおもしろい。あれ、ちょっとやってみたいといつもおもっている。ポテンシャルが高いから、おしゃれしたら格好いいのにねえとおもうけれど、ファッションという概念を超越していて、めちゃくちゃおもしろい。真似できないけれど、真似したいかと聞かれたら、真似はしたくない。
最後は逗子の『スワンコーヒー』でお茶。廣瀬(ひろせ)さんも、ちょっぴりおにいさん。もう20年くらいの長い付き合いなので、ダメなところや、本当にダメなところも、いいところも十分しっている。たぶん、お互いに。コーヒーがおいしい。やさしい。性根(しょうね)の好い人。最近カラダがおもいらしい。筋肉痛は2日後だとなげいていた。廣瀬さんは、目の前でオナラできるくらい気楽な人。例えもひどいですね。
みんなと、それぞれに不思議な縁でつながって、今にいたる。しょっちゅう会うわけでもないけれど、つかず離れずいられるのは一番しあわせ。しょっちゅう会いたいわけではないけれど、ふと「会いにいこうかなあ」と思い出す人と、思い出せずに疎遠になる人がいる。それは決して好き嫌いではないけれど、彼らは間違いなく前者。つかずはなれず、緩やかに。そういうのが、いちばんいい。
2024/12/17
わたしの、ステイ・ゴールド
休日は、できる限り両親のところにいきたいとおもっている。おもっていても用事や家族を含めた体調など、いけない時もあるけれど、なるべく。都内にいく時は、娘を送り出してわりとすぐ、わたしも家をでる。まずは新宿で下車。BERGで朝食と昼食をまとめて食べて、杉並区へ。母と近くをお散歩したり、ランチの時間を一緒に過ごす。年はとったけれどまだまだのんびり(もともとのんびりした性格だが)と元気で、父の話をあれこれしては、ゲラゲラ笑う。さまざまなサービスがあって快適そうな暮らしなので、安心。母とバイバイして、次は新宿区。父に会いにいく。すっかり歳をとったけれど、会えるとうれしい。昨日はスマホからいろいろなジャズを流す。オスカー・ピーターソンの『オール・オブ・ミー』とか、ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』とか。わたしが覚えている、父の車でなんども聞いたような定番曲をかけると、ふむふむとうなずき、リズムに乗って首をたてにふっていた。ジャズを聴くときの、父の昔からの仕草。中でも一番反応して、アーティスト名を口にしたのは「ケニー・ドリュー・トリオ」だったので、昨日はしばらくかける。スピーカーに命をかけていた父なので、スマホのスピーカーじゃ嫌だろう。次回はBluetoothのスピーカーをかならず持ってこよう。マーシャルズの買おうかなあ、なんておもったりしながらジャズを聴く。いい環境にいられて、ほんとうによかった。ケアしてくださること、ただただ頭が下がる。父にバイバイして、新大久保を抜けて、歌舞伎町をあるく。ニュースでよく見るトー横キッズの真横をとおる。声をかけられるのを待っているような女の子が、退屈そうに立っていた。そのすぐそばを、自転車に乗った警察官がふたり。ここの警察官、たいへんだろうなあ、なんて思いながらぶらぶら。以前、歌舞伎町の中にあるスポーツクラブにいっていたことがあり、懐かしくなって建物をみてみると、まだ健在だった。でもあんまり活気はない感じ。バイトしていた店が入っていた建物も健在、よく飲みにいっていた炉端焼きのお店はまだあるのかなあと、懐かしく歩く。夕方に差し掛かって、西陽が新宿を照らしていく。
たまたま聴いてたのはスティービー・ワンダーのライブ版アルバムで、ちょうど『ステイ・ゴールド』が流れていた。じぶんにとってのステイ・ゴールドは、今住む街の、海に沈む美しいサンセットではなく、こういう風景なのかもなあ、としみじみおもう。ロマンティックではない感じ。トラブルが勃発しまくっていた(主に父と次女)体をはったコントのような実家での日々、風変わりな家族ではあったが、枯渇することのない愛情に包まれた日々、そういうものを思い出す。いろいろなことがあったけれど、今の兄や姉との関係は、両親の教育の賜物(たまもの)だと、ある方に言われた。そうかもしれない。みんなで何度も顔を合わせては話し合い、両親のためにできることを、できる人が、一生懸命力を合わせてしてきた。ここ何年も、もうずっとそう。そのまま、新宿のDUGまで歩く。父の代わりにビールを呑んで、ジャズを聴いて。父がもうできないことは、わたしが代わりに。そこに悲しみや憂いは一切ない。それは父のおかげ。もともと「いいなあ」とか言わない人だから、「おう、やれやれ!」とか「 いきたいんだろ? いけよ」とかいうに決まっているのだ。オレ様が一番、それでいい。それは父が体現し、教えてくれたことの一つ。江戸っ子なので、口は悪いけれど、根はやさしい。今となっては口の悪さもどこに置き忘れたのかすっかり消えて、いつでもやさしい顔をしている。パパ、だいすきだよ。
2024/12/16
looking for the full moon
先週は葉山のワークショップ時代をともに過ごした仲間にたくさんあった一週間。20代の頃からの付き合いなので、もう20年ほど。お互いに歳をとったけれど、ほこらしいのは、皆がずっといい人であること。それをしみじみと実感するウィークだった。
昨日は東京からおぐちゃんが来店。『DAILY』にスエットを買いにきたらしく、一緒にお店へいく。店番で馬詰さんもたっていて、なごやかに過ごす。みんな、師匠の永井宏(ながい・ひろし)さんがつないでくれた。やさしさや誠実さがずっと変わらないことは容易ではないので、その尊さをおもう。「満月で月がきれいだから、階段のぼってみておいで!」と馬詰さんがいうので、おぐちゃんと一緒に屋上にあがる。由比ヶ浜から徒歩でもどってきたおぐちゃんが、「あっちにみえたよ」という方向を二人で見えると、月は見えない。「みえないねえ」、「みえないねえ」と言いあって、下に降りようと振り返ると、そこにはピカピカと光った満月がみえた。「どういう方向感覚してんのよ!」と言うわたしもわたしで、なにも疑わずに西の空を見上げていた。その後店を閉めて、ふたりで歩いでディモンシュにいき、コーヒーと甘いもの。おぐちゃん、テーブルの上の水をよけて、ウェットティッシュもよけて、スマホでお写真。お写真を撮るのがおそいのも変わらない。変わらないってすごい。この歳になるとじぶんも含めて、年老いてきた親のことに関する話題をあちこちで耳にする。数年前からその渦中にいるわたしは、限られた友人にしか、そのことを話さなかった。隠していた訳ではいが、聞いてたのしい話ではないし、なによりも、身に降りかからないとわからない話だから。それに、親のプライベートでもある。そこを大切にしたかった。そんな中、おぐちゃんにはすこし、LINEで弱音をはいたことがあった。なぜおぐちゃんだったのかはわからない。けれど、東京から湘南に戻る電車の中で、いろいろな変化に気持ちがついていけず、疲弊もしていて、涙がこぼれておぐちゃんに連絡をしたのだった。そのときおぐちゃんは「ことりさんはえらいよ、ちゃんとむきあっていて」と返事をくれた。その言葉がどれだけわたしの胸をうちうれしかったか、おぐちゃんはきっと知らない。わたしたちは言葉を綴ることをワークショップで学んできた仲間。だから、お互いの言葉を信じられるし、届けられる。昨日もお互いの家族のはなしをあれこれして、「歳をとるとは」みたいな話をした。
ディモンシュの壁には数枚のTシャツがかかっていた。ふたりで「あれ、いいよね」とはなしていた一枚があり、その下には説明らしきキャプションがついていた。「あの字がもう読めない」と、お互いの老眼について語る。「月も見えないわたしたちにあの文字は読めない」とウケる。「朝に目がかすむ」とおぐちゃん。「夕方に目がかすむ」とわたし。「夕方もかすむ」とおぐちゃん。「ずっとかすんでんじゃん!」と笑う。似たようなネイビーのスエットを着たおじさんとおばさんは仲良し。目がかすんでいるおじさんとおばさん。コーヒーをすすって、甘いものをつつきあうおじさんとおばさん。気がついたら、あっという間におじいさんとおばあさんになっているのだろう。目がかすむ、耳がとおい、月はどこだといいながら。
2024/12/12
不安定と失敗の先に
『SAUCE』には三人の料理人がいる。女性が一人、ご夫婦が一組(ひとくみ)。そして、NさんとMちゃんの二人三脚チーム。前述のふたりは、おそらくわたしと世代もそう遠からず。育ってきた時代がおなじだし、感覚的に「うん、そうだよね」みたいな双方の理解は比較的容易。互いの辞書には共通の単語とその言葉の持つ意味、説明が記述されている。当然、仕事はスムーズ。いっぽうのNさんはレジェンドクラスのお年で、腕前ももちろんレジェンド。バブル時代を過ごしてこられた人で、お店をやったり、お店を閉じたり、またお店をやったり、いろんな時代に、いろんな土地で仕事をつくってきた様子。一見静かで控えめな雰囲気をまとっているので、オシャレが好きな、寡黙な料理人なのかとおもっていた。その予想は、あっさりとくつがえされた。一緒に仕事をして数日でわかったが、Nさんは自覚のない、根っからの『ザ・アーティスト』だった。様々なことが破天荒で、だいぶとおくのほうで、自由気ままにとんでいる。糸が切れたあとの風船みたいに、風にのって気持ちよさそうに空を泳いでいる感じ。最初は驚くこともあったけれど、これは波なんだと、波乗りなんだととらえることにした。デカい波、乗りやすい波、おばけセットで次々やってくる波、さまざまな波を上手に波乗りしたらいい。そうマインドを変えたら、俄然たのしくなってきた。
売れるものを、売り切れるだろう数を予想してつくる。という概念よりも先に「つくりたいものをつくる」、という思想が根底にあるのだと想像する。ブランディング、マーケティング、フォーキャストはいま、いずこ。「美味しいものをつくる」というまっすぐな情熱、探究心たるや言葉にするのはとうてい難しい。お米の研ぎかた、浸水の仕方、炊き方ひとつ、前日からこだわりまくっていると後輩のMちゃん(おなじ和光生だった)が言っていた。お店は10時オープンなのだが、納品がそこに間に合うことはあったり、なかったり、なかったり、なかったり。Nさんは出来立てをバイクで運んでくる。一便、二便、三便と、往復の回数はその日による。まれに13時をすぎることもあり、売る側のわたしとしてプレッシャーだが、売るプロなので、そこは腕の見せ所でもある。個人的には鎌倉の内田裕也なんだとおもっている。生き様がロックンローラーなので、角度を変えて眺めると、すべてのことがほんとに愉快。見るからにロックならわかるのだが、一見わからない。そのギャップがいちばんおもしろい。昨日は、搬入を終えたNさんとしばらく談笑。わたしが買った、業務用アイロンのはなしをしていていた。「高かったけれど思い切って買ったんですよ」というと、「みもちゃん、仕事道具は大事だよ」とNさん。確かにそうなのだ。手にした分、当たり前だが売上を増やさなきゃいけない。「売上をあげるには、同じものを縫い続けるのがいちばん効率いいし、安定的だし、収入も増えるんですけどね」とわたし。「そうなんだよね、でもあきちゃうよねえ」とNさん。「そうなんですよねえ」とわたし。うっかり意気投合してしまった。「たいへんだけど、どうしたらうまくいくかなって、かんがえてかんがえて、それが当たったときがいちばんたのしいよ」とNさんは言った。その景色は、失敗の連続の先にしか見えないのだろう。それはいま、わたしが請け負いはじめた縫製の仕事にも通じる。収入は不安定だけれど、今はじぶんの仕事が好ましいし、喜ばしい。そして、誇らしい。先日のトークイベントでインタビュイーの丘広大(おか・こうだい)さんが、『好ましい、喜ばしい、誇らしい』その三つが大事なんだと言っていた。コーチングの仕事を生業(なりわい)にしている丘さんの言葉には説得力があったし、一番響いた言葉だった。「誇らしい」が何よりも大事なのだと。この仕事、この生き方、この選択は誇らしいのか。常にそう考えて生きていくことで、悩みはあっても迷いは減っていくような気がする。いいときにいい話を聞けたし、いいときにNさんにも出会うことができた。ギフトというよりは、偶然にちかい感じがする。たとえば夕方に散歩をしていたら、たまたま美しいサンセットが目に飛び込んできたような。驚きと感動のふつたが、同時に身体感覚に飛び込んできた、みたいなやつにすごく似ている。
2024/12/11
わたしとあなたの普通のちがい
レンバイの『SAUCE』の仕事をはじめてから、料理人との異業種交流をたのしんでいる。そして、驚いている。
日々ちがう食材をつかって、様々な料理を運んでくる彼ら。そのほとんどは真似ができないとおもうものばかりだが、ごくまれに、「やってみようかな」とおもう料理がある。例えば『仕出し屋 満(まん)』のれいちゃんがつくってきた『絹揚げと小松菜のおひたし』。おいしかったので手順を聞いたら、「かんだんだよ、絹揚げをフライパンで1時間焼いて…」と聞いて、「はい、ムリです」とおもった。料理人達に何時からつくっているのかと聞くと、彼らは3時や4時から、普通につくっているという。タイパンツ作家のわたしにとって、それはとんでもないことだ。やってすらいないが、聞いただけで萎える。まぶたがくっつきそう。『YUGE』のナベさんと一緒に仕事をしているMちゃんがつくる副菜の一つ、『カブのうま煮』が名前のごとくほんとうにうまかったので、やっぱり作り方を聞いた。すると「カブを一晩干して…」という。洗濯物を干すのもきらいなわたしがカブを干す?しかも一晩!?外干しですか、部屋干しですか。どっちにしても、だいきらい。ガス乾燥機カンタくんがほしいんです。売上精算は週締めでおこなう。料理人、雑貨担当など、各関係者に支払いをする。その際に集金袋をつかうのだ。オーナーから引き継いだとき、ビニールのジッパーがついた袋でそれはおこなわれていた。全然構わなかったのだが、暇だったし、集金袋を布でつくってみた。ちょうど生地が痛んできたじぶんのタイパンツがあったので、それをつかって7人分、7つ。たまたま、全員の屋号や名前がちがったので、彼らの頭文字のイニシャルを、ミシンで縫った。普通の、ジッパーがついた簡単なつくりのやつ。それを手渡したとき、「え!これつくったの。すごすぎる!」と皆が一様にほめてくれた。かわいすぎるかなとおもったイニシャルは、手刺繍だと甘い感じだから、ミシンで文字を描いた。それも大変好評だった。
わたしの簡単と、あなたの簡単。わたしの普通と、あなたの普通。そこには大きな川が流れていて、想像以上のへだたりがあるようだ。目にみえないし触れられないから、表現しないとわからない。形にしてみせることで、はじめてそれを知ることができる。発見と驚きと、よろこびのようなものがあちらこちらに散らばっているSAUCEの仕事。「やったことないから遠慮します」と言っていた三ヶ月前のじぶんに、そっと耳元で教えてあげられたらよかった。「おもしろいことがまってるよ」、「じぶんのこと、もっとほめていいって彼らがおしえてくれるよ」と。この仕事もあと通算、15日。まだ終わってはいないけど、たのしかった。ありがとう。その恩返しができるような仕事を、今日も。
2024/12/10
交換
コロナになった娘と夫、パジャマでごろごろしているうちにすっかり元気になった様子。二匹の猫のようにじゃれあっている。わたしは無事コロナにはならず、今回のアンカーは夫。見事にゴールテープをきった。ナイスランでした。「ママ、マック食べたい」と娘、「ビールのみたい」と夫。どちらももう少し待ちなさいとたしなめて、わたしだけビール。
昨日はスワンコーヒーで友人のトークイベント。「やりなよ、やりなよ」と吹っ掛けたのはわたしで、ふたりが本当にやってくれて、そのアクションがうれしかった。「『一回やったら続けないと』って師匠はいっていたよね」と言い残して去ったので、次もきっと。月と火しか休みがない今だけれど、そこの時間で仕事のミシンを踏んでいる。集中して縫うので途中に休憩が必要。夕方は鎌倉のサハンへ。家族の事情で2ヶ月ほど店を休みにしていたが、ようやくお店を再開した店主。先週先々週と、SAUCEにも来てくれた。そのときは、お腹に力が足りないような顔をしていてすこし心配していたけれど、昨日はずいぶん元気そうな表情をしていた。よかった。仕事をしていたほうが元気な人なのかもしれない。「死ぬまで働いたほうがいいのかもよ〜」と笑う。
そのことを帰宅してから娘に伝えると、「これまでお客さんにしてきたことが、かえってきてるんじゃない?」といっていた。パジャマでゴロゴロしている割には、ずいぶん大人みたいなこというじゃない。でも、確かにそうなのかもしれない。交換だからね、すべてのエネルギーは。
2024/12/09
チョウチュウリキ(長州力)ではなく
親しい人にははなしていたが、昨年2023年は、2025年に向けたおおきな計画をくわだてていた。言い出したのはもちろんわたし。家族総出の大々的なプランで、それを成し遂げるにはどうしたらいいか、あの手この手で策を練っていた。これまで数々の失敗をしてきたけれど、そのほとんどは計画性のなさが原因で、いつでも行動が先走っていたわたし。その度に夫からは「考えたの?」と叱れる。「中長期計画をたてないからだよ」と耳にタコができるほどいわれてきた。今度こそ失敗は許されないと、ない知恵を絞って絞って、あれこれ計画。先をみて、計画。想像しては、また計画。結果からいうと、ぜんぶうまくいかなった。そのことにひどく落ち込んだし、立ち直るのには、そうとうな時間がかかった。
20代くらいの若いころは、「やってみたい、いってみたい!」の気持ちからタッチアンドゴーですぐにトライ。「やってみた、いってみた!」で完結していた。こどももいなかったし、なにより若い。わたしが若いと言うことは、当たり前だが親も若い。みんな元気。そういうフェーズだった。湘南をはなれて、家族で住む場所をおおきく変える予定で動いていた。それに向けて本気で動いていたけれど、体もメンタルも強烈なブレーキがかかり、結果的には「いまじゃない」という答えをだした。年老いてきた親のこと、親を支える兄弟姉妹のこと。ときにケンカもするけれど、やさしい兄や姉を置いて、自分だけ夢に向かって遠くに動くこと、それはほんとうにいまなのか。冷静になったら「きっと後悔するだろうな」、とおもった。それで、夢はもうすこし先延ばしにすることを決めた。夢は夢で確かにとっておいて、娘が巣立つであろう10年後くらいでもいいかな、とおもったらストンと気持ちが落ち着いて。10年後、親が健在かなんてわからない。そうおもったら、今の優先順位は親や兄弟のほうが上だった。そのことに気がつけた。だからよかったのだ。だいぶ、まわり道をしたけれど。
中長期計画。言葉にするたびうまく言えなくて、チョウチュウキと言ってしまったりして、人にいう時はゆーっくり、チュ、ウ、チョ、ウ、キ、と口にした。そのうち長州力のかわいいバージョンみたいな『チョウチュウリキ』なら言えるのに、と脱線してニヤけてしまう始末。わたしと20年連れ添ってくれている忍耐強い夫は、近ごろ「みもちゃんはなにも考えなくていいんだよ。とりあえずやって、あとは軌道修正するから」という。夫は長州力(ちょうしゅうりき)でも、チョウチュウリキでもなく、中長期計画がだいすき。わたしはそれを、無自覚にいくどもぶちこわしているらしいけれど、夫はそれを立て直すのも得意。
夫とわたしは、真逆な性格。だけれど、いつでも同じ夢をみている。同じ船にたしかに乗っていて、わたしは舵を握り、夫はセイルをあげたりさげたりしている。「舵をきる、すすむぞー!」といったはずの航路をいきなりかえて、ごめんなさい。そうやってあやまることはかんたんだけど、この性格、たぶんなおらないんです。だからごめんなさいの代わりに、ありがとうって先にいっておくよ。
2024/12/08
ミツデス
先週のことだったか、ふと娘に「『密です。三密です』ってなつかしくない?」とわたし。娘も「『ソーシャルディスタンス!』っていうのもあったよね」と。「もう死語なのかなぁ」なんてはなしていた。それから数日、親子で不意に「密です!」とかいっては、意味もなくゲラゲラうけていた。
昨日の朝、娘が突然に39℃近い発熱。クラスでインフルエンザが流行っているときいていたので、「もらっちゃったかぁ」とあきらめの気持ち。仕事のわたしに代わり夫が耳鼻科につれていくと、「はい、コロナ陽性です」とのこと。言霊(ことだま)ってほんとうなのか、あまりにもタイムリーすぎると親子でびびる。厳戒態勢で隔離したいが、なんといっても我が家はワンルーム。しかも、昨今わたくしのミシンコーナーが面積をひろげてきたため、昨秋から家族なかよく三段ベットで寝ているのだ。ミツデス。せめてマスクだけでもと装着して、昨晩は早々に就寝。そして今朝、夫が39℃の発熱。とりあえず、夫を救急病院へ送迎。その後、自転車に乗り換えてギリギリアウトの、すこしおくれてお店オープン。朝からやりきった感。夫はコロナもインフルエンザも陰性だったが、症状がおなじすぎるのできっとコロナだろう。こうなると、たいていは受け取りたくないバトンをわたされる。わたしがリレーのアンカー状態になるのだが、いまのところは元気印。言葉を声に出すって、ものすごい力なのかもしれない。家にかえるのがこわい。帰ったらミツナンデス。ワンルームナンデス。
2024/12/06
夏の終わりのあの頃は
今年の夏はまだまだくたびれていて、家でゆっくりしていることがおおかった。パジャマのような私服をパジャマにして寝て、起きるとパジャマのような私服でそのままダラダラと過ごす。とりあえずエアコン。暑かったし、エアコンがわたしのおともだち。そんな日々を過ごしていた8月の終わりのある日、先輩からLINE。「来月から週3か週4で、バイトできないかな?」と書かれてあった。なんのバイトですかと質問すると、レンバイの中で飲食の仕事だという。気乗りしないな、ことわろうとすぐに決めた。返事の内容を数日かんがえて、理由を丁寧に書いた。以前の職場にちかいし、正直なところあまり顔をあわせたくない人もいること、飲食は経験がないから遠慮します、声をかけてくれてありがとうございました、と書いて送信。ほっとした。
わたしは忙しいのだ。エアコンの効いた部屋でネットフリックスをみなければいけないし、エアコンの効いた部屋でリングフィットアドベンチャーもしなければいけない。夕方になったら毎日スーパーにいって、お買いものをしなくてはいけないんだもの。これで一安心。先輩からの返信には「いろいろかんがえてくれてありがとう」と書いてあった。「了解」と書いていないことに一抹の不安はあったが、「ああ、よかった」と胸をなでおろした。そうして2週間ほどたったころ、朝の7時頃に先輩から再びLINEがきた。「いまからお茶しない?」とのこと。ずいぶん朝早いなとおもいつつも待ち合わせのカフェにいくと、「みもちゃん、やっぱりバイトしてくれない?」とのことだった。えー、いやだ。でも二度は断ににくい。どうしよう、でもいやだ。会いたくない人もいるんだもん、痛かった思い出がまだまだ怖いんだもの。イヤなことは、いつでも即刻逃げてきたこのわたくし。イヤだイヤだ。わたしはメールに書いたことを、もう一度口頭でつたえた。すると先輩はわかってくれるどころか、「みもちゃん、逃げないで克服したほうがいい!」と一言。自分もそういう経験があったけれど、このままではいけないと決めて行動したことがあると、過去の経験をはなしてくれた。退社して8ヶ月くらい、長く在籍したのにあんまりじょうずに退社できなかった。「じょうずな退社」ってなんだ。「円満な離婚」みたいなニュアンス。そんなことを期待していたじぶんも気持ちがわるいが、とにかくいろんな気持ちを引きずって、毎日がとてもしんどかった。でも、いつまでもこの生活が続いていくことにも、さすがにうんざりしていたのは確かだった。先輩の話を聞くに、先輩はあきらかに困っている様子だったし、これまでもたくさんお世話になっているので、「やってみます」と返事をした。帰宅して夫にそのことを伝えると「その話だとおもったよ。よっぽど困っているんだよ。困っている人は助けないと。みもちゃんはお世話になっているんだし」と言われた。
そんな経緯ではじまった、正確にははじまってしまった、SAUCEの仕事。事前にSAUCEのオーナーと数時間の引き継ぎをしたのち、初日からひとりだったので、レジも商品のこともわけがわからず、次々とお客さんはくるし、鍵を閉めて脱走したいくらいで、終わるとぐったりであった。閉店後に先輩がやってきて、「大丈夫だった?」と聞かれたので「つかれました。あと三ヶ月だとおもってがんばります…」といってしょんぼり帰宅。なんで引き受けちゃったんだ、だからイヤだったのに。そうして翌日、また翌日とくるうちに、「うーん、デイスプレイはもっとこうしたほうがいいのでは」とか「こうしたほうがもっと売れるのでは」など、自然にかんがえて手を動かしている自分がいた。あれ、うっかりやる気がでちゃってる、自分がいちばんびっくりした。
料理人たちも、彗星(すいせい)のごとく現れたわたしのことを、どうおもっているんだろう。自分の作品(料理)をまかせる相手がどんな人かもわからない。そのことに心配をしていないかな、と感じた。翌日、自分の著書の『Sunny SIde』を全員にわたした。Sunny SIdeはわたしのこれまでの仕事、性格、思考、そういうものをありのままに書いたので、最速で知ってもらう名刺がわりになればとおもったのだ。そうして、みなさんとの距離も日をおうごとに近くなり、それぞれの性格、仕事の仕方も理解し、足りないところはおぎなったり、こうしたらもっと売れるのではないでしょうかと伝えたりして、日々の売上を上げることに全力投球する毎日。あっという間に時間は過ぎて、この仕事もあと数週間でいったんおしまい。
イヤだイヤだと、大人のイヤイヤ期をやり過ごして乗り越えられたことは、おおきな自信になった。イヤだなとおもっていた前職での苦い思い出よりも、再会して喜べる人の数のなんとおおかったことか。いいこと、よかったことにも全部ふたをしていたのは自分のほうで、やっと前を向けた気分。ちいさな場所と、本の力もおおきい。本をつくってほんとうによかった。こういう経験を誰かにパスできるような大人になりたい。さて、そろそろ出勤のお時間です。今日は売れるかな、今日も売れますように。
2024/12/04
マイ・ライフ・イズ・ノープラン
昨日仕事で縫っていたものは、苦手なシフォン素材をひたすらに。その後は厚めのコットン、インドのもの。それぞれに適したアイロンの温度があり、シフォンは縮まないように低温で当てる。その温度のまま厚手のコットンに移行すると、アイロンがビシっと決まらない。スチームの量も調整する。針もしかりで、それぞれに適した太さがあるのだ。料理人が包丁を変えたり、鍋を変えるのとおなじようなことなのかな。
こどもの頃からミシンが好きだった。家族で、わたしだけ。それがここまできた感じ。仕事として考えたとき、いちばん得意なのは接客業だろう。なんでも売れるわけではないけれど、いいな、好きだな、と思ったものには誠心誠意、伝えることはできる。それは呼吸をするように無意識にできる。話を切り出すタイミングも、ニーズを読み取るのもわりと得意。いそがしさをさばいていくのも波乗りみたいでたのしい。なにより、ものを売るのが好き。今のSAUCEの仕事でも、それを実感する。ミシンはその次。好きだけど、だからといっておなじものを工場で永遠に縫うとか、言われた通りに縫うとか、そういうことはとても苦手。飽きてしまうし、もっと上手な人がいることもしっている。自分のミシンはクリエイションの延長にあるから、もっとこうしたらどうだろうとか、このほうがかわいくない?とか、アイデアがわいてでてしまう。頼まれた修理に関しても、これはもう手放す時期だと感じたら、それを伝える。モノには寿命があるとおもっているし、これでいいのかなと思いながらミシンを踏んでも、きっとお互いにいいものにならない。「Tシャツが2センチ長いから裾上げしたい」、みたいな感覚はわかる。自分は背が低いし、手足も短いから、トートバッグの持ち手、服の袖、丈、いろんなものが長い。そのまま着ても不自由ではないけれど、たいていは直す。トートバッグは持ち手が長ければ、はずして3センチカットして縫い直したりする。違和感が気持ち悪いのだ。
自分にとって仕事は、自然にめぐってきたこと、声をかけてもらったことがたぶんすべて。それが、すこしでも誰かの役に立てたり、笑顔をうむことができたなら。若い頃から目標に向かった結果、今の仕事がある人もたくさんいるとおもう。その生き方には尊敬しかないが、自分にはその才能がなかった。やってみたけれど、うまくできなかった。その繰り返しで、47歳になった。消去法でいまに至るけれど、それもまた人生なのだ。
今日もこれからレンバイのSAUCEへ出勤。鍵をあけて、まずは好きな音楽をかける。レジ金の準備、掃除などをしていると料理人がやってきて、お弁当を並べる。この仕事のスタイル、空間のサイズが自分には合っていると知ることができた。それだけでもう十分な収穫と発見だった。その上お金をいただくわけで、誠実な仕事をしないとと、あらためておもう。12月、あっという間にファイナルマンス。「終わったら、次はなにするの?」と聞かれることもあるけれど、答えはもちろんノープランです。
2024/12/03
大切なのは今なんだよ
月曜日の午前中は、休日だが事務作業がある。主には週締めの精算作業。ギャラリーの運営をしていたとき、企画展の後に同じ作業をしていた。あの経験がまさかのここでいきるとは。人生に無駄なことはないと聞いたことがあるが、本当なのかもしれない。その後は耳鼻科へ。先週は鼻、喉、耳と不調が続き、代わりがいない仕事なのでなんとか乗り切り、やっと受診。診断は副鼻腔炎(ふくびくうえん)だった。娘がちいさなころ、つかれると度々かかっていた副鼻腔炎。今は右耳が詰まったかんじ。薬をもらって帰宅。
午後、自宅にMちゃんがきてくれた。SAUCEで知り合った料理人のMちゃん。現在は逗子市に在住だが、もともと実家は町田市だったと聞き、「わたし、町田にある和光って学校にかよってたんだよー」と話す。すると驚愕した表情のMちゃん、「え!わたしも和光です!」とのこと。まさかの後輩であった。どうりで気が合うはず。運命を感じる。昨日は料理の撮影があったそうで、Mちゃんがつくったお弁当をもってきてくれた。先日、Mちゃんがつくったチマキがものすごく美味しかったので、お弁当も楽しみにしていた。しかし、よりによって先輩はこのタイミングで副鼻腔炎に。せっかくのお弁当、味がぼんやりとしか届かず、申し訳なかった。Mちゃんと話していると笑いの神様が降臨することが多々ある。後輩の真面目な話を聞いているはずが、先輩はいつもふざけた回答が頭に浮かんでしまい、笑いに落とし込みがち。なんの参考にもなっていないと思うが、人の意見はそこまで参考にしなくてもいい。自分はどうおもうか、自分はどうしたいか、そこに真実がある。先輩が言えることがあるとすれば、元気がないとき、大きな決断をしないこと。そのくらいなもの。
Mちゃんと別れて、夕方は娘の小学校で最後の個人面談。ちいさな小学校で2クラスしかなく、担任の先生が娘をみてくれたのはこれが2回か、3回目(忘れてしまった)。かけているメガネや着ている服、バランスが全体的に良くて似合うものを身につけいている男性。くるっとした髪の毛は天然ではなく、おしゃれパーマをかけているらしい、と娘がいっていた。教室にはいるとクリスマスソングスのジャズバージョンが、PCからちいさく流れていた。「先生、今日はラウンジ風ですねえ」というと「ポップスとか、他にもいろいろありますよ」と先生。
「気になっていることはありますか?」と聞かれ、「ありません」と答えるのもいつものこと。先生には感謝しかないです、これまでありがとうと伝える。あとは我が家のくだらない話がほとんど。先生はずっとウケていた。最後は、根っからの営業マン気質なので、SAUCEの話をして「先生も来てくださいよ」というと、「土日もやってるんですね、いきます!」といってくれた。鎌倉在住らしいし、あの先生ならきっと来てくれるはず。
昨日、小学校の正門玄関をはいってすぐの壁に、生徒が毛筆で書いた書が一枚、大きく貼られていた。
「大切なのは今なんだよ」
10月の運動会で学校をおとずれたときも、それは貼られていたので、きっとずっと貼ってあるのだろう。こどもたちが登校するたびに、風景として当たり前に目にする場所。その紙を、しばらく眺める。涙が込み上げてきそう。こどもにはかなわないなあと、あらためて。先のことを考えたり、先まわりして転ばないように備えたり、情報をあつめたり。過去を振りかえっては「もっとああしておけばよかった」とか、ついつい大人は考えがちだけれど、一体いつからそんなふうになったのか。「大切なのは今なんだよ」の気持ちを、どこに置き忘れたのかと、改めて自分自身に問う。
わたしたちが住む、この町はちいさい。だから小学校しかなく、次は人数のおおい中学校へ進学する。多感な時期だしいろいろあるとおもうけれど、原点をわすれませんようにと願う。そんな願いすらも、大人の勝手な願望なのだ。娘の人生は、娘の手が握る舵(かじ)が、その方向を決める。大海原に漕いでいく娘の船。わたしはそれを海上から見守る。わたしはわたしの船に乗って。わたしの人生の舵(かじ)をきれるのも、わたしだけなのだから。