2025/08/29

I’m not a taxi driver

 茶華道部、皮膚科、矯正歯科、友人宅へのお泊まり会、言われるがままに送迎しているうちに8月が終わる。その合間に仕事したりバイトしたり呑みに行ったり、おかあさんもいそがしい夏。

昨日は数年ぶりに<en plus(オンプリュ)>の中島志保(なかじま・しほ)さんが我が家へ。仕事で来てくれたのだが、積もる話がありすぎて2時間以上話す。お互いに子育てをしながら仕事をしていて、出会ったのは15年以上前、表参道の、<Zakka>で知り合った。すごく親しくしているわけではないけれど、会うとなんでも話せる感じ。海外に住んでいる友人、みたいな感じに近い。志保ちゃんはアフリカ・ケニアに出向いて現地のものづくりに力を注いだり、製品を仕入れて日本で販売するなど、かなりパワフルに活動をしている。見た目の線が細いし一見わかりにくいが、めちゃくちゃパワフルなウーマン。布を選んで仕入れさせてもらった。また次いつ会うかわからないけれど、同じ市内住んでいるわたしたち。彼女はマウンテンサイド、わたしはビーチサイドなので、バッタリとかはない。
夜は先輩と由比ヶ浜の回転寿司へ。家が近いので、駅までいかない近いところで呑もうとなり、わたくしの提案でお気に入りの回転寿司へ。たまたまボックスシートに座れたこともあり、腰を据えて呑む。だし巻き卵、サラダ、唐揚げ、カリフォルニアロール、寿司などをつまみながら、あれこれ3時間くらい話す。「次なに呑みます?」と聞きながら、じぶんの呑みものだけ選ぶと、さっさと注文のボタンを押す後輩。「あ、おくっちゃった!」と笑う。そんな感じでご機嫌さん。どのくらいのご機嫌さんレベルだったかというと、席を立って数歩歩き出すまで、左右のビーサンを履き間違えていることに気が付かなかったくらい。で、今日はちょっとだけお酒が残っている朝。午後は海へいこうか、プールへいこうか。夏なんです。

2025/08/28

わすれがたき、故郷(ふるさと)

 宿題のラストスパートを、鬼の形相でやっつけている娘。彼女がPCを占領しているので、こちらはあまり使えない。チャットGPTに質問したり、レポートを書いたり、なんだか大忙しの様子。そんな中、昨日は息抜きを兼ねてお出かけ。当初の予定では家族で横浜スタジアムで野球観戦だったのだが、チケットが売り切れていたため、バッティングセンターからのお風呂にコース変更。友人のMちゃんも一緒に。

お風呂好きのわたしが暫定一位だとおもっている歌舞伎町の<テルマー湯>は、中学生以上から入れるので、昨日娘はついにデビュー。その前にバッティングセンターにも行ってみたいというので、近くの<新宿バッティングセンター>へ。テルマー湯の裏手の、区役所通り(新宿区は区役所が歌舞伎町にある)を進んでいくとあるのだが、娘は「こわーい、ママのふるさとこわーい」と言いながら歩いていた。ホストクラブの看板とか、キャバクラのおねえちゃんの巨大な看板とか、結構引き気味だった(笑)。新宿区を離れてみると、たしかに変なところにお役所があるし、薄汚れているエリアもあるし、引いてみると「あらあら」とはおもうが、やっぱり故郷は故郷。しかし、普段湘南の海沿いでのんびり暮らしている娘には、刺激強めだったのかも知れぬ。
都会で育つと、特殊な危機管理能力が備わるもので、危険を察知すると「これはやばいな」というセンサーが働く。少なくとも、わたしはそう。たとえ酔っていても、空気で「あれ?」とわかる。このセンサーは結構海外でも役に立つので、故郷に感謝している。夫はわたしのセンサーをいつも褒めてくれるのだが、娘のことは「天然素材だから心配」と今朝も言っていた。気づけば日本はずいぶんと貧しくなって治安が悪くなってしまった。連日のニュースには耳を塞ぎたくなるものばかりだ。もちろん日本だけではなく、どこにいても身を守って生きていかねばならず、親になるとじぶん以外の小さな命に対しても、考えることがおおい。今朝もそんな話を夫としていて、「銀座とかキラキラしたとこだけじゃなくて、歌舞伎町とかも連れていったほうがいいんだよ」とアドバイスしたら、「確かに」と納得していた夫。そこにいる人や街が怖いのではなく、何を怖いとおもうのか、誰がどんな目をして、何を発しているのか、それは本でも映画でもなく、体感するしかない。教会書はないから。娘のことが心配で心配でしょうがない夫、わたしはそんな夫が心配であります。かわいい子には、旅をさせるしかないのだ。その前に、光も闇もみて視野を広げておくべし。かわいいかわいい、我々の雛鳥。

2025/08/25

ジャクソン・ブラウンを聴きながら

 アップルミュージックを立ち上げたら、ジャクソン・ブラウンの『ジャマイカ・セイ・ユー・ウィル』がかかった。曲を指定したわけではないのですこしびっくり。なんとなく、選曲したのは昨日お墓参りにいったIさんかも知れないと、そんな気がしてならなかった。イントロからうつくしくて、胸に余韻を残すメロディと歌詞。

Iさんは某ラジオ局のディレクターをしていて、わたしと夫が湘南に引っ越してわりとすぐに、ラジオの取材で連絡をくれた。見た目がとても格好いい人で、家まで取材に来てくださったのがはじめまして。当時のIさんはメルセデスの2シーターに乗っていた。その日は強めの雨が降っていた。取材が終わり、わたしと夫が傘をさして駐車場までお見送りをしたら、Iさんは運転席の窓をあけて、笑顔で頭を下げた。おろした窓からは、横に降る強い雨が車内に入り込むのが、はっきりと見えた。こんな天気のときでも、あんなふうに挨拶をされる人なんだなと思いながら、Iさんの車をみおくったことがいまでも記憶に残っている。それからもずっとよくしてくれて、お家にお邪魔したり、うちでBBQをしたり、娘が産まれたら抱っこをしてくれたり。音楽もアートも楽器も好きで、ちょっと気難しいところもあったIさん。昨日は奥様のHさんの運転するVolvoで、夫、わたし、娘でお墓参りへ。ランドマークの<シェイク・シャック>で待ち合わせをして、わいわいハンバーガーを食べて、お墓参りをして、<星乃珈琲店>でお茶をして、終始たのしい時間を過ごした。7年という時間がHさんに少しづつ元気を取り戻させてくれたことにくわえて、ここ最近は推し活で忙しそうなHさんをみて、こっちまで推しに感謝したいくらいだ。時間も推しも、Hさんには必要だった。
湘南に引っ越してきてから、『湘南のお姉さん』と慕っている女性が3人いて、Hさんはその一人。Hさんだけではなく、他のふたりのお姉さんも、出会った時から今に至るまで、ずっと同じ仕事をしている。40代前半だったおねえさんたちの歳を、いつのまにかゆうに超えたわたし。お姉さんたちは、当時は20代だったわたしにえらぶることもなく、対等に接してくれたことを、今改めて感謝したい。
あの頃生きていた人が天に召され、その悲しみに涙をする姿も、なかなか立ち直ることがむずかしい姿も、そんなことを口にだして伝えてくれる姿も全てがありのままで美しく、きっとわたしも、そんな道をなぞるようにたどっていくのだろう。人生とは、なんて短い旅なのだろう。その儚(はかな)さをおもうと、胸がいっぱいで苦しくなる。残された者は、故人が生前に残してくれた言葉や振る舞いを抱(いだ)きしめて、生きていく。自分はいったい何を残していくのだろう。願わくば、笑い顔や声だけではなく、むしろ泣き顔や、失敗した姿や、落ち込んだ声、こじらせている姿、そんなものほど置いていけたらとおもう。いい思い出だけでは、あまりに苦しい時がある。「ああいうところがダメな人だったよね」という話は、情けなさを含んだ笑いになる。そんな話こそきっと、残されたもののあしたの笑顔に、力になっていく。

2025/08/23

あー夏休み

 「ストップ・ザ・シーズン・イン・ザ・サン〜」とうたっているわけではない娘だけれど、典型的なティーンの夏休みを満喫している。パジャマでゴロゴロ、寝ながらYouTube、遅めに起きて「ブランチでいいや〜」みたいな感じのエヴリデイ。「あー、宿題やらなくちゃ」と言いながらスマホをいじってニヤリ。のびのびと、のびきったゴムのような夏を過ごしている。贅沢ですねえ。夫がいたら雷が落ちるが、わたしは何もいわない。毎年毎年こんな感じで、8月の終わりが迫ると鬼の形相で課題をやっつけている娘。そういうタイプだったのねと、毎夏更新されていく記録を眺めている。変なところが似てしまったみたいだ。

先日のご祈祷もむなしく、早々に車が入院した。サビには強くても暑さによわかったのか、エンジンのオーバーヒートが懸念されて、検査入院。代車のEKワゴンで帰宅したが、足取りが軽くて、乗ったことはないがバイクみたい。目の前に走っていた、荷台が幌で覆われている軽トラが視界にはいる。一度はあれに乗ってみたいのだが、荷台に乗せるものがおもいつかない。というか、ない。和製ピックアップトラックみたいだな、あー、ハワイいきたいな、と思いながらアクセルを踏んで踏んで、踏み込んで帰宅。
昨日は、近所のママ友が白ワインをもって我が家へ。その前日は別のママ友と鎌倉で飲み会のはしご。どっちも夫も参加、連日酒盛り大会。娘も保育園からしっているママたちなので、酔っ払っていく様子に呆れつつ、おもしろがっていた。幼馴染のママに抱きつかれたりして、娘もそこそこ厄介な夏休み。
娘が中学生になり、夏休みも全体的にかなり楽勝になった。ご飯やっておいてねとか、洗濯物とり入れてたたんでおいてねとか、ちょっと呑んでくるねとか、バイトいってくるねとか、そんな当たり前のことがずっと難しかった。娘も娘で、ひとりでお留守番できる開放感がある様子。昨今の週末は、夫、わたし、娘とそれぞれの予定があって別行動の日もそこそこあり、なんだかとても自由でいい。
小学4年生あたりだったか、娘から自立の芽のようなものが出始めたあたりで、夫が「ぼくたちも週末の趣味をみつけないと、ただたださみしくなっちゃう。みもちゃんもそういう心構えでいたほうがいいよ」みたいなことを言った日があった。そして夫は突然に波乗り熱が復活。寂しさへの危機管理能力のようなものが高いのかも知れない。夫の予言は確かで、その辺りから娘ははっきりと自分の世界を持ち始めた。繋ぎ止めてはいけない自由な羽を得たような感じだった。そのあたりから、週末は娘と別行動が一気に増えた。お金のかかる遊び、おようふくなどのおかいもの、マックやサイゼリアではない、お小遣いだけではいけないレストラン、家族旅行にはニコニコついてくる。三人家族はトライアングル。くっついたらおだんごに、ふたりが遠くにいったら二等辺三角形になってしまう。なるべくきれいな三角形で暮らす、波乗りみたいに足の裏でバランスを意識しながら。

2025/08/21

looking for mother

 昨日は三者面談。娘ははじめての三者面談に緊張をしていた。事前におともだちからも「こんなこと言われるよ」みたいな情報をえた様子で、なおのこと緊張していた。チャットGPTにも相談していたらしい。朝、学校にきていく服を探していたのだがあまりそれっぽいものがなく「おかあさんコスプレ、おかあさんコスプレ、おかあさんをさがせ〜」と言いながら服を選び、娘にみてもらった。「あんまり似合ってないけど、まあいいんじゃない?」と曖昧なオッケー。グレーのトップスにグレーのタイパンツ(スリム)でほんとうに似合っていない感じだったので、母から譲ってもらった『Odile St Germain PARIS(オディール・サンジェルマン・パリ)』のスカーフを首に下げて、おかあさんアイテムのパール(フェイク)のピアスとネックレスをして、髪をピシッと結ぶとあら不思議、そこそこいい感じのおかあさんに。学校へ向かう車の中で「一人目の子とか、一人っこのお母さんはもっと心配するのに、ママってどうしてそうじゃないの? あ、いい意味でね」と微妙に褒められた。「ばあばがそうだったからじゃない? ママは四人目だったから、ばあばは、もう三者面談なんかお手のものだったんだとおもうよ。授業参観なんて、まちがえて違うクラスのみてたからね。子どものクラスなんて覚えられないんだよ、四人もいたら」と返す。それもあるし、やはり娘の人生なわけで、見守るけれど心配はしない。応援はするけれど、決めるのは本人なのだ。誤解を恐れずに言うと「わたしの人生じゃないし」とおもっている。幸せ、成功、夢、絶望、わたしと娘のそれはきっと違う。違っていて普通だから、切り開いていく道を、信頼して応援することしかできない。ひなは雛、親鶏のわたしからは離れていく。

面談は生活面と学習面の二本立て。どっちもそこそこ褒めてもらって、うんうん、よかったねとうなづく。レポートが得意らしく、びっしり書いてくるそうだ。「どうしてそんなに頑張れるの?」と先生が聞くと「え? うーん」みたいな顔をしていた娘。きっと頑張っている意識はなくて、ただ、好きなのだろう。血筋もあるのかもしれない。先生の質問に対して、「小学校のときに放送委員会で、すごくたのしくて、よく原稿を書いたりもしてました」と言っていた。なるほど〜。確かに構成作家ばりに熱心に書いていたし、オンエア自体もとても楽しそうにしていたことを思い出した。「中学校でも放送委員、やってみたら?」と先生に言われると「かたい感じであんまり楽しそうじゃないから」と即答していた。おさない頃から一刀両断(いっとうりょうだん)のばぶちゃん。
小学校の放送委員は何年も続けて立候補していて、音楽を選んだり、リクエスト曲をかけたり、YouTubeからいいタイミンで頭だししたり、そういうことに燃えていた。「声もかわいいし、放送関係とか、声を使う仕事もいいかもね」なんて話していた小学校時代のこと、今年の春にも話していたのに、もうすっかり忘れている自分がほんとうにこわい。三者面談で思い出せた、よかった。茶華道部のはなしにもなった。「おとななんだね、クラスの子とか子どもっぽく感じるんじゃない?」と聞かれていたとき「ふふふ、おもしろいなっておもいます」みたいな当たり障りのない返答をしていた。大人っぽい? そりゃあセンセー、「うちの子、タイムリーパーなんですね」と言いたくてしょうがない気持ちをグッとこらえて、母らしい微笑みを浮かべてみた。それにしても子供って、好きなこと、楽しかったことへの記憶力やエネルギーがすごい。ジャックと豆の木のように、好きな気持ちを空まで伸ばして、突き抜けて生きてほしい。

2025/08/20

積み重ねてきたもの

 今朝、娘に「ママが朝にPCで書く仕事って、どんな仕事なの?」と聞かれた。「ママは、また本をつくりたいっておもったときのために訓練として書いているんだよ」というと「ふーん」と娘。タイパンツや海の家のアルバイトのように、やれば確実にお金が入ってくるものだけが仕事ではないんだよ、とまで説明すると長くなるし、まだ早い気もしたからしなかったが、そうおもっている。ここに書かない時でも、ノートに手書きで日記のようなものを書くことはおおい。「自己研鑽(けんさん)ってやつですね。いきなり本をつくろうとおもっても、文章はかけないからね」とわたし。『自己研鑽』と辞書で調べると『自分自身の能力や知識を向上させるために、主体的に努力する取り組みのこと。「研鑽」は、学問などを深くきわめるという意味を持つため、自己研鑽は自分自身を鍛え、スキルや知識を磨き深めることを指す』とあった。まさにである。

命がある限り、詩のような言葉を文章として綴りたいし、言葉として声に出して発したいと、常に思っている。空の青、海の青をどんなふうに表現するのか、例えて伝えていくのか。それは自分自身が正直で、誠実であるため。なるべく感性に忠実であるために、研鑽している。そんな振り返りの今朝。
昨日は、帰省から戻った<sahan>のみーやんのリクエストで<カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ>へ。「つかれた〜」と、おおかた想像とおりに愚痴っていたが、根がおもしろ気質のみーやんなので、いろいろ突っ込むと、負けじと応戦してきて結果的にたのしいランチ。みーやんとわたしは、20代の終わりに美術作家の永井宏(ながい・ひろし)さんが葉山・一色海岸のアトリエでおこなっていたワークショップで出会った。永井さんを通じて今の仕事をつくってきた人は湘南におおい。ディモンシュのマスター、堀内さんもそのひとり。みーやんは、関西に住んでいた若かりし当時、鎌倉に遊びにきて(憧れのお店のマスターだったのかな?)堀内さんに「写真を撮ってください」と言って、ツーショット写真を撮ってもらったことがあるそうだ。かわいいがすぎる。そんな堀内さんと、昨日はフランクにいろいろな話をしていた。その姿を眺めながら、鎌倉で飲食店をいとなむ彼女が積み上げてきたもの、キツイときにも歯を食いしばって続けてきたこと、息抜きにディモンシュへ通ったのであろう時間の尊さを思うと、なんだか込み上げてくるものがあった。
みーやんと別れて、急いで帰宅。午後は、夏休み中の『DAILY』の馬詰さんがうちにやってきた。馬詰さんも永井さんの古くからの知り合いで、紹介してくれたのは永井さんだった。朝に「みもちゃんの家いっていい?」と聞かれたので「いいですよ」となった。連絡が直前になりがちでスピード感のある人で、じぶんもそういう性格なので機敏にボールを打ち返せる。
自営業の人は、休日でもなにかしら仕事の延長で手を動かしている人がおおく、馬詰さんもそんなひとり。わたしもオフとオンがごちゃまぜに働いている昨今なので、ふたりで手を動かしながらあれこれおしゃべり。先ほどのみーやんではないが、わたし自身も、馬詰さんは永井さんの知り合いとして出会った、遠くにいる湘南の大人だった。由比ヶ浜の<BORN FREE WORKS>をやらないかと声をかけてもらい、馬詰さんが築いてきたものを引き継いだ数年間は、たくさんのしんどいことがあった。けれど、それらを経てこんな時間を持てるようになった。途中、外出先から戻ってきた娘は、お土産にいただいたお菓子を食べたり、ベッドに寝転がってNintendo Switchをしたりして、くつろいでいた。そんな間もわたしたちはずっと手を動かしていた。馬詰さんはいつも誰かへのお土産をたづさえている印象の人だが、昨日も娘にはお菓子を、わたしにはたくさんのビールを持ってきてくれた。馬詰さんが帰ったあと「お菓子おいしかったね、いつでも来てほしいね」と娘が言ったときはおもわず吹き出してしまったが、加えて「馬詰さんてはなしやすいね」とも言っていた。そんなふうにうつったのか。こどもの感性はまっすぐで、よくみているというよりは、素直に感じていてる。そんな心をわたし自身もずっと持っていたい。26歳で湘南にきて、こどもの心を残したままの大人にたくさん出会ったわたしは、48歳になった今、いったいどんな大人なのだろう。

2025/08/18

「お金がない」ではなく「仕事がない」と、彼女はいう

 夏の終わりが遠くにうっすらみえてきた。昨日は10日ぶりくらいに、海の家<パパイヤ>のバイトの日。夕方からのシフトだったのだが、嵐のような忙しさで、ひたすら揚げものをして終了。日中はOEMの縫製。途中、我が家にあそびにきていた娘のともだちと夫と娘、みんなで一緒にお昼ご飯を食べた。一昨日の残りのおでん、おにぎり、こどもウケのいいふかしポテトのフライドポテトに、おなじくウケのいい、ハニー粒マスタードマヨネーズのディップソースも添えて。柄になく、働き者の日曜日。

パパイヤのアルバイトがはじまって比較的最初の方に、ママ友と電話ではなしていたときのこと。フリーランスの彼女が、「気づいたら夏に仕事がなくて、あれ、暇だな、なんかバイトしようかなとおもってさ〜」とあかるくいうので、オーナーにすぐに確認をしてから「明日わたしバイトだから、一応エプロンもってきてよ」と伝えた。人柄もよく仕事のできる人なので間違いないとおもっていたが、そのまま即キッチンにはいり、そつなく仕事をこなしていた。本業はグラフィックデザイナーだが、料理もできるし、おしゃれだだし、数々のアルバイトをしてきたからなのか、対応力がたかく、マルチな才能がある。
彼女のいう「仕事がない」という表現は、いいニュアンスだなと感じた。発言は自由なので「お金がない」と言いたければ言ってってもいいけれど、「仕事がない」と聞くと「じゃあなんか仕事ふるよ」となる。前方や左右を確認して、人手不足で困っている人がいないかと、見渡すこともできる。もちろん人柄がありきだし、仕事への向き合い方、協調性などが大前提なので、自分自身もそんな人でありたい。今日はこれからオーダーのタイパンツを縫う。OEMもゴールがみえてきたので、ほっと一安心。千本ノック並みに同じものを縫ったので、いかに効率よくキレイに縫うか、みたいなことを考えながらの作業だった。今日も、昨日より今日のほうがキレイに縫えるように、ただ心をこめてミシンを踏む。

2025/08/16

男子にモテる男子たち

 ながく借りパク中だったサーフボードの返却で、昨日は『LOGGER WOOD SUPPLY Co.』の末綱(すえつな)さんとランチ。茅ヶ崎の事務所まで返却にいくね、ご馳走するから食べたいものを考えておいてねと言っていたのに、わたしの仕事がバタバタなのもあって末綱さんが我が家まで取りに来てくれて、選択肢のすくない近所でランチをするという、自己中心的なランチ会に。

はじめてはいった海鮮のお店、おいしかった。特筆すべきは食器で、お水の容器が酎ハイのカップみたいなもので出てきた。それがメチャクチャにキンキンに冷えていておいしく、もはやビジュアルが呑み会。「ことりさん、これはもう呑み会だよ!」と末綱さんがいうので、おかしくてゲラゲラ笑う。末綱氏はお水をお酒だと思い込むことにしたのか、何度もおかわりをしていた。その姿も面白さに拍車をかけた。
末綱さんにオーダーしたいものがあり、海鮮丼が出てくるまでの間にいくつかはなす。ラフのようなものをささーっと描く末綱さんに、「絵が上手なんだね」というと「うん、そうだよ」と言いながら顔も上げずにサラサラ描き続けている。「ロガーのロゴも自分で描いたの?」と聞くと「うん」という。ぜんぜんこっちをみない。昔から絵がすきだったそうだが、確かに。左手でペンをにぎって絵を描く姿はこどものようで、ちいさな末綱さんを想像するのはたやすかった。食後にゆっくりコーヒーでものみたかったけれど、引き続き急いで縫わなくてはいけないものがあり、商店で缶コーヒーを買ってもらって、海の前に腰をかけてすこしだけはなす。
借りパクしていた板は『BIRDS CREATION』の小玉譲二(こだま・じょうじ)くんの板。5月に都内でジョージくんの展示があり、板をオーダーしたいなーと思った。その話を末綱さんにしていたら、「その前にジョージくんの板、一度乗ってみたら? オーダーの参考になるかもしれないから」と、末綱さんのほうから言ってくれたのだ。いい人。 取りに行こうと思っていたのに、そのあとすぐにうちまで持ってきてくれた。いい人! そんなわけで昨日は借りていたボードの話や、それを削ったジョージくんの話にもなった。
わたしとジョージくんはマンションの部屋が隣同士たった時期があり、知り合いになった。その後も企画展などでいろいろ助けてくれて、なんだかんだ10年くらいの付き合い。知り合ってからずっと小学生みたいな人で、まっすぐで、なんだろう。ああいう人、いまのところ他にみたことがない。左右の靴下の色が、だいたいちがう。ウケるとこ、変なとこ、かききれないエピソードがいろいろあるけれど、そこはかとなく、やさしい。男子にモテる男子みたいな小学生がクラスには必ずいると思うけれど、そのまま大人になった感じがする。
何年前だったか、ジョージくんにフィンをオーダーしたい、という末綱さんを連れてジョージくんの作業場にいった。夏の、暑かった日。その夜に、紹介したことへのお礼のラインがきて(そういうところはいつも誠実)、「みもちゃん、ありがとう。すえつぐさん、すごくいい人だった!」とかいてあったので、「すえつな、だよ」と返信した。それからしばらく、何度訂正しても「すえつぐさんはいい人だよ」というので、こっちも面倒くさくなって放置していたのだけど、最近やっと名前を覚えたみたい。
わたしのまわりにいる男子たちは、男子にモテるタイプの男子がおおい気がする。彼らの、婚前の女子ウケはどうだったのか知る由もないけれど、一緒にいて気が楽。娘はよく「男子はちょっとバカだから」という。確かに。でも、そこをとってしまうと男子の魅力は激減してしまうのではないか。ちょっとバカで、とってもやさしい。それがおとこのこの、いいところ。おんなのこは、かしこくて、かわいい。でも、ときどきそんなじぶんに疲れてしまうこともあるから、「男子はバカだね〜」ってわらいたいのかもしれない。

2025/08/14

あゆみ寄る旅

 金沢・富山から帰宅。はじめての北陸エリア。関西出身の夫のルーツは石川県にあり、一度は行こうと話していたのでやっと。噂には聞いていたが、海鮮やおでんや日本酒が衝撃的においしくて、ひたすら飲んで食べる。金沢市内は観光地ならではで交通機関がとても発展しており、移動が便利だった。バスがどんどんくる、すこし博多に似た感じ。

夫と結婚してから、旅先に美術館があると予定に組み込まれることが、新婚時代は苦痛で仕方がなかった。芸術に興味がなかったし、今もそこまで興味はないのだが、それも主張しているのだが、頑なに予定にねじ込んでくる。そのうちに、興味は出なくとも心は慣れてきている適応力のたかいじぶんがここにいる。で、今回も金沢21世紀美術館へ。有名なプールのあれは、インスタグラムなどで見たことがあったのでうっすら知っていたが、そこが予約制だということは知らなかった。当日の朝9時からオンラインで時間予約を取れるとのことだが、すぐ売りうきれるらしい。「おのおの、抜かりなく」とデジタル弱めの指揮官(夫)。夫と娘のふたりは5Gで、わたしは4G。9時ジャストにスマホで一斉エントリー。あまり期待されていなかったが、見事1位を勝ち取ったのは打ち込みがはやい4Gのわたくし。「5Gにあぐらをかいてちゃダメだよ」とマウントしながら美術館へいき、兼六園では茶華道部の娘を筆頭にお抹茶体験、その後は石川県立図書館へも。
結婚して21年、娘がジョインしてからもうすぐ13年。家族になるまでは一人旅の気楽さが好きだったけれど、家族旅行で互いの興味に歩み寄ることで、知らなかった世界を知る楽しみも増えてきたのは、びっくりだけれど事実。美術館に関してはミュージアムショップにいくのが楽しみになったし、お抹茶など全く興味がなかったけれど、5ヶ月経験している茶華道部の娘の所作の違いに感動し、茶道も華道も障子も襖も掛け軸も、日本人は粋だなあと、これもいいものだなあなんて思うとは。旅先の図書館も、地元の人の日常にお邪魔する感が想像以上にたのしかった。行政の力の入れ具合、税金の使いかた、どんな人が企画してどんな人を呼んでつくり、このセンスが実現したのか。調べはしないが興味ぶかく、とてもいい経験になった。センスのいいお金の使いかた、注ぎかた、大事。
我が家はワンルームなので、娘は勉強に集中したいとき、気分転換をしたいとき、度々図書館にいく。そんな娘に見せてあげたらどうかと夫がプランに組み込んでいた石川県立図書館は娘にドストライクだったようで、今回の旅でいちばん長い時間滞在したのではないか。ずっといたい、この近くに住みたいと言っていたほど。ふと、「あと数年もすれば、ほんとうにそんな選択肢もあるだろうな」と頭が未来を理解した。その流れで、翌日には富山の図書館もいくことになった。旅は流動的で、だからおもしろい。
移動した先の富山県は、まず富山美術館が素晴らしかった。ロケーションも、企画展も、所蔵作品も、建物のセンスも、庭も、ミュージアムショップもよかった。そのすぐそばの世界一美しいと称されているスターバックスへも足を運ぶ。路面電車に乗ったり、富山城におじゃましたり。富山は土地が雄大で、力強い生命力を感じた。穏やかで、たくましく、なのにそこはかとなくやさしい感じ。椎名林檎の『ありあまる富』というだいすきな曲があるのだが、あの歌が頭の中でなんども流れた。歌詞もメロディーも、あまりにもピッタリで。
富山の旅の最大の目的は、『Hutte』というお店にいくことだった。数年前からおもっていたので、念願叶ってやっと。ドイツ語で山小屋を意味するヒュッテに、偶然にも山の日にいけた奇跡。じぶんが無意識に、ご褒美のようにとっていたのかもしれない。オーナーの浅野さんとも数年ぶりにお会いする。夫と娘はわたしの都合に合わせてくれたけれど、店内のお洋服や雑貨などもいろいろみていて、お店の看板犬のビンゴとも戯(たわむ)れていて、楽しそうに待っていてくれたことが何よりありがたかった。富山、とても良くて思いの外時間がおしてしまった。最後はフライトの時間がやばいとなって、浅野さんに図書館まで送迎してもらったりと、ドタバタの締めくくり。家族皆が北陸の魅力を感じ、だいすきになった。次は冬にカニを食べにこようと、次の約束をして北陸とバイバイ。

2025/08/07

自己肯定感をブチ上げろ

 娘が入部を決めた茶華道部、おもっていたより夏休みも活動をしている。お抹茶をたてるだけでなく、障子の張り替えや和菓子つくりなど、多岐にわたって日本文化を学んでいる模様。今日はカステラを焼くのだと、スーパーに集合なんだと、張り切って登校。登校といってもこの酷暑、まあまあな距離を歩くので、車で送迎をしている。

今朝、夏休みの旅行先で誰にお土産買う?なんて話を娘としていたときのこと。「ばあばにも買って会いにいこうねー」なんて話から、「きっとほめてくれるよ」とわたしが言うと、「ばあばに会うと、自己肯定感がブチ上がるよねー」と娘。なんて現代っ子な言葉遣いなのかしらとおもったが、『ブチ上がる』と言うニュアンスがガチでピッタリ、若者と暮らしていると、こっちまで言葉遣いがバグってしまう。
母は一人暮らしを経て、今はサービスがいろいろあるようなかんじの場所で、日々を過ごしている。ケアをしてくださる人が複数いて、母に会いに行った際は、わたしもスタッフの皆さんにご挨拶をする。そんなとき、母はいつも通りみなさんを褒めまくっている。髪型がかわいい、お肌がキレイね、いつもありがとうなどなど、通常運転。そのやりとりを見ていると、顔がほころばない人は皆無で、みなさん一様にうれしそうにしている。「いえいえ」と謙遜する人には間髪入れずにかぶせ気味にほめる母。当然、足を運んだわたしのこともほめてくれる。ずっと褒められて育ったので、褒められて謙遜しないことは、母のおかげで特技になった。
社会に出て、実家を出て、仕事をし、リーマンショックで派遣切りにあって深く傷つき、自営業ではくやしいおもいもたくさんして、自己肯定感がぶち上がらない日々もおおいけれど、母に会うだけでたしかにわたしはブチ上がる。帰り道にスキップをしたくなるほどに。実家で暮らしていたとき、じぶんの部屋を散らかしっぱなしでも平気でいるわたしのことを「散らかし屋さんなのね」と散らかすことでさえ、さんづけしていた母。
世にでて、信頼しているひとからアドバイスをいただいて伸びることはあっても、逆らいたくなるおとなに怒られて伸びることがなかった人生で、怖いこと、嫌なことからはいちもくさんに逃げてきたわたし。そんなダメなわたしの姿をいくつも知っている母だけど、いつだったか母の前で泣いたとき「頑張らなくていいわよ、みもちゃんは十分頑張っている」と言ってくれた。いつもありのままを受け入れてくれて、弱さも褒めてくれて、今なおブチあげてくれる偉大さ。人を褒めているときの母は心からうれしそうにニコニコしていて、耳を澄ませると『キラキラ』と、音が聴こえそうな感じさえする。そんな空気を身にまとって今日も、今も、誰かの自己肯定感をブチあげているにちがいないわたしのママは、娘のバァバ。

2025/08/04

頼られるよろこび

 小学4年生くらいのあたりから、娘が解けずにきいてくる算数の質問はすべてお手上げになった。聞かれるたびに、「AIはなんていってる?」「チャピちゃん(チャットGPT)はなんだって?」「写メ撮ってGoogleで検索は?」と答え続けていたら、ほど無くしてなにもきかれなくなった。夫は、6年生くらいまではがんばって解いていたけれど、算数が数学になった時点で諦めた模様。夫と娘は社会がとても好きなので、歴史や地理についてよく語り合っている。どのあたりがおもしろいのでしょう。いずれにしても、社会だけはだいたい満点らしい。

各教科のテストの点数なども夫には見せていて、よくがんばったねとか、もうすこしがんばりなさいとか言われては、娘も「はーい」などと言っている。おやおや? ふたりにはママの姿が見えていないのかな、というくらいに存在を無視されている。
夫は長男として生まれ、親に期待されて厳しく育てられたそうだ。娘の教育をみていれば、「ああ、なるほどね」とおもう。そういうのが嫌だった、ときいていた割に娘にけっこうきびしい。たまに娘が落ち込んでいると、夫のいないところで「なにも気にしなくていいよ。ママはここまで生きてこれたから」という。ウケる時とウケない時があるが。何も期待されずに無法地帯で育った末っ子のわたしは、やっぱりじぶんがしてもらったことと同じことしかできない。見ていない景色を想像しろと言われても、すぐに限界がくる。こどものころ、学校の宿題がわからなくて困っても、母は「ママも」、「ママもよ」、「ママもだった」ともっとも短い言葉数(ことばかず)で、わたしに共感と結界を張ってみせた。
一昨日のこと。娘が「ママー、25メートル泳ぎたいから水泳おしえて」と言ってきた。滅多に頼られないので、ここ一番でママの実力を発揮したい。昨日は鼻息あらく市民プールへ。20代の頃、いっときスイミングスクールのコーチをアルバイトでしていたのだ。娘はクロールを学びたいという。聞けば明日が補習授業でテストとのこと。もっと早く言ってくれよとおもったが、やってやれないことはないことりコーチなので、入魂の2時間レッスン。娘はそもそもの基礎がゼロベース状態だったので、案外教えやすく、想像よりもはるかに簡単に飲み込んでくれた。25メートルがこんなに苦しくなく泳げるのかと知ったよろこびを得たようで、泳ぎ専用のコースで口をぱくぱくしながら泳いでいた。長い手のスクロールが優雅。すると、今度は100メートル泳げるようになりたいと言い出した。その方が成績が良くなるそうだ。まだまだ教えられること、出来ることはあるけれど、明日はとりあえず25メートルだけ泳げばなんとかなるらしいしから、無理しない方がいいよとわたし。がんばって泳ぐと苦しくなるし、嫌いになってしまう。そういう子どもをコーチ時代にみてきた。同時に、進級しなくても楽しそうな子どもも、たくさん見てきた。「ことりコーチのクラスはなかなか進級しない」と言われたし、自覚もあった。向上心のないことりコーチ、20年の時を経てもいまだ健在。普段、学校関連で頼られることがほんとうにないので、昨日はちょっぴりいい気分。また一緒に泳ごうぜ。

2025/08/03

くすぶったっていいじゃない

 出かけたい用事があったので朝からひたすら縫って、なんとか昼には終わらせてお出かけ。昨日は久しぶりの横浜・妙蓮寺にある『本屋・生活綴方』へ。生活綴方は、三輪舎の中岡祐介(なかおか・ゆうすけ)さんが立ち上げに多大なる労力を注いだであろう本屋。中岡さんには、過去にタイパンツ展でお世話になったり、もっと前には自費出版した『SUNNY SIDE』の編集を、そのもっと前にはわたしが運営していたギャラリーの企画展(本を贈る展)でもお世話になった。というわけで、なんだかんだで結構ながいお付き合い。

昨日は盛岡にある本屋『BOOKNERD』の店主、早坂大輔(はやさか・だいすけ)さんのトークイベントと、ゲスト店番の日だった。中岡さんは、わたしの知る限りもう何年も前から早坂さんに妙蓮寺へきて欲しそうにしていた。中岡さんはこの数年、何度も盛岡へ足を運んではブックイベントに協力・参加していたようだった。妙蓮寺で会うと、早坂さんのかっこう良さ、イケボであることなどもおしえてくれていたし、その想いの分だけ、描いている夢がなかなか実現しないことに、しょんぼりしているのも手に取るようにわかっていた。とにかく、そんな気持ちを全部ひっくるめて早坂さんのことを尊敬していてだいすきなんだろうなあ、というのが中岡さんの全身からダダ漏れしていた。そのはかない恋心のようなものをはたからみていたので、昨日、ついに!! とおもったら、中岡さんにおめでとうを言わずにはいられなかったわけである。
店にはいると、たまたま他のお客さんがいなくて中岡さんと早坂さん、店長の鈴木さんがいた。私自身は数年前に一度、盛岡の本屋へ展示を見にいったので、早坂さんとお会いするのは二度目。その以前にわたしの本を仕入れてくださったこともあり(写真家の杉江くんが繋いでくれた)、DMなどではすこしやりとりをしていた。盛岡のお店に足を運んだときは寒さに向かう途中の秋だったけれど、昨日は『クソ暑い』という言葉を使いたくなるような酷暑だったので、お互いに夏服。早坂さんはTシャツに短パンにネイビーのキャップをかぶって、カジュアルなおじさんだった。立ち上がった姿、背がこんなに高い人だったっけなあ、なんておもいながら、とにかく中岡さんに「よかったですねえ!」という。みんなでおしゃべりしているとき、話の流れで「本屋はくすぶっているとき(くすぶっているフェーズ)に来ることがおおいかも」みたいな話になった。そうして、「そこを抜けるとこなくなることもあるよね」、「くすぶるってことは若いってことなのかもしれない」、なんて話をニコニコしながら交わしているおじさんふたりは、すごくいい感じだった。確かに、本はいつでも静かに迎え入れてくれるし、本屋はそんな空気が流れているような気がする。いずれにしても、こんなことを語り合うおじさんたちが本屋に関わっているのだから、そりゃそうだよね、とおもいながら耳を傾けていた。わたしもくすぶることにおいてはベテランの域なので、これからもきっとあるだろう。若いってことらしいし、悪くない。ふたりのやりとりは、はたから眺めていて、微笑ましいあたたかさがあった。撫でてくれるような、あるいは、何もいわずにとおくから見守ってくれているような。いかにながい時間をかけて、中岡さんが紡いできたこと、早坂さんがうけとってきたであろうものをたくさん感じた。夢は、すぐに叶わないほうがいいんだな。
早坂さんの本屋『BOOKNERD』がとても人気なのはきっと有名な話。おそらく、ゲスト店番にやってきた早坂さんに会いたい、話したい、みたいな人はおおいのだろうと想像していた。だから本を選んだら早めに帰ろうと、本棚を眺めていた。選んでいる間、店がちいさいスペースなこともあり、聞くともなしにやりとりを聞いていると、「ガチャガチャやりたいです、なんえんですか」と早坂さんに話しかけている小学生がご来店。『本屋・生活綴方』の店頭にはガチャガチャがあるのだ。店番のコーナーは入り口にあるので、お客さんは聞きやすい。心の中で「ぷっ」とおもっていると、ほど無くして「ガチャガチャやりたいです、りょうがえしてください」、別のこどももご来店。そうこうしていると、またまた別のこどもがやってきてふたたび両替を頼まれている。「ちょっとまってね。まさよさん(鈴木店長のことをそう呼んでいた)、100円玉が少なくなってきました〜」と早坂さん。盛岡からはるばるやってきた早坂さん、ガチャガチャの対応に大忙し。ほのぼのとした、本屋・生活綴方らしい展開。そうこうしているとお客様がどんどんはいってきたので、本を選んでお会計を済ませ、挨拶をして店を出る。中岡さんの長年の夢だったはずが、それを聞いていた私までなんだかいい気分で、幸せのおすそ分け。店を出るとき、中岡さんが見当たらなかった。うれしすぎて妙蓮寺の町中をスキップでもしていたのではないか。灼熱の土曜日、午後3時くらいのこと。

2025/08/02

あかるいうちに

 他をしらないのでわたしの場合だが、縫製の仕事は日没までと決めている。キレイに縫うには目が勝負なので、くらいところでは難しい。例え電気をつけたとしても、夜はすでに疲れているわけで。だから外が明るいうちに、手元もライトをつけて、明るくして縫う。昨日は7時から縫えるように、その前に事前準備を。OEM(Original Equipment Manufactureって略語だと初めてしった)だとそこそこの数を量産するので、請求書を出すのにある程度の作業時間もはからねばならず、そんな準備も必要なのだ。これまでのように、布を仕入れて上代を決めてじぶんで縫う、という流れとはぜんぜん違う。外注先としてまとまった仕事をいただけてありがたいけれど、じぶんのこれまでの仕事がいかに一人で完結していたかも、知ることができた。仕事をいただくときは感謝を忘れず、でも対等でいたいので、ちゃんと選ぼうとはおもっている。その昔、ある人に言われたことがある。「仕事を選ぶ基準は3つ。ひとつはこの人とやってみたいとおもったとき、ふたつめは仕事の内容に興味があるとき、みっつめは、どっちにも引っかからないけどギャラがいいとき。そのどれにも該当しない仕事は受けない」と言っていた。フリーのカメラマンと、おなじくフリーの構成作家の先輩ふたりがおなじようなことをいっていたのは、わたしがまだ20代の終わりから30の前半くらいだったはず。当時は会社員だったけれど、尊敬しているふたりだったし、その言葉はなんだかとても記憶に残っていた。わたしの未来を見据えていてくれていたのか、先輩の思想のおすそ分けだったのか、とにかくありがたいお言葉。

朝早くから仕事をすれば、明るいうちに仕事も終わるわけで、昨日は15時からママ友と鎌倉のイタリアンで乾杯。ビールを飲んだのち、ボトルの白ワインにスイッチ。秋に島に旅しようと誰かが言えば、移住して起業したいと別の誰かがいい、3人でこんなビジネスができるのでは、海女さんは?と妄想止まらず。本題からそれまくっていると、涙をながして爆笑。おばさん三人、明るいうちから大騒ぎして明るいうちに終了。
そのあとは約束していた会があり、ものすごく久しぶりにカフェ・ヴィヴモン・ディモンシュへ。ひとりだけちょっと赤ら顔。昨日は料理人のナベさんがワッフルを食べてみたいとのことで、おなじく料理人のめぐちゃん、DAILYの馬詰さんとわたし、4人で3種のワッフルをオーダーし、つついて食べる。みんな世代がバラバラなので、会話の中で「ぼくたちの世代は」とかなると、話をさえぎってまで「え!世代がちがいます!」と否定して一同でウケる。言ったほうは、みんなおなじだと思っているに違いない自然な発言からの、指摘されて「え?えへへ」みたいなうっかり顔をしていた。あれ、じぶんもきっと若い人の前でやっているに違いない。こわい。気をつけようと、心の中にメモ。よくはたらけばよくあそべるし、よくあそべれば、またよくはたらける。どっちかがすくなくても、おおくてもだめ。健全でいたい。じぶんなりのグッドバランスさがしている、まだまだ人生の途中にいるわたしなわけで。