2024/11/29

Daughter told me about my dad. -娘がおしえてくれた、パパのこと-

 「なんで寝顔ばっかりとるんだろう」

父はむかし、フィルムカメラで膨大な写真を撮っていた。ゴルフコースでのショット写真、好きな車のカーショーでは同じような角度で同じような車の写真、日常で食事を囲んでいるときの、どうでもいいような家族の写真などなど。フィルムは、近所のセブンイレブンで現像をたのんでいた。数日すると、写真が出来上がる。それを、父はこどもだちに引き取りにいけと、お使いをさせた。
父は、わたしたち子供の寝顔をやたらとたくさん撮っていた。幼い頃は、「こんなのじゃなくて、起きてるときをとってよ!」と腹立たしくおもっていた。しかし、娘が生まれて父の気持ちがわかった。こどもの寝顔ほどかわいいものはない。起きないように、そっとスマホで写真を撮るたびに、父のことを想う。
わたしはむかしからママっ子だった。美人で思いやりがあり、分け隔てなく人に優しいママ。目があうと外人みたいに口角をあげて笑う仕草も、かわいい声も、おしゃれなところも、香水の香りもマニキュアも、その全部が好きだった。いまも大好き。いっぽうの父は、昭和の破天荒を絵にかいたような人で、家族はいつもふりまわされていた。こどもが4人いて、6人家族なのに2ドアの車に乗るような人で、オレ様が一番大好き。実家には父のレコード部屋があり、壁一面のレコードと今考えると異常なデカさのスピーカーがあった。その部屋にはいり、すこしでも走ろうものなら「針がとぶだろ!」と叱られたし、気分が滅入るほどの爆音でジャズが流れるこわい部屋。
大学生になって車の免許をとったとき、友人たちからは「家の車でお父さんと練習してる」みたいなことを耳にしていたが、父は「パパの車にはぜったいに乗せない」といい、愛車を守っていた。そういう人だったから、「こういう人とだけは結婚しない!」と常々思っていた。自分勝手で頭にくるのに、とつぜん変なことを言って笑わせたり、おもしろいことをいう間合いが絶妙だったり、猫のポーズで「にゃー」と近づいてきたり、悔しいけれど、人たらしという言葉がぴったりで。本当に気まぐれな猫のようで、甘えたり、怒ったり、気分次第で、とつぜん家族にプレゼントを買ってきてくれたりもした。いらないものもあったけれど。
娘が生まれてから、「ママはさあ」「ママってさあ」と身の振り方を注意されるたびに、薄々気づいてしまった。わたしは父にとても似ているらしい、ということだ。パパのせいで大嫌いだとおもっていたのに、大人になるにつれてジャズやレコードが好きになってしまったし、父が好んでいたエルメスにも興味を持ってしまったし、「なんだかんだいって結局は銀座だぞ」も、言わんとすることがわかってきた。父が言っていた言葉で忘れられない言葉が二つある。一つは、「魚も人も、目が死んでいる奴はだめ」。二つ目は、「仕事にはルンルンでいけ」だった。父は家業を継いでいて、親族もいたので苦労もおおかったはず。だけど、愚痴っているところを一度もみたことがなかった。「月曜日が待ち遠しい」ともよく言っていた。自宅に変な営業の電話がかかってくると、意外だけれどすごく優しくて、営業マンのはなしを一通り聞いたあと、「うちは間に合ってるんだ、ごめんね、ありがとね」と言って電話を切っていた。「そんなふうに子どもにも優しくしてくれよ」と心の中で思って聞いていたが、「アイツらも仕事だからね」と言っていた。「アイツはいいひとなんだよー」が口癖。学生時代のノリが抜けず、長い男子校生活をひきづったまま、仲間とはしゃいでいた。そういう、理解し難いアンバランスな感覚をもっていた。なぞなぞな人、なぞをときがたい父であった。そんな父もすっかり歳をとり、今ではエッジがとれて、穏やかな顔をしている。よくみたら、優しい顔をしている。
母はどうして父を選んだのか、それこそが永遠の謎だ。ワイドショーなどで内田裕也さんが出てくると、母はいつも「パパににてる」と、ロックンローラーをとっても肯定的に眺めていた。もしも娘が生まれなかったら、父が撮るわたしたちの寝顔の写真は、永久的に未解決の謎だった。だんだんとわかってきたことは、父はめちゃくちゃだったけれど、とてつもないロマンティストで、その姿をしっているのは、母だけなのかもしれない。結婚すると勝手に決めて、ひとりで話をすすめてしまった父。時代が時代ならストーカーと言われてもおかしくなかったかもしれぬ父。母もさぞや困ったことだろう。そういう手口も、わたしと似ている。遺伝とは、困ったものです。にも、12歳のおたんじょうびおめでとう。ありがとう、ママが知るよしもなかったことをおしえてくれて。

2024/11/28

霧雨のように

 文章を書こうとおもうときは、いつも言葉のほうが勝手に降ってくる。霧雨のように音をたてず体に当たるので、傘をささずに天を仰ぐような感じで、PCに向かって文字を打つ。10分か15分くらいで書く。それを一度読み返す。そのときに、ルーペでのぞきこむような感じで、言葉を拡大してゆく。たとえば「風が吹いていて、海面が光っていた」と書いていたら、それはどんな風に?と、もう一度。太陽はどんな角度だったのか、月明かりだったのか。そこには人がいたのか、いないのか。そよ風なのか、北風で海面はぐちゃちゃに荒れていたのか。そんな風に記憶を呼び戻しにいき、言葉を探しにいく。以前本を作ったとき、編集者の人に「言葉を尽くすんです」と言われて以来、全然まだまだだが、前よりも気をつけるようになった。乱暴にかかない。適当にかかない。それは話すときもおなじで、自分の思っていること、感じていることのディティールをなるべく伝えるために、言葉をさがす。訓練が必要で、まだまだできていないけれど。

霧雨が降ってこないときは、全然書けなくなる。書けないことに苦しみや痛みはないが、「どうしたの?」と人から言われると、失礼だが、わずらわしい。どうして雨が降らないの? と聞かれても、答えられないから。昔からずっと気分にムラがある性格だし、こじらせている部分もたくさんあって、そういう自分を空は、空だけはなにも言わず、いつも見守ってくれている感じがする。
『SAUCE』に立っているといろんな人が来ては去っていく。扉の開けかた、閉めかた、言葉の使いかた、力の入りかた、意識して観察しようとしなくても、背景の方がノックをせずにはいってくるような感覚。素直でいればいい。そのほうがうんと楽なんだと、自分自身にも照らし合わせて、毎日学んでいる。かくせばみえるし、つくろっては浮かびあがってくる。大人になればなるほどに。それらはやがてブーメランのようにはねかえって、じぶんにあたる。痛みや傷になるくらいなら、最初から解放したほうがいいのだ。
『SAUCE』でお弁当を手渡すとき、ときどき「いただきます」と言う人がいる。おもわず「召し上がれ」と言いたくなってしまう、つくっていないけれど。レストランでご飯を食べるとき、必ず両手を合わせて「いただきます」という男性を何人か知っている。幼い頃からの躾(しつけ)や身についた習慣なのだろう。さっと手を合わせては、さっともどす。早く食べたいのか、くせなのかはよくわかないが、その仕草だけが一瞬高速になるので、なんだかおもしろい。愛らしい所作だなと感じる。
飲食の仕事は、経営を続ける難しさが随所にあるようにおもうが、同時に奥深いものを感じている。衣食住の「衣」の世界に長く身を置いてきた自分にとっては、発想の転換が必要で、おどろくことばかり。アパレルは製造・販売のサイクルをはやくすることを良しとしないが、飲食はちがう。いいもの、おいしいものは鮮度がセットで、おいしいぶんだけ日持ちがしない。だから、なるべくその日に売り切ることが大事。「衣」は外を着飾るたのしみがあるけれど、「食」は内側を豊かにする。お客様は、ほとんどの人がショーケースの前で「おいしそう、目移りしちゃう〜」と口にする。この感じ、アパレルにはない反応だった。鏡に映るじぶんを見て「にあってないな、ふとったかも」とおもうようなマイナスな部分はなくて、「おいしそう、あれもこれも食べてみたい!」というプラスなベクトルが働く、オートマティックに。おいしいものを、ただ、おいしそうに眺めている。その姿は自然体でありのままで、なんともいい風景だ。
さて、きょうもこれからレンバイへ。湘南は昨日から風が吹き荒れている。我が家の窓の外に見える海面は、白波がたってぐちゃぐちゃ。こんな日は売れるのだろうか。と書きつつ、どんな日でも「売れますように」とおもいながら、自転車のペダルを漕いで出勤するわたし。

2024/11/27

わたしのトモダチ

 休日があっというまにすぎていく。月曜日、振り替え休日の娘のリクエストを済ませて、午後の隙間時間に鎌倉のFablic campへ。おき忘れた老眼鏡と、先日の展示で購入した作品の引き取り。イトウヨシミさんの、木にペイントされた積み木を選んだ。色合いが好みだったのと、自分は平面のアートよりも、圧倒的に立体的なものが好き。昨年も「みてみたい!」とおもい、一人で盛岡まで展示をみにいった。『BOOKNARD』で開催されていた、小川哲(おわが・さとし)さんの作品。ふたつ購入して、今は本棚の前に飾ってある。夫の切り絵も立体的だし、そういうものになぜか心が惹かれる。動かない立体物のなかにひそむ、躍動感のようなものに。作品の引き取りだけのつもりが、店内は次の展示が開催されていた。『クリスマスまつり』と称した合同展のようなイベントなのだが、中でもとびきり好きなのが『トモダチ』という名のついたリースたち。作家はわたしが尊敬してやまない静岡県沼津市で花屋をいとなむ岩﨑有加さん。作品はすでにふたつ持っているのだが、どうしてもほしくて今年もひとつ、迎えいれる。かわいいリースはたくさんあったが、ひとつ、なんだかちょっとこわさをふくむかわいい、ややこじらせているような容姿のリースが気になった。神様のようなちいさな人形がセンターに「むぎゅ」っと埋め込まれてあり、心臓の辺りに『OPEN HERE』と書いてあった。それで、購入をきめた。どんどん、解放していくと決めたから。こんにちは、いらっしゃい、わたしのトモダチ。

翌日の昨日は朝から横浜へ。SAUCEの仕事を通じで親しくなった、たぶん30歳くらいのMちゃんと。目的があり朝からの活動となったが、たまたま通りかかった『TULLY’S COFFEE – タリーズコーヒー 日本大通り店』でモーニング。横浜市認定の歴史的建造物「横浜情報文化センター」とのこと。建物もインテリアも目を見張る素晴らしさ、高級ホテルのラウンジ並みだった。以前は、地元で20年つづく人気洋食店だったが、コロナ禍で惜しまれつつ2020年9月に閉店したとのことだった。それにしても、さすがは横浜。ロマンティックな銀杏並木、港街の風情、圧倒的なうつくしさ。横浜に憧れを抱く都民だったころの気持ち、再熱。
中華街で目的の用事を済ませて、Mちゃんとは解散。わたしはそこから伊勢崎町の『ジャック・アンドベティ』まで30分ほど徒歩で移動し、観たいとおもっていた『イル・ポスティーノ』を観る。感想はまだ到底言葉にならないが、人生で観た数少ない映画の中で、一番好きだとおもえた。魂を揺さぶられるような映画だった。もしもじぶんがお店を営むようなことがあれば、店の名前は『イル・ポスティーノ』にしたいとおもいながら、妄想に身を包みつつ関内駅に向かって歩く。最後は以前の職場であるパタゴニアの元上司とお茶。お互い退社済みなのであたらしい関係性なのもたのしく、気楽にわらいあう。朝に「お茶しません?」とメールするわたしに、「ぜひ!」と連絡をくれるような人で、スピード感が同じだから気が合う感じ。数十人をまとめるようなポジションの、いわゆるえらい人だった。当時からわたしのような下々(しもじも)にも分け隔てなく、みなの名前を正確に覚え、下の名前で呼んでくれて、声をかけ、気をくばってくれた。様々なきっかけ、出来事、思いきりの源を知る由もないし、そこに興味も好奇心もないが、英断や門出を応援したい。たくさん転職を繰り返してきたわたしだが、退社するとたいていの人のことは忘れてしまう。嫌だったこと、苦手だった人、つらかったこと、どんどん忘れてしまう。心に残る人、関係がつづく人は一握りだ。彼らのことを、わたしはずっと忘れない。日々のおこないの中に、言葉に、行動に、やさしさや真心があったから。それらは、振り返れば忘れない映画のようで、心に余韻を残す。出会えてよかったと感じるものは、作品も映画も人も、自分にとっては分け隔てがない。全部、アートなのだから。

2024/11/23

ことりさんと、みもちゃん

 27歳で湘南に引っ越してきたことりみもちゃん。当初はともだちがひとりもいなくて、すこしづつ、仲間をふやしてきた。あっという間の20年。さいしょは皆、わたしのことを「ことりさん」と呼んでいた。娘のにもちゃんが生まれてからは「ことりさん」から「みもちゃん」にかわった人がおおい。「みもちゃんと、にもちゃん」と呼ぶことが増えたからだろう。けっして嫌ではないが、「ことりさん」と呼ばれるの、わりとすきだった。「ちゃん」よりも「さん」は、ちょっとだけかしこそうだし、どこかよそよそしく距離のある感じも、きらいではなかったから。いまでも、男の人はたいていわたしを「ことりさん」と呼ぶ。わたしも相手を「○○さん」と呼ぶ。「みもちゃん」と呼んでくる男子は『Birds Creation』のジョージくんくらい。わたしもなぜか、彼のことをくん付けで呼んでいる。もし、ジョージくんに「ことりさん」と呼ばれたらなんかこわい。わたしも「こだまさん」とは呼ばない、なんかこわい。

男の人がわたしの名前を「ことりさん」と呼ぶとき、おおむねイントネーションがちがうことがおおい。皆、「り」に向かってあがっていく。正確には「り」にむかって下がっていくのが正解。けれど彼らは「おうまさん」、「うさぎさん」みたいな感じで、わたしを「ことりさん」と呼ぶ。訂正したほうがいいのかなという気持ちと、おもしろがっているじぶんがせめぎあって、結局いわない。かわいらしいから。彼らが、空を飛ぶ鳥を指さして呼ぶようなイントネーションの「ことりさん」。いたずら好きなことりさんは、「はい」とおすましして返事をする。なんねんもなんねんも、チャーミングなミステイクをそのままにして。

2024/11/22

叱るところがみあたらない

 月に一度の木曜やすみの昨日。波はあるけれど寒いので波乗りはせず、三浦へドライブ。最近はまっている城ヶ島の『FISH STAND』へ。マグロのカマのフィッシュと、生のじゃがいもをフライしたチップスで、これがめちゃくちゃおいしい。いつもはひとりで素潜りしたあとにいくのだが、海あがりじゃなくてもおいしいものはおいしいと、あらためて実感。その後は『充麦(みつむぎ)』、家族がそれぞれに好きなパンを3種類買い、『かねしち丸水産』では娘が好きな味がついたしらす、『すかなごっそ』で季節の野菜を買って帰宅。だいたい同じコース。

夕方、娘に「ママのLINEに、謝恩会のグループLINEがきてなかった?みんながそのことを話していて、なんのことかさっぱりわからなかったよ」と言われた。しっていた。しっていのだが、たくさんLINEがきたので、あとでゆっくり読もうとおもったまま、数日経過していた。娘はそれをさかのぼって読み、「こういうの、来ていたらちゃんといってね」と低い声でいった。「はい…」と蚊の鳴くような声で返事。数日前の夜は、洗濯物をたたんでいた夫から「みもちゃんは作業場(アイロン台など)がきたない」と注意されたばかりだった。
実家で暮らしていたころ、母からいつも「みもちゃんは叱るところがみあたらない」とほめられ続けて26年過ごしてきた。「えへへ、そうなのかな」とおもっていたのに、実家をでてあらたな家庭を築いたら、たびたび叱られている。見あたらないはずなのに、おかしな話だ。先日も母に会いにいったら「みもちゃんは昔からがんばりやさんで、人当たりもいいし、おはなしも上手。お弁当屋さんはピッタリね。みもちゃん、何歳になったの? 47歳!?うそでしょう!わかーい!」と、ひたすら褒められてかえってきた。それなのになぜだろう。家にかえると、ほめられることもあるが、叱られることもおおい。叱られることは、なれない。褒められて伸びてきたんだもの。47歳、人生修行中。

2024/11/20

あのころの僕らよりも

 先週のことだったか、『LOGGER WOOD SUPPLY CO』の末綱(すえつな)さんがレンバイの『SAUCE』にきてくれた。つれだってきた男性は、埼玉県入間市で『LAND GENERAL STORE』を営む人だという。呼び名はまっちゃん。『LAND』は以前、末綱さんのインスタグラムでみたことがあったお店で、雰囲気のいいお店だなとおもった記憶があったので、ああ、この人の店なのかと記憶が結びつく。両腕を組んでニコニコと話すまっちゃん。お客さんが来るとおじさん二人、すぐにフェイドアウト。お客さんが去るとまたコンビで登場。たわいもない話を30分くらいしたあと、まっちゃんはよだれ鶏を買ってくれた。「今度お店にいきますね」と伝えてバイバイ。

昨日、友人の運転する車でまっちゃんのお店に足を運んだ。『LAND』は入間のジョンソンタウンと呼ばれる場所にあった。元米軍住居地域跡地で、いわゆる平家で白くて三角の屋根の、米軍ハウスと呼ばれる建物が建ち並んでいた。そこだけがアメリカみたいな、不思議な空間だった。途中に大きなもみの木。トップには星の電飾。「クレーンじゃないと飾り付けないできないたかさだよね」と、友人とわらう。敷地はおおきな公園に隣接しているので、建物の場所によっては、ときどきぐっと視界がひらける。木漏れ日と木々と、走り回る少年たちの声が聞こえた。
LANDはメンズを中心としたアパレルのセレクトショップで、雑貨がすこし置かれていた。店の隅にはまっちゃんが使っているのであろう、ロングボードが数本立てかけられていた。まっちゃんとわたしは同級生だと発覚し、なんだか一気に親近感。話の流れで、近くに事務所をもつ森さんという男性を紹介してくれるという。森さんは設計の仕事しているとのこと。「ことりさんに一度だけ、一瞬あったことあるっていってた。森くんも同級生!」と元気な声でまっちゃんがいう。記憶の紐をたどって、たどって、たどりついた結果、思い出せなかった。森さんの事務所で「はじましての、二度目まして」と、挨拶を交わす。
森さんの事務所は、一言で表現するのは難しいけれど、ものすごく感じのいい空間だった。広い空間の隅っこに、申し訳ない程度の小屋のような部屋があり、目が留まる。実際は木々が見えて、広い公園に面しているのだけれど、アメリカ映画だと窓の外は湖畔が見えるような、そんな感じの小部屋だった。そこで仕事をしているという。老後の夢は船上暮らしのわたしにとって、タイニーハウス、タイニーなスペースはいつでも妄想ができるので、「わあ、素敵」と声に出す。ダラダラとおしゃべりをしたあと、こどもだったらかけずり回りたいような、一周をぐるりとまわれる構造になっている森さんの平屋をほんとうにぐるりとして、インスタグラムを交換したりして、さようなら。
長距離運転が苦手(飽きてしまう)なわたしに代わって、海だ山だとアクティブに動く友人の運転のおかげで、楽しいトリップができた。入間でできた同級生の友人は、少年の笑顔がこぼれ落ちるようないい顔をした中年(わたしも)で、小学校が一緒だったら「いい感じにとしとったじゃーん」と言って、笑いあいたい感じの人たちだった。大人になって友達ができるのはたのしいものだ。こんな仕事してるんだ、これで生計を立ててるんだ、すごいなと素直に尊敬もできる。この歳になると、仕事を通じでいろんなタイプの人にも、そこそこ出会ってきた。腹が立つこと、裏切られること、傷つくこと、頭に血が上った後に体温が下がるように消耗すること、そういうことにもだいぶ慣れた。人混みで肩がぶつからないように歩くみたいに、かわしたり、ぶつかったら「すみません」と謝ることもできる。慣れたけれど、でも、いつも、あんまりいい気はしない。そんな経験の中で、ときどきご褒美みたいに、なんとなく気が合いそうな人と出会うことができる。公園でボールをおっかけまわしていたときには知らなかった種類の痛みをしって、人はゆっくりと大人になる。だからうれしい出会いがあると、あの頃のじぶんよりもうんと、うれしいのかもしれない。

2024/11/19

walking down in Tokyo

 今の、SAUCEの仕事を通じで縁ができた金沢の酒蔵・福光屋さんの展示を観に、ミッドタウンへ。『福正宗とうるしの器 其の五 すはらゆう子展~山中めぐり編~』。すはらゆう子さんの漆の器、想像よりかなりお値段も手頃で買おうかと手にしたが、夫が柄を選びたい気がして昨日は購入をとどまる。本当は家族で観にきたかったのだが、こういうとき、週末休みでないとむずかしい。

建物の外に出ると、なつかしのTBSのビッグハットがみえた。働いていたのは20代の数年だけだが、こうしてみるとずいぶん都会で働いていたものだ。そのまま赤坂方面へ歩く。実家で暮らしていた26年、六本木は遠くてあまり足を運ぶ機会がなかった。六本木は物理的にとおいと感じでいた。歩きながら、赤坂はしっくりくるなあと、懐かしく歩く。餃子が有名な眠眠(みんみん)もちかい。仕事帰りに何度か食べにいった、思い出の店。同じ港区でも六本木と赤坂、少しの違いで空気ががらっと変わるから不思議。
もう一つ観たかった展示をみるために向かったのは、虎屋赤坂店、『虎屋のパッケージ展』。昔から虎屋のパッケージがだいすきで、それを一同にみれると知り、楽しみにしていた。明治・大正・昭和・平成・令和と様々なデザインを眺める。昭和50年代後半のデザインになると目に懐かしく、足を止める。母が鹿児島の帰省土産で買っていた水羊羹のパッケージを眺めていたら、祖父や祖母、叔父、叔母の顔が浮かんだ。人は目にしたもの、耳にしたものとセットで情景を記憶しているのだ。3階の喫茶でお茶をし、青山通りを表参道方面まであるく。外苑の銀杏並木は半分くらい色付いていた。
MOMAショップに行く手前でエルメスのディスプレイが美しく、しばらく眺めて、そのまま店内に入る。アップルウォッチのレザーバンドの色が好みで見せてもらうが、画面のインチサイズと欲しい色があわなかった。グリーンの美しいレザー。その近くにあったハンカチも見せてもらった。手刺繍がほどこされた、絵画のようなもの、6万円。ウォッチのバンドより高いハンカチ。ネオンカラーのステッチが目をひくマフラー、15万円。落としたら号泣するだろう値段。手が出ないけれど、手仕事の適正価格はこういうものなのかも、とおもう。アップルウォッチを買い替えてレザーバンドを買うか、悩ましいところ。その後MOMAで老眼鏡と、壊れて困っていたサングラスを買い直す。
父のところへいきたかったが、時間切れでやむなく帰宅。東京とひとくくりにいっても、好きな場所、正確には縁のある場所はごくわずかなものだ。結局は生まれ育った区と、その隣の区ぐらいしか馴染みがない。新宿区で生まれたわたしは渋谷区、豊島区、千代田区、中野区に思い出がある。少し遠いけれど、父の影響で中央区(正確には銀座と日本橋)、江東区の門仲(門前仲町)あたりは馴染みのある場所。学校があった町田市も思い出深い。鶴川からバスに揺られて20分くらいの、町田市真光寺町にある和光高校。それ以外のエリアは、結局ほとんど詳しくない。東京で生まれた人は、案外そんなもの。

2024/11/18

パパ、レコードをかけてよ

 レンバイ勤務がはじまってから、一週間がやたらとはやい。思い返せば週5日、おなじ場所に通いで働くことは、30代前半の時以来。リーマンショックで派遣切りにあうまで、5年弱、都内で外資系O Lをしていた。週に5日通いで働くなんてもう無理だろう、需要も体力も気力もない。無理に違いないとおもっていたじぶんにとって、自信をもらうような経験を重ねている。会社員、正確にはオフィスで働くレディに憧れを抱いていた。実際に何社か経験もしたけれど、いつもどうしても数年で行き詰まっては、人ができることができないじぶんに傷ついて、うらやんだり、ひねくれたり、会社員なんてと暴言のような愚痴を吐いたりを繰り返してきたが、いよいよあきらめがついてきた。ちいさな店で、ひとりで働くことなら細く長くできるかもしれない、そうおもえてきたから。SAUCEにやってくる友人・知人が口を揃えていう「ぴったりだね」を聞くたびに、まわりからみたら何年も前からそう見えていたのかもしれないことを、自分の中に探すことができなかった。いつも、遠くの景色を見ていたから。歩いているのになぜかたどり着けない、そういう景色を眺めていた。「あきらめる」、という言葉は一見後ろ向きだけれど、終わらせることは同時にはじまりでもあるから、下を向いた言葉ではなく、あんがい前を向いた言葉なのかもしれない。


ここ数週間、娘がわたしのブログ(2008年から2015年にかけて綴っていたもの)を熱心に読み込んでいる。自分の生まれる前の両親(わたしと夫)のこと、自分が生まれてからのことなど、興味深い様子だ。一緒になって読み返してみると、書き残さなければ忘れている日々のささいなことに、「へえ!へえ〜!」を連発。その中のある日の日記に、父のことを書いた日のブログがあった。稚拙な文章でさすがにおののくが、2009年当時の自分にはこれが精一杯だったのだろう。以下にその文章をのせる。

2009年5月13日
昨晩は東京の実家に泊まりました。私の父はジャズが大好きで、レコードコレクターなのです。そのため、かつての私の部屋は、今では父のレコード部屋と化しております。私はあまり音楽に詳しくないので、当然ジャズも詳しくないです。写真は、今朝私の部屋においてあったレコードのジャケット。単純に可愛いなあと思って、父に「これ、かけてみて」とお願いしました。父は「これはモダンジャズだぞ。うちでモダンジャズが分かるのはパパとミキだけ」と、次女の姉の名前を出しながらレコードをかけてくれました。(次女のほうの姉は、父と同じくジャズをはじめ、音楽が大好きなのです。)そのまま部屋から去るのかなあと思ったら、ドアを出たあたりでうろちょろしていてます。もう1度部屋に入ってきて、「ジャズはもう少し大きな音で聴かないとね」と言って、ボリュームを上げつつ、凄く嬉しそうです。「いい曲だね」と私が言うと、「『Taking a Chance on Love』、スタンダードナンバーね」と、相当得意げな表情でした。そして唐突に、「パパの髪を切ってよ。襟足が長くなって気になるんだよ」と言いました。実家に住んでいた頃、時々父に頼まれて髪の毛を切っていました。久しぶりに切ってみるかと、洗面所で父の髪の毛をカットしました。私の部屋から流れるジャズを聞きつつ、洗面所で髪を切ってもらっている父はご満悦でした。

とあった。15年の月日が流れ、お互いに歳をとり、父がじぶんでレコードに針を落とすことは難しくなり、代わりに今は、わたしが父に会いにいくとレコードに針を落とし、ジャズを流している、父のために。今になってわかったが、あの日父がかけてくれた”Taking a Chance on Love”という曲はレコードの1曲目ではなく、3曲目だった。なぜその曲を選んだのか、どんなふうにドアの前で耳をすましていたのか、娘がジャズをかけてみてと言ってきたことがどれだけ嬉しくて、ついつい「髪を切ってよ」と口からこぼれてきたのか、今ならだいぶ想像ができる。それはわたしが親になったからなのか、歳をとったからなのか。あるいは、父がそんな仕草をとることも、たわいもない会話を交わすこともできなくなったからなのかは、よくわからない。もうすぐ12歳になる娘のおかげで、思いがけずに昔の父に再会できたようでとてもうれしい。きっと、今日のこの言葉のかけらたちも、懐かしむ日がくるのだろう。そうして、わたしたちは今を過去に、未来をも過去に変えてゆく。

2024/11/13

手の中に、心の中に

 令和の小学生は学校からタブレットが配られる。夕方になると、先生から宿題のお知らせや各種インフォメーションがながれてくる。こどもたちはチャット機能でそれに返事をしたり、先生をふくめて簡単な交流もできるようだ。昭和のママには未来をみているようなシステムだが、クイックでイージーで、うらやましくもある。娘によると、今週末は『漢字50問テスト』があるという。チャットでは、多くのこどもたちが母親の協力のもと、連日予想問題を作ってもらい復習に挑んでいるのだそう。娘が、ニヤニヤしながらそれを読み上げてくる。わたしは、台所から両手で大きくバツをつくった。娘もそういうわたしの性格をわかった上で、ふざけてよみあげているのだ。「ママの問題集は漢字がまちがっていそう」と娘、「漢字が書けなくてここまで生きてこれからね。これからはAIが書いてくれるよ」と応戦するわたし。台所のちいさなスピーカーからは、Shazamのアプリが作ってくれたプレイリストが流れている。70年代・80年代のR&Bを中心としたプレイリストで、ときどきブルー・ノマーズやヴルフペックがカットインする。

小学生の頃、「勉強きらい」と母に口にすると「ママもきらいだったわ」といわれた。そこで会話は終了した。できないことは伝えられない、それは母のスタイルだった。わたし自身もそこはおなじ。知らないことは知らないし、そこに興味があれば今からでも学ぼう、知りたいと心が動くが、漢字の学習にたいしてはそのパッションが見当たらない。母は裁縫も得意としなかったが、わたしはミシンが好きで、母のミシンをつかって、ものづくりを覚えた。娘は歴史が好きで、熱心に勉強をしている。その点は夫に似たようで、二人はよく日本史の話をしている。わたしはそこも興味がなく、会話にはいることはない。
昨日は仕事を通じで知りあった30歳くらいの女の子とお茶をする。彼女が今いる、立っている場所での奮闘をきく。仕事にたいして真面目で可愛く、相談に乗るどころか、涙を流してわらってしまった。渦中ではわかないことの方がおおいけれど、とにかく一生懸命日々をこなすこと、それしかない。今のじぶんにできることはなにか、学べることと吸収できることはなにかを常に考えながらやってみたら、と伝える。本人は大変なこともあると思うが、俯瞰して聞いていると大変よくできたコントで、吉本新喜劇みたいだと爆笑する。
すべてのことに言えると思うが、愛、尊敬する気持ち、謙虚さを失うと人は怒り、傲慢になる。あるいはエネルギーを失う。そうなったら、その場を卒業するときだと感じる。逃げだという人もいるが、逃げればいい。くたびれたら、休むしかすべはないのだ。明日死んでしまうかもしれない命。明日失われるかもしれない時間をどう過ごすか、その選択の自由はいつでもじぶんの手の中に、心の中にある。

2024/11/12

ホワッツ・ゴーイン・オン

 今の仕事を通じて知りあったNさんとは、20歳ほどの歳の差がある。つくるものに独創性があり、和・洋・中・伊どんなジャンルでも、なんでもびっくりすくらいにおいしい。「うまい」という言葉を女性である自分がつかうと、どこか品性がかける気がして、普段はあまり口にしづらいのだが、「うまい!」という表現がぴったりの味。父がよく口にしていた「美味(びみ)だねえ」に、もっとも近い。できることとできないこと、そこにはくっきりとした境界線があり、アーティストであることに自覚のないアーティストに映る。先日、Nさんがわたしの家族を自宅に招いてくれた。聞けば、日頃のわたしの仕事に感謝をしてくれているそうで、そのお礼がしたいとのことだった。お言葉に甘えて、夫と娘と三人でご自宅にお邪魔することに。

普段から、気取らない身なりだがオシャレで、この人の背景や、長い人生で影響を受けたきた文化は一体どんなだろうと、興味深く思っていた。自宅に一足を踏み入れると、こじんまりとした部屋の中は、いくつもの間接照明から本棚からDVDからキッチンの様子からインテリアの細部にいたるまで、「なるほど!」という素晴らしい空間だった。映画、レコード、学生時代のこと、数えきれないほどの転職人生などなどなど、コース料理のように素晴らしいお料理をいただきながら、最後はトランプでババ抜きをして宴は終了。
翌日の昨日は、お礼のお礼にと、Nさんをピックアップして茅ヶ崎の『BLANDIN』へ。美味しいコーヒーを飲みがら昨日の会話の続きのような時間を過ごす。店内は山下達郎のレコードが流れていた。『ソフトリー』というアルバムだった。店主の宮治ひろみさんを交えて三人であれこれ会話をした後に、わたしはスティービー・ワンダーの『Ribbon in the Sky』が聴きたくてレコードを探すが見当たらず、代わりに『Knocks Me Off My Feet』をかけてもらった。「みもちゃんはこういうのが好きなんだねえ」とNさん。Nさんはダニー・ハサウェイの棚からLIVE版のジャケットを手にとり、「マービンゲイじゃないほうの、ホワッツ・ゴーイン・オンを聴いたことはありますか?」という。「ないです」と答えると、スティービーの次に、ひろみさんがそのレコードをかけてくれた。ダニー・ハサウェイのホワッツ・ゴーイン・オンは、やさしくて、オリジナルのそれとは別の曲のようだった。どっちも好きな感じだった。「カバーの方がいい曲っていうのも、たくさんありますよね」と話す。1時間くらいと言っていたのに、結果的に3時間近く店でくつろぎ、帰路につく。Nさんに出会ってまだ少しだけれど、自分の人生の転換期のようなものを感じる。じぶんのこれまでのこと、失敗だとおもっていたこと、ウィークポイントだときらっていた複雑な性格、アンバランスでコントロールし難い極端なじぶん、望まずともはっしている光のような瞬(またた)き、マイナスな要素を全部肯定していいんだとおもえた。そうやって生きてきた人が、目の前にふわっと、突然あらわれた感じがする。そんなことを思いながらハンドルを握り、アクセルを踏む。昨日の湘南はめずらしく波がよく、サーファーで賑わっていた。日差しが強く、海面は光と波がじゃれ合うように、お互いを照らしあっていた。