2025/11/26

どーもしてない

 朝のかわりに、早めの夕方から散歩に出かける。近所にはちいさな山があって、海もある。今日はどっちを歩こうか、たいていは歩きはじめてから行き先を考える。今日は山側からの海側と、ロングコースで散歩をした。風が気持ちよく寒くもなくて、青空と太陽がなんともきれいだったから。家でミシンを踏んでいると基本的に人にあわない。意識して体を動かさないと思考も体もちいさくかたまっていくから、こういう時間は大切。

昨日の夕方、ミシンをふんでいたら友達から「元気!」と連絡がきた。あまりじぶんから連絡をしてこない人なので、「元気だよ、どーした?」と返信したら「どーもしてない」と一言。気まぐれな男子である。でも、元気ならばそれでいい。用事がなくて連絡をくれるのも、案外うれしいものだ。そんな昨日のやりとりを思い返しながら散歩していた。夕陽がどんどんきれいになる。オフィスにいた頃、磨りガラスの向こう側に透けるオレンジ色の光が濃ければ濃いほど、窓の外を見られないことがいつもちいさなストレスだった。ミーティング中、いそがしいとき、そんなことを気にしている場合じゃないときも、そんなことばかり気になっていた自分。よく頑張ったねともおもうし、頑張れなかったんだね、ともおもう。どっちの自分も、いいこいいこ。今なら撫でてあげられる。
じぶんで仕事をしていると、仕事がスローだと時間があって、仕事が忙しいと時間がない。どちらにも幸せはあれど、ワークとライフのバランスはいつでも難しい。けれど、あの頃の夕陽のストレスがないのは、じぶんにとって間違いなくおおきい。この風景はじぶんが選んだ風景なんだなと、そんなことをしみじみおもって歩いた今日の夕方。きれいだね、と話す人がいなくてもさみしくない。みんなが夕陽の方をみていて、わたしも夕陽のほうをみている。

2025/11/21

価値観ちがってもいいじゃない

 息を止めて縫うような仕事から解放されたので、昨日は休日。ママ友をピックアップして三浦までドライブ。いつも立ち寄るちいさな市場で野菜を買い、いつも立ち寄るリサイクルショップ<爆安屋>へ向かう。その後は三崎の<fosette(フォセット)>でガレット、城ヶ島の<FISH STAND>でフィッシュ&チップス、<充麦(みつむぎ)>で家族が好きなパンを買う。いつものコースだ。

わたしから三浦のドライブに誘われた友人たちは、問答無用で<爆安屋>へ連行される。若干イヤそうにしている者、興味津々な者、わたしよりも熱心に時間をかけている者。互いに手にした戦利品などを品定めし、友人たちのものへの価値観、金銭感覚、それぞれの審美眼などを観察して楽しんでいるわたしだ。ネーミングも店構えのごちゃごちゃ感も、だいぶいっちゃってる爆安屋。ここを楽しめない人とは価値観の相違がある気がする。分かり合えない気がする。ちなみに今までで一番露骨に嫌がっていた者はただ一人、夫である。二人で三浦をドライブすると、夫は有無を言わさずアクセルを踏み込み、店の前を駆け抜ける。リサイクル、古着、彼はそういう全てがだいきらい。きれいなもの、キラキラしたものがだいすきなのだ。
昨日の朝、夫を駅まで車で送っているとき、先日も書いた「豊かな生活」をイメージするものはなあに?と聞いてみた。夫は開口一番に「みもちゃんと一緒に仕事すること」といった。「それが生活の根源にあって、そこからじゃない?」、とのことだった。仕事がないと、生活にハリがでない。旅するように暮らしたいとか聞くけど、僕はぜんぜんそうは思わない。ちいさくていいから帰れる家があって、手仕事があって、そこから旅をしたい、と。ずいぶん堅実な答えだなとおもい、「それが全部できている上で、豊かさはなんなの? ちなみにわたしは、あんまり家とか車とか物への欲がなかったんだよね」というと、しばらくしてから「まあ、その上で? エルメスとか英国仕立てとかで、オーダでスーツを二着くらい仕立てて、ドレスコードのある場所に、月に二回くらいみもちゃんと出かけたいかな」とのことだった。 絶対やだ! 本当に価値観が違う夫である。
帰りの車で一人思い返していたのだが、わたしの両親もそれとどこか似ていた。父は若い頃からブランド大好きな高級志向の人だったが、母は全然タイプが違った。そんな二人の間に生まれたので、夫婦は価値観が違って普通なんだと、いまでもどこかでおもっている。その昔、母が笑って教えてくれたことがある。結婚前にデートをしていたとき、銀座で父が「なんでも買ってあげるよ」と言ってきたそうだが、母は「なにもいらない」と答えたそうだ。おそらく、父はそれまでいつもその手を使っていたのではないかと思うが「なにもいらない」という女の子はすくなかったのではないか。母は当時ヒッピーのような格好も好きだった様子なのだが、父から「そういう、雑巾のような格好をしてはいけない」とも言われたらしい。母はこのエピソードがだいすきみたいで、爆笑して涙を流しながら、何度も何度も教えてくれた。父はきっと覚えていないだろう。鹿児島の田舎で育った母は、山では木の枝にぶら下がるターザン遊びが得意だったそうで、人一倍俊足だった母は裸足で砂浜を駆け回ることもだいすきだったという。実家でゴキブリが出たときも、素手で捕まえては「かわいそう」と言って窓から逃そうとする野生児のままな母をみて、父はいつも「早く殺せよ!」と言って一目散に逃げる。母はそんな父を面白がって、包んだ両手を崩さずに父を追っかけたりもしていた。父は虫も自然も田舎もぜんぶが苦手。それでも一緒に過ごしていたのだから、夫婦って心底謎である。話がそれてしまった。そんなこんなで、我が家の食器棚に少しづつ増えていく爆安屋コレクション、昨日はそこにオールドパイレックスのコーヒーパーコレーターが加わった。戦利品を誇らしげに夫に見せたら「えー! いらない!」と一言。正反対なわたしたちの暮らしはつづく。

2025/11/19

早回(はやまわ)し

 長尺のものを縫っている。ついこの間まで、3センチ程の世界線で仕事をしていたのに、今は数メートルのものを縫っていて、縮尺の感覚がバグり気味。おおきなものを作るにはスペースもそこそこ必要で、同時に体力勝負なところもある。冬は日没もはやいので、逆算して仕事の開始時間をはやめる。そうなるとパソコンは開かず、ミシンの前へいきがち。いただく仕事はたいていが慣れない仕事なので、集中しているともう日没。そんな感じで1日が終わる。冬はぜんぶが早回し。

仕事のときはネットフリックスをラジオのように流したままにしている。短編のドキュメンタリーが特に好みで、耳で聞いて、夜に英語や日本語の字幕で見返すと、いかに知らない単語を聞き取れていないかがわかり、けっこう勉強になる。最近おもしろかったのは『キルターズ』。アメリカ・ミズリー州の刑務所内で、受刑者の男たちが里子にプレゼントするためにキルトを縫うドキュメント。裁断やミシンを扱うシーンも出てくるので、興味深い。個人的な着目点としては彼らが着ている囚人服。シャツの襟の仕様がシンプルで、再生と一時停止を繰り返してみたりしている。数日前からは『ハウ・トゥー・ゲット・リッチ』というのも流している。リッチ、日本語だと「豊か」を意味する。様々な相談者が出てきては、彼ら彼女らの経済的な問題点、盲点などを心理学的なアプローチを含めて立て直していくような内容。ナビゲーターとしてファイナンシャルのプロが出てくる。どんな暮らしを豊かだとおもうか、相談者たちにまずは紙に書き出す宿題を出すところから話しは始まる。まだ見始めたばかりなのだけれど、ふとじぶんも書いてみようかなとおもい、メモとペンを持ってベッドへ。書き終えてすぐに眠りについたので、翌朝あらためてメモをみる。「おいしいものを食べられること・旅ができること・お風呂にはいれること・好きなイスにすわる・家族と仲良く暮らす・船旅をたのしむ・たくさんはいらない」と書いてあった。好きなイスに座る、というのはしばらく前から作業用にほしいとおもっているイスがあり、そのイスがあればキッチンで腰掛けるときも、ダイニングテーブルで使うときもいいなあとおもっているから。今年結構がんばったし、来年もきっとがんばる。買う、今決めた。今日もこれからミシン。「手を動かす仕事がある」、というのも豊かさリストに書きくわえておこう。

2025/11/12

がんばらないといけないことは、いろいろあるけれど

 冬が近づいて、陽が短い。縫製の仕事は日没までと決めているので、なんだかペースが狂う。夏のように動いていると、どう考えても時間が足りない。ブログもちょっと後回しになりがち。

じぶんには毎朝のルーティンがあって、6時25分からラジオ体操をしている。かれこれ一年以上続いていて、習慣にすると、これがけっこういい。その日の体調や、固くなっているからだの箇所などもなんとなくわかる。たかだ10分、されど10分の積み重ね。そうして、朝がはじまる。
仕事も家事も、熱心に、そして優先的にやらねばならぬことはあるのだけれど、この秋はいちばんサーフィンをがんばっている。がんばるところを間違えている気もするのだが。寒くなると冬眠するので、今月いっぱいか、来月まではいけるかどうか。いけるうちにがんばるモードにはいっている。今日はおもっていた以上に波があって、でもすごくたのしくて、久しぶりに長く入っていた。家に戻ってほどなく娘も学校から帰宅し、そうこうしていたら陽が傾き、もう一日が終わる。同じ24時間のはずなのに、冬の一日はうんと短い。でも、夏だって駆け足で去ってしまった。今年もきっと、すぐに終わる。人生なんてあっという間なんだろうな。だとしたら馬鹿らしいなとおもうこと、どんどん削っていかないともったいないな。仕事も生活も、誇れること、好きなことに熱狂できる人生を、何年続けられるのか。自分にとって、それが人生の課題であり目標な気がする。明日もがんばろっと。

2025/11/04

豊かさとは

 連休もおしまい。ひさしぶりに<CHAHAT>のお店番のお手伝いも。昨日は波が残っていたので夫と海へ。上がって逗子で開催していたヨロッコビールのイベント<Zushi Harvest Fest>で遅めのランチとビール。フードも充実していて、焼きそば、ピザ、肉まん、ソーセージなど、空腹だったのであれこれ買う。ビールもたくさんのむ。知り合いにもあった。たのしい。秋に外でビールを飲む心地よさを存分に味わう。その足で、ほろ酔いのまま鎌倉に出向き、<POMPONCAKES GARE>へ。先日足を運んだ展示『THE AMERICANS by Kazuya Mougi』を再び観に。絵を眺めていたら不意に横から声をかけられた。作家の舞木和哉(もうぎ・かずま)さんだった。とっても感じのいい、にこやかな男性。途中おもしろい言い間違いでゲラゲラ笑ったり、こっちもほろ酔いでたいへんに気分がよく、しばらくのあいだ楽しくあれこれはなす。展示はロバート・フランクという写真家の『THE AMERICANS』という一冊の写真集を、全ページ黒のポスカで模写したもの。根気と愛で生まれた熱量をひしひしと感じる、とても興味深い作品たち。

昨日は文化の日、ということで『文化』とあらためて辞書で引いてみる。「世の中が進歩していて、生活などが豊かなこと。人間が精神によってつくりだしたもの。学問・芸術・道徳などをいう」とあった。豊か、という言葉がむかしから好きだ。じぶんのおもう豊かさの定義は、ちいさな、日々の営みの繰り返しの上に生まれるものだとおもっている。まずもって、家族とじぶんが健やかであること。大切に想えていること。その上で、昨日みたいに海にはいってビールを飲んでものづくりをしている人や作品に触れる、そういう時間が、じぶんにとってはいちばん豊か。ものを作る自分自身もまた、そのような時間を過ごすことで作品作りを頑張れる。よい連休を過ごしたので、今日からまた目の前の仕事をコツコツと。