今朝、娘の朝食を準備していたときのことだ。「朝から『SHISYAMO』(ちょっと激しめの曲もあるガールズロックバンド)聴いていい?」と娘に聞くと「いいよ。ママがいろんな音楽流しているのには慣れているから、別に聞かなくてもいいんだよ」と言われた。
今日は朝一番で、竹内まりあの『セプテンバー』を宮本浩次がカバーしたものをかけ、ザ・オールディーズって感じのフィフス・ディメンションの『ウェディング・ベル・ブルース』をかけ、70年代のアメリカの曲を数曲かけてから、カットバックしてSHISYAMO。色んな時代の色んなジャンルの音楽が好きなのだ。
昨日は、某店舗のスタッフのKちゃんと海の家パパイヤで昼ビール。波チェックがてら家から海岸を歩いて向かった。Kちゃんとご飯を食べるのはこれが三回目。<BRANDIN>にもご夫妻で足を運んでくれて、修理品を預けてくれた。音楽とかサッカーとか子育てのこと、話が合うので楽しい。またしてもバブル世代のおねえさんで、じぶんはこの世代のお友達の方が、同世代よりおおい気すらする。音楽は70年代のアメリカが異様に好きで、お友達は60年代に日本で生まれたバブル世代が多め。狙っていないのに、不思議であります。
今朝流していたオールディーズの曲にはじめて触れたのは、1994年の夏。17歳のわたしはサンタモニカの叔母の家に、一夏お世話になっていた。当時、叔母がよく聴いてた<ケー・オー・ワンオーワン>というラジオから流れてきた。「なんだこの曲は!」と目がハートになった。このラジオ曲は選曲がとてもよくて、日本に帰っても聴いていたいとおもい、カセットテープに録音して、帰国してからもずっと聴いていた。ジングルもよく覚えている。
あの夏、はじめて海外にいって、成田空港のお見送りには母と長女が来てくれた。心配性の姉は、心配そうな顔をしていた。ワクワクしかなかったわたしは、エスカレーターを降りながら笑顔でふたりに手を振った。LAX(ロスアンゼルス空港)には叔母が迎えにきてくれていて、笑顔で手を振ってくれた叔母の顔を鮮明に覚えている。叔母からは、言葉では伝えきれないほどのものを授けてもらった。視野を広げてもらったし、ものの考え方、働き方、生き方、ほかにも、たくさんの、ほんとうにたくさんのことを。
父に「アメリカにいってみたい」と言ったら「いきたいんだろ? いけよ」と言ってポーンとチケット代などを払ってくれた。心配をする様子など、一切感じなかった。父は、進路もそうだったが「金は出すけど口は出さない」子育てだったようにおもう。「子供の自主性を重んじて」なんて美しい理論ではなく、シンプルに興味がなかったのだとおもう。江戸っ子なので、「テメエの人生で、オレの人生じゃねえんだよ」と思っていたはず。父は、めちゃくちゃ言葉遣いが悪かった。一方の母は、挨拶と言葉遣いだけはとても厳しい人だったので「ママはどうして、こんなにべらんめえな口調の人を夫に選んだんだろう」と、子供ながらに不思議だった。「おいちび、ちょっとこい」とか普通に呼ばれていたし、「てめえ、なんだって?」とか言う人だった。当時はことあるごとに「パパはやさしくない!」と思っていた。お金は出すけどこどもの選択には干渉しない。時を経ておもうが、どちらもなかなか、容易ではない。親になった今、悔しいくらいに、父の偉大さが身にしみる。わたしは昔から母が好きで、ママっ子だった。いつでも母のことを書きたいくらいに、今でも母が好き。なのになんでだろう、父のことばかり書いてしまうのは。