2026/06/28

レット・ミー・ゲット・マイ・コピー

 娘のご指名で、某公立高校の文化祭の付き添い。文化祭はおともだちと行くことがほとんどの娘だが、今回は「ママがちょうどいいの」とのことで代表入りを果たした。あざーっす。夫はベンチ入りで、送迎係。朝から気合いを入れて向かったが、思いの外あっという間に気が済んだようで、短時間で終了。帰宅してからはずっと仕事。昨日も終日仕事。波もあるけれど、週末しか入れない人もおおいとおもうので、ずっとミシンを踏んでいた。
いろんな仕事の声をかけてもらって、本当にありがたい今日この頃。なるべく断らないようにと心がけているのだが、夏はどうしても多忙になってしまう。テトリスのようにスケジュールを組み立ててはみたが、どうしてもむつかしいので、お断りのラインなどを送ったり。申し訳ないような、また誘ってもらえるかな、という気持ちも入り混じったりして。自分でトッププライオリティを決めていくしかないので、こればっかりはしょうがない。


「おなじ感覚でミシンを踏める人がいたらなあ」とおもう時がある。そんなことを自営業の友人に話すと「個人事業主はみんなじぶんのコピーが欲しいといってるよ」と言われた。わたしの場合は、もっと上手にはやく縫える人はこの世にたくさんいて、そういう人に縫製をお願いしたら、きっと色々なことが劇的に良くなるような気もする。一方で、自分は上手ではないので、裁断、縫製とステップをふむことで、少しづつ、数ミリ単位でづれてていくことがどうしてもあって、そこの帳尻を合わせながらミシンと呼吸を合わせて、仕立てていく。言葉にすると難しいが、そんな独特な感覚があって、そこの部分は、言葉で説明ができない。例えばだけれど、料理なら野菜のカットの仕方とか、修理ならダメージ部分を削る塩梅だとか、そういうわずかな部分がきっと無限に、無数にあるのが手仕事。人の手から生まれる仕事を継承するのは本当に難しいと感じる。相手が日本人でも、日本語なんてきっとぜんぜん通じない。
じぶんの得意な仕事は圧倒的に仕入れと、デザイン、接客、販売。それは自分が一番よくわかっている。縫製は、正直一番最後の方なのだろうけれど、でも作る難しさ、楽しさ、苦しさ、みたいなものを作家として知っていたい。どんどんつくってバンバン売る、みたいなことも自分には違うとわかっているから、この生き方を選んでいるつもり。縫製の上手い下手だけで見られたら、もう絶対に土俵にはあがれないし、間違いなく戦力外通告される。自分には、自分らしさ、しかない。
だからきっと、『その人らしさ』みたいなところにいつも、価値を置いているのだろう。すごく接客の上手な人とか、見せ方の上手な人、人気店とかも素晴らしいって、本当におもう。経済を回しているから。けれど、じぶんはクセ強な店主とか、目も合わせてくれないお店とか、常識は逸脱しているけれど誠実、みたいな人をいつも応援している。うまくできない大人、みたいな人は世の中にびっくりするくらいいっぱいる。スポットライトが当たっていないだけ。当たってないけど、いつも一生懸命、みたいな人が好きだ。目立たないから、たくさんは出会わないけれど、出会ったら、ずっと好きでいることがおおい。自分も、そんなふうに生きられたらとおもう。人生は短いから、みんなに好かれなくても良い。たくさんの知らない人と、繋がれなくてもいい。大好きな人に、わたしもあなたの生き方、働き方、仕事の仕方が好きだよって思ってもらえるような生き方をしたい。そういうことを確認したくて、わたしはきっとミシンを踏んでいる。全然得意じゃない。わかっている。でも好き。だって誰かが喜んでくれるかもしれないから。そんな気持ちに、いつもわたしは、ほだされて、突き動かされて。じぶんをおだてて、また今日も、調子に乗っちゃって。