2026/07/27

機嫌よく暮らしたいけれど

なるべくひとにやさしく、機嫌よくいたい。そうおもってはいるが、家族いわく空腹時と暑いときは、ものすごく機嫌が悪いそうだ。「みもちゃんはお腹が空いていると黙っているからすぐわかる」と、日頃からよく夫にいわれる。父も長女も、昔から暑いのが嫌いだった。レストランに入ると、エアコンの場所を確認すると言っていた。母は暑いのも平気で自然もだいすき、いっぽう父は暑がりで自然が苦手だった。
私たちが幼かった頃は、夏になると母が実家の鹿児島へ、帰省を兼ねて連れていってくれていた。夏休みの初日から、ひどいときは終業式が終わるとすぐ、羽田空港へ向かった。ひと夏を鹿児島で過ごすのが恒例だったのだ。父だけがお盆の頃に二泊くらいでやってくるのだが、一緒には泊まらず、父だけ旅館を予約していた。縁側で月を眺めるとか、蚊帳の中でみんなで寝るとか、おおきな蜘蛛が出てきて逃げまわるとか、そんな風景に、父はいつも不在だった。去年の夏、鹿児島からやってきた従姉妹がそんな思い出話をはじめて「おじちゃまが『ブランデーが呑みたい』っていいだしたらしくて、旅館の女将さんは必死で探したらしいよ、あとで聞いたんだけど!」とおもしろおかしく教えてくれた。父はそういうわがままな人で、自分勝手で、みんなを騒ぎに巻き込んでしまう。なのになぜか皆が父を嫌いになれない。そんな不思議な人だった。
父は海もきらいだった。海好きがこうじてヨットを持っていた祖父が、おもてなしに父を乗せようとしたら「海にはサメが出るから僕はいきません」と本気で言ったそうだ。そのエピソードは笑い話としてずっと語り継がれている。たしか父が結婚の挨拶に行ったときだったはずだが、母方の祖母は年齢的にもお付き合いの短さ的にも、結婚はまだはやすぎるとおもったそうだ。「娘はお米も炊けないくらい、なにもできないんです。お嫁にいくには、まだまだなんです」というと、父は「買えばいいんですよ」と、平然と答えたそう。その時のやりとりがよほど好きだったのか、あとに何度聞いたかわからないほど、母から聞いた。昔からデパートが好きだった父はきっと、素直にそうおもったのだろう。だからかかはわからないが、わたしが物心ついた時にはすでに、母はデパ地下がだいすきだった。もちろん料理もたくさんしてくれたけれど、両親が買ってきてくれるデパ地下のお惣菜のおかげで、知らない料理をたくさん知ったのもまた事実。父は唯一食育だけは熱心で、それを今、わたしは心から感謝している。
そろそろ父に会いにいきたいが、暑すぎてとにかく東京がとおい。そして仕事もたくさん溜まっている。自分で仕事をつくり、その仕事がちゃんとあることを、誰よりもよろこんでくれるのは父。それをよく知っているのは、もちろん娘のわたし。次は誰の何を縫うんだっけと頭で順番を整理しながら、せっせと手を動かしている夏だ。さてさて、今日もはじめますか。